野良猫殺し

「え、なにそれ。小栗くんって子、あまりに気の毒じゃない?」


 翌日の夜、愛莉から一部始終を聞いたシロは、衝撃で黒糖ミルクを入れていた手を止めた。


「情熱的で気の優しい、そして健気ないい子じゃないか。それなのに、そんな振られ方……」


「ちゃんと謝ったもん! あたしは誠意を見せたよ!」


 シロの店を訪れていた愛莉は、カウンター席でシロに反論した。シロは小栗に同情して、唖然としていた。


「そうだけどさ。振られた理由がチェシャくんって……」


「好きなんだから仕方ないでしょ! それに小栗くんとは、そのあと何事もなかったみたいに一緒にショッピングしたし、これからも友達でいることになったんだからいいんじゃない?」


 その後ろのテーブル席で和紅茶を飲むチェシャ猫が、眉を寄せる。


「何事もなかったように過ごしてる間、どんな気持ちだったんだろうな」


「見込みがないならちゃんと伝えておけって、チェシャくんが言ったんじゃん!」


 愛莉が叫ぶと、シロまで声を大きくした。


「えっ!? チェシャくんが指示してたの? それはつまり、嫉妬……愛莉ちゃんに近づく男を排除したかっ……」


「んなわけねえだろ。こいつのせいで小栗何某がかわいそうだったからだよ」


 被せ気味に返すチェシャ猫に、シロはふふふと力の抜けた笑いを浮かべた。


「だよね、分かってた。冗談だよ」


「ガキ同士の色恋沙汰になど、全く興味がない」


「いやあ、にしても愛莉ちゃんは本当に男の趣味が悪いね。チェシャくんなんて口も態度も頭も悪いじゃないか。その点、小栗くんはなにからなにまでいい子。小栗くんのなにがそんなに受け付けないの?」


 シロは黒糖ミルク作りを再開し、作業がてらお節介に首を突っ込んだ。愛莉が腕を組んで唸る。


「受け付けないんじゃないよ。本当にいい人だし、好きだよ。でもそれ以上にチェシャくんの方が好き」


「チェシャくんのどこがそんなにいいの?」


 質問が変わり、愛莉はより首を捻った。


「どこって言われると……どこなんだろう。ひと言で言えば、構い甲斐があるとこかな」


「それはちょっと分かるかも。困らせると面白いよね」


 シロがいたずらっぽく同意する。チェシャ猫は不快げにふたりを睨んだが、それ以上話を広げたくもなく、反論はしなかった。

 愛莉が身を乗り出し、シロに携帯を掲げる。


「それでね、これ、小栗くんが見せてくれた写真。子猫だよ。かわいいでしょ」


 画面には小栗が送った猫の写真が映されている。シロは興味深そうに覗き込み、愛らしい子猫の姿に頬を綻ばせた。

 しかし次の瞬間、ふっと真顔になる。


「これ、どこで撮った写真か、聞いた?」


「ん? 学校の近くの公園だよ。噴水があるとこ」


 急に神妙な面持ちになったシロを見て、愛莉はきょとんとしていた。シロがちらりとチェシャ猫に目配せする。チェシャ猫は椅子から立って、シロと愛莉の元へ歩み寄った。

 愛莉は不思議そうに首を傾げつつ、チェシャ猫にも画面を見せた。その画像を目の当たりにしたチェシャ猫は、シロと同じように真剣な顔で言う。


「いるな」


「いるね」


 シロが相槌を打ち、まだ事態を呑み込めていない愛莉に、にこっと笑いかけた。


「愛莉ちゃん、小栗くんがこの写真を撮ったの、いつ頃か聞いてる?」


「うーん、それは聞いてない。でも画像フォルダから捜すのに時間かかってたから、結構まで遡ってる様子だったよ」


 愛莉はそう答えて、自身の携帯の画面を見直した。子猫が親猫に寄り添って寝ているのを遠くから撮った写真である。


「なんでふたりとも、子猫の写真にそんなに大真面目に……」


 画面に向かって目を凝らして、かわいらしい子猫を見ていると。

 ハッと、愛莉は子猫の背景の草の茂みに、猫がもう一匹写り込んでいるのに気づいた。灰色の体に白い模様のある、金の瞳の猫だ。


「あれ、こんなところにもう一匹! かわいい……けど、この子、なんか……」


 灰色の猫に気づいて、そのままもうひとつ、気づく。

 なんだか、この猫の周辺がやけに暗い。周囲の草が重なって影になっているように見えるのだが、光の差し込む方向を鑑みると不自然な向きに、黒い影が落ちているのだ。

 シロがチェシャ猫に、落ち着いた声で言う。


「依頼書が来た一昨日の時点では、大きさは四十センチほどと報告されていた。それが妥当だとしたら、この写真のこいつはやけに小さいね。子猫の大きさと比較して、二十センチくらいかな」


「多分、成長するんだな」


 チェシャ猫も真面目な声色で返す。まだ置いていかれていた愛莉は、ふたりの顔を覗き込んだ。


「なになに、あたしも混ぜて」


「あっ、ごめんね愛莉ちゃん。君、野良猫触りそうだし、愛莉ちゃんにも話しておこう」


 シロはそう言って、淹れたての黒糖ミルクを愛莉の前に置く。カップの中から、ほんのりと黒糖の優しい香りが漂う。


「ここに写り込んでる、灰色の猫がいるでしょ。これね、猫型のレイシーなんだ」


「猫型のレイシー!? そんなのいるんだ!」


 愛莉は大声を出したあと、目を輝かせた。


「小栗くんが撮った写真に、ターゲットのレイシーが偶然写ってたんだ。やっぱりあたし『持ってる』なあ」


 気の抜けた感嘆を洩らして、愛莉は再び写り込みの猫を凝視した。至ってよく見かける、ありふれた猫だ。尻尾が二股に割れているでも体が透けているでもない。


「この子、本当にレイシーなの? 普通の猫と同じに見えるよ?」


「そうだねえ。でも人間型のレイシーも、人間と同じに見えて、よく見ると特徴がある。この猫もそうだよ」


 シロはカウンターに肘をつくと、写真の中の猫の周辺を指さした。


「周りがやけに暗いでしょ。この猫はお腹の辺りから、常に黒い霧のようなものを溢れさせてるんだ」


 愛莉は改めて、写真をじっくり見た。猫の周りがやけに暗いのは、この猫自身から溢れ出す黒い霧のせいだったのだ。言われてみれば、腹の辺りがいちばん影が濃い。

 チェシャ猫が愛莉の携帯を横目に見ていた。


「それに気づいた人が、不気味がって警察に通報して、発覚。この写真の猫、役所からの依頼で説明があった猫と毛色も縄張りも一致してる。違うのは大きさだけだ」


「チェシャくんと僕は今、このレイシー猫がどんな動きをしてなにを食べるのか、どんな特性があるのか、調査中だったんだ」


 シロがそう言うと、難しい顔で唸った。


「今の時点では、この灰色のレイシー猫はどんな手段で人間を喰うのか分からない。見かけてもむやみに近づかないようにね」


 愛莉ははあい、と間抜けな返事を出した。それからふと、小栗が話していた猫の死体の話を思い出す。


「最近、この公園でよく猫が死んじゃってるんだって」


「あー……野良猫被害にあった奴が、まとめて駆除してんのかな」


 チェシャ猫が言うと、愛莉は不思議そうに首を傾げた。


「そうなの?」


「知らんけど。ゴミを荒らされたとか声がうるさいとかで、迷惑がる人もいる。駆除用の餌なんかも、売られてる材料で簡単に作れる」


「そうなんだ、猫が嫌いな人が殺してるのかと思った」


「そうかもしれないけど。まあなんであれ、猫は動物愛護法で保護されてるから、殺すと罪に問われる可能性がある。だから普通は駆除する前に自治体に相談するものなんだがな」


「チェシャくんって口も態度も頭も悪いけど、意外と常識人だよね」


 ふたりのやりとりを眺め、シロはカウンターに頬杖をついた。


「猫が殺されてるの、よく知ってたね、愛莉ちゃん。僕もレイシー猫を調べてるうちに、その件を知ったよ。二ヶ月前くらいから、大体週一の頻度で猫の死体が見つかってるみたい」


「そうなんだ。あ、もしかしてこの件、レイシー猫と関係あるのかな? レイシー猫は人間じゃなくて、猫を襲うとか」


 愛莉は首を傾げ、黒糖ミルクを啜った。黒糖とミルクのまろやかな甘さが、舌の上でとろける。

 チェシャ猫が愛莉を横目に一瞥し、シロを見上げた。


「レイシーは例外だらけだから、なにをするか分からない。人間以外を襲う場合もあるのかもしれないな」


 黒糖ミルクを飲んでいた愛莉は、カップを両手で持ってチェシャ猫の横顔を覗き込んだ。


「今度猫の死骸を見かけたら、死因を調べられないかなあ。山根さんに頼んでみるとか」


「とすれば、一旦、深月さん辺りに相談して……」


 と、そこまで言いかけてからチェシャ猫はじろっと愛莉を凄んだ。


「あんたは首突っ込むなよ? できるだけこの公園に近づかない。どうしても通るなら、この猫を見かけても近づかない。いいな」


「心配ないって。あたしはレイシーを弾くんだし」


「だから……レイシーは例外だらけなんだよ。なにが起こるか分からない。ともかく、邪魔くせえからチョビチョビすんな」


 チェシャ猫が苛立った口調で諭しても、愛莉は緊張感を持たない。今すぐにでも公園へレイシー猫を捜しに行きそうな雰囲気すらある。チェシャ猫はさらに、愛莉に言って聞かせた。


「俺個人はあんたなんかどうでもいいが、狩人は民間の安全を確保するのが第一条件なんだ。あんたは狩人の事情を知ってるだけで、狩人側ではない。あくまで民間、守られる側だ」


「えー。あたしになにか、できることないの?」


 愛莉が不服そうにむくれていると、そのとき、彼女の携帯が短く振動した。画面には、小栗の名前とメッセージのポップアップが表示されている。


「あれ、小栗くんからだ」


 届いたメッセージを確認し、愛莉はシロとチェシャを見上げた。


「小栗くんが、あたしのおすすめの喫茶店に行ってみたいって言ってる。このお店に招待していい?」


 これにシロは、ぱっと明るい顔で即答した。


「もちろん! 僕も小栗くんに会ってみたいと思ってたんだ!」


「ありがと。小栗くんにもそう返事をするね」


 愛莉は慣れた手つきで携帯を操作し、数回小栗とメッセージのやりとりをした。そして連絡を終え、携帯をカップの隣に置く。


「十二月二十四日! このお店で会うことに決まったよ!」


「二十四日かあ」


 シロが朗らかに微笑む。


「クリスマスイヴだね。小栗くん、愛莉ちゃんとクリスマスを過ごしたいのかな」


 そう言われて初めて、愛莉はポンと手を叩いた。


「クリスマス! そっか、だから小栗くん、『二十四日がいい』って言ったんだ。気づかなかったなあ」


 そして愛莉は、チェシャ猫にくるっと顔を向けた。


「当日、チェシャくんも来てね!」


 小栗が愛莉に振られたのはチェシャ猫が原因だというのに、愛莉はそのふたりを会わせるのに気まずさを感じないらしい。やはりまだ、小栗を他の友達と同列に見ているのだ。

 いよいよ小栗が気の毒で、チェシャ猫は後味が悪そうに紅茶を啜っていた。

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