青いダリヤ

冬野 暉

青いダリヤ

 姉様はふしだらな女でした。

 狂い咲きのダリヤのような、はしたなく、開けっ広げで、毒々しいほど美しい女でした。

 白塗りのちいさな顔に猫のような黒々としたがふたつ、ぽってりとしたくちびるに紅を滴らせて。それらがにんまりとほほ笑めば、男どもはころりと姉様の虜になりました。

 しかし、男どもが姉様に夢中になるのはほんの瞬きのような出来事だったのです。

 油に移った頼りない火が朱く弾けて、「あっ」と思ったときには消えてしまうような。実も種も残らない熱情を、姉様はよく理解して骨の髄まで愉しんでおりました。

 少年だった私は、そのような姉様のふるまいを、数多の戸惑いとほんの少しの嫌悪とともに遠巻きにするほかありませんでした。幼いころから奔放だった姉様は、年の離れた弟にとっては初夏の陽射しのように眩く慕わしいひとだったのです。

「姉様はなぜこのようなことをなさるの」

 弱々しく詰る私に、姉様はただにんまりと笑うだけだった。

「ねえ、あなたにはどうしても欲しいものがあるかしら」

 私はちょっと黙りこみ、そのまま尋ね返した。

「姉様は何が欲しいとおっしゃるの」

「ちいちゃなころからひとつだけ。真っ青なダリヤが欲しいの」

 青いダリヤの花など聞いたことも見たこともございません。

 首を捻っていると、姉様はやはりにんまりと笑っておいででした。

「ありはしない、けして手に入らないものよ」

 はぐらかされたのだと思いました。

 自分でも驚くほど腹立たしく、姉様が憎たらしくて仕方ありませんでした。

「姉様こそダリヤのようではありませんか。狂い咲きの、真っ赤な真っ赤な、ふしだらではしたなくてみじめな、この家の面汚しだ!」

 私の罵倒を聞きながら、姉様はずっと笑っておりました。

 美しい毒花で在り続けることしかできなかったのだと、知ったときには何もかも手遅れでした。

 それから間もなく、姉様は亡くなりました。

 のひとりに殺されたのです。拳銃ピストルで頭を撃たれ、真っ赤なダリヤの花が散るように脳髄を撒き散らして。

 犯人の書生は自ら顎を撃ち抜いて後追いを遂げました。

 姉様はふしだらな、けなげな娼婦でした。

 私が物心着く前に家業が傾き、わが家は明日の食事にも困る有り様でした。美しい少女であった姉様は母様の紅をくちびるに差し、父様ほどに年の離れた男たちを相手に商売をするようになりました。

 私は姉様がご自身の体を売りさばいた金で育てられ、姉様が断念せざるを得なかった勉学の道へ進むことができたのです。私にはけして伝えないでほしいと懇願されたのだと、お骨になった姉様の前で泣き崩れる父母に打ち明けられました。

「わたくしの生き甲斐は花を育てることなのですよ」

 生前、姉様は客のひとりにこのようなことを申されていたそうです。

「いまは青いダリヤの花を世話しております。丹精こめて、大事に大事に」

 姉様。

 あなたが欲しがっておられた青いダリヤの花は、どこにあるのでしょうか。

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青いダリヤ 冬野 暉 @mizuiromokuba

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