砂が降る刻――赤い救世主――

好野カナミ

1/1話

 天から降りる真白な砂。降り注ぐは、砂を一層白く輝かせ、人々の視界を遮る。

 それは静かに、静かに。わずかな音をたてて積る白。その白はやがて、地を、そして地に住まう人々を覆い尽くし、世界を染めるだろう。

 砂が降り出したのは、二十年と少し前。真白な砂は魔王誕生を意味する、といわれている。

 すでに多くの国は砂に埋まった。埋まっていないのは、救世主が存在する一つの国のみ。

 世界が白に染まる、終焉のときまであと――。


 ● ● ●


 息すら気にさわるほどの、緊迫した空気に包まれた王城の広間。王と王妃の前で、二人の男が対峙たいじしていた。

 光輝く金色の髪の青年は床に膝をつき、漆黒しっこくの髪に漆黒の服を身にまとう青年は悠然ゆうぜんたたずむ。

 金髪の青年の喉元には、赤く染まった剣先。くだんを向けて佇む者は、漆黒の青年。

 床に膝をつけた金髪の青年――救世主は、眼前がんぜんの青年を瑠璃るり色の見据みすえ、荒い呼吸をしていた。救世主の右腕は出血し、真白な服を赤に染めている。

 一方、漆黒の青年は、背から射すでその輪郭りんかくを輝かせている。逆光となり影った顔からは、表情が読めない。だというのに、救世主からは漆黒の青年の瞳――紅玉こうぎょくだけははっきりと見えた。

(こんなところに現れるなんて)

 などと思い、救世主は胸中で舌打ちした。

 二人は、この場で会話など交わしていない。交わせる状況ではなかったからだ。

 救世主が魔王討伐の旅に出る、その直前に蝙蝠コウモリが乱入してきた――と救世主が認識した瞬間、それは漆黒の青年へと変化したのだ。

 青年は、絵に描いたような『魔王』をしていて、その場に居た誰もが驚愕し恐怖を覚えた。

 だが、誰もが足を動かせず、場にとどまっていたのは……魔王の仕業だろう。誰も動かないだけではなく、声も発していないのだから。できることといえば、瞬きのみ。

 この場で動けるのは、救世主と魔王の二人。

(こいつは……)

 この場に現れた魔王の意図。それを救世主は一瞬で理解し、王と王妃の前に出たところを斬られ、今に至る。

 周囲に、取り巻きのように居る者達は貴族。そんな観衆の面前めんぜんで、漆黒の青年――魔王が望んでいること、それは……。

 人々から爽やかな青年といわれる救世主は、爽やかさの欠片もない嗤笑ししょうをすると、緩慢かんまんな動作で立ち上がった。

(ああ。やってやるよ)

 魔王の剣はいまだ救世主の喉元にある。剣など気にしていない、といった態度を魔王はどう捉えたのか。救世主に嫣然えんぜんとした微笑を向けた。

(馬鹿馬鹿しい)

 救世主は聖剣を鞘から抜いた。救世主の真白な服が一層赤くなったことを気にする者など、この場に居ない。

 魔王の元から笑みが消えた。それは救世主の痛々しい姿を目にしたから、ではないだろう。

 貴族達は笑みを消した魔王におびえたようで、顔色が真っ青になっている。

 救世主は、貴族達から向けられた目を一瞥いちべつし、胸中でまた舌を打つ。

(早くやれ、か……)

 そこに存在するだけで超越した力を人々に感じさせ、独特の空気をまとう。それが魔王。

 そう。その『魔王』が、救世主の眼前がんぜんに居る。今し方、王の命を奪おうと現れた『魔王』が。

(ああ。馬鹿馬鹿しい)

 などと、救世主は胸中で独りつ。と、躊躇ためらうことなく、聖剣で喉元にあったくだんのものを払う。

 直後、剣戟けんげきの音が高速で放たれ、場に響いた。


 剣を交わせばわかる。様々なことが。

 魔王が何を思っているのか、わかりすぎるほどに。

(馬鹿だ)

 王や王妃、そして貴族達には目で追えない速度の剣戟を振るいながらも、救世主は何に剣を向けているのかわからなくなっていた。『魔王』と戦っている、ということはわかる。わかりはするが……。

 ここ、という箇所に剣を向けるだけで生じる、耳障りな高音。それが鈍い音になった時、救世主は目を見開いた。

 空間をつんざいた一つの音。肉を裂く音と共に、漆黒の青年の手から剣が落ちたのだ。

(ああ、本当に……)

 重い音を立て、魔王が崩れ落ちた。彼の元から、大量の、鮮やかな赤い液体が止めどなくあふれ出る。

 数瞬の無音。そののちに、貴族達は歓喜の声を上げた。

 褒め称えられる人物は、救世主。

 世界を救ったのだと皆が褒める。

(……馬鹿馬鹿しいな)

 魔王が手にしていたのは魔剣ではない。だが、救世主が手にしていたのは聖剣。

 変化までできる魔王が闇の力を使わず、平凡な剣を振るっていた。

 何より、敵陣であるこの城に現れた。

 そのことに何故、誰も気づかないのか。

 救世主は赤に染まった己の手を、強く握った。

 世界を救ったのは自分ではない。むしろ救ったのは、自分が討ったこの魔王――赤い血が流れる青年だ。

 心優しい漆黒の青年は、討たれることを望んだ。そして、自分はその想いを受け、彼を斬った。ならば、観衆が口にしている言葉を、甘んじて受けるとしよう。それが彼の望みなら、無にするのはやぶさかだ。

 今やむくろとなった魔王から目を背けると、救世主は観衆を眺め見た。

 そこには、いつもどおりの爽やかな笑顔があった。

 外は降りしきる砂。世界を覆い尽くしそうな、真白なそれ。

 だが、すぐに止むだろう。魔王が消えたのだから――。


 救世主は人垣ひとがきを掻き分け、傷ついた右腕を気にもせずに、熱狂に満ち溢れた広間を抜け出した。

 行き先を決めずに回廊を進んでいると、視界に入ったのは黒い鳥――カラスが羽ばたく姿。同じ色をした蝙蝠コウモリ――広間に現れたは黒いむくろは、もうこの世界から消失しただろうか。

 乾いた想いが救世主を蝕む。

 多くのものをこの手にかけてきた。今さら、これくらいどうということもない。だというのに、この想いは何なのか。

(馬鹿なあいつの……魔王の所為せいだ)

 魔王と呼ばれた青年の名。それを知るのはこの世に二人のみ。

 空を飛ぶ鴉。眩しい空間を飛ぶ黒い生物が、救世主の目には嘆いているように映った。

(育ての親より先に旅立つとは、な)

 魔王自らが死を望まなければ、こんな想いを味わわずに済んだ。彼なりの結末は滑稽こっけいで……心に、響いた。

(……ああ。消えたか)

 視線を回廊から外へやると、砂が止んでいた。それは、魔王が世界から消失したことを意味する。

(俺が終わらせたのだ)

 砂が輝く光となって、少しずつ、少しずつ空へかえりだす。そして……。

(降り続いていた砂を終わらせたのは、俺だ)

 春が来る。

 真白な砂は消え、隠れていた大地に緑が戻り、やがて花が咲くだろう。あの青年の血を得たことに、歓喜して。

「俺が、世界を救った。この俺が……」

 言い聞かせるように、救世主はつぶやいた。だが、赤く染まった手は、己を否定する。

「そうだな。俺が……この世界で唯一の、対等の存在――心の友と成り得た存在を、あいつをあやめた。聖なる剣で」

 それは紛れもない事実。

「この狂った世界で、今、最もけがれた人物。それが俺だ」

 再び真白な砂が降り注ぐのは、いつのことか。





 ―――― 完 ――――


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