進んだ時は戻らない 壱


 苦渋の決断、であった。殻器ガラキとしては到底受け入れられる作戦ではなかった。クサレもそれは重々承知の上だろう。白雪しらゆきはそんな剣呑とした二人の様子をおどおどと見ていた。


「先輩、やっぱり俺この作戦、反対です」

「お前はそうでも上が決めた事だ。他の境殺がお前を止めにかかるぞ」

「そんな戦力があるなら!」

「それでも、だ殼器、これはもう決定事項なんだ」


 思わず机に拳を叩きつける殼器。その握り拳には血が滲んでいた。


「いたそうだよ、がらき……」

「痛いなんて思う暇なんてないほどの速度であいつらは命を奪っていくんだよ、白雪」

「いのち……」

「そうだ、炎尾えんびを放って置くって事はそういう事なんだ」


 白雪も沈痛な面持ちになる。殼器は行き場のない怒りを彷徨わせていた。腐は嘆息を

漏らす。他ならぬ殼器に殼器と名付けた張本人だ。憎しみで満たされた抜け殻。

 そんな時、鳴らなくなって一年経つラジオから音が流れ出した。

 通信網がとらわれに喰われて一年。人の想いを喰らう囚は現代ではその狙いを電波に変えた。それ以来ラジオ、テレビ、電話などの通信は途絶えた。それが一年前の事で、その最後の通信は「大予言」のニュースだった。

 そして。


『我、降臨セリ、繰リ返ス、我、降臨セリ』


 その後も繰り返されるその呪いの言葉はラジオ以外にも工房の外から聞こえてきた。


「これって……!」

「……恐怖の大王、だってのか?」

「……」


 炎尾の度重なる現出。それに伴う境界の拡大。囚が待ちわびる上位存在「恐怖の大王」その降臨。境界が広がると共に東京タワーの上に光る星のような輝きを発する謎の物体。しかし、それを指差して狐狗狸は降りて来ないと言ったはずだ。未来視が外れるとでも言うのだろうか、と腐は首を傾げる。


「……これの対処は他に任せて俺らは炎尾の動向を伺う。それでいいな?」


 なおも鳴り響く放送から耳を背けて腐が告げる。殼器は苦虫を噛み潰したような顔をして。


「先輩は本気で言ってるんですか、被害を見逃せって?」

「禅問答はしない主義だ」

「なにが禅問答なんですか、俺には目の前の敵を後回しにするようにしか聞こえない! 俺を止める分の戦力はあって炎尾を止める分の戦力は無いって言うんですか!?」

「そうだ、お前を止めるだけなら炎尾を殺すより楽だからな」

「このっ!」


 腐の胸倉を掴む殻器、腐はその腕を掴んで。


「喧嘩なら買ってやるよ」

「ああ! そうしてもらおうか!」


 殴り合いが始まる。その時だった。


「やめて!!」


 白雪の声が響いた。部屋が凍り付き、殴り合う二人も氷に邪魔され動きを止めざるを得なくなる。腐が深く息を吐く。その吐息は白く染まっていた。


「悪い、嬢ちゃん、大人気なかった」

「……白雪」

「がらき、くされ、ふたりとも、けんかしちゃだめ!」


 少女の悲痛な叫び、二人の男は拳を開く、殻器の拳からは血が垂れた。強く握りしめていたからだ爪が手の平に喰い込んでいたからだ。白く染まった工房の床を殻器の血が一滴、二摘、染めていく。


「いたいの、だめ、わたしたちのてき? は、えんび、でしょう?」


 だからその炎尾をどうするかで揉めているのだが、白雪の行動で喧嘩は止まった二人の頭も物理的にも冷えた。

 それでも譲れないものがある。


「白雪、その炎尾が暴れようとしてる。それを俺は止めたいんだ」

「うん、止めよう」

「でもな嬢ちゃん、偉い人が炎尾が一つの囚になるまで待つって決めたんだ」

「ひとつになるまで……」


 白雪は両方のこめかみに指をぐりぐりしながら当てて考える。そこで手を打つ混血の少女。


「じゃあわたしがえんびのひがいをとめればいいんだよね?」

「……それは」


 危険だ。だがそれを声には出せなかった。白雪の実力は折り紙つきだ。一匹の炎尾くらいなら抑えられる。殻器は納得しかける。そして腐は両手を挙げて。降参のポーズ。


「白雪を止める戦力は無いな、なんせ白雪は越境者じゃないから殺害許可が下りない」

「じゃあ!」

「……白雪、頼めるか?」

「まかせてよ!」


 こうして作戦会議は終了と相成った。殻器は一抹の不安を覚えながら。

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