第29話 忘我サロン

 魔法陣で封鎖されていた酒場の奥、案内されたのはカウンター席のみのごく狭いパブ。

 席は既にいくつか埋まっており、席に着いている布のフードを纏った人型たちはこちらを見向きもせずに俯いていた。

 ここからでは文字まで読めないが、全員"忘我"状態であることを示す日蝕のような輝きのネームが頭上にあった。

 

 ランディープはここを『忘我サロン』と呼んでいた。名前だけではどういう施設なのかさっぱりわからん。

 忘我というキーワードがあるからには、破棄されたプレイヤーキャラたちが動き出す『忘我システム』と関わりがあるんだろうが……。

 そもそも忘我自体謎だらけ。『最後のよすが』を取り戻すために動き出したのか、あるいはそれがあるから動いていられるのか。

 ドーリスの口ぶりじゃまだ発見例もごくわずかのようだし、未知ばっかりだ。

 

「ランディープが客を連れてきたのか」


 カウンターの向こうから男の声。奥で大きな影が動き、ゆっくりとこちらにやってくる。

 ランプに照らされたその姿は、巨大な奇面であった。

 装着者のいない極彩色に彩られた異邦の仮面。それが顎を動かして口を利いていた。

 

「ウフフ、『まだ覚えている』リビングアーマーですよ」

「らしいな。……座れ。ここの説明をしてやる」 

 

 薄暗い酒場で大人程もある全長の仮面が動く姿は、不気味で威容がある。

 忘我キャラ特有の白黒のネームは、この仮面の名を『カガリ』と示していた。

 俺は若干及び腰で、促されるままカウンター席に腰を下ろした。

 

「ここではサロナーを用心棒として雇える」

「用心棒。そういうのもあるのか」

「受け取れ。会員証だ」


 念力のような力で投げ渡されたのは、なんら変哲のないペンダント。

 大地から突き出す人間の手のひらを象った意匠をしている。ちょっと悪趣味かもな。

 これを所持していれば、来るときにあった魔法陣を通過できるのだろう。

 どうやらこのパブの中に入った時点で入会したものと見なされるようだ。

 

 この仮面は見た目こそおっかないが、普通に店主として接してくれるようだ。

 人は見た目で判断してはいけないとはよく言ったものだが、慣れる気がしない。 

 しかし一体どこに連れ込まれたのかと思いきや、用心棒とはこれまたありがたそうな施設。


「価格はお前が自分で交渉しろ。仲介手数料はいただくがな」


 仮面の言葉にうなずきながら、この施設のメリットを考える。

 酒場でパーティーメンバーを募集するよりも金がかさむ分、強力な助っ人を呼べるのやも。

 本来なら誰も同行してくれないような不人気エリアなんかも、金さえ積めば協力してくれるわけだしな。

 ただ契約にかかる料金が交渉というのが少し怖い。相場がさっぱりわからん。  


「次に、他の死徒との同行は認めない」

「契約できるのは一人でいるときだけか」

「そういうことだ。契約中はうちのサロナーとサシで過ごしてもらう」

 

 死徒とは、すなわちプレイヤーを指す言葉。パーティーを組みながら用心棒も頼むってのはダメらしい。

 どっちか片方だけみたいだ。ソロの救済みたいな側面もあるのかもな。


「最後に、契約はサロナーが力尽きた時点で終了する」

「回復は?」

「自分では行わない。体力は契約者のお前が管理しろ」

「なるほどな……」


 よくできている。大枚はたいて自分の力量を大幅に超えるやつを用心棒にできたとしても、ずっと一緒にいてもらうための維持費は相当かさみそうだ。

 逆にいえば、そこさえケアできるのであれば同じサロナーとずっと契約し続けることもできるのか。

 この用心棒のシステムは、仲間とパーティーを組むのとはいろいろと勝手が違いそうだ。

 俺のような無機物のプレイヤーが本来不要なポーションを買い求める理由にもなる。

 サロナーとやらの力量が不明だが、一度頼ってみるのも面白そうだ。

 

「となると、ランディープもここで?」

「呼んでくださればいつでも馳せ参じますわ♡」


 もしやと思い背後に控えていたランディープに問うてみると、即座に胸やけしそうな甘ったるい首肯が返ってきた。

 ならばずっとランディープと契約していれば今後彼女が"ありがとう"しに来ることがなくなるのでは?

 いやでも、契約代金に"ありがとう"の享受を提示されるおそれもある。

 迂闊な真似はできないな……。

 

「分かった。まだ利用はしない」


 とりあえず、次の目的地はあのなんとかっていうジメジメした湿地だ。

 あまり景観のよい場所ではなかったが、初のフィールド散策。

 せっかくだから気ままに探索してみたい。

 用心棒を連れていたらステージについての補足とかを教えてくれるかもしれないが、まだそんなことをしなくても良いだろう。

 そういった判断で今回はサロンの利用を見送ることにした。

 

「そうか。また来い」

「わたしはここでお別れですね」

「む、そうか」


 懇切丁寧に街を案内してくれたランディープであったが、ここで彼女とは別れることになった。

 街ではまったくと言っていいほど見かけない忘我キャラだが、このサロンでたむろしながら過ごしているのかも

 。

 しかし……参ったな。

 この数刻でランディープに対する印象が大きく覆ってしまった。

 最初に地下水道で襲われた時はショッキングな登場シーンと不可解な言動が相まって嫌悪感が凄かったのに、今となってはただの親身になってくれる心優しいシスター。

 謎の好感度の高さから来るベタベタした言動がちょっと不穏だが、右も左もわからない俺にはとてもありがたい存在だった。

 なのだが、俺には彼女に素直に礼を言えずにいる。

 だって彼女に向けて"ありがとう"を告げたら、何かヤバいスイッチが入りそうで怖いんだもの。

 ……とりあえず、言葉を濁しながら感謝を伝えるか。


「あーー……。ランディープ。その、世話になった」

「ウフッ♡ 素直に『ありがとう』と言ってくださればいいのに、愛らしいお方……♡」

「じゃあな!」


 ランディープの深海のような瞳が獲物を視認した捕食者のような目つきになったのを見て、俺はそさくさとサロンを後にした。

 今も背中を穴が開くほど見つめられているのがわかる。

 

 ねえ、やっぱりあのシスター怖いよ。

  

 

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