☆【2】覚醒

「目が覚めたかい?」

 少女は別人に変わり果てていた。幼いばかりだった顔つきに凛とした気配が加わり、おどおどとした態度は消え失せ、貴人のような風格さえ漂わせて泰然と佇んでいる。虹色の瞳は賢者の眼差しをしていた。

 これらはまさしく劇的な変貌であったが、少女の目覚めは瞬く間に訪れ、しかも、覚醒の後では全く揺らぐ様子がなかった。

「紀鳳」


「ありがとう。約束を守ってくれたのね」

「当然だろ?」

 少年が肯く。彼は、少女が得た新たな姿に大層満足気である。

「あんたはやっぱり、そうして、凪の海みたいに澄んだ目をしているのが一番似合うな」

「なぜ今なの?」

 少女は紀鳳の頬に手を伸ばした。滑らかな肌を撫でてやると、紀鳳はうっとりした顔で応えを返した。

「七歳なら、ちょうど塔に昇れる年だ」

「……あきれた。人の学校に犬が入るようなものよ。私の力は降魔とは真逆でしょうに」

「そうだな。今さらその身に降ろさなくても、あんたはもともと魔そのものだ」

「でも――そうね、塔へ行くわ。この体に、もう一度降魔の技を刻みつけなければ」

「よし。そうと決まれば、善は急げだ。今すぐ届けを出しておくよ」

 紀鳳が人差し指をくるりと回す。

「これでよしと。夕凰の奴、あんたが目覚めたと知って大喜びしてるよ。他の奴らも大騒ぎしてる」

「ありがとう。でも、塔に昇ってしまったら、簡単には外へ出られなくなるわね」

「平気さ。神官どもの結界なんか、おれがいつでも破ってやる。忘れないでくれよ。あんたは、おれたちの守護下にあるんだ。何も心配する必要なんかないさ。

 そうだ。神官の結界の内側に、おれたちの結界を張ってやろうか? そうすれば、あんたの気配を絶つことが出来るもんな。あんたが少し手加減してやれば、あんたが人でないことは誰にも見破れないだろう。都の中心で機を待てばいいのさ。

 それに、あんたはいずれ必ずその力を使う必要に迫られる。その後は、生ける神のように崇められること間違いなしだぜ」

「あまり目立っては困るのだけど」



「いい顔だね。可愛いよ」

「この姿は私が決めた訳ではないわ」


「おれたちも色んな姿に変化するけど、あんたみたいに、何もない暗闇から、生身の赤子を作り出すような術は使えない。やっぱりあんたは凄いな」

「お陰で、誰か親切な人に拾われるしか、生きる道がないのだけれど……。それでも、私と何の関わりもない人に勝手に取り憑いたりするのは嫌だから、こんな方法を選ぶしかなかったのよ」

「それで正解だろ。しかしあんたは、おれが助けてやらなきゃ、すぐにでも死にそうな扱いを受けていたみたいだな」

「仕方がないわ。この年まで育てて下さっただけでも有り難いことよ。私がしてしまったことに比べればね」

「あんたは、まだ自分を責めているのかい」

 紀鳳は声を上げて笑った。

「見ろ。この美しい空を。透き通る海も、魚が跳ねる川も、緑の森も、みんなあんたが蘇らせてくれたんだぜ」

「けれど、その前に在った全てを壊したわ」

「それでもさ。おれたちは、あんたの存在にどれだけ励まされたか分からないよ。

 おれたちの姿は、心清くあろうとする者にしか見えない。あれほど長い間、あいつらを護り続けてやってきたのに、いつの間にか神々を視る力さえ失ったあいつらに、この星ごと壊されそうになっちまうなんて、随分と皮肉な話じゃないか。

 あんたが生まれる前のおれたちの嘆きの声を、今のあんたに聞かせてやりたいもんだよ」

「……有り難う。紀鳳は優しいのね」

「よせよ」

 紀鳳は真っ赤になっている。


「そうだ。新しい名前をつけさせてくれよ」


「今度は……」



「うん。千鶴だ」

「また鳥の名前?」

「いいじゃないか。あんたにぴったりだよ」

「いいわ。私は千鶴」

 ぴしり。何か堅いものに亀裂が走るような音が二、三度鳴った。同時に、千鶴の手のひらの上に小さな笛が現れる。金色に光る笛には、両翼を広げた鳥の姿が彫られていた。

「さっそく来たな」

 紀鳳は生意気そうな顔で笑う。

「また始まるのね」

 千鶴はごく小さな声で呟いた。

「今度こそ一匹残らず狩ってやるさ。人間になりすまして、この星ででかい顔をしている奴らをな」

「そうね。それには、あなたたちの力が必要だわ」

「うひゃー。畏れ多いな。分かってるよ」

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