第06話 はや成るまじと御腹をめさん

 数で圧倒する徳川方の本多忠朝は、物見遊山だった。


 「あれを見るがいい。何も出来ず、身を潜めておるわ。ここは一つ、揺さぶってやるか」


 5月7日、午前8時頃のことだった。


 「殿、松平、本多勢がこちらに向かって進撃して参ります」

 「まだ、動くでない」


 幸村は、策に重きを置き耐えていた。最前線に到着した本多勢の鉄砲隊が、豊臣方を誘い出そうと一斉に威嚇射撃を開始。それに業を煮やしたのは毛利勝永だった。


 「もはや、狼煙の合図など、待てぬ、出陣じゃ」


 勝永指揮下の寄騎は、銃口を本多忠朝に向けて放った。


 「殿、毛利勢が出陣致しております」

 「何と、毛利殿は何ゆえに待てぬのか」


 幸村の思惑とは裏腹に、東西の戦いの幕は切って落とされた。退却と誤解した大坂方の間に動揺が走り、落胆が広がり始めた中、豊臣勢の体制が整う前の合戦開始。幸村らの策であった狼煙を待っての攻撃が、綻びを見せた。合戦は、これまでにない兵力と火力がぶつかりあった。毛

 利勝永や木村重成、それに後藤又兵衛などは正面きって徳川軍にぶつかった結果、徳川軍の防御を限界まで萎えさせた。

 戦場は、幾多の誤報、噂が飛び交う混乱を見せていた。もはや考える暇などなかった。

 豊臣方・毛利勝永勢は、徳川方・本多忠朝を討ち取り、先鋒・本多勢を壊滅させた。毛利に次いで本多隊の敗北に業を煮やしたのは、家康だった。


 「何をしておる。えええい、もう容赦はならぬ、一機に叩き潰せぇ~」


 激怒した家康は、ついに最前線に本隊である小笠原秀政、忠脩勢を向かわせた。


 「申し上げます。殿、家康本隊が動き出しました」

 「待っていたぞ、いざ、出撃じゃ」


 幸村も参戦を決断した。家康の差し向けた小笠原秀政、忠脩勢は、毛利勢に追随する木村重成勢の残余兵である木村宗明らによって、側面からの攻撃を受け、小笠原忠脩は討死。小笠原秀政も重傷を負い、戦場離脱後に死亡した。二番手・榊原康勝、仙石忠政、諏訪忠澄たちの軍勢も暫く持ち堪えるものの混乱に巻き込まれ壊乱。徳川方の先鋒・本多、二番手・榊原らの敗兵が酒井家次の三番手に雪崩込み、合流した。


 家康は高台に陣取って、戦いを見ていた。 


 徳川方は、予想外の苦戦を強いられ、混乱の渦中にいた。鉄壁に思えた軍勢は、砂城が崩れるように家康本陣の陣形が崩れて行った。


 松平忠直勢15,000は天王寺口にあった。忠直は功を焦っていた。その目前に徳川家を幾度も悩まさせた隊がいた。


 徳川方「あの赤の馬印は、真田幸村で御座いますぞ」


 真田方「おう、天が私に下さった好機なるぞ」


 やるか、やられるか、その戦が真田隊を飲み込んでいった。幸村は即座に対処し、隊を先鋒、次鋒、本陣など、数段に分けた。幸村は多勢の松平忠直勢と天王寺口で一進一退の激戦を展開した。


 「若様、このままでは本願成就は難しいことになりますぞ」

 「何か手立てはあるまいか…」 


 そこへ幸村配下の戦忍いくさしのびが駆け込んできた。


 「幸村様、浅野長晟が松平忠直軍の備えの跡を通っておりまする」


 浅野長晟は今岡より兵を出し、松平忠直軍を追って軍を進めていた。それは、戦場にいる者からは、そのまま直進し、あたかも大坂城に向かっているように見えた。


 「これは使えるかも知れなぬ。戦忍びに申し付けよ。浅野長晟は徳川を裏切り、大坂城に入ると、な」 


 戦忍びは、敵味方が分からない足軽の恰好をして、虚報を流した。


 「浅野が裏切ったぞ~」 

 「何、浅野が逃げただと」

 「浅野が攻めてくるぞ~」

 「紀州殿の裏切りか」

 「浅野殿の寝返りか」


 虚報の支持は、たちまち徳川方に動揺を与えた。特に反応したのが松平忠直勢だった。


 「裏切りなど、許してなるものか」


 忠直は真田勢との戦いより、一路、大坂城を目指した。浅野の裏切りの噂で動揺を隠せない徳川軍を見て、その混乱の隙をつき、真田隊は、隊陣が大きく乱れた松平勢を突破。


 「今じゃ、目指すは家康本陣、参るぞ~」


 幸村の号令で真田隊は一機に、毛利隊に苦戦する徳川家康本陣への強行突破に挑んだ。幸村は越前、松平勢と激突。家康は悠然と座りながらも、その膝は小刻みに震わしながら、それを見ていた。 


 「なかなかやるのう、真田の小倅目が」


(当時、幸村は四十半ば。それでも、家康から見れば、幸村の父・昌幸の息子という印象が強かった)


 幸村には、策があった。

 決死の強行突破にあたって、まず自らが囮になり、別部隊が、家康の後方から襲撃するものだった。

 口では強がっていた家康の心境は、穏やかでなかった。その目前に幸村は、存在感を固辞して見せた。家康の警護隊は、すぐさま幸村に立ち向かった。


 その時だった。


 幾多の幸村が、四方八方から出現した。その数、七人。警護隊は、混乱の渦中に。たちまち隊列は乱れ、警護どころではなく、狼狽えて、戦場放棄して逃げ去る武将まで現れた。幸村の仕立てた影武者たちは、家康を警護する残る兵の多くを引きつけた。幸村の思惑通り、家康の警護は手薄になった。


 迫り来る幾人もの幸村。

 驚愕の憂き目に遭う家康。


 「おおお、攻めて来るぞ、攻めてくる…」

 「ここは退却を。お急ぎくだされ」

 「馬印を下げ~」


 家康一行は、幸村と一定の距離を取りながら、追っ手から、必死とも思える形相で逃げ出した。


 「急ぎなされ~、真田が、真田が攻めてきますぞ」


 真田隊は、警護隊を強行突破し、家康を追い詰めた。


 「距離を取れ~距離を」


 家康は、警護の数が減る度に、死の恐怖に怯えていた。真田隊の攻勢によって家康本陣は、蜂の巣をつついたように狼狽えていた。


 戦意を失った約500の旗本が、戦線離脱。中には、三里も逃げたという者もいた。混乱の中で、三方ヶ原の戦い以降、倒れたことのなかった家康の馬印を旗奉行は倒した。その際、旗奉行は、不覚にも家康を見失ってしまった。後にこの旗奉行は、詮議され、閉門処分となった。「馬印も打ち捨てられた」と大久保彦左衛門忠教は自伝に記していた。「浅野長晟裏切りの噂のために裏(後方)崩れが起きた際、両度までも、はや成るまじと御腹をめさんとあるを…」ともあった。


 天王寺・岡山での最終決戦の朝、徳川家康は本陣に馬印を置き、自身は白い小袖を着て玉造方面の谷間に入った。家康は、死を覚悟していた。


 「もう、駄目じゃ、駄目じゃ。このままでは、恥を晒す。恥を晒すより、わしは自害を選ぶぞ、自害を」


 家康は、詮議され、さらし者にされる屈辱を恥じた。威厳を損なう。御家を堪えさせてしまう。それは、自己否定であり、決して認められない事だった。


 「何を弱気な。勝敗は期しておりませぬぞ」

 「そうですとも、敵方にも負傷者が多く出ておりまする。救援隊がつくまでの辛抱で御座いますぞ」


 騎馬で逃げる家康自身も切腹を口走る始末。家康は、二たびも自害しようとした。それを黒衣の宰相と呼ばれた僧侶・南光坊天海と付き従っていた小栗忠左衛門久次が身体を張って、必死に制止していた。そこへ服部半蔵が現れた。

 天海は一度、江戸に戻ったが、胸騒ぎがし、大坂に舞い戻っていた。本陣についてすぐに、本多勢と毛利勢が合戦に突入し、本陣であっても安息の場ではない緊迫感を感じていた。それは今、危機感に変わり、現実のものとなっていた。


 「半蔵殿、頼みがありまする」

 「分かっておりまする、影武者で御座いますな」

 「ただ、真田の目を反らせればよい。馬印をここより離れた場所に目立つように動かし、逃げて下され。決して、立ち向かうなどせぬように。そして、必ず大坂城に戻ってくるようにと」

 「その役、私が行います」

 「それは頼もしい」

 「では、家康様を身の危険が及ばぬ処へ」


 半蔵は、配下の者と家康を馬に乗せ、馬の尻を叩いた。その後を

小栗忠左衛門久次、天海が続いた。


 半蔵は天海の指示通り、離れた場所で馬印を目立つように立て、右へ左と動くと天に向かって銃を二・三発、放った。


 「若様、あれを」

 「あれは家康の馬印、逃げ追うせたか…無念」

 「一同の者、退去じゃ、退去せ~い」



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