第24話 はじめての大鐘楼
地下水道から地上へと出ると、そこは人気のない入り組んだ裏路地だった。
おそらくは大鐘楼の街の外れ。
周囲は背の高い建物の壁で囲まれており、塔のように高い鐘楼さえ見越せない。
地下水道の入り口は、相当に辺鄙なところにあったようだ。
まだ他のプレイヤーの姿も見当たらない。
こんな所に用はないので、俺はこの迷路のような路地を抜けて大通りを探すことにした。
のだが。
迷った。細い路地ばかりで肝心の地図が役に立たん。ダンジョンの時と勝手が違う。
どこに何の店が~とかの確認にはいいんだろうが、今はさっぱり使い物にならない。
適当に進んでいればそれらしい場所に出るだろうと踏んで気楽にほっつき歩いてみたのだが、事態はちっとも好転しなかった。
思わぬ伏兵だ。まさかこんなところで苦戦するなんて。
探検と迷子は紙一重。はてさて、どうしたものかな。
意気揚々と大鐘楼の街にやってきたのに、俺はすっかり途方に暮れていた。
その後も迷いに迷うことしばらく。俺は目的もなく街の外側をさまよう鎧と化していた。
ほとほと困り果ててしまった俺だが、やがて救いの手を差し伸べる人物が現れた。
「おや。そこにいるのはアリマさんではないですか……?」
そいつは俺の背後から、再会への期待が込められた声色で、あたかも親しげに俺に声を掛けた。
聞き覚えのある蜂蜜のような甘さを孕んだ女声。
俺は息を詰まらせた。
──人違いでありますように。
俺はそう願いながらゆっくりと後ろを振り向いた。
そこには可愛らしく後ろ手に大型の機械槌を持つ黒い修道女の姿が。
「やっぱり! ウフフッ、ご機嫌うるわしゅう♡」
「うわこっち来たぁ!」
悲報、ランディープ現る。
ランディープが喜色満面の笑みで遠間からスタタタッと猛スピードで歩み寄ってくる。
徒歩ってそんなスピード出るんだ。怖いからやめてほしいな。
せめて視界に収めなければエンカウントしなかった事にならないかなという淡く愚かな期待を抱き、顔を逸らしてみた。
「ウフフッ……アリマさん♡ どうして♡ わたしと目を♡ 合わせてくださらないのかしら♡♡」
が、無駄。
ランディープは機敏なステップですぐさま回り込んでは俺の顔を覗き込み、常に俺の視界を7割強を占拠してくる。
NPCと判明した今もなお恐ろしい女だ……。
街では武器を振るえない。あるいは、振り回してもダメージ判定が出ない。
予めドーリスにそう聞き及んでいるので、この場で戦闘は発生しない。
よってランディープと殺すか殺されるかの状況にはならないわけだが、ドキドキが止まらないのはなぜだろう。
「"ありがとう"はまたの機会にするとして……ウフフ、こんな辺境に何のご用なのでしょう」
「あーいや、その、なんだ。少し……道に迷ってだな」
ここまで粘着されてスルーを続けるのも無茶があるので、しぶしぶ会話を交わす。
命を狙った相手との再会に気負いがないのは、ランディープの中で"ありがとう"が他人の害する行為にカテゴライズされてないからなんだろう。
並のプレイヤーキラーだと非戦闘地帯で仕留めそこなった獲物と再会したらばつが悪いだろうに、その点で彼女は無敵だ。
「あら、そうでしたか……」
道に迷ったことを明かすのは、言わば弱みを見せるようなもの。
けれどもランディープの反応は至極ありふれた、こちらを慮るような態度。
彼女はやや頭がおかしいが、その狂気には一貫性がある。
ランディープは俺が迷ったと知っても嫌らしく貶したり煽ったりしてこないだろう。
そういう意味ではある種の人格者であり、信頼できる人物でもあった。
プレイヤーキラーにしては、という枕詞が付くが。
「というと、大鐘楼の街は初めて。わたしが案内をいたしましょう♡」
「……。……頼む」
ランディープの申し出を迷い迷った挙句、苦虫を嚙み潰したような渋い声色で受け取った。
情けない。
なぜ俺は自分を殺しにかかってきたNPCに道案内を頼んでいるんだ。
でも一人でこの迷路のような路地から抜けられるような気もしないし……。
繰り返すがここは非戦闘地帯。ランディープのありがとうのはけ口にされることもないのだ。
ええい、プライドなんぞ捨て置け。俺ははやく大鐘楼の街に行きたいんだ。
少し様子がおかしいだけの好意的なシスターだと思えば、彼女を頼るのもやぶさかでもない。
「ええ、ええ! 任せてください♡」
俺がランディープの案内に従う旨を示すと、彼女はにっこりと微笑んだ。
彼女の甘い声からは、俺へのわかりやすい好意がじゃぶじゃぶと滲み出ている。
このわかりやすすぎる好意が俺にはちっともわからん。なぜなら身に覚えがないからだ。
彼女の方からダンジョン攻略中の俺の所に強引に割り込んできて、初対面のはずがいつもなにか異様に好かれている。
こんなに得体が知れなくて恐ろしい好意があるだろうか。
しかもなぜが同じ場にいた土偶のシーラには一切興味を示さず、眼中に無い。
理解が及ばないから狂気と呼ぶんだろうが、ランディープの思考は不可解すぎて恐ろしい。
【忘我】と【最後のよすが】によって性格に何らかのバイアスが掛かっているんだろうが、プロセスがどうだろうとわからんものはわからんし、怖いものは怖い。
俺もまさか好意を向けられて怖気が走るような経験をするなんて思わなかったよ。
件のランディープは溶かした腕をナメクジのように俺に絡み付かせており、こんなすぐ裏路地抜けてしまいましょうと俺の手を引いて先導してくれている。
さきほど片腕が生暖かくてべたべたしたびちょびちょのぬとぬとに包まれる感覚に怖気を感じて体を引こうとしたのだが、それを超える強い力でランディープは俺を引っ張っていった。
単純な力では彼女に勝てないらしい。なおさらおそろしいね。
その後もランディープは似たような景色ばかりの細い路地を、目印もないのに右へ左へ曲がって迷うことなく突き進んでいく。
彼女は俺一人ではどうやっても抜け出せなった迷宮の如き路地を難なく踏破していく。
やがて、俺の視界は一気に開けた。
そこは大鐘楼の大通り。
真っ青な空の下で、雑踏と喧騒の絶えない、人の集まる場所。
【Dead Man's Online】において、あらゆる物と人が集う場所。
天を貫く白亜の鐘の塔を中心に、栄華極まる街が展開する初期拠点。
中世を思わせる石畳の通りを挟むように連なる、商店街を思わせるさまざまな建物群。
そして、いるわいるわプレイヤーの数々。
歩いているのはぷるぷるのスライムにデーモン、蜘蛛の下半身をもつ女性などなど、まさに人外の見本市。
ここを歩くプレイヤーを眺めているだけでもきっと、楽しく時間を潰せる。
俺は上京したての田舎者の如く興味深げにキョロキョロと人や建物を見回していたのだが、ランディープはお構いなし。
彼女は粘菌状生物の寄生のように強固に繋がった俺の手をぐいぐいと引き、やがてとある建物の中へと連れ込んだ。
そこは、金属の匂いが漂う店だった。
大通りの雰囲気を惜しむ暇も無く、俺の興味が店内の品に移る。
革装備や金属鎧を着せられたトルソー。
上蓋の開いたタルに乱雑に放り込まれている、数打ちの片手剣。
壁には斧やメイス、レイピアにサーベルなどなど数多の武器が掛けられている。
ショーケースの中に丁寧に飾られた刀剣類は、他の武器よりも露骨に質が良い。
刀身の輝きや、鞘の装飾、嵌め込まれた宝石。
特別な武器であることが、ただ見るだけでありありと伝わってくる。
「きっと最初はここが良いと思いまして。こういうの、お好きでしょう?」
「うん」
しまった。
男の子特有の少年心剝き出しで『うん』って言ってしまった。
ランディープのニコニコとした笑顔がまぶしい。
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