門
早朝、麓を発つ。
照宮に到る道は、実際険しかった。
最小限度の荷物を背負って、山道を歩いていくが、なにぶん起伏の激しさでは、これまでに訪れた集落へのどの道程にも勝る。ひたすら昇り、かと思えば降り、うねりにうねる山道は、はや、果てのないように思えた。
時折立ち止まって、前方を仰ぎ見るが、何処に居たとしても、ただ坂が続くばかり……それでも道中、木々の隙間から見える下界が、徐々に遠ざかっていくのが、この道が有限であることの唯一の証拠であった。そしてそれは、日頃見ることのできない視覚的な流れであり、何にしろ心打たれるものであった。
そうしてウンウン唸りながら歩き続け、総じて、二時間ほど掛かっただろうか。
ようやっと、ひらけた所に出た。手元の資料の地図上では、ここが照宮の集落である。前方にはうずたかい石塀が、突如として出現し、なにか大切なものを匿うようにぐるりと築かれて、中の様子をここからは確認することは出来ない。あたりに人の気はなく閑かで、風が流れる音だけが、柔らかく耳を震わす。ガレ場に足を取られながら、右や左やと見回ってみる。……地図上では、ここが照宮の集落である……。
黒く荘厳な門と対面する。堅く閉じたその側に、小さく看板が立てられてある。
星戻しの儀 再現会々場
うむ、これを眺めているだけもわくわくしてくる。いよいよ、殆どの人が知らない一文化に触れる時が来るのだ。
もうひとつ、横に書かれている。
アハハ……そんな団体があるのか……。まだまだ世は広いのだな。過去に挨拶する者というのは、沢山いるのだろう。大小の出来事や謂れを様々に解釈して、歴史となすか、或いは私たちの故い心を探すのだ。
門に触れてみる。太い木で出来ていて重そうだ。ふむ……歴史の中で付いた傷のようなものが少なく、まるで、比較的最近に作られたかのようだ。聞くところによれば、照宮は殆ど周辺地域との交流がなかったというから、もしかしたら、この門も開く機会というのは少ないのかもしれない。住民用の、最小限の門扉がどこかにあるとか「あの、参加者の方ですか」
ぎょっとして声の方を見ると、小柄な少女がこちらを見上げている。
瞳は黄色で、髪は白く——一瞬——まるで、この世のものではないような感じを受ける。
「…………ああ。ええと……『星戻し』の、ですか。……ええ、そう、だと思います」
「よかった! わたしは、案内役の、ユズキといいます。ここ、照宮の、住民なんです」
ふわふわとした話し方の少女。いつの間に現れたのだろうか? この門は開いていないし、足音もしなかった。少女は、しばらくこちらをじっと見つめていたが、はっと何かに気づいたように慌てて、
「あっ……すみません、いま、開けますね!」
少女がててと小走りに門に寄り、手をのばす。すると、こんなにも重く厚い門が、いとも簡単に——まるで住宅のドアのように——軽々と開いてしまった。少女は、別段強い力を懸けてはいないようだ。
何だか……不思議な思いである。
門の向こうは、左右と空とを木々に囲まれた真っ直ぐの小径であった。しばらく続いているらしく、その先は確認できない。少女について歩いていく。木洩れ日がきらきらとして眩しい……。
少しばかり行くと、右に小さな古民家があらわれた。その前で、少女が立ち止まる。
「ここがわたしの家です。入ってすぐのところに、あるでしょう。……わたしは『門番』なんです」
「……門番?」
私の問いには答えずに、すたすたと家の中へ入ってゆく。私がぼんやりと佇んでいると、戸口から少女が呼ぶ声がする。
「さあ、どうぞ、こちらへ!」
「……では……お邪魔します」
やや低めの玄関口の、敷居を跨ぐと、壁を隔てて左右に小部屋がふたつ接しているという、変わった構造である。左は台所で、右の部屋が少女の居住空間とみえて、その中から、資料をいくつか抱えた少女がひょいと顔を出す。
「では……ようこそ、いらっしゃいました。あっ、腰掛けていただいて、大丈夫ですよ! はい。今日は、朝から三、四人ほどいらして、案内をしていたんですよ。へへ……外の人とお話しするのって、すごく久しぶりで、ちょっと緊張してるんです。ええと。はい、こちらは、会のしおりです。開くと、照宮の地図と、今日の予定が、書いてあると思います。はい、その、星印の書いてあるところが、会場です。ここからずっと行った、真反対の方で、うーん……若干、距離はあるんですけど、道はそれほど複雑じゃありません。もしわからなくなったら、みんなに聞いてみてくださいね。みんな、今日来てくださる方のこと、盛大に歓迎するぞぉ、って、いうものですから……」
先程から思っていたのだが、このユズキという少女、実に口ぶりが良く、感心する。こんな、しっかりした青年というのに相見えなくなってから久しい。
「ありがとうございます、ええと、失礼ながら、名字は……」
「いえいえ、全然、ユズキで構いませんよ。柚子の木で、
「それでは、柚木さん……ありがとうございます。それで、今日は他にも何人か、見えてるんですね」
「はい。他の皆さんも、すごく、楽しみにしてらっしゃいましたよ。是非、お話しされてみては……あっ、そうだ。ふふ、これも、今日の参加者の皆さんに、お渡ししているんです」
少女に——柚木さんに手渡されたのは、首飾り。親指の爪ほどの大きさの、綺麗な碧玉が結えられている。
「おお、これはまた、綺麗ですね」
「ありがとうございます。これは、川縁で見つかる石なんですが、みんな、普段から身に着けているんですけど、皆さんにもと思って。糸を通してみたんです」
……にこにこと嬉しそうに語る姿は、やはり、年相応のものなのだろうか。
首に掛けてみると、石というのは意外にも、大きさの割に重いものである。吸い込まれそうなほど深い青は、傷一つなく、まさにこれこそが、
「この石、持って太陽の光に、透かしてみてください。ふしぎな模様が、見えるんですよ。……んんと……あ、ほら、この辺りに……」
指差す先に、よく見ると、小さな流線模様が揺らめいている。この硬い石の中に、さらさらと川が流れていて、そのせせらぎが聞こえるかのようだ。
「本当だ……不思議ですね」
「はい。わたしたちも、この色が好きで……お守りにしている人もいます」
「なるほど、いいですね。住民の皆さんにもお会いできるの、楽しみですね。開会は……深夜なんですね」
「はい。ですが、会が始まるまでも、自由に散策されていて大丈夫だと思いますよ。その石がありますから、みんな、わかってくれるはずです」
「では、そうしましょう。ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、今日はお越しいただいて、ありがとうございます。……ずっとお話ししていても、あれですし……早速、行きましょうか。このみちの出口まで、ご案内します」
「本当ですか。ありがとうございます。お願いします」
柚木さんはよいしょと立ち上がり、私を連れて玄関口を出る。
小径の障子越しの光が、より一層ほんわりと、辺りを包み込む。
先刻までこの先に感じていた若干の重々しさは、いまでは穏やかな閉塞感となっていた。ふたりは緩やかな上り坂を真っ直ぐ歩いていき、まだ少しばかり続く木々の向こうに想いを馳せ始めている。
「ここは……静かですね、とても」
「どうでしょう? 外はもっと、賑やかなところなんでしょうか。ここも、いろんな音に、囲まれてますよ。鳥たちの話や、風で少しだけ、木々がざわめく音……とか。」
私には、そうですね、と答えることしかできなかった。
だんだんと終わりが近づいてきた。
「ああ……もうすぐひらけますね。出口……というか、入口、ですね」
「はい。わたしの案内も、その出たところまで、です。……この後また、見張りに戻らないと、いけないんです」
柚木さんはすこしだけ申し訳無さそうにしながら告げた。
「見張りに」
「はい。――『門番』の務めで。あっ……そう、そうなんです。わたしたちはみんな、大昔からのならわしで、生まれたときから、ひとりひとり違う役目を、もらうんですよ。あなたはお医者さんね、とか、農作業をしなさい、とか……そんな感じで。それで、わたしは、この照宮を出入りするひとや、荷物を管理したり、見張ったりするのが、役目なんです」
確かに、先程私が門のまわりでうろうろとしていた時に、柚木さんはあらわれた。
「なるほど、それでは、はじめに声を掛けてもらった時も——」
「……はい。実は、ふふ、ずっと見ていました。入り口の看板を、ご覧になっていたので、多分、参加者の方なんだろうな、って……。もし本当に怪しい人が来た時には、ここから離れてもらうため、もっとこわいことを仕掛けなければいけません。」
なかなか恐ろしいことに限って、ハキハキと言うものである。
とうとう、小径が終わりを迎えた。
眼前には、雲ひとつない空と、広々とした野原があらわれた。
遠くの方に、家屋や田畑が点在し、そこから時折、緩い風が、土と草の香りを連れてくる。
こんな雄大な、美しい集落が、存在していたなんて。
どうして、誰も知らなかったのだろうか?
私が言葉を失っている間にも、柚木さんはこちらを見て、にこにこと微笑んでいる。
「……綺麗でしょう。わたしも、この眺めが好きですよ。」
「……ええ…………これは素晴らしい……」
「ふふ……。それでは……わたしはここで、失礼しますね。また夜の会で、会えると思いますから」
「ええ、ありがとうございました。また後で、お会いしましょう」
はい、では、また! と言って踵を返す少女。その胸元でも、青い光がきらりと輝いて……小径の中を、ててと駆けおりていった。
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