第60話 風起こし

「そろそろ追加で風を起こすぜー」

「頼む」

「ほいさ」


 カノンがバスケットから白いリンゴのような果実を取り出し足元に叩きつける。

 果実が地面と衝突し砕け散れば、同時にそこを中心に突風が巻き起こる。

 放射状に吹きすさぶ風の流れはこの湿地に満ちる濃霧を払うのに充分なもの。

 視界を塞ぐ黄土色の霧のない湿地エリアは、まだ少し見慣れない。


「やはり視界が開けるだけでまるで別世界だ」

「俺は前回対策せずに奥に踏み入った愚かさを再認識しているよ」


 三人で湿地を進むことしばらく。霧のない湿地の姿に感嘆するリリアに俺は同調した。

 カノンが風を起こして霧を払ってくれている影響で、行軍速度は初見時の比ではない。

 唐突に出現するエネミーに備える必要がないため、前進する事に躊躇がないのだ。

 前回は接敵した時点で至近距離まで距離を詰められていたため素早い対応が必要だった。

 死角を取られて対処が遅れることもあったし、目を凝らしながら索敵しつつ、接敵した際のフォローにもスピードが要求されて神経がすり減ったものだ。

 それと比べて、ただ目的地に向かえばいいだけの楽さたるや。

 

 霧のない湿地は開けていて平坦。敵の見つけやすさでいえば、入り組んだ通路の地下水道以上だ。

 まるで別のエリアを攻略しているかのよう。革命的だ。

 この感覚は初めて眼鏡を掛けたときの視界の変わりようとか、いつも徒歩で向かってる場所に車で移動したときのような感動に近い。

 悪い環境に慣れていたからこそ、本来あるべき良好な状態に一層の感動を覚える。

 この湿地エリアにしたって、濁り水が容易く倒せる相手だったから霧が濃くても問題なかっただけだ。

 

 むしろ、霧があっても何とかなってしまったからこの環境を軽視したのかもしれない。

 これもトカマク社の手のひらの上か? 倒しやすい敵を配置して油断させることで、本当の脅威を過少評価させる。

 奥に進んで痛い目を見て初めてその危険性に気づくと。

 だとしたら俺の危険の認識する能力はまだまだだな。もう何度も下手を打ってる。

 だがまあ、目利きの腕は騙された数次第と言う。それと同じく、俺も死地を潜ることでリスクへの嗅覚が磨かれているはずだ。

 歴戦というには新米すぎるが、俺も成長していると思いたい。

 

「お、沼地が見えてきたな。こっから先はキノコが多いんだっけ?」

「事前に伝えておいた通りだが、だいたい敵だ」


 手で日差しを作って沼の方面を眺めるカノンに念のため敵の存在を言い含めておく。

 湿地エリアで俺たちが遭遇した敵については俺の口からカノンに伝えてあるが、彼女の視点だと情報と現物がすぐに一致してない可能性もあるからな。

 カノンはこの湿地帯に来るのが初めてということを俺たちもしっかり認識しておかないと。

 

「ちょうどほら、あれも敵だ」

「こっから見るぶんには普通のキノコだぜ」


 俺が指さしたのはお馴染みの巨大な一つ目キノコ。

 ただし休眠中の姿なのであの特徴的な大目玉もわさわさした足も露出していない。

 カノンの言う通りこちらからちょっかいを掛けない限りは普通のキノコだ。

 

「良い機会だし、アイツに攻撃を仕掛けてみるか」

「お? さては私のお手並みを拝見するためだな?」

「それもあるし、俺も試したい戦い方がある」


 湿地エリア前半は濁り水しか出没しない。濁り水は敵としてはかなり特殊な方だし、明確な弱点を握っていれば瞬殺できてしまう。

 試金石にはあまり相応しくないエネミーだったからな。その点あの目玉キノコは先手を取るまで無害だし倒す方法確率してある。

 本格的に沼の深部に進む前にカノンの戦闘能力を確認したかったし、あの目玉キノコとの戦闘は丁度良い機会だろう。


「戦闘するのは構わないが、私は最初の攻撃はしないぞ」 


 最初に攻撃した者が最もキノコからのヘイトを買う。

 それをよく知っているリリアは火付け役を拒んだ。彼女は目玉キノコの足元のキモい挙動が心底苦手なのだ。前回もずっと嫌そうにしていたし。

 

「なら私がいくぜ。こう見えて結構いい肩してるんだ」

 

 だが、キノコの真の姿を知らないカノンは無邪気に立候補し、のんきにぐるぐると肩を回し始めた。

 俺は誰かに遠距離攻撃手段をしてもらわないと困るので、止めるに止められない。

 俺はキノコに睨みつけられる未来のカノンに合掌した。

 そんなことは露知らず、カノンがバスケットから取り出したのは柿の形をした果実。

 それは柿にありふれた朱色ではなく、非常に攻撃的な赤色をしている。普通の柿ではないことは一目瞭然だった。

 カノンはそれを大ぶりに振りかぶり、肩の小型煙突から蒸気を噴出させつつキノコ目掛けて投げつけた。

 肩がいいというのはただの口上ではないらしく、投げられた柿はブレることなくまっしぐらにキノコへストレートに進んでいった。

 そして柿はキノコの傘に着弾、ちゅどーん、と景気のいい爆発音を打ち鳴らして炸裂した。


「よっしゃ、命中!──ってキモ!」

 

 安眠を阻害されたキノコが覚醒し立ち上がる。

 カノンには事前にあのキノコに足があって移動できることは知らせてあるが、もじゃもじゃしてて気色悪いことまでは言ってない。

 初めてみるショッキングなキノコの挙動に面喰っている様子だった。

 

 そんなカノンを横眼に、俺は装備を入れ替える。

 対濁り水に装備していた腐れ纏いから、新装備の失敗作【特大】へ。

 所持品から装備することで、初めてその重量が俺の身に降りかかる。

 重い刀身を支えることができずに、切っ先を地面に着けて引きずるような構えになった。

 この調子では移動すら満足に行えないだろう。だが、この剣であればキノコの硬い身肉であっても刃が通るはず。

 

「さて、うまく使えるといいが」

 

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