第32話 新たな地

 さて、あの後俺はエトナに予定通り質問したかったことを聞いてみた。

 まず、『他の人にお前がここにいることを話していいか』という質問。

 こちらは非常に端的に「やだ」とだけ返ってきた。

 やはり不特定多数に自分の存在が知られるのはエトナにとって喜ばしくないらしい。

 無断でドーリスに話さなくて良かった。既にエトナを一度裏切った手前、彼女の機嫌を損ねるようなことを重ねたくない。

 

 もう一つの質問、『姉妹がいるのか』についても答えたくないの一点張り。

 エトナから無理に聞き出したくはなかったので、俺はそれ以上追及することなく引き下がった。

 ただ、『いない』と答えなかったということはやはり血縁の者がいて、そいつとなにか確執があるんだろう。

 これ以上は、エトナが自分から語ってくれるのを待つことにする。

 

 ドーリスには悪いが、今回はエトナの情報を諦めてもらおう。俺もドーリスから至瞳器にまつわる話を聞くのを諦める。

 至瞳器とかいうようわからん強い装備に固執しなくたって、俺にはエトナが付いているわけだしな。


 と、このような顛末でドーリスとの取引は破断となった。

 これについてドーリスは『時期を待つ』とおおらかな対応。彼も至瞳器に対しそこまで躍起にはなっていないようだ。

 至瞳器の情報は最上位勢の極悪なピラフでさえほとんど手がかりがない様子だったし、ドーリスとしても容易に手に入らない類の情報だと弁えているのだろう。

 あるいは、既に情報のリードがあるのか。

 まあ、どちらでもよい。

 

 それよりも大切なのは、今俺が降り立った地。

 フィールド名、ド=ロ湿地。

 見渡す限り紫陽花色の背の低い草が生い茂った水気の強い大地だ。

 

 大鐘楼の街を見終わり、俺はついにこの新エリアの攻略に踏み込むことにした。

 大鐘楼から東に位置するこのエリアは道の全てが閉ざされており、前人未到だとドーリスに聞き及んでいる。

 その証拠にこのフィールドでは他のプレイヤーの姿が見当たらない。何かあっても助けを呼んだりはできなさそうだ。 

 

 一歩踏み出すごとに、水分を潤沢に含んだ土壌に足が沈み込む。

 少し、いやかなりぬかるんでいる。ここでは蹴りは封印だな。

 発生前の踏み込みでずっこけるか、着地後の姿勢制御がうまくいかないかのどちらかだ。

 【絶】がサポートしてくれるのは蹴り始めるまでで、着地まではサポートしてくれないからな。

 というか、そもそも普通に剣を振るうにしても足を取られかねない。気を付けなないとな。

 

 更にこのエリア、視界が悪い。

 黄土色のいかにも健康に悪そうな霧が濃厚に立ち込めており、遠くを見通すことができない。

 毒ガスか何かの可能性が高い。俺の鎧を蝕むような性質ではなさそうなので、ひとまずは安心か。

 しかしこうも無機物としての性質が優遇されると、後が怖くなってくる。

 今ここで楽をした分、あとで帳尻を合わせるように無機物を苛め抜くような環境のエリアがありそうで今から怖い。

 

 まあまだ見ぬエリアのことは今はいい。それよりこの湿地、俺が既に見知ったモンスターが出没する。

 その名も【濁り水】。俺の手を散々焼かせた物理無効の厄介エネミー。

 シーラがボス戦前に地下水道が清潔な割に不潔な連中が跋扈していて妙だと言っていた。

 どこからそんな不浄の存在がやってきているのかと思ったが、他でもないこのド=ロ湿地から地下水道に侵入していたようだ。

 この分では、地下水道にいた面子もこの湿地にいるのではないだろうか。

 まあ、他の面々は弱いのでどうとでもなるだろうが。

 

 それより今は目の前の濁り水の対処だ。

 地下水道では土偶のシーラに焼き払ってもらっていたが、今の俺は一人。

 自力で対処しなくてはならない。今までは刃薬の効果に頼ることで撃破してきたが……

 

「せいっ!」 


 飛び掛かってきた濁り水を上段から叩き伏せる。もちろん斬撃は濁り水に通らない。

 斬りつけられた濁り水は飛散することで斬撃を受け流し、体を再構成する。

 だが、内部の濁りは悶えるように震えだし……濁り水は爆散した。

 

 これぞエトナの意欲作【腐れ纏い】の能力。

 変哲のない一般的な剣は今や水の膜を纏い、その表面を不潔な深緑の汚濁が循環していた。

 腐れ纏いはその名が示す通り、戦闘の際には刀身に汚らしい緑色の腐れを纏って力とすることができる。

 付随する効果は、まだよくわからない。毒や病の類だとは思うのだが……いかんせん試し切りの相手がまだ濁り水だけなのだ。

 ボス濁り水のドロップ品を原料にしているにも関わらず、何故か同じ濁り水に効果がある。

 いったいこの濁りはいかなる性質をしているのかは、敵として相対していたときからわかっていないのだ。

 でも俺は斬りつけた相手が倒せるならそれでいいや。刃薬も節約できるしな。

 

 武器の表面を緑色の物質が循環するという点では、ゲーム開始直後俺を叩き殺したレシーの剣と類似しているかもしれない。

 だが蛍の光のような神秘的な発光を伴うあの翡翠の曲剣と、俺の汚らしいドブ色のヘドロが纏わりつく腐れ纏いとでは比べるのもおこがましい。

 月とすっぽん、似て非なるものだ。

 だがたとえすっぽんであろうと俺にとって強力な武器であることに変わりはない。

 

 エトナがこの剣を作れたのも、やはり刃薬を精製した際の経験が活きたのだろうか?

 それに加え、事前に刃薬を作成するために大量に地下水道のモンスターたちからドロップする不潔な品々を扱っていたのも関係あるかもしれない。

 どのようないきさつでエトナがこの剣を生み出せたのかはさっぱり分からんが、とにかく強いので良し。

 攻撃力は失敗作の頃から据え置きだが、この付随効果は強力だ。

 エトナに斧とハルバードを握りつぶされるだけの価値はあったと思う。

 

 ところで俺は自分の勘違いに気づいたのだが、過去にエトナは『生きている武器を打ちたい』と零していた。

 俺はてっきり生きている武器とはつまり特殊能力のある武器やスキルを内包した武器のことだろうと短絡的に決めつけていたのだが、それは違った。

 なにせ、この腐れ纏いは明らかな特殊能力持ちの刀剣に類する。だがエトナの反応はいつもよりいい武器ができた程度のもの。

 どう見ても念願叶ったという様子ではない。エトナの言葉が指し示すのは、もっと別の何かだ。

 エトナはそれを生み出すことが鍛冶師の到達点だと言っていた。

 その話を踏まえて考えると、とどのつまりエトナの言う『生きている武器』とは、それこそが至瞳器なのではないか。

 そんな気がする。もしそうなら、いつか彼女が至瞳器を生み出す日が楽しみだ。

 そして叶うなら、その武器を俺に授けてくれるような関係を続けたいものだ。

 

 

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