第17話 ありがとうの会合

 

 四方八方から腐った泥水の流れ着く、どことも知れぬ汚らわしい吹き溜まり。

 そこでは、イカの頭部を持った神父が教えを説いていた。

 

「良いですか? 浸食に成功しターゲットを発見したら、早速ありがとうを言いましょう。顔を見たら、まずはありがとう。これは基本ですが、大切なことですからね」

 

 神父が語る。

 それは、ありがとうの極意である。

 殺しに感謝は不可欠であるからして。


「一にありがとう、二にありがとうです。大切なのは口に出すことですよ。何に対してのありがとうかは、あとで考えればよろしい。たとえどんなに強情な方が相手でも、相手が受け容れてくれるまでありがとうを続けていれば、いつか必ずわかってくれます」


 神父が語る。

 それは、プレイヤーキラーの心意気である。

 まともなままでは、人を殺すのも躊躇われる。

 たとえフリでも、まずは狂うことから始めるのだ。


「行き場のないありがとうを告げることに、初めは罪悪感を感じることもあるでしょう。でも大丈夫です。それは誰もが通る道。始まりは言い掛かりでも、ずっとありがとうを言い続けていればやがて本当のありがとうを見出すことができますからね」


 神父が語る。

 それは、本当の狂気への萌芽である。

 良否はさておき、ときに偽物が本物の境地に至ることがある。

 

 このゲームにおけるPK行為【浸食】は時にボランティア活動などと揶揄される。

 理由は単純で、実行者のメリットが乏しいからだ。

 【浸食】は呼ばれてもいないのにダンジョン攻略中のプレイヤーの元に割り込み殺しにかかるアクション。

 言ってしまえばダンジョン攻略中のプレイヤーにサプライズを仕掛けて楽しんでもらう慈善活動。

 ゲームに用意されたシステムでプレイヤーを盛り上げようとしているのだ。

 

 だが、【浸食】はいかんせん押し付けがましい。 

 ダンジョンの攻略に緊張感が生まれると歓迎的な態度を取る者もいれば、迷惑行為の烙印を押して徹底的に嫌悪する者もいる。

 結局やっていることはプレイヤーによるプレイヤーの殺害。

 なので、思惑はどうあれ実行者の風評が地に落ちる。

 当然、被害者から心無い罵詈雑言を浴びせられる。

 邪魔しやがって、お前のせいで、殺してやる。

 ゲームの恨みは恐ろしい。直の怨嗟を、本当の人間から感情をぶつけられる。

 それが本懐、その為のプレイヤーキラー。

 

 ……そう言い張れる者は、多くない。

 本当のPK狂いでもなけば、到底やってられないだろう。

 ──だから彼らは、狂気を装うことにした。


 というのがおでかけ用の言い訳。 

 それは【ありがとうの会】のほんの一面であって、実情はしばし異なる。

 本質はそんな小難しい話ではない。会の起こりは至ってシンプル。

 

 『ありがとうって言いながら殺しに来たらおもしろくね(笑)』

 

 これに尽きる。

 そんなIQ3程度の悪ノリと悪ふざけで始まったのが【ありがとうの会】だった。

 だが神父は、だからこそだんだん会が手に負えない感じになりつつある現状に焦りを感じていた。

 

「……おや。誰か帰ってきましたね」 


 イカ頭の神父が傍らの床にある床の黒い穴に目をやり、一時説法を取りやめる。

 視線の先にあるのは、ドブのような黒い何かが断続的に噴き出すマンホール。

 動きが活発になったマンホールから、泥の塊に身を浸しながら這い上がってきたのは一人の修道女。

 つい先ほどトマトに敗れた人物、シスター・ランディープであった。

 

 彼女はまさに神父の悩みの種そのものだった。

 黒いプレイヤーネームを持つ彼女は"狂ったフリ"のこのギルドに後に参加し、本当の狂気に至った一人である。

 

 ほとほと困り果てたのは神父のほう。

 明らかに彼女のほうに素質があったとはいえ、彼女はこの【ありがとうの会】と悪魔的融合を果たしとてつもないモンスターと化してしまった。

 それには神父もまた強く責任を感じる所である。とはいえ、これは自分で初めたロールプレイ。

 神父も今さらやっぱ無しとはいかないのだ。


「おお、シスター・ランディープ! あなたは今日が初めての"ありがとう"でしたね。どうでしたか?」

「ウフフ。とっても素敵な出会いでしたわ、神父さま」


 絶対にありがとうをお渡ししたい方に出会えました。

 ランディープは言いながら、直前の敗北を物ともせず立ち上がる。

 彼女が頭から被った黒い泥は油が水を弾くようにずるずる下へ下へ流れ落ちていく。

 前向きな言葉を告げるランディープだが、その笑顔は晴れやかとは言い難い。

 思い残したことがあるからだ。


「でも……。とっても素敵な方だったのに、"ありがとう"のお渡しは失敗してしまいました」

「そう気に病まないで。それは無理もないことです。あなたはまだ、"ありがとう"を始めて間もないのだから」

「ウフフ。でも、神父さま。わたし、本当にお礼を言いたい方に出会ったことで、やっと"ありがとう"の意味がわかったの」

「お、おお。シスター・ランディープ。それは素晴らしいことですね」


 うっかりどもる神父。神父は内心で思う。ありがとうの意味ってなんだよ、と。

 意味なんてないよ。だって意味不明で相手がビビるかなって思って適当に言ってるだけなんだもの。

 そういうつもりでずっとやってきたんだから。


「はい。わたしあの人の為に、これからもっともっと上手に"ありがとう"を渡せるよう努力しますわ」


 祈るように両手を組み、ランディープは決意を新たにする。

 その表情は恋する乙女のように赤い。

 

「待っててくださいね、アリマさん。わたしいつの日か必ず、アリマさんがどんなに嫌がってもどんなに抵抗しても、ぜーんぶ力づくで捻じ伏せて"ありがとう漬け"にしてさしあげますから……!」


 明るい未来を思い描き、呼吸を荒げながら希望に胸を膨らませるシスター・ランディープ。

 その熱量を間近で受けた神父は、静かにドン引きしていた。 

 

「ウフフフッ……!」

 

 どうしよう。神父は頭を抱えたくなった。

 【ありがとうの会】の活動は今日も続く。



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