第6話

私はその宗教をやっていたお陰様で、お母さんにもらった数珠をいつも出かける時カバンの中に着物の帯の生地でできたような派手派手のポーチに入れていました。

それは、母が離れたところでは守れないのでお数珠が守ってくれると教えられていたのでずっと鞄に入れていました。

だから、事故もなくいままで生きてこられたのだと思っています。

私は人に言われたことをすぐ信じて「はい」と言ってしまい。やってしまうところがあって

だいぶ騙されたこともありましたが、それを私は騙されたと思わないので、子供たちにはとても苦労をかけてしまって、そこは、私の悪いところでございます。

子供達の小さい頃も寝る前には、子供と私で今日もありがとうございました、明日も健康で安全に暮らせます様に、南無妙法蓮華。と唱えてから夜眠っていました。

もちろん、みんなにも子供用のお数珠をお母さんに言われて持たせていました。

お釈迦様が皆さんに言った言葉では、仏教を広めてくれる人は誰でもお弟子さんなのですという事をお母さんから聞いたことがあります。

お寺さんや神社、教団に入っているから偉いとか、そういうものは無いと思います。

もちろん、自分で読めない人はお経を読んでもらうのはありがたいことなのですが、お経本にはふりがながついているものがありますので、ゆっくり少しずつ毎日読めば、どんどん上手になっていきます。

別に上手じゃなくても大丈夫なんですけどね。言葉に出さなくても、見るだけでも、思うだけでも、良いと思います。

どうしてお経を読むのかって言われても私もわからないんです。読みたいと時に読むだけです。だって、むかーし、昔のご先祖さんに今、私がその方を思って読みなさいと他の方に言われても、なかなかというか、多分読まないです。

顔も知らないし、何か話したわけでも無いのに…。もちろん今日自分があるのは、ご先祖様がいたからなのですけど。この世に産まれた自分を、産んでくれて、迷惑だったと自分の命を落とす方もいらっしゃる今の時代に、こんな古い昔の事を聞く耳も持たないのが、当たり前になっています。

お経が読みたいなぁと思うことなんて、あんまりないですよ。

身内か大切な人が亡くなりそうな時や、亡くなってしまった時。

それと、お化けや幽霊が出てきた時とか、出そうな時はちょっと読めたらなって思う事があると思いますが。

私もうちの子供達も、漫画の地獄先生ぬ〜べ〜が大好きで、子供達はよく真似をしていました。今でも、真似をしたりしますが。

私もまた最近お経を読み始めました、実は身体を調子悪くしたのと、子供や孫達と離れていたりするので毎日の健康と安全を願い、出来る事はと考えた時に、お経を読み始めました。

お経を読んでいるからといって、お母さんのやっていた仏教の教団に行かなきゃ無いのか?と東北から引っ越してきた時は思っていました。

コロナが始まってから一度お参りさせて頂きましたが、そんな状況で、ほとんど誰もいませんでした。

信心というものは、自分がしたいと思わないとやってもやらなくても良いものだと思います。誰かに言われてできるものでもないし、でも、とっかかりは、なかなかないし。良いものだとは思うけど、「なんか怖い」とか思っちゃいますよね。

私がまたお経を読んでいるのは、身体が悪くなったのと、子供や孫たちの健康と安全を思ってのことなのですが、それも欲と言えば欲になるのでしょうか…。

しかし、唱えずにはいられないので、毎日合掌あるのみです。

南無妙法蓮華

話は飛びましたが、また体験した不思議な事を書いていこうと思います。

いつも、読んで頂きありがとうございます。


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