第二章『悔恨』 第三話
*
体を劈くような寒さが海辺にいた一樹らを責め立てた。平生騒々しい成亮さえ、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込み、丸まっている。海辺に行こうと言い出したのは彼なはずなのに、そんな不満を呟くことさえ億劫で、一樹はマフラーに顔を埋めた。
小石や雑草に気をつけながら、とぼとぼと老人のように三人は歩いた。不意に最前を歩いていた有輝也が振り返る。
ぱしゃり、一眼レフカメラを構えた彼は慣れたように背後にいた成亮を撮った。
「もーやめてよ。」
成亮は唸るように顔の前で手を振った。だがしかし被写体になることには慣れているようでまんざらでもなさそうだった。有輝也はそんな幼馴染の心理も読み取ったらしく、「別に嫌じゃないくせに」と笑った。
「それとこれは別。俺、有輝也みたいに顔綺麗じゃないから少しは準備させてよ。」
「それだと意味ないから。ありのままのしげあきを撮りたいの。」
「何?籠城でもするの?」
「え、しないけど。何?籠城?」
意味が分からないと首を傾げた有輝也に、成亮は「なーんでも」と有輝也を追い越して、歩き出した。
「…俺は年始早々に何を見せられてるのか謎なんだけど?」
二人の世界に閉じこもった幼馴染らに届かないように、低く呟く。あのタイミングで混ざろうとすれば、火の粉を被ることは知っていたから沈黙を貫くのが最善の手だった。
永遠と続くように感じられる海の限りなく端まで歩いた三人は、岩場に座る。ひんやりとは表現できない、最早氷のように感じられる凸凹とした岩の表面。
成人式を迎えるために実家に帰省した一樹は何かと同窓会やスーツの準備で忙しいというのに、成亮と有輝也が「会いたい」とメッセージアプリで連呼するからこんな鉛色の寒空の下にいるのである。勿論、彼らの気持ちも理解できないではなかった。来年は受験生であり、冬にしか帰省しない一樹とはタイミングが合わずゆっくりとした時間が取れない。
沈黙はないけれど、盛り上がっているわけでもない。飛び交う会話は降り始めた雨のようだ。
「成人式ってやっぱり憂鬱?」
「どうだろ。俺は久しぶりに会う友達もいるだろうから楽しみだけど。中学時代に独りぼっちだった人らとかしんどいんじゃね。」
「あー、そっか。中学生って難しいもんねー。」
成亮は膝を抱えながら、相槌を打つ。
一樹はどう言葉を吐けばよいか分からなかった。元気で子供のような振る舞いをするのに、彼は大人びた発言をする。むしろ彼はその難しい年ごろに、両親を亡くしているはずなのに驚くほど揺らがなかった。流石に数日は精神が不安定だったようだが、気が付いた時には平気そうな表情をしていた。気丈に振る舞っているという印象でもなく、本当に心の底から大丈夫だと思っている様子だった。
「まあ俺も会いたくない人くらいいるけど。」
「え、まじ?」
誤魔化すように一樹は口をすぼめた。意外そうに顔を輝かせた成亮になんだか少し腹立って、彼のセットされた髪を乱雑にかき混ぜる。
「そりゃ俺も人間だからいるわ!」
「や、やめてよー!もう!せっかくセットしたのにー!」
「どうせこの後家に帰るだけだろバーカ。」
慌てて髪の毛を撫ぜる成亮は不貞腐れたように唇を尖らせた。
「そうだけどー、こういうのは気持ちだから。」
「はいはい。」
「聞いてないな?一樹、最低。」
ぱしゃり。
会話の合間を縫うようにシャッター音が響く。突然の音に、拙い口論でも始めようかと心構えをしていた二人は有輝也に視線を投げかける。彼は分厚い唇の片隅の口角をあげていて、いわゆるしたり顔をしていた。
もう、と成亮が息巻く。
「だから撮るときは言ってって言ったじゃん!しかも、今絶対髪の毛ぐちゃぐちゃで不細工じゃん!」
「だから気にしすぎだって。」
悪びれる様子もなく、有輝也はからころけろりと笑った。
むしろこの二人で喧嘩を始めそうな雰囲気さえあったから、一樹は慌てて口を挟んだ。
「そういえば有輝也って彼女いるんだって?」
空気が硬直する。まるで禁句を発したかのように、成亮と有輝也が表情を失った。
「何?ダメだった?」
「あー…いやダメじゃないけど。まさか一樹が知ってると思ってなかったから。」
「あーそういう。」
ずけずけとした一樹の物言いに、成亮は言い淀む。他にも理由があったような気がしたけれど、突っ込むほど野暮でもなかった。この二人にはこの二人にしか理解できない波長というものがあり、それに混ざろうとすればするほど突き返されるというのは理解していた。
「俺が成人式に会いたくないの元カノだから気になっただけ。」
「一樹、一時期めっちゃ遊んでたからね。」
「本当に気色悪いくらいにね。」
成亮、有輝也と獲物を追随するように一樹を責める。
「うるせえうるせえ。良いだろ、別に。向こうが告白してきたんだし、二股とか浮気とかはしてないんだから。」
「なんでこんなのがモテるんだろ。」
げんなりとした表情で成亮が呟く。
「結局いい人だからじゃない?彼女のこと蔑ろにしないし。誰とでも仲良いけど、必要以上に群れない感じが、こう、グッとくる的な?」
「えー…。理解できん。」
知らない世界の扉を垣間見たように有輝也の回答を聞いた成亮は眉を顰めた。
「好きな人に好かれたらそれ以上はいらなくない?」
「そう、最終的にそう思ったから告られても断るようになったの。」
成亮が吐き出した言葉に、一樹は強く同意した。その隣で有輝也は白けたように「へえ、そんなもの?」と言った。
「好きな人に好かれることとか、あまりないじゃん。」
「有輝也は好かれるだろ、その顔面だし。俺よりもモテてただろ。」
有輝也は当惑したように眉を下げて、苦い笑みを浮かべた。真ん中に座っていた成亮も同様に視線をうろうろと彷徨わせていた。
「で?いつから付き合ってんの。」
「えー、まだこの話する?」
「そりゃあ幼馴染の初めての彼女?だから、気になるじゃん。どこまでヤッたとか、さ?」
辟易とした表情を保ったまま、成亮は肩をすくめて使い古したシューズのつま先で岩場の表面を削るように蹴った。どうやらこの話題に参加したくないようだった。
「何もしてない。キスくらいしか。」
「は?嘘だろ…?付き合って暫く経つんだろ?」
「もうそろそろ半年。だけど…何もしてない。あんまりする気もないけど。まだ子供だし。」
胸に広がる衝撃。当の昔に捨ててしまった堅固な思想に、感動すらあった。唖然とした表情を露にした一樹に、有輝也は「そんなにびっくりしなくてもよくない?」と半笑いを零した。
「いや、じゃあまだセックスもしてない童貞ってこと?」
「あー本当にそういう話題嫌い。話さないでよもう!」
成亮が急に声を荒げる。有輝也は唇を引き結んで、やはり困惑したように眉尻を下げていた。一樹の知らない間に大人になっているように見えて、少しどこか珍妙に子供な二人。形容しがたい感情が胸を占拠する。
タイミングを見計らったかのよう、ぽつぽつと鉛色の空が一層の不穏さを吐き出すように雨を降らせる。寒雨に穿たれた岩場は空模様と同じように黒く変色していく。
雨から逃げるように三人の会話も遮断された。
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