第2話 水の精霊
「それで、何故フローネさんはあんな風に……?」
沸かしたお湯で紅茶を淹れて出す。
「うちの母さんが行方不明って話は知ってるだろ?あたしらは、母さんを探す旅に出ようって話してたんだ。」
自分で淹れた紅茶を飲み、頷きながらタルトの話を聞く。
「それで、今日出発したんだ。そしたら、雨が降ってきて、それで……姉貴が苦しみだして」
「フローネさんからは……話せそう?」
「……いいわ、こうなった以上、責任があるもの」
そう言いつつも、ためらいを隠せない様子で、重い口を開いた。
*
あの時を思い出すと、ついぼーっとしてしまう。
タルトが怪我をして、ラッセルが学校へ行けなくなった年。
私が卒業した時の年。
あの日、あの時、私は一人、学校の理科室の鍵のかかった棚の前にいた。
その日、いつも鍵のかかっていた棚は少しだけ開いていた。
絶対に開けるなと、いつも魔科学の授業で教師が言っていたのにも関わらずだ。
私は知的好奇心が勝り、その棚に手をかけた。
「これ、新聞に載っていた研究者の…!?」
研究者が逮捕されたというのが目を引いて覚えていた。
魔力生命体……体に取り込めば強力な魔力を手に入れられるという話だったが、危険なので物証は押収されたはず。
それがなぜ学校に……?そもそも本物という確証もないが。
おそるおそる、小瓶に手をかけた。
震える手でつかもうとしたその時―
「しまっ……!」
手が滑って、床に落ちた。
破片が飛び散り、少し足をかすった。
その痛みよりも何よりも、破裂音が響いたことで気が動転してしまった。
「誰かいるのかー?」
いつも遅くまで警備しているおじさんだったが、考えるより先に隠れていた。
その時に私は見た。
蠢(うごめ)き形をなしていく怪物の姿を。
その後、おじさんは悲鳴を上げて、腰を抜かしたと思うと怪物の影に消えた。
気味の悪い音、酷い臭い、ビリビリとする殺気。
怪物がどこか遠くへ行くのを待つ間、その静寂に、震える手を口に押し当てて、声を殺して泣いていた。
その日は知らなかった。
私の体には、そいつの一部が刻まれていたのだ。
あれからおばあちゃんにだけは話して、しこたま怒られて、でもその後に優しく抱きしめてくれた。
怖かったね、よく言ってくれたね。と、ぽつりぽつりと紡がれる優しい言葉に、私はもう一度泣いた。
私の人生を贖罪に使おうと思ったのは、その時だっただろうか。
タルトの怪我がもしあの怪物のせいなら、きっと私のせいでもあるのだろう。
そして私は、クレア先生までも―
*
「私は、また罪を犯してしまったのね……」
「それを気にする必要はないヨ」
「!?いつの間に起きたの?えぇと……」
名前を呼ぼうにも、なんという名前なのか知らないことに気づいた。
それを察したのか、青い小さな少女は名乗った。
「リューコリー・フレクト・ルミネコリト。リューコリーと呼ぶと良いネ」
「じゃあリューコだな!」
思わずジト目になるリューコ。
慌ててフォローしようとしたが、タルトの反応も怖い。
「リューコでいいヨ。全く、旧友と同じ呼び方を……」
何かブツブツと喋っているが、後半から何を言っているのかはっきりとは聞き取れない。
とりあえず、リューコは気を取り直すことにしたらしい。
「こほん。あまり重く受け止めすぎると、そのまだ封印されている異形が起きてしまうヨ」
「!!」
フローネが酷く動揺したようで、目を鋭く形を変える。
「あまり睨まないでほしいネ。ワタシは水の精霊の化身。能力は浄化。
奴らの手先にならない限りは、キミ達の味方になるつもりだからネ」
奴らとは何だろうか。誰のことだろう。
「キミ達を信用できると判断したら、そのうち話すネ」
「あたしらが信用できないっていうのか!?」
「キミ達だけじゃないヨ……ワタシは、人間が信用できないネ」
妖精族を戦争に巻き込んだ人間。
それは、歴史の授業でさんざん聞いてきたこと。
それを言われると、何も反論のしようがない。
「わかったよ。んで、どうする?十分休んだし、あたしらはまた出発するか?」
「そうね……迷惑かけてごめんなさい。私達はもう行くわね」
「話を聞いていたカ?ワタシ、人間が信用できるか判断しなければいけないヨ。ついていくネ」
なるほど……と思ったが、自分はどうしようか。
家は湿気っているし、気になることもある。
着いていくか……?
「ま、ラッセルまで着いてくるとか言うなよな?クレア先生一人に留守番させちゃかわいそうだろ」
うっ……。
ここで否といえない自分の不甲斐なさに、少しだけ泣きそうになった。
「わかってるよ。クレア先生、お湯を沸かすのも一苦労しそうだし」
「まぁ、先生平気よぉ?ま、多少苦労はするかもしれないけどぉ……そんな作り笑いをされたら、
そのままここに留めさせる訳にはいかないわぁ」
作り笑いだと、虚勢だとバレてしまっていた。
ちょっとどころか、だいぶ泣きそう。
「っ……ごめん、先生……おれ、行きたい」
たとえ結果的に役に立たなくても、助けるつもりで足を引っ張ったとしても、それでも。
おれは、彼女に恩返しをしなければいけない。
タルトにも、タルトのお姉さんにも。
それに、おれのワガママを貫くためにも。
この心に、嘘はつけないのだから。
「いってらっしゃい、ラス君」
*
「とは言ったものの、どこへ向かえば良いんだ?」
「えっ」
さんざん覚悟を決めてきたのに、どうやら目的地が決まっていないらしい。
これは困った。そもそもアテのない旅だったのか。
「そういや、リューコの故郷ってあの水の都なのかしら?名前が同じだわ」
「ルミネコリトか。まぁ平原を超えたらすぐだな」
「まぁ、いつまでもここで立ち止まっているよりは良いかな……」
そうして、旅の目的地が決まる。
その名はルミネコリト―水の都と呼ばれる、美しい港町である。
*
「なんか騒がしくない?」
「話を聞いてみようよ」
とりあえず、何があったのか住民に聞いてみることにする。
どうやら、ここの水を飲んだ旅人が毒に侵され苦しんでいるらしい。
住民はそんなはずはないと否定しているが、被害者は一人ではないので困っているとのことだ。
「リューコ、どう思う?」
「ここの水は清浄なはず。ワタシが水質を調べるヨ」
以前のように、不浄かもしれない水に手を触れる。
バチっと何かに弾かれると、手をすぐに離してしまう。
「ど、どうなった……?」
「ダメだネ。うまく調べられないヨ。ワタシが眠っている間に、奴らが干渉してきたとしか思えないネ」
「だから奴らって……」
「少なくとも、ワタシ達の敵であることは間違いないヨ」
やっぱり、まだ詳しくは話してくれないらしかった。
リューコによると、何らかの防御魔法が使われているため調べられないとのこと。
そして、おそらく毒使いの双子のどちらかの仕業であろうこと。
濃厚なのは、頭脳を使うマゼンタという蛇女であろうこと。
「ま、しらみつぶしに聞き込みするしかないだろ」
「そいつの特徴は?」
「そいつは……」
片目が前髪で隠れている赤紫のウェーブヘア、瞳孔の割れた黄緑色の瞳、そして―
ドンッ!
「あ、悪い……」
にやりと笑えば覗く、鋭い牙。
「あら~可愛い!でもダメよ、ちゃんと前を見て歩かないと。でないと……」
反応して、後ずさった頃には遅かった。
致命傷は避けたが、相手の蛇腹剣が頬をかすめてしまった。
「ち……!」
「ふふふ、案外素早いのね?でもダメよ、お姉さんの剣には……」
がくりと膝をついたかと思うと、その場で倒れてしまう。
どうやら剣に毒が塗られているらしい。
「タルト!!」
「久し振りネ、マゼンタ。悪趣味なのは相変わらずカ。」
「あら~、お寝坊さん。よく寝てたわね~、永遠に眠っていたって良かったのにぃ」
リューコに気をとられている今なら……!
そう考え、攻撃をしかける。
が、一瞥もされずにヒールで蹴飛ばされた。
「坊や、大人しくしてなきゃダメじゃなぁい。そんなおもちゃみたいな剣、全然趣味じゃないし~」
「ラッセル!!」
幸い靴底には毒を塗っていなかったらしいが、土手っ腹が酷く痛い。
立ち上がりたいのに、情けないことに立ち上がれずお腹を抑えることしかできない。
「まぁ、その苦しそうな表情は悪くないわ~?及第点ってとこかしら」
「こいつ……!」
残るはリューコとフローネだけ。
どうすれば勝てるのかわからない。
「仕方ないネ、契約するヨ……フローネ」
「契約……?」
余裕げだったマゼンタの表情がぴくりと動く。
もしかしたら、「契約」をしたら勝てる見込みがあるのかもしれない。
「さあ手を……くっ!?」
「させないわぁ、面倒だもの~」
リューコの計画はマゼンタの剣によって砕かれた。
もはや戦う術がないかと思われた、その時―
「土よ……我が手に力を宿したまえ……土砕掌!」
「くっ!?」
マゼンタが何者かの攻撃に怯んだ。
「フローネ、手を出してワタシの言葉を復唱するヨ!はやく!!」
「わ、わかったわ!」
捧げしは我が願い、求むるは己が力
今この刻より、汝の器となりしはフロリアーネ・メルクリス
この世界真に救いたくば 我が呼び声に応えよ、オンディーヌ!
「くそ、やられた……!分が悪いわぁ、出直すわね~」
「あ、待て……!」
「深追いしない!タルトの治療が先よ!」
蛇の姿になりものすごいスピードで逃げていくマゼンタ。
それを見送る人影がひとつ増えており。
「間に合ったみたいだね」
「キミは……?」
「僕の名前はアルビレオ!レオって呼んでねー」
おそらく助けてくれたのであろうレオという青年。
そして少し困ったような顔で笑う青年の手には、黄緑色の水晶が握られていた。
「これをそこの子に渡そうと思ってきたんだけど、ケガしちゃってるみたいだねー」
「あとの事はオンディーヌに任せるヨ。すごく、疲れたネ」
フローネが止めようとすると、青い水晶から別の声が響く。
「私の力を受け継ぐヒトの子ですね……力を使うのです……念じるのです……リューコリーのように……」
「こ、こう……?」
タルトの頬にそっと手を当てて念じてみる。
すると、傷がみるみるうちに癒えていった。
そして、苦しんでいたタルトの表情が和らぐ。
「タルト!!」
「姉貴うるせぇ……ま、礼は言っとくぜ。ありがとな」
「全く、心配させて……」
安堵からか、フローネさんの目にこころなしか涙が見えた気がする。
しかし、そっぽを向いているのでよくわからない。
「とりあえず、リューコが起きたらこの街の浄化を頼みましょう」
「精霊使いが荒いヨー……むにゃむにゃ」
リューコの寝言のような返事を聞き、フローネは少しだけ笑った。
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