第40話 蜂の意図
現れた巨大な蜂と向き合い、戦闘の構えを取る。
ギラつく黄色と黒のコントラストが映える警戒色は、現実世界のスズメバチによく似ている。異なるのはその複眼が血のような真紅であることだろうか。
あとはサイズ。人間の子供くらいはある。
見た目はとにかくデカい蜂。たったそれだけなんだが、だからこその生理的嫌悪感を呼び起こす。
身体を構成する甲殻がもっとこう、ギザギザとした輪郭で各所がゴツゴツしていればファンタジー感があっていいものを、シンプルにデカいだけなのが生々しさを感じて怖い。
だが体表に硬質な気配はない。俺の剣でも刃が通るか不安に思う必要はなさそうだな。。
しかもこの蜂、一見すると武器が尾の針しかなさそうだ。鎧に身を包む俺なら相性は良いんじゃないか?
いや、リリアを連れている以上もっと慎重になるべきだな。毒なら俺には効かないが、酸のようにふれたものを溶かす性質があるかもしれない。
俺が考えを巡らせる中、蜂は空中で浮遊したまま動きを止めてこちらの様子を窺っている。
先手を譲って情報を収集しようかとも思ったが、向こうが見に徹するならばこちらから打って出てしまおうか。
そう思った瞬間だった。
「ヴヴヴヴヴ」
蜂がより強く翅を震わせて音を立て始めた。
ただならぬ様子にすわ攻撃かと体は身構えたが、しばし待ってみても何も起こらない。
ヴヴヴ……と羽ばたく音が湿地に広がるのみ。
「おい、様子がおかしくないか」
「……敵ではないのか?」
「なにかを訴えかけているようだが……」
いっそ無機質にすら思える蜂の真っ赤な複眼からは、なんの感情も意図も読み取れない。
普段エトナと意思疎通している俺でも限度というものがある。流石にこれは不可能。
あきらかに尋常な蜂ではないのだが……。
「おい。村に戻るぞ」
「なんだって?」
「虫の言葉を聞ける奇人が村にいる。力を借りてみよう」
「……わかった。引き返そう」
ようやく湿地攻略かと思いきや、またしても足踏みか。
だが、リリアの言葉には賛成した。攻撃してこない敵と遭遇するのは始めてだし、リリアと湿地にきたとき限定のイベントのように思える。
この状況、俺一人であれば間違いなく問答無用で撃破していた。リリアが一緒でなければ絶対に取らなかった選択肢だ。
これが正しいかはわからないが……まあ、物は試しだな。。
今なおヴヴヴと羽音を立て続ける巨大な蜂に背を向ける。一応警戒してみたが、不意打ちしてくる気配ない。
蜂を挙動を不気味に思いつつも、俺たちは来た道を引き返した。
◆
「ここだ」
再び舞い戻ってきたエルフの森。森の中はリリアが無双できるから往復になんの苦もない。俺の立ち位置だとただ通過しているだけだ。
戻ってきてから案内されたのは、村のはずれ。ほとんど村からはぐれているような片隅だ。
そこに構えられていたのは鋼鉄を打ち重ねた、金属製の研究所だった。
ありのままで残る自然を傲慢に食い散らかすような冷たい鋼の基地。
神秘的な緑の調和を崩すことになんの忌憚も遠慮もなく、我が物顔で森の一角を占拠している。
「村の外れにこんな施設があったのか」
「我々は樹木を尊び、金属を厭う。外の者にこんな忌まわしいもの紹介できるか」
こんな特殊な建物があるなら教えてくれればよかったのにと思ったのだが、リリアの表情は苦々しい。
エルフとしては村のすぐ近くにこんな鉄まみれの建物があるのは許容しがたいらしい。
確かにドルイドが自然信仰の魔法だとすれば科学技術を象徴する鉄などは仇のようなものなのか。
あの蜂との遭遇がなければ、この施設の存在はずっと知らないままだったかもしれん。
「入るぞ」
リリアがノックも無しに鉄の扉を開けて押し入る。何度か躊躇してようやっとノブを掴んだ手は、接触面を少しでも減らそうと指だけでつまんであった。
リリアに続いて施設の内部に踏み込むと、中はまさに鉄錆びくさい工場のような場所だった。
用途の不明な工作機やジャンクパーツが無造作に転がり、染み込んだ油の香りが匂い立つボロ布がそこかしこに散らかっている。
メーターの取り付けられた計器類や、太いケーブルが幾重にも絡まった機材に始まり、赤錆に覆われた歯車やシャフトなどなど、エルフの森からもっともかけ離れた要素がこの施設の中にはこれでもかというくらい押し込まれていた。
「あら、客人? だれかしら。というかエルフがここ近づくはずもないのだけれど………」
来訪者に気づいたか、この建物の主が訝しげな声を上げてのろのろと顔を出しに来た。
油と煤と鉄の匂いを漂せながら現れたのは、だぼつく作業着のズボンを履いた女。
上半身には黒いタンクトップを着用しており、胸元は女性らしさを象徴するように豊かに持ち上げられていた。
ウェーブのかかった金髪を肩まで伸ばしているが、酷く汚れてくすんでいる。
褪せてなお流麗な金髪や露わになったすらりと長い腕の白さ、その美貌からして彼女もエルフだと思われる。
怪訝な顔で出てきたそいつは、リリアと俺を視認すると都合が悪そうに片手で頭を押さえた。
「あら、リリア。とうとう追放命令? その隣の物騒な恰好の人で武力行使ということかしら」
「ダメだ。やはり臭すぎる」
が、リリアはそいつに返事すらせずガスマスクを取り出して装着した。
……よっぽどこの鉄の匂いがダメらしい。
「紹介しよう。こいつが忌まわしき機械屋、シャルロッテだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます