ウルトラポジティブ

 あれから一週間。愛莉はほぼ毎日のように、チェシャ猫を追いかけてこの店に来ている。今日もここへやって来て、シロの黒蜜ほうじ茶とモンブランを楽しんでいた。

 ふいに、シロが思い出したように切り出す。


「そうそうチェシャくん。この前のトゲトゲ尻尾のお姉さん型レイシーの解析結果、役所に請求しておいたよ。プリントアウトしておいたから、読んでおいてね」


 灰を提出すると、三日前後でレイシーのデータが解析される。退治した狩人が役所に申し込むと、解析結果を送ってもらえるのだ。


「彼女に標的にされた人間は、神経伝達物質がおかしくなっちゃうみたい。それで一緒にいた男性は、鬱々としたり躁になったりしてたんだねえ」


「様子が変だから、てっきりそっちがレイシーだと思った。じゃ、その前に謎の発熱と謎の嘔吐の症状が出てた被害者も、同じレイシーに狂わされて体を壊してたってことか」


 チェシャ猫が紅茶を啜る。シロは「そうだねえ」と返し、愛莉に視線を移した。


「大半のレイシーはね、喰うのは肉体じゃなくて魂なんだ。人に近づいて心や体を蝕んだり、事故を起こしたりして、死なせて食べる。これじゃ事情を知らない見たら、病死や事故死に見える。おかげでニュースにもならないんだよ」


 シロに説明され、愛莉ははあと感嘆した。


「なるほど。あのお姉さんに取り憑かれた人は病気になっちゃって、魂を喰われちゃうんだ。まさか病気とお姉さんとが関係あるなんて、思わないよね」


「そう。レイシーを見つけるのが大変なのは、そういう事情もあるんだ」


 シロはこくこく頷き、話を戻した。


「ホテルに入る直前で被害男性が我に返ったのは、愛莉ちゃんが近くにいたからかな。レイシーの放っていた力が跳ね除けられて……」


 そこまで言ってから、彼はポンと手を叩く。


「そうだ! 今日はその話をしようと思ってたんだった。家にあった資料に、ひととおり目を通してみたんだよ。愛莉ちゃんが起こしたような現象は、過去に例があるのか、調べたよ」


 彼はカウンターから出てくると、チェシャ猫のテーブルに歩み寄り、紅茶のカップの隣に数枚の用紙を置いた。


「全く同じとまではいかないけど、似た現象はかつてにもあったみたい。正式に確認・観察されてるだけでも三人」


 シロが手渡した用紙は、彼が集めた資料のコピーだった。三人の男女のプロフィールが、それぞれ一、二枚ずつまとめられている。

 用紙を手に取り、チェシャ猫は文字に目を走らせた。名前や生年月日、出身地といった基本的な情報から、レイシーと接した状況、その際に起きた出来事などを、端的に箇条書きされている。

 愛莉も椅子を立って、チェシャ猫のいるテーブルに歩み寄った。チェシャ猫の後ろに立ち、彼の肩越しに資料を覗き込む。


「この人たちも、あたしみたいにレイシーを怯ませたり、レイシーの灰を消したりできるの?」


「そうみたい。この三人はその能力を利用して、当時の狩人のサポートをしてたみたいだよ」


 シロはテーブル脇に立って、言った。


「でも、灰を消す速度は全員違う。記録によると一枚目の資料の人がいちばん速いけど、五十キロの灰を完全に消すのに早くても一時間弱かかってる」


「このクソガキはその場ですぐだったよな。最速かよ」


 チェシャ猫が呟く。愛莉は褒められた気がして、ガッツポーズを決めた。


「やったー! 歴史を塗り替えたぞ!」


「で、この資料の三人って……」


 愛莉の歓声など無視して、チェシャ猫は数枚の資料を見比べる。


「ひとりはアメリカ人の男。ギャンブル負け知らずのカジノ王。ふたり目は中国のスラム街出身の男。もうひとりは北欧の森で歌って踊って暮らした女……」


「接点がまるでないよね。国籍も性別も、確認されてる年代もばらばら」


 シロが腕を組む。愛莉はガッツポーズのままだった手を下ろした。


「てことは、当然血縁もないよね。なにか特別な能力を引き継ぎし人々って感じじゃなさそう」


 言ったあとで、愛莉はハッとした。


「あたし自身もそうか。日本の一般家庭の、普通の高校生だった」


「なんなんだろう。生まれ持った才能か?」


 愛莉とチェシャ猫が首を捻る。やがてシロが、ゆっくりと切り出した。


「共通点といえるところが、ひとつある」


 それを聞いて、チェシャ猫と愛莉の視線がシロに集まる。彼はふたりの目を見て、はっきりと言い切った。


「全員、はちゃめちゃに明るい」


 堂々と伝えられたそれに、チェシャ猫と愛莉は耳を疑った。


「……は?」


「ええ?」


「この三人、全員ものすごく明るい性格してるんだよ。ほら見て、このエピソードの数々を」


 シロがトントンと、資料を裏からつつく。チェシャ猫と愛莉は改めて、並んだ箇条書きの文を読んだ。

 悪霊によって異空間に飛ばされるも、無傷で帰ってきて「貴重な経験ができた」と喜んでいたこと。鬼に喰い殺されかけたが、スリルを楽しんで帰還したこと。レイシーを招いたパーティを企画するも、その陽気さを嫌ってレイシーが全く集まらなかったこと。それはそれで人間同士で盛り上がったこと。


「ほんとだ! どの人もすごく楽しそうに生きてる!」


 愛莉が大きな目をより大きく見開く。耳元で叫ばれたチェシャ猫は、迷惑そうに愛莉を睨んだ。ふたりの反応を見届け、シロは難しそうに首を傾けた。


「事実として、ポジティブで元気が良くて声が大きい人は、悪いものを寄せ付けにくい傾向がある。普通はそれは誤差の範囲なんだけど、この資料の三人は突き抜けて条件が良かったから、レイシーが弾き飛ばされてたんだと仮説が立ってる」


「たしかに、悪いものを寄せ付けやすい人、場所、物の配置というのはあるらしいな。その反対で、極端に寄せ付けない奴がいても不思議じゃねえか」


 チェシャ猫はぽつりと呟き、背後から覗き込んでくる愛莉に目をやった。


「つまりこいつも、特殊な力なんてない。ただ、性格が底抜けに明るいってだけか」


「そう。そういう性格の女の子ってだけ」


 シロがこっくりと頷く。チェシャ猫は数秒口を半開きにして沈黙し、シロと愛莉とを交互に見て、頭を抱えた。


「そんなのありかよ」


「ありだよ。ありだから、過去の三件もこうして資料として残されてる」


 シロはそう言うと、ぽかんとしている愛莉に微笑みかけた。


「愛莉ちゃんの明るさは、人間にも効くよ」


「へ?」


「瑠衣先生に喰われちゃったお友達がいたでしょ。その子は愛莉ちゃんが遊びに来ることで、喰われて欠けた精神力を回復させていた」


 有栖川瑠衣は、愛莉を非常に疎ましそうにしていた。

 標的にした生徒を弱らせても、愛莉が来ると回復してしまう。ご馳走である魂になかなかありつけず、焦って苛立って疲れた顔になっていたのだ。愛莉が友人宅に通っていなかったら、危うく死人が出ていたところだった。


「ひゃー! あたし、存在が大手柄じゃん! 生まれてきてよかったー!」


 愛莉が興奮してぴょんぴょん跳ねる。またもや耳元で叫ばれ、チェシャ猫は不快そうに眉を寄せた。この明るさ、騒がしさ、まさにレイシーが嫌いそうな性分である。


 愛莉は軽い足取りで元いた席に戻り、食べかけだったモンブランにフォークを入れた。大きく口を開けてフォークを運び、そしてハッと止める。


「このモンブラン、あたしのお手柄のご褒美で貰ったんだったよね。そんじゃ、生きてるだけで大手柄なら、毎日ケーキ食べられるんじゃ!?」


「流石に太るんじゃねえか?」


 チェシャ猫がぼそっと呟いた。

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