二章
1
人が行き交う。至近距離ですれ違う人々は、相手に何の干渉もしない。携帯を見つめて歩く人、音楽を聴きながら歩く人。人をみない人のほうが多かった。そう気づく僕も、今まではそっち側の人間だった。
駅付近まで行けば、人が大勢いた。きっと僕は、彼と何度かこの駅ですれ違っていたに違いない。そう考えると、出逢いは偉大だ。母さんはどこで父さんと出逢ったのだろう。思えば、自分から母さんに父親のことを聞いたことはなかった。母さんにも一度も言ったことはないが、記憶のない父親を、どうしても家族だとは思えなかった。
まず向かった先はATMだった。スイカも捨ててたから、現金でなければ電車に乗るための券は変えなかった。いとも容易く現金を引き抜いて目的地までの券を購入した。
僕の足は、二人の眠る墓場へ向かっていた。
家族を奪われてから生きる選択を取った僕は、一目散に地元を離れた。そこにいれば母さんとの思い出が度々蘇って、泣いてしまうから。生きる事をやめたくなってしまうから。決心が揺るがないようにここにきた。
成人しているのにいつまでも泣いていては駄目だから、社会人なのだから死を受け入れなければ。
何度涙をのみ込んだろう。数えきれやしない。仕事を片付けている間は母さんのことを忘れられた。でもふとした休憩時や出勤後には、僕の脳に隙間ができて母さんが浮かびあがりそうになる。それを阻止しようとして、誤魔化しに色んな話を同僚とするようになった。本音の語らいでなくてよかった。表面上でも、話があればよかった。僕はいつの間にか、同僚の中では話のうまい人間になっていた。思えば元恋人も同じ様な位置でしかなかったかもしれない。僕の隙間を埋めるに丁度いい人。あわよくば母さんの願いを叶えられる人。
駅のホームにはスーツを着た人や大学生らしき人で溢れていた。けれど僕は彼らとは違う方面へ、下っていく。タイミングよくやってきた電車に乗り込んだ。思っていた通り人は少ないほうだった。
薬の入った半透明のビニール袋だけを持って電車に乗る僕は、周りからどう見られているのだろう。不審な人物とでも認識されてしまうのだろうか。なんだか急に恥ずかしさが湧いた。僕は電車の端っこでただ突っ立っていた。
車内の窓ガラスから見える風景は、僕の目に焼き付かれる前に次々と移り変わっていく。こうやって、今までもたくさんのものを見落としてきたのだろうと思うと、急に寂しくなった。見落としてきただけではない。僕は自ら手放した。父親との思い出を聞こうとは思わなかった事に、今更ながら後悔が襲う。
父さんの思い出を思い出そうと試みても、どこにも父さんはいなくて、ただあるとしたら幼い頃にみたたった一枚の写真の中の父さんだけだった。
ガタゴト電車が揺れるたびに僕の体も揺れた。踏ん張る力がない。情けない自分を見せつけられているみたいだった。
下っていく度に、車内は更に隙間を作った。その隙間を埋めるように、僕は空席の席に静かに座った。
それから何度かドアが開閉を繰り返し、漸く僕の行き先へ辿り着いた。急激に心臓が大きく脈を打った気がした。電車を降りると、駅のホームから街が覗く。命日にもなかなか来ることができなかったから、最後にみたこの景色はいつだったろう。
なんでもない日にここに立ち入るくらいには覚悟ができているのだろうか。きっとそうなのだと信じたい。
幼い頃の記憶は鮮明ではないものの、体は覚えているようで、花屋も墓地もどこにあるかは自然と分かってしまう。母さんがいつも買っていた花まで覚えていたようで、それならどうして父さんのことを覚えていないんだと、目の前の花たちに責められた気がした。
花を持って、墓地に向かった。心臓がどくどくはねている。緊張からくるそれだった。どの面を下げて二人の前に立てばいいだろう。
ずっと来られなくてごめん、僕死ぬんだよって、伝えるのは正解だろうか。
やがて墓地が視界を埋め尽くした。足がすくむ。花を持つ手に力が入る。潰してしまいそうになる。
僕のいう覚悟とはどの程度だろう。もしかしたら覚悟など一切なくて、ただ覚悟を理由に動いてるだけなのかもしれなかった。それでもここまできたことは褒めてもいい。
たくさんの墓石たちの間を通過する。きっと、そのどれもに涙が注がれている。悲しんで後悔して泣いている。墓地は肝試しだとか心霊スポットだとか、なんて愚劣な行為の対象と捉える人がいるのだろう。少なくとも母さんと父さんは死にたくて死んだわけではない。同じ〝人〟なのに、悪霊とか決めつけないでくれ、と、無性に苛ついていると目的の墓についた。
水を汲んだ後、僕はそこに立った。墓石に刻まれた“藤野家”。その文字が、ここに二人がいる事実をつきつけてきた。咄嗟に目を逸らす。変わり果てた僕をみて、母さんはなんていうだろう。父さんは僕だと認知してくれるだろうか。怒られるだろうか。不安だ。
目線を下ろしながら、右足を墓に踏み入れる。枯れた花が入っていた。それは墓守が入れてくれた花だった。仕事を理由にして墓参りに行かない代わりに,命日とお盆には水替えと花をお願いしていた。
枯れた花をとって、新鮮な清き水を注いで、新しい花を今度は自分の手で差し込んだ。それは鮮やかに彩った。
そこまでやって、線香を忘れたことに気付いた。でももうここを離れることはできなかった。
急に視界がぼやけた。鼻の奥がツンと痛む。
なんていえばいいのだろう。整理が追い付かない。
「ごめんなさい」
何に対して謝ってるのかよくわからない。謝りたいことがいくつもあって整理が追い付かなかった。
いいよって、笑ってくれない。当たり前だ。二人は永遠の眠りについているのだ。
「僕ね……大切なひとに出逢えたよ。あれ以来初めて、生きようって思えたんだ。病気になったけどさ、もっと生きるよ……」
声が震えた。こんなんじゃ伝えたいことは何一つ伝えられていないだろう。それでも今はこれが精いっぱいで、僕は溢れる涙を止めようとも思わなかった。誰より大好きな人が死んだ事実を改めて突き付けられて、胸が苦しい。それなのに傍にいるとどこか温かい。けれどその温かさも苦しさに変わって僕の胸を幾度も締め付ける。それは、とても強く、強く。
生きる(仮タイトル) とがわ @togawa_sora
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