第10話 旅が終わり、そしてまた

シアンの結界内は、じめじめしていて異臭がしてとても気持ち悪い空間だった。

そして時間間隔が違うのか、すぐには母親を人質にしたシアンは視認できなかった。

迷路のようになっており、行き止まりにはドロドロしたスライムのような弱い敵がいた。

倒すのは簡単だったが、倒す度に何やら嫌な感じがした。

ぽたりと落ちる水滴や響く足音は、常時は何の変哲もないが今は心地が悪い。

やっとの事でゴールらしき場所に着くと、ニタリと笑うシアンと母親であるシルクがいた。


「よぉ、ほんとに来たな!……おい、一人で来いって言ったろ。人質殺しても良いってか?」

「な!?いやあたしは約束通り一人で来……」


そう答えた刹那、肩をポンと叩いた人物が背後にいたことに気づく。

それは今まで気配すら感じていなかったもの。

でも、いざ目にするととても懐かしい気配だった。


「いやぁ、お兄さんは話を聞かないから!一人でこんなところに入るなんて正気じゃないと思ってついてきちゃったな!」

「え、えぇと……」


プラチナブロンドの髪と黒いコート、その横顔から紫色の瞳が見える。

そして、その冷たいオーラをまとった大剣を背負う人物は……


「やだなぁ忘れちゃった?キルトだよキルト!ラッセルのお兄ちゃんだぞ!!」


苦笑しながら話しているが、シアンへの殺気が隠しきれていない。

珍しく冷や汗をつうと流しつつも、さも平然を装うシアン。


「ハ!ふざけやがって……」

「あぁ、お前ってばシルクおばさんと引き換えにタルトを奪うつもりなんだろ?困るよそういうの」


タルトの母親―シルクという人質がいながら、その青年にはなんのためらいもなかった。

シアンから素手で人質を剥がし、獲物を構える。

キン、とシアンの硬化した腕とつばぜり合いのようになり音が響く。


「お前、あの女がどうなっても良かったのかよ!?」


キルトは己が武器を押し合いながら、耳元で小声で何かを囁く。


「ーっ!?」

「お前何いってんだ?ちゃんと助けたぞ…?」

「こいつ…!」


数刻のやりとりの末、シアンの核がある場所を一突きする。

キルトは冷たい眼差しでシアンの体躯を見下ろすと、大剣をマントで拭いた。


「かはっ……くそ、くそくそくそ、人間のくせに……!!」


が、すんでのところで急所は外したらしく、シアンはおぼつかない足でその場から逃げ出した。

そんなシアンを横目で見つつ、深追いはしなかった。

キルトにとって、いつでもその首をとれる……否、核を突いて殺せる相手だったからだろう。


「……タルト。」


カツカツと足音を響かせて、こちらに近づくキルト。

ビクリと震えた肩を、男は乱雑に掴んだ。


「なんで一人で突っ込んだんだ!母親を大切にするのは良いことだ。だけど、きみは?

誰かが助けてくれるあてもないのに、自衛もできないのに傷つきに行かないでくれ!」

「痛っ……」


タルトの言葉にはっとしたように、キルトは肩をそっと離した。


「ごめん」


キルトはどこか少年のように泣きそうな顔をして、そのままシルクを抱き上げた。

気まずい空気が漂う中、ただ一言帰ろうと言うキルト。

タルトは肩をすくめてついていくことしかできなかった。



*




何も話せなかった。

あの戦う背中を見ながら。

戦力の差から、加勢などとんでもないとわかっていたのもある。

だが、一番の理由はそれではない。

結果的に母さんを助けつつも、人質を傷つけないようにだとか全く考えていなかったこの男が怖かったからだ。

たしかに意表はついたかもしれないが、結果的に逃してしまったのも事実だ。

一体何を考えているというのだろうか。

先程のやりとりといい、母さんの扱いといい、この男に任せてしまって良いのか不安な自分がいた。


「ん……」

「母さん!」


シルクが目覚めると、しばらくぼーっとした後微笑んだ。

その笑顔はどこか悲しげだった。


「ありがとうねタルト、それと…えぇと、なんていったかしら」

「キルトですよ。全く、俺ってばそんなに影薄いのかな?っと、傷が開きますからまだそのままで」


シルクが自分で立とうとするのを見て、慌てて抱え直すキルト。

このような光景を見ると、とても先程の行動をした男とは思えないとタルトは思う。

どちらが本当の彼なのか、それはこの場にいる誰も知る由はなかった。


「さて、このあたりなら休めるでしょっと。俺ってば貧弱だから、ここまで運ぶのでやっとだよ」

「なっ…」

「うふふ、ごめんなさいねキルト君。」


一言言いたげなタルトを静かに制止して、シルクは朗らかに笑う。


「じゃあ、俺はこれで。あまり無理しちゃダメだよ?」

「……貴方もね」


シルクの言葉にハッとしたような顔をした後、キルトは顔を背けて歩き出す。

タルトはなんとも思わなかったし、それがどのようなやりとりかも深くは理解しようとはしなかった。

ただ母さんが無事で帰ってきたことを、素直にではないにしろ喜ぶことにしたのだった。



*



「タルト!母さん!あれ、たしかゲートに入ったのはもう一人……」

「……ま、あいつのことは気にすんな」


フローネやレオ達が駆けつけると、タルトはふと気づく。


「そういえば妖精連中は?いつもギャアギャアうるせーのに見かけねぇな……」

「それが、石の中で寝たまま起きないのよ……おかしいわね……」


噂をすればルゥ子が石からにゅるりと出てきた。

なにやら元気がなさそうだが、事情あってのことらしい。

ソラ派でありながら地下に住むフィルチカという土の妖精を訪ねたいのだという。

場所は意外にも、タルト達の実家の近くに入り口となる階段があるとか。

一行は急いで竜車に乗りメルクリス家へと移動することになった。


「こちら土塊、要件を3分以内でよろしく」

「こちら水沫、NSのメンテしてほしいヨ。これから向かうからよろしくネ」

「承知」


石から耳慣れない声がしたかと思うと、その声はプツリと止んだ。


「何今の」

「電話みたいなものヨ。この石はNSって名前でフィルチカの住処にある原石とつながっているからネ」

「ベッドであり電話って便利だな!?ツチクレとかスイマツってのは?」

「コードネームだヨ」

「へぇー」


タルトが感心しているうちに、外は暗くなっていた。

寝てもいい時間なのだが、タルトは思うところがあって考え事をしていた。


「眠れないのかしら」

「姉貴……」


様子を見るに、フローネも眠れなくて夜風にあたりにきたのだろう。

しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのはタルトだった。


「母さんを見つけて連れ帰ったのだから、本来の私達の目的って終わったのよね……」

「あぁ、そうだな」


思えば長いようであっという間だった。

色々あったのも事実だし、とてもじゃないが安全な旅とはいえなかった。

だが、姉妹の考えていることはほぼほぼ同じだった。


「でも、なんかすっきりしないよな。何も解決してない」

「むしろ疑問や問題が増えたわね」


タルトとフローネは目を合わせて、こくりと頷く。

母親の失踪の目的、キルトという青年が何者なのか、あの妖精達はそもそも……?

母親の行方がわかったと思えば、またわからないことが増えた。

旅の終わりが次の始まりになろうとは、旅立った頃には考えなかったことだ。

今までの事とこれからの事は、首を長くして待っているであろう祖母に話そうと、二人は決意した。

そうして、寝床に戻った姉妹は仲良く眠りについたのであった。

そして、仲良く寝坊したという余談はここだけの話。

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