人は秘密を携えて

 その頃『和心茶房ありす』では、カウンター席で深月がパフェを頬張っていた。


「で。あのかわいい女の子はどういった関係? 本人どっか行っちゃったが、とりあえずお前らから話を聞くとしよう」


 生クリームをスプーンに載せ、深月はチェシャ猫とシロを見比べた。チェシャ猫は深月の後ろのテーブル席に、シロは盆を抱えて、深月の隣の席に座っている。シロはチェシャ猫に目配せして、仕方なしに話しはじめた。


「愛莉ちゃんがレイシーに襲われていたところを、チェシャくんが助けたんだ」


 愛莉のことは隠し通すつもりだったが、大人しく観念して事情を説明する。


「助けられた愛莉ちゃんはチェシャくんをいたく気に入り、この店に通うようになったんだ。あの子が興味本位でレイシーに近づかないように、恐ろしさを教える範囲でレイシーを勉強させてます」


「で、現状、秘密は口外されてないと」


「うん。口の軽そうな印象があるかもしれないけど、話しちゃいけない理由を理解して、きちんと守れる子だよ」


「あー、そうかあ……」


 深月がスプーンを口に運ぶ。やけに納得した様子である彼を横目に、チェシャ猫は無言で頬杖をついていた。深月がまた、生クリームの塔にスプーンを差し込む。


「なるほどなるほど。聞き覚えのある話だな」


「そうでーす。親近感湧くでしょ」


 シロがわざとらしい笑顔を見せる。チェシャ猫が目をぱちくりさせていると、シロは彼の方に顔を向けた。

 

「あのねチェシャくん、深月くんは愛莉ちゃんとほぼ同じ境遇なんだ。若い頃、レイシーに襲われたところを狩人に助けられたんだよ」


「へえ、初耳だな」


「深月くんが大学生くらいの頃かな。女癖が悪くてあちこちで恨みを買ったせいで、女性たちの生霊とか彼女を盗られてしまった男性たちの怒りとか、そういうものが形を成してレイシーになった。これが深月くんを取り殺しに来たんだ」


「自業自得じゃねえか」


 チェシャ猫が呆れ目で深月を一瞥する。シロは楽しそうに「ね」と同意し、続けた。


「見たことのない化け物に夜道を追いかけられて、声も出せなくて、あわやこれまでか! ってところで、仕事帰りの狩人が通りがかって助けたんだそうだよ」


 シロの話に、深月本人が大きく頷いた。


「いやー、あのときはマジで死ぬかと思った。んで、そのとき俺はレイシーと狩人を知ったから、『こっち側』の人間になったんだ」


 深月が胸に垂れた吊り下げ名札を摘む。

 レイシーと狩人の関係を見てしまった以上、記憶は消せない。一生口外しなければそのまま無関係の人間でいられるが、彼はそうしなかった。狩人の味方をするべく、狩人をサポートする仕事、すなわち役所の職員になった。

 シロがおざなりに付け足す。


「まあその、深月くんを助けた狩人っていうのは、うちの叔父なんだけど」


 チェシャは「え」と短く呟いた。それって、と突っ込みかけて、途中で口を閉ざす。深月がパフェをつついている。


「その節はどうも」


「僕は身内というだけで、なにもしてないけどね」


 シロが微笑むと、深月はパフェをまたひと口頬張った。


「そうか、愛莉ちゃんは俺と同じで、レイシーに襲われて狩人に助けられて、この業界に巻き込まれたか」


 繰り返し頷き、事情を納得したように見せたが、すぐに顔を顰める。


「いや、一緒じゃねえわ。俺を助けた狩人のオッサンは、ちゃんと俺を役所に引き渡して面倒くさそうな書類書かされて、俺も誓約書に捺印したぞ。お前らはその工程をしなかったから、今俺に怒られてんだよ」


「はい、そのとおりです」


 シロが素直に頭を下げる。深月はパフェにスプーンを突っ込み、クリームと玄米パフを混ぜて載せ、口元に運んだ。


「なんで報告が遅れた?」


「えーっとですね」


 シロはいつもののんびりした口調で繋ぎ、天井を仰いだ。


「面倒くさそうな書類が面倒くさかったからです」


 それを聞いたチェシャ猫は、ちらとだけシロを見て、すぐに視線を下げた。駒の並びが崩れた将棋盤に目をやり、シロと深月の会話に耳を傾ける。


「面倒くさい書類だから、そりゃ面倒くさいわな」


「はい、面倒くさいです」


 シロが愛莉のことを役所へ申告しなかった本当の理由は、愛莉にレイシーを弾く力があったからだ。役所に報告すれば彼女はこれまでどおりの生活ができなくなってしまうと懸念して、あえて隠していた。


「ふーん。本当にそれだけか?」


 深月が疑り深い目でシロを覗き込む。


「他にもなにか隠してるなら、今のうちに吐いておいた方が身のためだぞ」


 シロは数秒黙り、立ち上がった。カウンターの中に入って、腹を決めたように口を割る。


「実は、もうひとつ」


「はいどうぞ」


「有栖川瑠衣を発見した『知人女性』は、愛莉ちゃんです」


「お前なー。モロに手伝わせてるじゃねえか!」


 深月が声を荒らげた途端だ。シロは見計らったように、カウンターの内側からさくらんぼをひとつ用意し、深月のパフェグラスに載せた。赤いさくらんぼがちょこんと増えると、深月の怒りがすっと収まる。


「仕方ねえな。この件は見逃す。今後は愛莉ちゃんを使うなら、新人狩人として役所うちに申告しろよ」


 やりとりを見ていたチェシャ猫の頭に、「贈収賄」の文字が浮かんだ。深月がさくらんぼを口に放り込む。


「それで全部か?」


「全部です。どうせバレるなら、早めに自白しておいた方がマシだからねー」


「分かってんじゃねえか」


 とうとうシロは、レイシーを弾く愛莉の体質を白状しなかった。愛莉の生活を最優先する判断だ。チェシャ猫は口の中で、「あとでバレても知らねえぞ」と呟いた。


 深月がパフェのスプーンを咥え、唸った。


「俺も甘いよな。分かってんだけどさ、シロちゃん相手だとどうにもね。やっぱり恩人を重ねちゃってな」


「ふふふ、叔父さんのおかげで僕が助かってる」


 にこやかに笑うシロを横目に、チェシャ猫は怪訝な顔をした。


「シロさんの叔父さんって……」


「そうだよ。もう今年で八年になる」


 微笑みはそのまま、シロはさくらんぼをつまみ食いした。


 *


「え、それじゃつまり、行方不明?」


 公園のベンチに、冷たい風が吹き付ける。

 愛莉は山根の横顔に釘付けになっていた。身内の行方不明なんて大きな出来事なのに、シロからもチェシャ猫からも一度も聞いていない。

 山根が細く目を開けた。


「うん。叔父さんは狩人である傍ら、茶道家をしながら抹茶の専門店を営んでいる、マルチな人だったわ」


 愛莉は、いつしかシロから聞いた話を思い出していた。『和心茶房ありす』は、先代が営んでいた抹茶の専門店を改装した店である。そんな話があった。


「私の家とシロちゃんの叔父さんは、ご近所さんでね。レイシーに関わってる家系同士、仲良くやってたの。私も、小さい頃からよく遊んでもらってた……」


 山根はうとうとしつつ、のんびりと語る。


「シロちゃんは七歳のとき、こっちにやってきた。叔父さんに引き取られてきたのよ」


「へえ、なんでだろ」


 愛莉のその問いには答えず、山根は目を閉じて、むにゃむにゃと話した。


「叔父さんはね……狩人として命懸けで戦っていたけどね。お茶の仕事も、とっても大切にしていたわ。どちらかを疎かにするのは嫌だって……」


 山根の語り口は、寝言のようにふわふわしていた。


「だけど、シロちゃんに狩人を継がせようとはしなかった。シロちゃんの方は、あまり納得していなかったけれど……。叔父さんにしっかり言い聞かせられて、不服そうながらも大人しく待っていたわ」


「うーん。叔父さん、危ないから連れていきたくなかったのかなあ」


 愛莉が聞くと、山根は船を漕ぐのか頷いたのか、こくんと項垂れた。


「そうかもね……。あの日も、そうやっていつもどおり、叔父さんはシロちゃんに留守番を頼んだ」


 山根の目が、微かに開く。


「八年前の、あの日。叔父さんはレイシーの駆除に出かけたまま、帰ってこなかった」


 愛莉は口を半開きにして、山根の目を覗き込んでいた。山根は薄く目を開け、地面を見つめている。

 数秒の沈黙ののち、愛莉はわざとらしく笑った。


「ええ……叔父さん、どこ行っちゃったんだろう。帰ってくるといいね」


 山根も「そうねえ」と微笑む。


「本当、どこ行ったのかしらね。シロちゃんずっと捜してるのに、音信不通なんてかわいそう」


 そしてこくりと項垂れ、目を瞑る。


「私もたくさんお世話になった人だから……シロちゃんと協力して、捜してるの。深月くんも、なにかと叔父さんと縁があるから、事情を知ってるし彼も手を貸してくれる」


「深月さんって、さっきの役所の人だよね」


 愛莉は爪先で石畳を蹴った。冷えた砂利がぱらぱらと、遠くへ弾かれていく。


「叔父さんはレイシーを駆除しに行った……んだよね」


「そう。それから八年」


 山根が細く、白い息を吐いた。


「あっという間に、もう八年も前……。これだけ経っても戻ってこないんじゃ……」


 彼女は最後まで言わず、代わりにひとつ、くしゃみをした。


「さっむ……」


 そう呟いて、ぱちっと目を開く。


「寒い。こんなところで寝たら死んでしまうわ」


「今!? それじゃあ山根さん、あったかいところに戻ろう。もう歩ける?」


 愛莉が顔を上げて聞くと、山根は開いた目をぱくちりさせた。


「歩けるけど……お嬢さん、あなたはどちら様だったかしら」


 これには愛莉も絶句した。ずっと隣にいたのに、なぜか突然、山根の記憶から自分が消えてしまったのだ。


「ええっ、愛莉だよ? さっきまで話してたじゃない!」


 仰天する愛莉に、山根はうふふとはにかみ笑いを浮かべた。


「そうだった? そうだったかも。ごめんなさい、私、寝ながら起きてることがあって、自分でもなにを話してたか覚えてないときがあるのー」


「じゃ、今あたしになにを言ったか、覚えてない?」


「うーんと、なんだったかしら?」


「シロちゃんの話」


「あら、シロちゃんって喫茶店のマスターの? なにか余計なこと喋っちゃったかしら。あとで怒られそうで怖いわー」


 そう言って笑う山根は、どうやら完全に覚醒したらしい。ベンチから立ち上がって伸びをして、両手で拳を握った。


「さて! 少し寝たら頭がすっきりしたわ。これからもうひと仕事。推しのためにもバリバリ働くわよー」


 まったりした声で宣言して、山根はベンチに座る愛莉を振り向いた。


「お嬢さん、付き合わせちゃったみたいでごめんなさいねー。おうちに帰って、しっかり温まってね。風邪ひいちゃうわよー」


 山根はのほほんと微笑んで、一礼して立ち去っていった。残された愛莉は、まだぽかんとしていた。


「それじゃ、さっきのはほぼ寝言……?」


 だとしたら、情報の真偽も怪しくなってくるのだが。

 しばらく呆然としていた愛莉だったが、北風に晒され、山根と同じくくしゃみをした。手を擦り合わせて息を吐き、シロの店へと戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る