第一章①

 目覚めたとき、私はベッドの上にいた。

 あのろうごくとうのかびくさいベッドではない。慣れ親しんだやわらかさのこれは、しようしんしようめい私のベッドだ。まさか、ここはこうしやくていなのだろうか。

「生きて、る……?」

 天井に向かって手をばすと、その手がいつもより小さく見えハッとした。

 ね起きてベッドを降り、姿見へとけ寄る。大きな姿見に映ったのは、なぜか数年分若返ったような自分の姿だった。

「ど、どうして? 私の体、一体どうなって──」

 ほおに手を当てつぶやいたしゆんかん、ピコンと頭に電子音が響いた。

(……電子音って、何だったっけ?)

 思い出そうとする前に、それは目の前に現れた。

────────────────

【オリヴィア・ベル・アーヴァイン】

 性別:女  ねんれい:13

 状態:すいじやく  職業:侯爵令嬢・毒

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

《創造神の加護(あわれみ)》 new!

 毒スキル new!

 ・毒たいせいLv.1 new!

────────────────

 はんとうめいの四角い窓のようなこれは──。

「ゲームのステータス画面!?」

 そうさけぶと同時に、私はすべてを思い出した。自分の前世がアラサーの日本人で、美容部員として働いていたこと。この世界が前世でプレイしたおとゲームの世界にこくしていること。

 そして自分が、ゲーム主人公の聖女のライバル役、悪役令嬢オリヴィアであることも。

 もう何からおどろいていいかわからないが、とりあえずこれだけは先に言わせてほしい。

「確かに私は、毒で苦しんで死にたくないとは言ったけど、正しくは毒とはえんの新しい人生を望んでいたわけで……」

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 毒スキル new!

 ・毒耐性Lv.1 new!

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 つまり、そういうことじゃなーい!!

 あまりの怒りに頭に血が上ったのか、くらりと目眩めまいがした。いつたん落ち着こう。

「待って。つまり、ゆいいつの知識が前世のおくで、力がウィンドウに表示されていた毒スキルってことなの……?」

 幸せになる機会というのは、時をさかのぼりオリヴィアとしての人生をやり直すということか。

 現状を理解した私は、へなへなとじゆうたんの上に座りこんだ。

ちがう……そうじゃない。望んだのは全体的にそういうことじゃない……!」

 どうせなら、毒殺の危険などないしよみんに生まれ変わりたかった。

 それなら前世の記憶やスキルなんてものも必要なかったはずだ。平穏で慎ましくていいと言ったのを、デミウルは聞いていなかったのだろうか。

「あのお気楽な笑顔の創造神、一発なぐっておけばよかった」

 思わずそんなぶつそうなことを口にする自分に驚いた。

 どうやら前世の記憶を得たことで、人格にもえいきようがあったらしい。ひどく腹が立つのと同時に、みように落ち着いている自分がいる。戸惑いはほぼなく、どこかすっきりした気分だ。

「神様に話が通じないことはよーくわかった。とにかく、こうなってしまった以上、与えられたものでなんとか生きていくしかない」

 そう決意し、私はステータス画面をチェックすることにした。状態やらスキルなど、いかにもゲームといった感じだ。

「色々ツッコミどころが多い。っていうか、ツッコむところしかないわ」

 ことづかいにも影響が出ているのを感じながら、上から順にかくにんしていく。

 オリヴィア・ベル・アーヴァイン。前世でプレイした乙女ゲーム【救国の聖女】に出てくる悪役れいじようの名前とまったく同じだ。

「ここは【救国の聖女】の世界そのものなのかな……?」

 次は年齢。十三歳とある。投獄され殺されたとき、私は十六歳だった。つまり三年の時を遡ったことになる。自分だけが若返ったわけではないのなら。

「状態は衰弱……。確かにガリッガリだわ。こんなに貧相な体をしていたのね、私」

 目の前の鏡に映る姿に、泣きたい気持ちになった。

 青白くかわききったはだせこけた頬につやのない銀のかみ。手足は骨に皮がくっついただけの棒切れだ。唯一、水色のひとみはきれいだけれど、白目の部分がひどくじゆうけつしていてこわい。

 頭の中で、美容部員だった前世の自分が「直視できない!」となげいている。

 一番気になるのは職業だ。侯爵令嬢の下に、毒喰いとあるのは何なのか。

 そんなデンジャラスな職業にいた覚えはない。おそらくあたえられたスキルの影響なのだろうが、もっとほかに何かなかったのか。

 毒スキル。こんなスキルは【救国の聖女】では見たことがなかった。

 デミウルが唯一無二のと言っていたので、私だけのスキルなのだろうけれど……。

「正直、毒スキルって聞こえが悪すぎない?」

 明らかに悪役のスキルという感じだ。貴族の令嬢がこんなスキルを持っていると知られたら、どういう目で見られるかは簡単に想像がつく。

「毒でこうげきするような力はいまの所ないみたいだけど、人に知られないようにしないと」

 また、スキルの横にある毒耐性という表示は、恐らくそのままの意味の能力だろう。

 毒で苦しんで死にたくない、という願いにまさか耐性でこたえてくるとは。そんな変化球はいらなかった。もっと「へいぼんむらむすめに転生」などのストレートさがほしかった。

 ついでに《創造神の加護(憐れみ)》の(憐れみ)の部分、必要あっただろうか。憐れむなら、ちゆうはんな加護よりおだやかな人生をくれと言いたい。

「毒に強い体になったんだろうけど、それってどの程度なのかしら。すべての毒にえられるのか、あの創造神のことだからあやしいところよね」

 しかし確かめるにしても、どうすればいいのか。自ら毒を口にするなんて恐ろしいこと、できるはずもない。

 なやんでいると、部屋にノックの音がひびいた。あわててしんだいもどると「アンです。昼食をお持ちしました」と声が。ワゴンを押して部屋に現れたのは、げ茶の髪のメイドだった。

 まだ十代だろう若いアンは、以前から私の身の回りの世話を担当していたけれど、必要最低限の会話しかしたことがない。物静かでいつも不安そうな目をしている、いんなメイドという印象だった。

「起きていらしたのですね。お熱は下がりましたか」

「……ええ」

 どうやら私は熱を出してんでいたらしい。

 アンは特に心配する様子でもなく、たんたんと「お食事はできそうですね」と言ってワゴンを寝台のわきに止める。そのたん、再びピコンとあの電子音がしたかと思えば、今度は真っ赤なウィンドウが現れた。


鹿しか肉のワインみ(毒入り):べロスの種(毒 Lv.1)】


「ど……っ」

 思わず「毒入り!?」と叫びそうになった口を手でふさいだ。

 まじまじと皿に盛られた料理を見る。毒表示がなければ、つう美味おいしそうな料理だ。

 アンはもくもくと手を動かしているが、そばかすのいた頬はあおめて見えなくもない。

「ねぇ」

 思い切って声をかけると、アンの手が止まった。

「……何でしょう、お嬢様」

「この食事は、ちゆうぼうから直接、あなたが持ってきたの?」

 問いかけた途端、アンのはしばみいろの目がうろうろと彷徨さまよい始める。

「そ、そうですが……」

「本当に? だれかがあなたに食事を運ぶよう指示したわけではなく、あなたの意思で持ってきたのね? じゃあ、食事に何か入っていたとしたら、あなたの責任になるわね」

「何かとは、い、一体……」

「そうね……例えば、毒──とか」

 途端にアンはぶるぶるふるえ出し、その場にひざをつくと、なみだを流して頭を下げた。

「申し訳ありません!」

「……謝るということは、私の言葉の意味がわかっているのね?」

 くわしく話すよううながすと、アンはしゃくり上げながら説明した。

 いつも私の食事は、メイド長が厨房から受け取ること。それを私のいるはなれに運ぶ際、アンが運ぶよう指示を受けること。そして以前メイド長が食事に何かを混ぜているのを見てしまい、口止めされたことを。

 メイド長はままははが連れてきた人間だ。私の食事に毒を入れるよう裏で指示したのは、継母でちがいない。どうやら私はずいぶんと前から、継母に毒を盛られていたようだ。

「あなた、メイド長に何かおどされているの?」

「実は、病気の妹がいて、薬代をかせがないといけないんです。なのに誰かにしやべったらかいすると。他のおしきでも働けないようにしてやると言われて……申し訳ありません」

 私はちらりと食事を見る。真っ赤なウィンドウが表示されているのは一皿だけだ。他は普通の食事のようだから、今回は鹿肉のみ口にしなければいい。

「わかったわ。あなたはいままで通り、メイド長から食事を受け取って」

「ですが……」とまどうアンの目の前で皿をつかみ、窓辺に寄る。

 窓を開け、皿の中身を思い切り外にぶちまけた。

「その代わり、私はきちんと食事をとったと、メイド長に伝えてくれる?」

 ぼう然とするアンに、にこりと笑いかける。

「どう? 演技を続けられるかしら?」

「わ、私にはとても……」

「私の味方になってほしいのよ、アン」

 アンは受け入れがたい様子で目をらす。私はそんなアンのれた手をにぎった。

「お給金とは別に、薬代は私が出す──」

「味方になります!」

 食い気味でさけぶと、アンは身を乗り出した。目が金貨のようにかがやいている。

「私の罪をお許しくださった上に、薬代まで! お嬢様はがみです!」

「女神というか、私はむしろ悪役令嬢……」

「このアン、一生お金様──じゃなくて、お嬢様について行きます!」

「完全にさいあつかいね」

 アンのすがすがしいまでの現金さに、私はほおが引きつるのを感じた。陰気なメイドはどこに行ったのか。とりあえず、死ぬ前の私にはいなかった味方がひとりできたらしいが──。

(お金で味方を買ったようなものだけど、良かったのかしら……)

 はしゃぐアンを見ながら、いつか裏切られそうだな、とさつそく不安になるのだった。


    〇 〇 〇


「こ、これはオリヴィアお嬢様! このような所に、一体何用で……?」

 アンをともない厨房に向かうと、中にいた使用人たちは慌てたようにいつせいに立ち上がった。

 きゆうけい中だったのに、悪いことをしてしまった。

とつぜんごめんなさい。私のことは気にしないで、そのまま休憩を続けて?」

「そういうわけには……」

「いいのよ。それより料理長。食材を見てもいいかしら?」

 ようへいのような体つきの料理長が、ぎくしゃくと食品庫に案内してくれる。

 厨房はこうしやくていの本館にあり、離れに住む私が彼らとせつしよくすることはまずない。病弱で引きこもりのれいじようが突然厨房に現れたのだから、彼らが戸惑うのも無理はなかった。

(実際は引きこもっているわけじゃなく、継母に離れから出ないよう命令されているだけなんだけどね)

 毒スキルとアンの証言で、前々から継母に毒を盛られていたことに気づくことができた。ずっと自分は病弱なのだと思っていたけれど、それは毒のせいだったらしい。

 スキルのおかげでたいせいはついたものの、ステータスの状態はすいじやくのまま。さつきゆうな体質改善が必要だ。健康な体は食事で作られる。前世のごとがら、デトックスについてはかなり勉強した。早速その知識を役立てるときがきた。

(本気の解毒デトツクス生活のスタートよ!)

 ひんやりとした食品庫には、食材の入った木箱がずらりと並んでいた。

 ふと、玉ねぎが大量に入った木箱が目に入り、ひとつ手にとった。箱にはけた玉ねぎの皮もたくさん入ったままになっている。

「……よし。クレンズスープにしましょう」

「クレン……何ですか?」

 首をかしげるアンに笑いかけ、ほかの食材も物色する。

 クレンズスープのクレンズは『せんじよう』の意だ。デトックス効果の高い野菜を組み合わせ、液状にしたものをそう呼ぶ。前世で一時ブームになったダイエット方法でもある。

「料理長。私、最近食欲がなくて。胃が少し痛いしおなかの具合も悪いの。だからお肉はもちろん、しばらく固形物はひかえたいと思って」

「そりゃいけません! 医者にてもらったほうが……」

「いいのよ。もうずっとこんな調子だから。そういうことだから、しばらく私の食事はスープだけにしてほしくて。構わない?」

われわれは構いませんが……スープだけなんて、お嬢様がたおれちまうんじゃ?」

だいじようよ。じゃあまず、これ。水でよく洗ってくれる?」

「こ、これって……玉ねぎの皮じゃあないですか!」

 料理長もアンも、私が両手にたっぷりと持った玉ねぎの皮を見て目を丸くする。

 おどろくのも当然だ。前世の私も勉強するまで、まさか玉ねぎの皮がデトックス食材になるとは夢にも思っていなかった。

「そうよ。玉ねぎの皮。これでスープの出汁だしをとるの」

「皮で、出汁? 出汁なんかとれるんで?」

「ええ。玉ねぎの皮はビタミンとミネラルの宝庫なの。こうさんポリフェノールも中身の三十倍もあるんだから! それを知ったら玉ねぎの皮を捨てるなんてとてもできないわ!」

 私はこぶしを握り力説したけれど、料理長とアンは不思議そうに顔を見合わせる。

「ビタミー?」

「ポリフェノル?」

 しまった。この世界にはない言葉を使っても、ふたりにわかるはずがない。

「ええと、血のめぐりを良くしたり、むくみを取ったり、皮にも色々な効能があるの」

「へぇ。玉ねぎの皮にそんな効能がねぇ。いやたまげた。料理人のワシでさえ知らないことを、お嬢様はたくさんご存じなんですな。一体どこでお知りになったので?」

「それは……せっていることが多いから、本を読んだり、ね」

 まあうそなのだが、料理長は同情したのか「そうでしたか……」と暗い顔になる。

 いつの間にか食品庫の入り口に使用人たちが集まってきて、口々に「確かにお嬢様、おやつれになったよな」「病気のせいか?」などとささやき合っている。

 そのとき「何のさわぎです!」と声がして、入り口をふさぐようにしていた使用人たちがさっと道を空けた。現れたのはけんに深いシワを刻むメイド長だった。

 メイド長はじろりとアンをにらんだあと、私を見る。

「このような所で何をしていらっしゃるのです?」

「……食事をリクエストしたくて来たの」

「食事をリクエスト? わざわざそんなことで? 奥様から離れを出ないよう言われているのをお忘れですか?」

「熱が下がったから、散歩のちゆう立ち寄っただけよ。なあに? お継母かあ様は散歩も許してくださらないとでも? それじゃあまるで、離れに私をかんきんしているみたいじゃない?」

 わざとらしく言うと、まだこちらをうかがっていた使用人たちが「監禁?」「まさか……」とまた騒ぎ始める。メイド長は舌打ちせんばかりの顔で「とんでもない」と否定した。

「奥様はあなたを心配されているだけです」

「そう。じゃあ何の問題もないわね。私は離れにもどるわ。料理長、よろしくたのむわね」

「はい、お嬢様! お任せください!」

 ドンと胸をたたく料理長にみを返し、私はアンとちゆうぼうを後にした。

 メイド長の横を通り過ぎる際「奥様にご報告しますから」と囁かれた。これはきっと、近いうちに継母に何か動きがあるだろう。

(毒、飲まされるかなぁ……)

 いまからでもむらむすめに転生させてもらいたいわ、と私はため息をついた。


    〇 〇 〇


 ままははの動きは予想していたより早かった。

 夜、メイド長を引き連れはなれに現れた継母・イライザは、相変わらず派手なしようほうしよくひんで全身を固めていた。

「メイド長が言っていた通り、ずいぶん調子が良さそうね、オリヴィア?」

 冷たい笑みをかべる継母に、すみにいるアンがおびえている。

 おそらく創造神に時間をさかのぼらせてもらう前、私を毒殺したのはこの人だ。父・アーヴァイン侯爵の後妻で、以前から私をぎやくたいし、れいのように扱っていたひどい女。聖女に毒を盛るよう命令したのも継母だった。

 私は継母をなぐりつけたいのをまんして、頭を下げた。

「何かようでしょうか」

「言いつけを破って離れを出たそうね? わざわざ厨房に料理をリクエストしに行ったとか。何をたくらんでいるのかしら?」

「企むなど……。メイド長にも言いましたが、厨房には散歩のついでに寄っただけです」

 私の答えが気に入らなかったようで、継母は私を睨みつけるとメイド長を呼んだ。

 メイド長はワゴンを私の目の前まで押してくると、銀のフードカバーをゆっくりと持ち上げる。白い湯気とともに現れたのは美味おいしそうな料理と、聞き覚えのある電子音をともなった、真っ赤なテキストウィンドウだった。


【野菜スープ(毒入り):ベロスの種(毒Lv.1)】

生姜しようが湯(毒入り):ベロスの種(毒Lv.1)】

りんのジュレ(毒入り):ベロスの種(毒Lv.1)】


(全部毒入りって、どんだけ念入り……!)

 顔が引きつりそうになるのをえる私に、継母が「座りなさい」と命令してくる。まさか、私が料理を食べるまで居座るつもりだろうか。

「ほら、私たちは部屋を出るんだ! さっさとおし!」

 メイド長にき飛ばされるように出口へとうながされるアン。

 こちらをり返り「お嬢様……!」と泣きそうな顔をするので、私はえて笑ってやった。心配するなというように。もちろん強がりだ。何せ現状、絶体絶命なのだから。

 ふたりが部屋を出ていくと、継母のまとう空気がさらに冷え冷えとしたものになる。

 テーブルに着くよう促され、仕方なく席に座った。心の底からげ出したい。

「この私がわざわざきゆうをしてあげるんだから、感謝なさい」

 テーブルに並べられたのは、私の希望通りのミルクベースのクレンズスープに、うっすら黄金色の生姜湯、そしてすりおろされた林檎のジュレ。

 簡単なものだけど、さすが料理長、美味しそうに盛りつけてくれている。本当なら私もとして食べただろうが、毒表示が出ている料理を前に食欲がわくはずもない。

 時を遡る前の、ろうごくとうで味わった苦しみを思い出すと体がふるえた。食べたくない。あんな苦しい思いは二度としたくないと神に願って、いま私はここにいるのに。

「どうしたの? 食べられないなら、私がその口に突っこんであげるわ」

 ごうやした継母の言葉に、私はあわててスプーンを手に取り、ごくりとのどを鳴らした。

 落ち着こう。いまの私には創造神からもらった毒スキルがあって、この毒は私には効かないかもしれない。あくまでも可能性の話で、保証はどこにもないのだけれど。

(これで死んだら、うらむどころかのろってやるからね、創造神デミウル!)

 意を決しスープをすくうと、私は目をつむりながら、えいと飲みこんだ。

「……っ!」

 そのしようげきに、思わず片手で口を押さえた。

 手がぶるぶると震え、スプーンを落としかける。

「もっと食べなさい。オリヴィア」

 うすわらいを浮かべながら継母が命令する。私はカチカチと音を立てるのを止められないまま、何度もスープを口に運び、飲みほした。

 スープ皿が空になって、ようやく継母は満足したようだ。「残さず食べるのよ」と言い置きとびらへと向かう。

「もう勝手に離れから出るんじゃないわよ。まあ……出たくても出られないでしょうけど」

 扉を閉める直前、継母はそう意味深く笑っていた。

 継母がいなくなり、部屋にひとりになってようやく言える。

「なんなの、これ……」

 まだ震えが止まらない両手で口元を押さえ、天をあおいだ。

「すっっっごく美味しい……!」

 なんてことだ。あまりにも美味しすぎて、毒入りであることを忘れ夢中で食べてしまった。玉ねぎの皮だけで出汁だしをとったとは思えない、深いコクのあるのうこうなスープだった。こんな美味しい料理、今世でも前世でも食べたことがない。

 料理長は天才なのだろうか。いや、でもデミウルに時を戻される前に食べていたのも、同じ料理長が作ったもののはずだ。

「まさか……」

 私はためしに、生姜湯のカップに手をばした。

 相変わらず赤いウィンドウが出ているのできんちようしたが、おそる恐る口をつけると──。

「う、うそでしょ」

 ただの生姜とはちみつの入ったお湯のはずなのに、何種類ものハーブをブレンドしたかのような味わい深さがある。どんな希少なはちみつを使ったのか、まったくくどくないすっきりとした甘さもいい。

「何このジュレ、さわやか~!」

 林檎のジュレは、甘さよりもミントのような爽やかさのきわつデザートだった。見た目を裏切る高級感に、これを売る店があるのなら、何時間並んでもいいとさえ思えた。

 どれも想像をえた料理だ。どうやってこの味を出したのか見当もつかない。

「つまりこれって、毒が美味しいってこと……?」

 私はその答えに行き着いたしゆんかんからくずれ落ちていた。

 だから何なのだ、そのムダな設定は。気づかう所が明らかにおかしい。私は毒で苦しんで死にたくないとは言ったが、毒を美味しく感じたいなどと口にした覚えは一度もない。

 毒が信じられないほど美味しく感じるなどという体質にされてしまったら……。

「毒、食べたくなっちゃうじゃなーい!!」

 デミウルのゆるい笑顔を思い出しながら、ダンダンとゆかを何度も叩く。

 本当になんなのだ、あの創造神は。ふざけているのだろうか。毒が美味しいとなれば、危険だとわかっていても食べたくなってしまうのは当然ではないか。

「まるで禁断の果実……って、あれ? そういえば、私の食べた毒は」

 どうなったのだろう、と言いかけた瞬間、再び電子音がひびいた。

 目の前に新たなウィンドウが次々表示される。


【毒をせつしゆしました】

【毒を無効化します】

【毒の無効化に成功しました】


「お、おお……これが毒たいせい。ということは、やっぱり耐性とレベルの同じ毒なら食べていいってことかしら」

 禁断の味を思い出し、じゅるりとえきがあふれ出る。

 いや、いくら美味しくて無効化できても、毒は毒だ。体に良いはずがない。わかっている。だが、わかっていても、また食べたくなってしまう美味しさだった。

 本当に、あの創造神はなんて体質にしてくれたのかと文句を言いかけたとき、またもや電子音とともにウィンドウが表示される。


【経験値を20かくとくしました】


 さすがにそこに書かれていた言葉に固まった。

 経験値。それはめた数字に応じてレベルがアップする、ゲームではおなじみの設定のひとつだ。そして私が持っているのは毒スキル。毒を食べると経験値を得られる。つまりレベルを上げるには──。

「毒を食べろってこと!?」

 信じられない! と私はまた床にこぶしを打ちつけた。

 毒で死んだ人間に、毒を進んで食べるような設定を盛りこむなんて、デミウルは一体どんな神経をしているのか。

「お、オリヴィアおじようさま!? だいじようですか!」

 床をダンダンとたたいている姿を、もどってきたアンに見られてしまい、ベッドに押しこまれた。またままははに毒を盛られ、苦しんでいるように見えたらしい。アンは泣きそうな顔で医者を呼んでくると言い、部屋を飛び出していった。

 私は少し冷静になり、ベッドの上から空の食器たちを見つめ、ため息をつく。

「まあ……経験値をかせぐために食べなきゃいけないなら、美味おいしいほうがいいよね……っと、いけない。またよだれが」

 中毒にならないよう気をつけつつ毒を食べ、デトックスにも一層はげまなければ。

 なんだか絶対に成功しない万年ダイエッターにでもなった気分だった。


 逆行し、オリヴィアとしての二度目の人生が始まって三日目。

 表向き、私は体調を崩しはなれで休養中ということになっているが、実際はというと。

「お嬢様。またあくいのりをささげていらっしゃるんですか……」

 メイドのアンが、部屋に入るなり私を見てなんとも言えない顔をする。

「何で悪魔なの? そこは神でもよくない?」

 かたひざを立て、あしを前後に大きく開き、両手を天に向かって伸ばしながら、私は答えた。

 これはヨガの三日月のポーズだ。ヨガは腹式呼吸で血行をそくしんし、しんちんたいしやを高める。内臓をげきして便通も良くなるので、デトックスにぴったりの運動だ。

 だがアンには悪魔すうはいしきに見えるらしく、完全に引いた顔をするので、仕方なくヨガを中断しベッドに戻った。

「お嬢様の指示通りにお茶をれてもらいましたよ」

 アンはそう言ってワゴンをベッドのわきにつけ、カップに茶色のお茶をそそぐ。

 きようかんたんで知られるアーティチョークとペパーミントのハーブティーだ。苦みはあるが後味は悪くない。アンに作り方を教えたら、目を金貨にさせおどりしていた。

「悪魔崇拝は別として、お嬢様の知識は本当にすごいですねぇ」

「うん? デトックスのこと?」

「そうそう、デトックスです。だってお嬢様、お顔の色がちがえるほど良いですし、どんどんきれいになられていますよ!」

 アンがぐいと手鏡を向けてきたのでのぞきこむと、確かに多少血色が良くなった自分がいた。でもまだまだだ。せこけているし、目の周りも黒ずんでいる。カサカサだったはだに少しうるおいが戻ってきて、目のじゆうけつがなくなった程度で、健康体にはほど遠い。

「でもお嬢様は瘦せすぎですから、もっとたくさんお食べにならないと。悪魔に祈りを捧げている場合じゃないですよ!」

「祈ってないから。ヨガだから」

 継母のイライザが直接食事を運んできたあの夜以降、料理に毒は盛られていない。

 毒でしばらくは動けないだろうから、さらに盛る必要はないと考えているのだろう。もう継母のおもわくはわかっているのだ。そこをえて利用してやる。毒を盛られたらんだふりをし、その間デトックスに励む。まずはそうやって健康体を手に入れるのだ。

「……ねぇ、アン。お父様はどうされているかしら?」

だん様は王宮にいらっしゃる時間だと思いますが、かくにんしてきますか?」

「ううん、いいの。聞いてみただけ」

 逆行前は、実の父は近くて遠い存在だった。

 親子らしい会話をしたおくはない。父は私が継母にぎやくたいされていたことにも気づいていなかっただろう。記憶の中の父・アーヴァインこうしやくの態度はいつもよそよそしく、私を見る目は冷たかった。愛されてはいなかったのは確かだ。

しようわる継母とけつこんするくらいだもの。きっとろくな男じゃないわよね)

 期待してはいけない。女を見る目のない実父など、ゆるい創造神より役に立たないに違いない。けつえんより大事なのは解毒デトツクスである。

 ということで、ハーブティーを飲んだあとさつそくヨガを再開した私。その横で、アンがこそこそとベッドサイドに小さなデミウル像を置いていたので、そんなものだんにでもほうりこんでしまえ、と言い合っているとノックの音がした。

 アンと顔を見合わせる。またメイド長か継母が来たのだろう。そろそろ次の毒が来るのではないかと思っていたのだ。

 だが私の予想は外れ、アンがとびらを開けるとそこにいたのは、グレイヘアの初老の男性だった。くちひげを短く整え、黒のコートにグレーのズボンを着ている彼は、先代から仕える侯爵家のしつ長だ。家令の役割もになっている使用人のトップである。

「ごしております、オリヴィアお嬢様。先日またおたおれになったと聞きましたが、その後体調はいかがでしょう」

 品のある老しん、といった見た目の執事長だが、眼鏡めがねの奥のひとみするどく光っている。一瞬のうちにばやく私の状態と部屋の様子を確認したのがわかった。

「問題ないわ。それより、執事長が私に何の用?」

「失礼いたしました。旦那様より、お嬢様への伝言を言付かっております。体調に問題なければ、ばんさんに出席するように、とのことです」

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