第07話 この首、手柄とされよ

 真田勢に突き破られた酒井・内藤・松平などは 


 「固まれ~、それにて敵を包囲しろ。離れるでないぞ」


と号令を掛け、急ぎ体勢を立て直した。伊達政宗の救援をも受け、数で勝る幕徳川方は、戦局を挽回し始めた。

 大和路勢や一度は崩された諸将の軍勢も、陣を立て直し、豊臣方を側面から攻め立て始めた。次第に、真田隊、豊臣方追は逆に詰められていった。


 「若様、ここは一機に家康の首を」

 「…。無念、無念なるぞ…」 

 「若様」

 「見ろ、皆、疲れきっておるわ。ここは引こうぞ」

 「若様…」


 真田隊勇士は幸村を取り囲み、幸村の胸の内を察した。


 「皆の者、体制を立て直す。無駄に死すは真田にあらず」


と、高らかに指示を伝えた。

 幸村らは、失意を抱え、重き足取りを大坂城へと向けた。幸村は、休息を取れる場を探していた。夢も希望もない帰路に、ひと足毎に膝が崩れそうだった。辿り着いたのは、茶臼山の北にある安居神社だった。


 「皆の者、ここにて、しばし休まれるが良い」


 兵たちは、重い腰をつるべ落としの如く、その場に沈めた。


 「海入道(三好清海入道)、若様はどうされるつもりかの~」

 「兄じゃ(三好伊入道)、決まりきったこと言うな。家康の首を討ち取るのみよ、そう思うじゃろ」

 「そう思うぞ。援軍さへ来なければ、間違いなく、家康の首はこの手にあったはず」

 「そうよ、そうよ」


 三好清海入道、三好伊入道・兄弟は、息を荒げて、自らの手を眺め、力強く、握り拳を作ってみせた。


 「しかし、何故、秀頼公の出馬が適わぬのだ」


と、根津甚八は、合点の行かない疑問を口にした。


 「そうよな、元はと言えば豊臣の戦。ならば、何故ゆえにその総大将である秀頼酷が出馬せぬのか…分かり申せぬわ」


 由利鎌之助は、握り拳を膝に叩きつけた。


 「まぁ、豊臣には豊臣の事情と言うものが、御座いますのでしょう」

 「甚八、何を言う」


 三好清海入道は、甚八に食ってかかった。それを制しながら、由利鎌之助が割って入った。


 「甚八が言いたいのは、豊臣など頼りにならぬ、この戦は真田の戦であると、言いたかったのじゃ、のう甚八」

 「豊臣が我らの申し出を聞き入れておれば、戦況は大きく変わっていたはず…」


 鎌之助は、憤りに任せて、言い放った。一同は、その無念さに鉛のように重たくなった体と心を憂いだ。


 沈黙が、闇を包んだ。


 パタパタパタ。


 数羽の鳥が繁みを突き破った。


 「そうだ、若様の姿が見えぬが何処へ」


 根津甚八が、重い空気を平静に戻した。


 「若様は、一人になりたいと言われて、姿を消されました」


 三好伊三入道が言ったのを受けて、甚八は不安になった。


 「よもや、若様、失意のあまり…」

 「甚八、取り越し苦労がすぎるぞ」

 「そうじゃ、そうであれば、討ち死に覚悟で家康本陣に突き進んでおるわ。こうして、休息するは次なる戦への望みを思ってのこと」

 「悪かった悪かった、許されよ、許されよ、ほれこの通りじゃ」


 そう言って甚八は、大袈裟に頭を垂れて見せた。一同が一抹の不安を抱えていた中での確認行為だった。口にし、皆がその不安を払拭するために。皆が同じ心であることを改めて認めあった上で、いまこのひと時は、和みとなっていた。

 真田勇士たちが休息と心を交わす頃、幸村は、安居天神の前に、ひとりでいた。木々を擦りぬける風の音、山の匂い、静寂に幸村は包まれていた。

 幸村は家臣の前では気概を見せていたが、真意は、絶望と憔悴で立つことも適わぬ程、疲れきっていた。

 安居天神の祠の前に、ゆったり鎮座し、誰と話すでなく、淡々と、見えぬ相手に語りかけていた。


 「これでよかったのかも知れませぬぞ、父上。誠を申せば、無念の一言、で御座いまする。なれど、家康を追い詰めた武将の一人として、天下に真田家ありを知らしめたのでなかろうか。これで、家康の天下となっても、兄上とその子らが立派に、真田家を守ってくれることでしょう。家康を傷つけなかったことが幸し、肩身の狭い思いを掛けた兄上にも幾分かの慰めとなりますでしょう。そう、願っておりまする」


 幸村は、断ち切られた悲痛な思いを紡いでいた。


 眼下に雲霞の如く群がる関東方の軍勢。それを真紅の甲冑に身を包み、真田丸、茶臼山から眺めていた。幾多の戦が走馬灯のように流れては消えていた。


 「思い起こせば、九度山の蟄居先で父上が世を去られたのは、もう四年も前になりますな。臨終間際、父上は、徳川と豊臣が手切れとなった時の豊臣必勝法をそれがしに語られましたな。父上が語られた必勝法は、全国を巻き込む大戦でした。それは、父上であればこそ、実現させられたやも、ですよ」


 幸村は当時のことを思い出し、薄笑いを浮かべていた。


 「私は父上ではありませぬ。また、全国を巻き込む戦を民は最早望みますまい。それは、関ヶ原で家康に挑んだ義父上、治部殿も同じ思いのはず。あくまで豊臣政権を支え、世の安寧を守るために」


 幸村は、懐かしいふたりの温顔を思い浮かべていた。


 「それがしは、父上のように全国に悪戯に戦火を広げずして、この大坂周辺で家康と雌雄を決するのが望むところでした。如何でしたか、父上。父上直伝の真田の兵法、天下に知らしめたのではないかと…せめて、そう、受け止めてくだされ」


 意気消沈した幸村の記憶に、鮮明に蘇る場面があった。


 「我らが目指すは家康の首ただひとつ、遅れを取るでないぞ」


 勇ましく鼓舞する自身の姿だった。いまは、その面影もなかった。頭を垂れた幸村を睡魔が襲ってきた。

 前のめりに屈しようとした時、木々を突き破る鳥たちの羽ばたく音で我に戻った。茂みの中を彷徨う男がいた。

 その男は、戦の最中、群れから離れ、死に場所を探していた。そこに一頭の馬の足音が聞こえた。耳を澄ましたが、その他に足音は聞こえなかった。馬に乗るのは上級武士、それもひとりで。

 佐平次は、その主を確認するために近づいた。敵方であれば、一矢報いようと考えていた。馬は木に繋がれていた。そっと近づいてみると、それは幸村の矢倉ではないか。孤独と死の狭間で見つけた一筋の光だった。


 「幸村様、幸村様でありますまいか」


 その声のする方に幸村は振り向いた。聞き慣れた声だった。 


 「幸村様」 

 「おお、佐平次ではないか、如何しておった」 

 「隊とはぐれ、死に場所を探しておりました」

 「そうか、そうか、近くに寄れ、ほれ、ここへ」 

 「無念で御座います」  

 「そうよな。何もかも終わった」


 佐平次は、幸村の懐で嗚咽を漏らしていた。そこに、複数の慌ただしい足音が、静寂を切り裂いた。再会を果たした幸村と佐平次の前に現れたのは、徳川勢の追手たちだった。佐平次は、幸村を庇うように立つと、槍先を追手たちに向けた。


 「大坂方か」


 佐平次の問いかけに返事はなかった。敵方と確信した佐平次は、常軌を逸して、槍を突き出し、追っ手たちに目掛けて飛びかかった。乾いた銃声が数発、木々を騒がせた。

 幸村の目に飛び込んできたのは、銃弾を受けて倒れこむ絶命寸前の佐平次の姿だった。佐平次に近づこうとする幸村に、追手たちの銃口が向けられた。


 「静まれ~、静まりなされ~」


と、幸村は、恫喝した。一瞬、緊張は、静寂となった。


 「手向かいは、いたさん」


 幸村の迫力に押され、兵たちは、小刻みに震えていた。幸村は、重い体を引き摺り、佐平次の元へ近づいた。佐平次を抱えると幸村は優しく語りかけた。


 「以前、さなたとは共にに死ぬような気がすると言うたのぅ」

 「ゆ・幸・村様」

 「それが誠となったのう、死ぬる場所は同じじゃぞ」

 「ゆ・幸・村様」


 佐平次の命は幸村の手の中で散った。幸村は、佐平次の亡骸を抱えながら、自らの定めを悟った。


 「どなたか知らぬが、手柄とされよ」

 「名は?」

 「真田左衛門之助幸村」

 「な・なんと」


 追手たちはその名を聞いて、たじろいだ。


 「其れがしは、松平忠直家臣、鉄砲組、西尾仁左衛門と申す」

 「私が左衛門之助幸村である証を持参する故、暫くここで待たれよ。逃げ隠れする気力はもう残されておらぬわ、心配致すな」


 幸村は、脱ぎ置いた馬具と刀を取りに行くと偶然、お堂の影に入る事になった。


 「兄上、左衛門之助幸村は、かく相成りました。父上、これで宜しゅう御座いますな」


 そこへ現れたのは、美濃吉だった。美濃吉は息倒れになる処を幸村に助けられ、それ以来、身の回りの世話を行っていた。四六時中、付き添う間に幸村の考えていることが分かるようになっていた。美濃吉は突然「御免」と言い、弱っている幸村に当身を食らわした。そこへ鉄砲の音に反応した三好兄弟が現れた。声を出しそうになった兄弟を美濃吉は「静かに」と制止、端的に事情を話した。三好兄弟は目頭に熱きものを蓄え、美濃吉の気持ちを受け取るように幸村を抱きかかえ物陰に隠れた。美濃吉は素早く兜を付け、馬具を持参して現れ、幸村に届けとばかりに「これで宜しゅう御座いますな」と言い残すと自ら命を絶った。 


 歴史は、これを真田左衛門之助幸村、四十九年の生涯とした。


 「夢を見ていたのか」幸村は驚いた。敵方に見つかりこの世の身支度に向かった。そこで記憶がなくなった。目覚めた目前には、三好兄弟、由利鎌之助、根津甚八の四人がいた。


 「おお、目覚められた」

 「私は…、夢を見ていたのか」


 由利鎌之助が、事情を説明した。幸村は、絶句し、美濃吉の最後の場であろう場所に急ぎ向かった。そこには、主無き胴体が野ざらしになっていた。幸村は、その場で泣き崩れ、珍しく取り乱した後、配下の手を借り、意を引き継ぐ思いで、出来る限り手厚く葬った。それは、事の全てが片付いた頃の出来事だった。


 「これより、私は、生霊となるのか…。よいか、皆の者、美濃吉の善意を無駄に致すでないぞ。私はこの世にいない、良いな」

 「御意」

 「これから如何なされますか」

 「お前たちは、生き延びる手立てを求めよ。私は、大坂城に向かう」

 「おひとりで、歎願成就を…」

 「いや、もう私にはその資格はない」

 「では…」

 「そうだな…。生きていればこそ、新たな望みも開かれよう」

 「意味が分かりませぬ、はっきりと申してください」

 「ほれ、この通り、私は生きた霊よ。皆とは異なる。分からぬ、で良いではないか。分かれば、祟られるやも知れまいぞ」

 「そのような…」

 

 幸村は、それよりひとりで行動するため、皆と分かれることにした。


 幸村の首を討ったという知らせはすぐに広まった。直ちに、その首が幸村のものかどうか、大将が確認する首実検がなされた。幸村の首級は手柄を焦る者より幾つも持ち込まれていた。首実検には、幸村の叔父にあたる真田信尹が呼ばれた。信尹は、じっくりとその首を検証して


 「死んでいると、人相が変わってしまうので幸村か確認しろって言われても…難しゅ御座います」

 「死んでいても、甥の顔くらい判別つくだろ」


と、場の空気を読めない返答を行った。幸村が生きていたら気が気でない家康は、この信尹の発言に苛立ち、不機嫌になったのも当然のことだった。信尹にしては認めたくない気持ちと早く終わらせてやりたいという気持ちの葛藤の中にあった。更に、首を持っていた西尾仁左衛門を見て仰天した。声には出さなかったが「こんな男にあの幸村が…有り得ますまい。本当にこの首は、幸村なのか疑わしく思えてきたわ」その疑惑は、他の武将も同じように抱いていた。それでも、兜での確認や首の口を開け、欠けていた前歯二本を確認し、幸村であると判断した。


 「信尹の真面目さが仇となりよったわ」


 その首級が幸村と確認されると家康は、「幸村の武勇にあやかれ」と言うと、居並ぶ武将たちがこぞって幸村の遺髪を取り合った。さらに家康は「幸村の戦いぶりは敵ながら天晴れであり、江戸城内にて幸村を誉め讃えることを許す」とした。敗戦の将を「誉め讃えていい」としたことはまさに異例中の異例だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る