第3話 帽子がトラウマになりそう
……始まったか? ゲーム。
視界が真っ暗なままだ。参ったな、初期不良掴まされたかもしれん。
そう思い、ゲーム終了のため身体の感覚を探ろうと身じろぎした途端、正面の暗闇がゆっくりと奥へ倒れていく。
徐々に光が差し込んでくる。最後には、ドスン! という豪快な音と共に完全に視界が開けた。
……どうやら俺は、立てた石棺の中にいたようだ。これがこの世界に新たなキャラが生まれ落ちるときの演出らしい。
視界が真っ白に染まる。突然の光に目が慣れていないからだ。
明順応とか言うんだっけ? まあ、よくある演出だ。
明滅する視界に慌てることなく、ゆっくりと石棺から身を乗り出す。
ようやっと目が光に慣れたとき──外は空の見えない広場だった。
床は暗緑色の石で、水に濡れて苔むしていた。どうやら俺は、石材で造られた建築物の中にいるようだ。
「ここが、初期スポーンのエリア……」
きょろきょろと辺りを見回しながら、なんとなく円形広場の中央まで歩いてみる。
特に目を引くのは壁面。俺が入っていたのと同じ石棺が、上から下まで所狭しと羅列されている。
どれもこれもサイズがちぐはぐだ。小さすぎる石棺もあれば、馬鹿げたスケールの石棺もある。
きっとクリエイトしたキャラとフィットするサイズの石棺からゲームが始まるのだろう。
どこからともなくぴちょん、ぴちょんと断続的に水の滴る音がしていた。
そこら中が水気を帯びているんだ。というかそもそも、こんな水浸しの遺跡なんてありえない。
一度水没させて、そのあと水が一斉に引いたりでもしないとこんな空間は生まれない。
これはダークファンタジーを謳ったこのゲームの中でしかありえない幻想的な風景の一つ。
異質な空気感。閉塞的な雰囲気。僅かに香る湿った石の匂いが足元から立ち昇り、鼻腔をくすぐる。
これが、ゲームの世界。
そうだ。これが。
これがVRRPGの醍醐味なんだ。
ありえない世界。ありえない建築物。ありえないシチュエーション。それを現実と見境がつかないレベルで体感できる。
技術の進歩は目覚ましい。科学には世界遺産にだってありえないような空想の世界を現実に変える力がある。
そして、この『Dead Man's Online』は──きっとその世界を冒険できる。
──かつん。石畳を叩く音がした。
初めて響いた、水以外の音。
感傷に浸っていた意識を咄嗟に呼び戻し、慌てて音のした方を見る。
そこには人影があった。
(突然現れたぞ。なんだこいつ……?)
そいつは丈の長いコートに身を包んでいた。
一番の特徴は頭に被った帽子。つばが肩幅よりも広い巨大なトップハットを被っていた。
顔は首から口元まで布のマスクで覆い隠されており、表情を窺い知ることもできない。
ゲーム開始直後だし、チュートリアルを教えてくれるNPCとかだろうか。
楽観的な考えのまま、気さくに声の一つでも掛けようと一歩歩み寄った瞬間。
「──そうか。お前が」
聴こえたのは怜悧な女の声。
しわくちゃにヨレた帽子と革のマスクのスキマから僅かに覗く、黄金の眼光。
「見せてもらおう、お前の持つ力」
月のような瞳は、剣呑な光を帯びていた。
(──敵か!)
帽子野郎が羽織っていた分厚いケープをはためかせ、右手を真横に突き出す。
姿を現したのはカーブを描く大刃の曲刀。花緑青の刀身が流麗に煌めいている。
(明らかに試し斬りの雑魚って風情じゃねえ! クソ強そうだぞ、死にイベか!?)
少なくとも量産型のモブ敵ではない。
慌てて身構えたとき、初めて自分が右手に盾、左手に剣を装備していることに気づいた。
盾は錆びついた薄い鉄板、剣だって刃こぼれしたナマクラだ。
詳しい性能はわからんが、どうみても残念だ。期待はできないだろう。
どこまで頼りにしていい? くそ、先にもっと細かい装備チェックしときゃ良かった!
「御託を並べるつもりは無い。好きなだけ抗え」
後悔先に立たず、トップハットの女が地を這うほどの低い姿勢で駆け出す。
馬鹿でかい帽子のせいで手足の挙動が見えない。
敵に先手を譲る形になるが、裂くことに特化した曲刀ならこの薄い盾でも防ぎきれるはず。
そう考え、腰を低く構えて利き手の盾を備えた。
目前に迫る帽子女。かなりの速さだ、どのみち先手は取れなかっただろう、盾があって助かった。
利き手に剣を持ち替えるか迷ったが、これは右手に盾で正解だったな。
だが、潜り込むように間合いを詰めた帽子女が突如として身を翻す。軸足を入れ替えるのが見えた。
(ッこいつ!)
狙いに気づくも反応が間に合わない。
盾目掛けて足が槍のように突き出される。
助走をつけて放たれた蹴撃だ。予期していたより遥かに強烈な衝撃を俺は堪えきれず、持っていた盾は後方へふっ飛ばされた。
ヤバイ。
曲刀が振り下ろされる前に咄嗟に懐に潜り込み、タックルで押し返す。
こちとらヘヴィな全身金属製だオラぁ!
全身の体重を乗せた突進で強引に突き飛ばし、すぐさま剣を斬り払い、切り下ろし、突き出す。
だが、俺の拙い連撃を帽子野郎は余裕綽々にゆらゆら体を倒して躱していく。
くそ、カスりもしねえ。体の使い方が上手い。煙でも斬ってるみてえだ。
最後の突きを帽子女が倒れ込んで避けた拍子にぎゅるりと体を捻りこむのが見えた。
何も考えず咄嗟に飛びのく。
刹那、天を引っ掻くような信じられない角度の蹴りが俺の兜の顎を掠めた。
直後にずい、と突き出される翡翠の曲刀。死に物狂いで横合いから殴って叩き返す。
お互いダメージはない。仕切り直しだ。
ただ、こっちは盾を失って一気に不利になった。
「……目が良い。それとも勘が良いのか?」
何か喋っているが、正直攻撃を凌ぐのに必死で聞いている余裕がない。
実力の格差が激しすぎる。ギリギリ勝負になっているように見えるが、多分向こうの手加減込みだ。
「どちらにせよ、想像以上」
ゲーム開始直後の初戦闘がまさかこんな一方的なものになるとは予想していなかった。
ちっとも褒められている気がしない。もっとまともな世辞はないのか?
(こんなん初心者狩りだぜ? やっぱ負けイベントだろ……)
盾を持っていた右手は未だにびりびりと痺れている。没入型VRゲームにおいて痛覚はカットされているが、衝撃と麻痺によって部分的に再現されている。
脳内麻薬が出て痛覚を感じない状態に近いだろう。
だが、この緊張感は本物だ。
「……嬉しいよ。私は」
金月の瞳が再び俺を射抜く。言ってる意味も何を考えてるかもさっぱりわからんが、少なくとも最初に感じた敵意に翳りはない。
一定時間生き残ったら敵対解除とかも期待したが、そんな甘い話はなさそうだ。
くそ、例え負けイベだろうと俺は全力で抗うぞ。
「久しくなかった感覚だ。上出来だよ、お前」
手にあるのはボロっちい剣一本。さて、どこまで通用するかね。
また帽子野郎が動き出す。右へ左へ、ジグザクと攪乱するようなストロークの大きい高速ステップ。
向こうの方が移動性能が高い。俺はまた迎え撃つ形になるだろう。
大きな右へのステップ。隠し持っていたナイフの投擲と同時に飛び込んできた。
ナイフは空いた鎧の右腕で弾く。硬い鎧の体が頼もしい。
飛び出したのは首を刈るようなハイキック。膝を落として躱す。続く曲刀の回転斬りの軌道を何とかボロの片手剣で逸らす。
火花を散らして曲刀を受けた俺の剣は、次の瞬間バターのようにスライスされた。
(剣が弱ぇ! 向こうが強すぎるだけか!?)
盾に続いて剣まで持っていかれた。いや、普通に剣でガードしたら貫通していたんだ、ポジティブに捉えよう。
(とにかく蹴りは勘弁!)
全身を独楽のように回転させながらの蹴りと斬撃がこいつの土俵らしい。
だからとにかく蹴りの勢いを活かせないようにと、自分から間合いを詰める。
折れた刀身は使いにくい。だから裏拳のように振り抜いて柄の尻を叩きつけに行く。
が、それより早く帽子野郎が足をコンパクトに畳んで軌道を変則させた。
回し蹴りは真上から叩き落すような縦蹴りに化ける。
(やられた!)
防げない。俺の首元に足が叩きつけられ、プレートアーマーが大きくひしゃげる。
まるで自分の体に稲妻が落ちたかのような衝撃。自動車事故みてーな音したぞオイ!
リビングアーマーは防具の耐久がそのままライフポイントだ。
満タンだったライフから8割ほどごっそりと削れる。
おかしいな、ゲーム開始時点で防御力が高いのも公式のおすすめポイントの一つだったのに。
トカマク社さん、話が違うっすよ???
いかん、ふざけてる場合じゃない。
怯んでたたらを踏んでいるうちに次の攻撃が来る。
「選ばれたのがお前で良かった」
だが俺の視界は既に巨大なトップハットで埋め尽くされていた。攻撃の予備動作が見えない。
繰り出されたのは、全身を空中に投げ出した浴びせ蹴り。
(オワタ)
俺に見えたのは0になったライフバーと、バラバラに飛び散っていく鎧の体。
ああ、リビングアーマーの死亡演出ってそんな感じなのね……。
……と、思いきや中々画面が暗転しない。どういうことだ?
俺の視点は地べたを這っている。
ああ、じゃああれだ。やっぱりこれ負けイベントで、イベントシーンが始まったんだな。
俺の予想通り、死角から足音が近づいてくる。状況的に帽子女のもので間違いない。
コツコツとブーツが石畳を叩く音が大きくなっていき、やがて俺の真後ろで止まった。
「私の名前はレシー。次に会えたら、君の名を聞かせてくれ」
あ。トドメ刺された。
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