第77話 釣り人
湿地にて佇む謎の人影。
そいつのもとに、俺とカノンは恐る恐る近づいた。
敵エネミーの可能性があるからだ。
人型の敵とはまだ遭遇したことはない。強いて言うなら婦人キノコがもっとも人に近かっただろうか。
あるいは、レシーのような敵対NPCの場合もある。
経験上、人の形をしているやつはだいたい強い。油断はできない。
友好的な存在だというのが一番なんだが……。
近づくにつれ、人影の容姿が明らかになっていく。
俺たちから背を向けたそいつは和装の着流しで、腰に刀を差している。
そしてこの侍らしき人物、手には釣竿を握っており、のんきに池の前で釣りに勤しんでいる。
とりあえず理性のない怪物ではないようだ。NPCがプレイヤー説が濃厚だな。
であれば、不意打ちで斬りかかるのではなく、声を掛けてみようか。
「おい、あんた」
「うん? どなたかな」
不意に声を掛けられ、ゆるりと振り向く侍。
「ッ!」
そいつの顔を見て、俺は思わず声を上げかけた。
その貌に、一切の表情が無かったからだ。
のっぺらぼうということではない。
目鼻のあるべき場所に、虚ろな黒孔が穿たれていたからだ。
「おお、驚かせてしまったかな。まさかこんな僻地で人と出会うとは思っていなくてね」
顔がないためにわからなかったが、のんびりと話す声と起伏のある胸元からして、どうやら女性。
大穴の開いた顔はインクのように真っ黒で、向こう側の景色が映ることはない。
その白い頭髪はエトナのものによく似ている。初めてエトナの一つ目を見たときも同じように驚いたのを思い出す。
そして、これほど近づいてもプレイヤーネームが表示されないことから、NPCか。
ビジュアルこそ衝撃的だが、剣呑な雰囲気もないことだし、友好的に接してもよさそうだ。
「いや。こちらが勝手に驚いただけだ。外見の話をするのであれば、頭のない俺も似たようなものだからな」
シャルロッテの森林銀の鎧の完成を待つ俺は、未だ兜が消失したまま。
首無しデュラハンの状態なのだ。顔のない存在という意味では、目の前の人物と同じよしみと言えるだろう。
「おや。面白いことを言うね。大概は私の顔を見るや否や斬りかかって来るのだけれど」
釣竿を傍らに置いて、これまたのんびりと喋る女。
咄嗟に斬りかかってしまう心理はとても良くわかる。顔の見せ方が完全にホラーのそれだったからな。
しかしこいつの口ぶりでは、何度か襲われた経験のあるのか。更に毎回それを凌いでいる、ないしあしらっていると。
侍らしい恰好をしているだけあって手練れということか。
「それで、あんたは何者なんだ?」
単刀直入に聞く。
湿地から霧を晴らすや否や現れた、謎のNPC。
非常に個性的な外見をしているが、どうやらただの一般人ということはなさそうだ。
何かの勢力に属していたり、特別な立場の人物なのではと俺は疑っている。
「ふむ。私はその質問に答える前に、君に聞かなきゃならないことがあるね」
「何だ? おおよそのことは答えるが」
顔のない女は俺が手に持つ剣、腐れ纏いを指さした。
「その剣を鍛えた鍛冶師の名前は?」
カノンがまだ警戒態勢を解いていないことに、俺はようやく気付いた。
当然ながら女の表情は読めない。なんで顔のパーツが穴しかないんだよ。
怖いわ普通に。
「……エトナ」
俺は迷い、だが鍛冶師の名を答えた。
雰囲気でなんとなく分かる。
こいつ、答えを知ってて聞きやがった。
普通、武器に興味があれば入手先とかを訊ねるだろう。わざわざ鍛冶師の名を聞くというのはあまりすることではない。
まるで最初から、この武器が特別な鍛冶の手になるものだと確信しているかのようじゃないか。
だが、俺はそんな含みのある質問に馬鹿正直に答えた。
エトナの武器を使い続けていることに俺なりの矜持があったからだ。
「そうだよね。じゃあ居場所も知りたいな」
「……」
不穏だ。
矢継ぎ早に次の問いを投げ掛ける女には、読み取る表情すらない。
顔を見ても、がらんどうの虚ろな穴がこちらを見つめるのみ。ひたすらに不気味。
武器を打ったのがエトナということに何の疑問も抱いていなかった。
やはり、既にこいつはエトナの存在を知っている? 彼女の知己なのか?
まるで武器だけでエトナの存在を予期したかのような口ぶり。
念のためカノンの方を一瞥する。なにか余計なことを口走る気配はない。
カノンも一度、エトナのいる空島の滝の傍まで同行している。
もっとも転移でのみ移動したカノンは俺と異なり川に流され落ちていないので、あの地が天空にあることは知る由もないはず。
ならば問題ない。俺は質問に答えない。
「答えてくれないのかい?」
「……」
惚けたように、首を傾げる黒孔の女。
その問いにプレッシャーや威圧感はない。ただの純粋な問いかけだ。
だが……。これはなんの根拠もない直感に過ぎないが、こいつにエトナの居場所を教えてはならない気がする。
教えたら最後、必ずやろくでもないことになる。
そんな予感があった。
「そっか。仕方ないね。じゃあ──」
女が腰に佩いた刀に手を添える。
すわ戦闘か──と身構えるも、
「これ、譲ってあげるよ」
女は刀身ではなく、刀そのものを腰から引き抜いた。
「至瞳器の名は知っているね」
そしてその刀身を見せつけるように、ゆっくりと鞘から刃を引き抜いていく。
「煙刀【いはかさ】」
黒い煙の刀の形に固めたような、一切の光を宿さない漆黒の刀身。露わになったそれをまざまざと俺に見せつける。
「至瞳器に数え上げられる業物、その一振りさ。レシーなんかはよく、そこらではお目に掛かれぬ代物、なんて定型句で自慢するね」
「受け取らんぞ」
「……まだ最後まで言ってないけど?」
「どうせ代わりにエトナの居場所を吐けというのだろう。だったら受け取るつもりはない」
「確かにそのつもりだったけど。……うーん、そんなあっさり袖にされると傷つくなぁ」
一応傑作なのに、などと呟きながら刀身を鞘に納め、刀を腰に差し直す女。
……噂でのみ語られる至上の武器、至瞳器。
その実物を初めてお目にかかった。至瞳器はどうやら噂のみ存在ではなかったらしい。
それをしかも、目の前の女は俺に譲るなどと言うではないか。
──見え透いた地雷だ。裏がないわけがない。
発売して二週間程度経ってなお、ゲーム中でまだ誰も手にしてないない最高峰の武器。
それをぽっと出の顔面穴女が急にあげるなどと言い出してきて、一体誰が受け取ろうか。
絶対受け取ったらろくなことにならんぞ。
それか贋作を掴まされるとかか? なんだっていい。
そんな旨い話があるはずがないのだ。
絶対にどこかで代償を払わさせられる。だったらお断りだ。
それに俺は、エトナが打ってくれたこの腐れ纏いで十分満足しているんでな。
まるで靡く様子のない俺に、女は観念したように肩を竦めた。
「レシーが粉をかけてる奴がいるって聞いて来たんだけど、私もフラれちゃったなぁ」
「さっきから聞き捨てならないが、お前レシーの知り合いか?」
「せっかく偶然を装ってアプローチしたのにね。あ、名乗ってなかったっけ。私はテレサ」
さっきも名前を出していたが、チュートリアルで俺をボコして以来音沙汰の無かったレシーの名をまさかこんなところで聞くなんて。
こいつら知り合い同士か? ならどういう繋がりなんだ。目的は? だいたいレシーはなんで俺をボコした。
聞きたいことが一気に山ほど増えたぞ。
「ごめんね、長居するつもりはないんだ。あんまりお喋りしてたらきっとレシーの機嫌を損ねるし」
問いただそうと俺が口を開くより先に女が鞘に手を添え、親指で柄を押し出して僅かに刃を引き出す。
「【黒烈】」
「何だ!?」
鞘からかすかに抜き放たれた刀身から、もくもくと黒い煙がとめどなく噴き出していく。
俺とカノンがすわ攻撃かと身構える中、たちまち巨大な暗雲と化した煙は無貌の女を乗せて空へと浮かび上がる。
「じゃあね。エトナによろしく」
「お、おい待て!」
短く別れの捨て台詞を残した女は俺の制止する声も効かず、黒雲に乗って高空へと昇っていく。
そのまま雲に乗った侍は、こちらを一瞥することもなく遥か彼方へと飛び去って行ってしまった。
「な、なんだったアイツは……」
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