第20話 水の修行、水の心

緑豊かな自然に囲まれ水も透き通った綺麗な渓谷を登るノイフェとラールスゥ。


二人はノイフェの修行のためさらに上流をめざす。


「どこまでいくの?」


ノイフェは聞いた。


「もっと上流だ。そこに滝がある。そこで修業を行う」



これはノイフェがハーミンと一緒に材料集めに行く数日前の出来事だ。

ことの発端は一週間ほどまえノイフェたちがダンジョンに宝箱を置くアルバイトをやった日のことだ。ラールスゥは魔王を倒したことがあるという話で、魔王を倒すためにはノイフェは、無我の境地に至る必要があるとのことだった。そのための修行をしにノイフェとラールスゥは渓谷の上流の滝を目指している。


歩きはじめて3時間ほどで二人は目的地にたどり着いた。


切り立った崖から流れ落ちる滝は大量の水しぶきを上げていた。



「ここだ」

ラールスゥは立ち止まって滝の方を見た。何かを懐かしむように遠くを見ているようだった。


「ここで何をするの?」

ノイフェは荷物を降ろしてあたりを見回した。辺りにはまるで人の気配はない。ラールスゥと一緒にいるモンスター以外の気配もない。


「そう焦ることはない。まずは飯でも食おうぞ」

ラールスゥはほとんど手ぶらで滝から少し離れた川辺に腰を下ろした。


「それじゃあ、僕が魚を捕るよ。ご飯を用意するのも修行の内だって僕の育ったカラッサ村のマータムが言ってた」

石を拾い集めた。川にいる魚に向かってノイフェは石を投げて魚をとらえることに成功した。


ノイフェはあっという間に枯れ木を集めて焚火を作った。火をつける時にはあえて魔法を使わず剣を石にぶつけて火花から火を起こした。


取って来た木の枝を使って魚を串焼きにした。


あぐあぐ


あつつ



二人は食事を終えた。


「それでは修行を始めるとしよう。準備はよいか? ノイフェよ」


「うん、いいよ。ラールスゥ」


「よかろう」

ラールスゥはゆっくりと答えた。


「まずはスライムを倒すのだ。ほれ、ちょうどここにスライムを持って来ている」


うんわかったとノイフェは炎の魔法でスライムを一瞬で倒した。ノイフェはこれでいいか?という顔でラールスゥを見た。


「違うな。魔法を使ってはいけない。剣だけでスライムを倒すのだ」


「剣でスライムは倒せないよ」

ノイフェは親切に教えてあげた。


「一般的にはそうだな。しかし、やりようによってはスライムを剣で倒せる。それは、硬かろうが、柔らかかろうが、切れないモンスターを倒すのに役に立つ技だ」

ラールスゥは座ったまま右手の人差し指を立ててそう言った。


「わかったよ。剣でスライムを倒してみるよ」

ノイフェは剣を抜いて次のスライムに向かい合った。



「すぐにはできないだろう。しかし修行を終えた時にはそれができるようになっているはずだ」


ガチン


ノイフェの斬撃がスライムを貫通して地面に当たる。ノイフェの攻撃は何度もスライムに命中するがそのまま貫通して反対側まで突き抜ける。そしてスライムはまた元のようにくっついてしまう。これではスライムを倒すことはできない。


この後もしばらくノイフェはスライムと戦い続けるがスライムを倒すことはできないままだった。


「これが、現時点でのお主の力量じゃ」

ラールスゥはスライムと戦うノイフェにそっと近寄った。

そして手をかざすと無詠唱で火を放ちスライムを倒した。


ノイフェは少々面食らったようだ。


「それでは、これより本格的に修行を開始する」


「何をするの?」

ノイフェは首を傾げた。


「まずは滝行だ。水の流れを感じ取って理解するところから始める。己の限界をこえるのじゃ」


ノイフェは下着だけ残してほとんど裸状態になって滝へと入った。ちょうど大きな岩の上に来るとノイフェはそこへ腰を下ろした。


ザァーーーーーーー


滝の音で他は何も聞こえなくなる。ノイフェは目を閉じて水の流れを感じた。

まだ肌寒い季節だ。流水も冷たい。しぶきが邪魔で息もしづらい。


ノイフェの頭には様々なことがよぎった。スライムを倒す方法、魔王のこと、故郷のカラッサ村のこと、パーティーメンバーが集まっていないこと、マーリィのこと、水の冷たさ、水属性の攻撃を受けた時の対処方法などなど。戦闘となれば集中力の高いノイフェも滝行の最中にあっては雑念が多いようだ。


ザァーーーーーーー


滝行を始めてからずいぶんと長い時間がたった。常に流水にさらされるノイフェの体温も徐々に低下し始めた。


ノイフェは滝の音に集中して、徐々に他のモノを考えることはやめていった。

ラールスゥはしぶきの中滝行を続けるノイフェを見る表情は硬かった。


「水しぶきの一粒一粒まで動きを感じ取れ」


不思議なことに滝の轟音の中ラールスゥの言葉ははっきりと聞き取ることができた。ノイフェは言われた通りに意識を集中して体に当たる水の流れも、水しぶきさえも敏感に感じ取った。感覚が鋭利になるとなんだかくすぐったさを感じた。


次第にただ体に当たる水だけを感じるようになった。


「そうだ、ノイフェよ。それは無我の境地に近いものだ。その感覚を維持するのだ」


ノイフェが滝に入って20時間がたった。その間ノイフェは飲まず食わずで、それを見守るラールスゥーも同じく飲まず食わずだった。


「目を開くのだ」


ノイフェは目を開いた。


目の前の水しぶきは光輝いてゆっくりとした動きに見える!


「何かを手放すことは何かを得ることと同じくらい大切なことだ」



雑念を手放したノイフェはえている。世界のすべてがゆっくりに見えるあの状態だ。



「今度は滝と向き合ってすべてのしぶきを斬るのじゃよ」


ラールスゥはノイフェに向かって剣を投げ、ノイフェはそれをつかみ取った。


くるりと体の向きを変え、滝と向かい合っての剣を構える。


ふっ 

短く腹筋からの息が漏れる


「ヤァーーー」


シュイン シュイン


シュイン シュィン シュイン シュィン


ノイフェの高速の剣が滝から落ちる水しぶきの一滴一滴をとらえて二つに切っていく。


シュバババババババ


「もっと早く、もっと早くじゃ」


シュババババババババ シュシュシュシュシュシュシュシュ


シャン!!!


刹那に無数の斬撃を持って滝のしぶきすべてを斬って見せた。もはやその音が重なって一つの斬撃にしか見えなかっただろう。


ドッと空気が遅れてやって来た。


「できたよ、ラールスゥおじいさん」

ノイフェは肩で息をしていた。


「みごとなり」

ラールスゥは軽く握った拳を胸の前に当て人差し指をたてて賞賛した。


「無我の境地になればこの技が使えるの?」


「それは少し違う、無我の境地に達すること自体は難しくはない。それをいかなる時も維持してこそだ。それで水の心は完成する」


手を指し伸ばしてノイフェの手を引くラールスゥはノイフェを滝の横の岸まで引き上げた。

「水から上がるとい。休憩にしよう。もう寒くはないだろう」


「わかったよ」


ノイフェはまた魚を捕まえて焼いて二人で食べた。



「水の技の修行はこれでいいだろう。後は水の心の修行を完成させるだけだ」


焚火の前に座っている二人はゆっくりと話を始めた。


「ノイフェよ水の心とは何かわかるか?」

焚火に小枝を置きながら火加減を調節した。


パチパチ


「無我の境地なんでしょう?」


「少し違うな。水の心に無我の境地も含まれるが、無我の境地だけではない。そして無我の境地だけでも魔王と戦うにはまだ足りぬ」


「どういうこと?」

ノイフェは首を傾げた。


体はすでに乾いたが、まだ髪は濡れたままだ。


「水の心は柔軟な心だ。無我の境地を極めることによって、魔王からの精神の圧迫に対抗することができるだろう」

ラールスゥはゆっくりとノイフェがその言葉を飲み込めるように話した。


「それなら魔王に勝てるんじゃないの?」


「魔王の攻撃を受け続けるだけならばそれでいいだろう」

ここからが一番大切だと言わんばかりに話し始めた。


「しかし、魔王を倒すためには魔王を攻撃する必要がある。その時には受け身の心ではなく積極的な攻勢の心が必要になる。水の心は守りの心であり、攻撃の心に切り替えらえる柔軟さでもあるのじゃ」


「うん」

ノイフェは真剣に聞いた。そして必死に理解しようとしていた。


「水の心を身に着ける修行の一環として素早い連撃を身に着けたわけだが、せっかくだから技名でもつけておいたらどうじゃ?」


「おじいさんがはなんて呼んでたの?」

ノイフェは火に手をかざしたまま聞いた。


「そうさなぁ、水勢の太刀だったか」

ラールスゥは遠い昔を懐かしむように顎を左右に振りながら右手で顎を撫でた。


「じゃあ、僕もそれでいいよ」

こだわりなんてなかった。むしろ技の習得に協力してくれたラールスゥの使っていた名前の方が話が早くていい。




「どれ、もう十分な休憩はしたであろう?」

ラールスゥは胡坐あぐらを解いて膝を押しながら立ち上がった。


「うん、もう休憩はいいよ」

それを見てノイフェも立ち上がった。


「ここから先は過酷な修行となる。命を落とすこともあるかもしれぬ。修行はここまででやめておくか?」

ラールスゥは最後の確認をした。その目は真剣そのものだった。


「やめないよ。命を落とすかもしれないって言っても、僕は勇者だ。怖くは無いよ」

ノイフェの目には情熱の炎が宿っているようだった。


「よかろう」

ラールスゥも覚悟を決めた。この子は途中で引くような子ではないとあたらめて理解したのだった。


「何をするの?」

ノイフェは落ち着いた物腰でラールスゥに尋ねた。


「水中でモンスターを倒すのだ」


「何を倒すの?」

ノイフェは剣を鞘から抜いた。


「それは教えられない。それも試練のうちだ」

ラールスゥはクルリとノイフェから背を向けた。


「わかったよ」


「滝つぼの下から奥に続く水中洞窟がある。そこを進んで先にある広間で敵を待つのだ」

ラールスゥは背中を向けたまま話した。


「うん」

ノイフェは服を脱ぎ始めた


「ノイフェよ。魔法なしでどれくらい息を止められるか?」

ラールスゥは向き直ってノイフェに尋ねた。


「30分くらいだよ」

服の袖を逆さに引っ張って服を脱いでほとんど裸になってた。


「ノイフェよ。今度は水中活動の魔法をかける。この魔法で水中でも丸一日は活動できるようになろう。裸になれば装備品の補正値も加護も得られん。己の肉体と剣一本で戦わねばならぬ。準備はよいか?」


「いいよ」


「はっ」

ラールスゥは水中活動の魔法をかけた。光がノイフェを包んだ。


「モンスターを倒したら戻ってよい。それでは行くのだ」


ノイフェはうんと頷いて、滝つぼに向かって跳び込んでいった。


バシャン


ドドドド


滝の音がしている。そこを深く潜っていくことで横穴を見つけた。これがラールスゥの言っていた水中洞窟の入り口だろう。ノイフェは先へと進んだ。


横穴を5分ほど進むと広間に出た。広間と言っても水中で空気溜まりなんかはない。ラールスゥの言っていた。広間はここに違いない。ノイフェはここで待つことにした。


しばらくたってもモンスターは現れなかった。ノイフェは水の心に集中するため座禅を組んだ。モンスターの気配は水中ではわかりにくいが、ちょうどいい機会だから、モンスターを察知する修行にしようとノイフェは思った。


2時間ほどたってついにノイフェは、モンスターの気配を察知した。水中でもはっきりとわかる。洞窟の奥からモンスターが近づいてくる。


ノイフェは水中で剣を構えるべきかどうか少し迷った。水中で剣を構えることに意味があるかわからなかったからだ。


体長5mはあるだろう魚の形をしたモンスターだ。悠々と水中洞窟の上の方を泳ぎ、まるでノイフェのことなど知ったことではないという風だ。


ノイフェは剣を持ち泳いで魚のモンスターを追った。


速度はそれほど早くは無いようだ。ノイフェは簡単に追いつくことができた。


ノイフェは剣を持ってモンスターに斬りかかった。


ドス


剣はモンスターンの腹に刺さりモンスターを倒した。


!!


簡単すぎるとノイフェは思った。


これじゃない他のモンスターがいるのだろうか?



!?


そう思った時、突然、ノイフェは水を沢山吸い込んでしまった。

苦しい。水中活動の魔法が切れたのか?


モガガ


ノイフェは水の中を激しくもがいた。苦しみの中でノイフェは意識を失った。




目を覚ましたノイフェは滝の横の地面に寝転がっていた。近くにはラールスゥがいて焚火に火がついている。


「目覚めたか」


ゲホゲホ


ノイフェは体を起こしてあたりを見回した。


「僕、モンスターを倒したあと水中で急に息ができなくなって」

ノイフェは矢次早にしゃべった。


「本当にモンスターなどいたのか」



「どういうことなの?」


「ノイフェよ、水の心の修行の本当の目的はモンスターを倒すことではない」

ラールスゥはしっかりとノイフェの目を見て話した。


「モンスターなどいる予定ではなかった。そして、1日持つといった魔法は途中で終わるように仕組んでいたのだ」


「溺れて息ができなくなった時、どのように思った?」


「すごく苦しくって、ラールスゥおじいさんは1日持つって言ってたのにどうしてって思った」


ラールスゥは一瞬視線を下げた。


「水の心は心の平静を保っているうちはいい、しかし、それが崩れた時に真価を問われる。混乱した時にこそ魔王はそれに着けこんでくるのだから。だからそれを知るためにおぬしは限界を超える必要があった。そのために私は嘘をついたのだ」


「そうなの…」

ノイフェは嘘をつかれたと知って少し悲しんだのか?


「ノイフェよ、水中でおぼれた時、私に騙されたと思ったか?」


「ううん、それどころじゃなかった」

ノイフェは首を横に振った。


「ノイフェよ、今真実を知って私を恨む気持ちがあるか?」


「無いよ」

ノイフェは素直な気持ちで答えた。


「なんと広い心の持ち主か。よかろう、ノイフェよ。水の心の試練は合格じゃ」


「どうすれば不合格だったの?」

ノイフェは特に喜ぶこともなく、なんとなく聞いた。


「人に騙されたとなれば、怒り、人を憎んで当然じゃ、それが普通の人間の反応というものじゃが、魔王を倒すにはそれではいかん。怒りを力に変える方法もあるが対魔王では相性はあまりよくない。水の心の真髄とは寛容の精神なのだ。水中か、あるいは今ここで怒り狂うようでは不合格であった。お主は少しばかり寛容すぎるのではないかと思えるほどに、水の心を見事に会得しておる」


「うん」

ノイフェは話が半分くらいわかっていなかった。


「ではノイフェよ、水の修行を終わりにするために最後にやることがある」

ラールスゥ右手の人差し指を立てて言った。


「何をするの?」


「スライムを倒すぞ。ちょうどここにいる。今度こそ剣で倒してみよ。水勢の太刀を使うのじゃ」


「うん」

ノイフェは起き上がって剣を抜いた。


「行くよ」


「よいぞ」



ふっ


シュバババババ


シャキキキキキ


シュインッ!



ノイフェの高速の剣がスライムを細切れにして飛び散った水滴をもすべてを切り裂き続けた。


そしてあまりの速さにすべての音が重なってまるで一太刀のような音になった。


細切れになったスライムはさらにさらにさらに細かく分解され乾いて死んだ。



ノイフェはスライムを倒した。


「よくやった。これで水の試練、水の修行は完了じゃ」


ラールスゥは軽く拍手をした。


「うん、やったよ」


「これからは何の装備や加護も、魔法もなしで、液体のモンスターを倒せる。あるいは逆にとても硬いモンスターも細かく削って倒すことができよう」


「僕は強くなったの」

ノイフェは自分の腕や胴体を調べてみながらそう聞いた。


「ああそうだ。確かに強くなっている」


「それならよかった」

ノイフェの表情が柔らかくなった。



「時にノイフェよ。水の修行完了と言われれば次は何だと思う?」


ラールスゥははじめて、いらずらをするような表情になった。



「他にも試練や修行があるの?」



「ご明察」


ノイフェは特に驚くことはなかった。むしろ修行や試練をこなすたびに強くなれるならば大歓迎だという風に喜んだ。


「僕、もっと強くなれるの?」


「ああ、なれるとも」

ラールスゥは疑うことなく確かに答えた。


「じゃあ、すぐにやろう」


「焦るでない。まずは水の心であり続けることを完璧にするのだ。他の修行はそれから行う。またの機会にな」



「わかったよ」

ノイフェは残念そうに答えた。



こうしてノイフェの水の修行は終わった。ラールスゥとは後日別の修行をすることを約束して、この日二人は別れた。

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