【5】貧民窟(5)

*     *     *


 同じ頃、叉雷は希莉江を待っていた。

 部屋に捺夏の姿はない。食堂で朝食を摂っているのである。

 叉雷が宿に戻った時、陽はまだ完全には昇りきっていなかった。隣室の希莉江がいないと気づき、捺夏を叩き起こした。寝ぼけ顔の捺夏から「希莉江はセリと出かけた」と聞かされ、叉雷は殊更驚きもせずに「そうか」と応えた。

 予感はあった。希莉江は小人を見に行ったのだろう。

 希莉江という存在が放つ違和感を、叉雷は初対面の時から感じていた。狂おしいまでに激しい野性的な本能が、小さな体の奥に隠されている。まるで獣のような気性の荒さとは裏腹に、品の高さをも感じさせる。さらに、人を惹きつける不思議な力を持っている。

 希莉江が発する空気は、常人のそれとは全く違う。これまでに出逢った誰とも――ただ一人を除いて――違う。

 希莉江と似ていると叉雷が感じる人物とは、叉雷と捺夏の師であるアンダルシアだ。

 希莉江はまだ己を知ってはいない。だから危うい。小人たちが希莉江を襲うことはないだろう。小人たちが餓えていない限りは。だが、もしも小人たちが餓えていたら。希莉江には、自分自身を守れるだけの力は無い。どれだけ大きな力を持っていたとしても、本人の意志でそれを使いこなせなければ無に等しい。

 叉雷は希莉江を待つことに決めた。気配を捜して走り回っても構わなかったが、叉雷の脳裏に閃いたのは「待て」という彼自身の声だった。じりじりとした焦りを感じなかった訳ではない。それでも叉雷は待つことを選んだ。


 叉雷は立ち上がって窓の外を見る。見た途端に安堵した。「待って良かった」と素直に思う。

 通りを疾走する小さな影は少女の形をしていた。希莉江ではない。セリだ。宿の一階部分へ入ってくる。叉雷は大股で部屋を横切った。


 ややあって、階段を駆け登る足音が扉越しに聞こえてくる。叉雷の手が内側から扉を開く。

「サライさん! 大変っ!」

 叉雷を認め、廊下に足をかけたセリが叫ぶ。よろけながら、叉雷が開いた扉の前へと辿り着いた。

「セリさん。キリエは?」

 問いかける声は穏やかだった。対するセリは、息を乱して喘いでいる。

「あの子、変だよ……」

 苦しげに言葉を吐く。日に焼けた顔が青ざめている。

「どうしたの? キリエは、君に何か酷いことをした?」

「ちがうよ!」

 思わぬ激しさで否定する。漆黒の髪が揺れた。

「そんなんじゃない! 小人だよ。あの子ったら、信じられない。あんな奴らのそばに寄って、話しかけたりして……」

 色を失った唇が切羽詰まった声を吐き出した。

「どうしよう! あんなとこ連れていかなきゃよかった! あの子、何にも知らないんだ!」

 セリは全身を震わせて叫ぶ。

「あたし怖くて、一人で戻ってきたんだ。早くあの子を連れ戻して! お願いだから!」

 叉雷に取り縋って吠える。セリのそれは懇願に近い。

「キリエは、君が『戻れ』と云っても聞かなかったの?」

「全然。訳が分かんないよ。あの子、怖くないの? あたしだったら、あんなことできない。絶対できない……」

「ちょっと待って」

 セリの体から手を離す。叉雷は足早に机の前まで歩くと、屈み込んで引き出しを開けた。中から何かを取り、スラックスの後ろのポケットに滑り込ませる。

「サライさん。早く」

「分かった。彼女の所へ行こう」

 廊下へと足を踏み出した叉雷は、階段をのんびり上がってくる捺夏の姿に顔を顰めた。

「捺夏」

「どしたの?」

 呑気な声で捺夏が問う。食堂で手に入れたのか、片手に湯気を立てる麩菓子を握っている。

「小人たちのことを、どうしてキリエに話しておかなかった」

 珍しく咎める調子で捺夏に問う。

「え? ……あー」

「なるべく近づかせたくなかった。てっきり話してあるものだと思ってたのに」

「悪かったよ。昨日部屋に行ったけど、キリエは寝てて起きなかったんだ」

 ばつが悪そうに肩を竦める。

「そうか……。悪かった。おれが自分で話しておくべきだった」

「案内するから! 早く!」

 ばたばたと走ってゆく。叉雷は捺夏に「ここにいろ」と声をかけると、セリの後を追った。


「本当にここ?」

 鉄の囲いの前で叉雷が問う。鍵束を手に持ったセリが勢い良く振り返った。銅の鍵が擦れ合ってジャリジャリと鳴る。

「あたしを疑ってるの?!」

 今にも泣き出しそうな声音を聞いて、叉雷は慌てて云い直した。

「そうじゃない。彼女の気配が無いから、不思議に思っただけさ」

「うそ! ここだよ。いやだ、あたしってば、鍵もかけずに逃げてきちゃったんだ!」

 云って、鍵束を上着のポケットに突っ込む。セリは叉雷を振り返りながら、恐る恐る扉を開けた。

「……いない!」

 中を見渡して、少女らしい甲高い叫びを上げる。

「小人の数は?」

「一、二、三、四――大丈夫。ちゃんと五匹いる」

「君を捜しに戻ったのかも知れない」

「そうかも! ……あぁ、良かった」

 気が抜けたように息を吐く。セリはバタンと扉を閉め、慌ただしく鍵をかけた。扉が開かないことを何度も確かめてから、ようやく叉雷に向き直る。

「あたし、一旦家に帰る。カイトのご飯を作らなきゃ。キリエを見つけたら、あたしは家にいるって伝えて」

「分かった。手間をかけさせちゃったね。有り難う」

「……」

 セリはぽかんとした顔で叉雷を見上げている。

「そんな言葉、何年ぶりに聞いたかな」

 ぽつりと云う。叉雷が小さな肩をぽんと叩くと、八重歯を覗かせて笑った。

「キリエに伝えといて。もっとマシな所に案内するって」

「分かった」

 叉雷は何気ない仕草で、セリの手に触れる。折り畳んだ札の感触に驚いたのか、セリは一瞬怯えたような顔をする。

「これは、彼女が君に支払う筈だったものだ」

「あ、ありがとう」

 顔を伏せて云う。セリが顔を上げると、叉雷は既に走り出していた。


 宿へと駆け戻った叉雷は、疾風のように階段を駆け上がった。扉を開け、部屋の中へ足を踏み入れる。

「キリエは?」

 捺夏の声が叉雷を迎えた。捺夏は気遣わしげな顔をしている。

「いなかったよ。今から捜しに行く」

「絽々と?」

「いや。もし彼女がここへ戻ってきたら、そのまま引き留めてくれ」

 話しながら、自分の荷物の前に屈み込んだ。中から、ある物を取り出してジャケットの内側に入れる。

「いいよ。分かった」

 肯く捺夏の唇の端には、麩菓子の黒い欠片が残っていた。


 外へ出ると、眩しい光が叉雷を襲った。天を目指して昇る太陽は、この季節に特有の鋭さで人の目を射抜いてくる。

「……あっ」

 不意に声を上げ、両手で自身の目元を覆う。心持ち前屈みになった叉雷は、しばらくその姿勢のままで、何かが彼から過ぎ去るのを静かに待っていた。

「まずいな」

 ごく小さな呟きを洩らした後で、さっと顔を上げて前を見る。

「間隔が短くなってる」

 自らに云い聞かせる声音で云うと、叉雷は風のように駆け出していった。


*     *     *


 ストラッシュは考えていた。

 考えの最中に別のことを考え、その最中にも、さらに別のことを考える。彼には思考がなかった。ただ、細切れの感情だけがあった。


 ストラッシュは考えていた。

 彼の肩や背中に触れて、虫の羽音で彼を困らせたダランガーのことを。中くらいの大きな人は、彼の聞き取れない言葉で、始終ぶつぶつと云っていた。恐怖のあまり、地面に頭を打ち付けているヘレネーが哀れだった。……そう。あの雌のダランガーは、それほどまでに怖ろしかったのだ。彼もまた、あのダランガーを怖れていた。

 彼の母の母から聞いたことがある。ダランガーの中には、古き怪物と契り、異形の子を残したものたちがいる。異形の子の力は凄まじく、ストラッシュたちの母の母の母の母の母たちを幾度となく攻め滅ぼそうとしたという。あのダランガーは、きっと異形の子に違いない。近づかれただけで死を予感した。彼は既に死んでいるにも関わらずだ。紫に光る目が怖ろしくて気が狂いそうだった。


 ストラッシュは考えていた。

 ダランガーとは、彼にとって格好の器である。彼はダランガーであり、同時にダランガーではない。なぜなら彼は生きてはいない。生きているように見えるように器を動かしているだけである。


 ストラッシュは考えていた。

 ごちそうがほしい。ごちそうがほしい。ごちそうがほしい。


 ストラッシュは墓場で生まれた。湿っぽい晩秋の夜だった。大鴉が闇を旋回しながら、けたたましく吼えていた。あれが彼の産声だった。

 正確には生まれたのではない。ストラッシュは今の器を選んで漂着した。そうすることで、ストラッシュは新たな肉体を得たのである。

 器が完全に腐る前に根を下ろす。それと同時に、血液を赤から銀に変える。器は一気に沸騰するほどの高温となり、脳は半分溶けてしまう。肉も溶け出してゆく。溶けないのは骨だけだが、肉の崩れとともに骨の位置は当然変わる。

 そのまま夜明けを待てば、器はストラッシュの新たな体だ。寄生が上手くゆけば、すぐにでも活動を始められる。背丈だけは元の半分以下になってしまうが、それ以外は申し分ない。四つ足で歩く器に寄生したこともあったが、餌を充分に得ることが出来ずに餓えて死んだ。あれ以来、四つ足の器はやめた。


 ストラッシュは考えていた。

 ごちそうがほしい。ごちそうがほしい。ごちそうがほしい。

 干し草はもう、うんざりだった。豆の屑もだ。ダランガーはろくな食事を彼に与えていない。ただ……そう、ほんの時たま、彼が歓喜するような食事を与えてくれる。


 ストラッシュは考えていた。

 これは何度目の器だ?

 一つ、二つ、三つ、……たくさん。


 あー。あー。あー。

 ごちそうがほしい。ごちそうがほしい。ごちそうがほしい。


*     *     *


 昨晩のことである。

 宿を出た叉雷は、友人の家を目指していた。貧民窟の一角に住む友人は、新進気鋭の若き詩人である。屋号は三笠屋。名を冬薙〔とうち〕という。

 冬薙を訪ねた理由は単純だ。気の置けない友人と旧交を温めるためである。

「この世界は何てちぐはぐなんだろう。そう思うことはないか?」

 これは、冬薙の家で叉雷が耳にした言葉である。


 夕闇の中を歩く。耳元から肩口を吹き抜けてゆく風は、やや冷たくて心地よい。

 どぎつい青で塗られた屋根が目に入った。叉雷は迷わず背の低い平屋へと近づいてゆく。

 暗がりでよく見えなかったが、玄関脇の庭には盆栽の鉢が並んでいる。緑の合間には、いくつか花も咲いていた。

 叉雷の手が扉を叩く音は、夕暮れの空に高く響いた。

 叩いた後で、叉雷は待った。冬薙は夜行性である。夜が始まる頃に起き出して、夜明けから昼まで筆を執る。冬薙にとって、今は寝起きの時間だろう。しばらく待つと、家の中から物音が聞こえ始めた。やがて何かを掻き分けるような物音とともに、冬薙の足音が近づいてくる。

 木の扉は、ギィーと軋みながら開いた。

「君か」

 叉雷を認めて、切れ長の瞼が重たげに瞬きをする。短い黒髪は寝癖で四方八方に散らばっていた。銀縁の眼鏡が、細い鼻筋からずり落ちそうになっている。

 叉雷は低く笑い、「お邪魔します」と応えた。

「どうぞ。散らかってるけど」

 埃っぽい部屋の灯りは暗い。朽ちて剥がれた白い壁から、屋根を支える鉄棒が見え隠れしている。

「元気そうだね」

 抑揚の無い声音は相変わらずだった。

「お陰様で。お前がくれた手紙を読んだよ。約束してはいなかったけど、こっちにいるんじゃないかと思って。会えて良かった」

「そうか……。いいタイミングだったよ。明日には都に戻ろうと考えていた」

 冬薙は、都と貧民窟の両方に部屋を借りている。気の向くまま、彩楼と地獄の街とを行き来しているのである。

「君はよく出られたね」

 眼鏡の奥の瞳が穏やかに笑っている。冬薙の学者然とした佇まいを、叉雷は好もしいと思う。独特な感性を持つ友人と交わす会話は、常に叉雷の知的好奇心を刺激する。

「次の長が見つかったからさ。今は捺夏と一緒にいる」

「それはおめでとう」

 生真面目な祝福が可笑しい。だが、冬薙は本心から叉雷を祝っているのだろう。

「君はまだ龍を探しているのか?」

 冬薙が問う。叉雷の答えは云わずもがなである。

「そうか……」

 叉雷は冬薙が手で勧めた椅子に腰を下ろした。肘掛けのついた、重みのある木製の椅子だ。背凭れに彫られた繊細なモザイク模様を見れば、一目で年代物だと分かる。艶々とした黒ニスの手触りも良い。

「良い椅子だね」

 冬薙もまた、叉雷と向かい合う位置に置かれた椅子に座った。

「有り難う。僕は相変わらず古い物に目が無い。それは二百年前の椅子だ。僕のような若造には売りたくないと骨董屋がぼやいていた」

「君らしいな」

 叉雷は声を抑えて笑う。冬薙は、幼い頃から自発的に考古学を学んでいた。

 今から十年前の夏のことだ。冬薙は僅か十才にして一人都に赴き、その頃彩楼で盛んに行われていた霞遺跡の発掘現場で大人に混じって働いた。その年からは、一年の内の数ヶ月を必ず村の外で過ごした。彩楼に限らず、アンガルスや東稜にも足を伸ばし、様々な年代の遺跡を見て回った。村に戻ると、己が不在だった間の埋め合わせをするかのように、誰よりも真剣に畑仕事をした。

 彼は学校には通わなかったが、独学で歴史と考古学を学んだ。詩や文学は学ばなかった。学ぶ必要が無かったのである。彼は我が身を高める為ではなく、生きるために文字を読んだ。読書は彼の生きがいそのものであり、物語は彼の生きる糧であった。聡明な顔つきをした、ややもすると浮世離れして見える彼自身もまた、空想の世界の住人のようであった。

 冬薙は二十歳の誕生日を待たずに村を出た。やがて彼は詩人となり、叉雷の手元には彼の詩を載せた雑誌などがちらほらと届くようになったのである。

「今夜は忙しいかい」

「いや」

「それなら、僕の話を聞いてくれないか」

「喜んで」

 叉雷が肯く。しかし冬薙は、しばらく何の声も発しなかった。

 数分が無為に過ぎた。天を仰いで仰け反った姿勢になり、冬薙は静かに呼吸している。語るべき言葉が落ちてくるのを待っているようにも見える。叉雷は何も云わず、冬薙が言葉を紡ぐのを待っていた。


 やがて冬薙は居住まいを正し、叉雷の顔を正面から見据えた。

「この世界は何てちぐはぐなんだろう。そう思うことはないか?」

 その声は自問の響きを含んでいた。

「ある。だけど、具体的に何がおかしいとは云えないな」

「僕もそうだった。これまでは……。君、アンガルスの荒野遺跡を見たことがあるかい」

「いや」

「行ってみるといい。あの地に遺されたものを見て、僕は自分の予感を確信に変えた」

 冬薙の表情は常になく厳しい。半ば睨むような目で叉雷を見ている。

「君は何を見たんだ?」

 叉雷が問いかける。

「僕は――」

 冬薙は語った。およそ千年を経たのではないかと思われる程に古びた、それでもなお原型を保ったままの金属片のこと。それは銀とも金とも違う不思議な光沢を持ち、立方体の断面はアンガルス人が畏れるダダ神の裁きの光で断ち切られたかのごとく、この世に有り得べからぬ滑らかさであったこと。継ぎ目の全くない、何か大きな機械の部品と思われる白銀の球体。一文字ずつアンガルス文字が書かれた、小さく軽いブロック。真横から見ると台形に近い立体である。出っ張った部品の裏側は空洞になっている。表面はつやつやとしていて、色は灰から黒まで様々だった。冬薙は、そのブロックを見つける度に逃さず拾い集め、ついにそれがアンガルス語で使われる全ての音を網羅していることを知った。また、ブロックの一部は、同じ材質の長方形のボードに嵌め込まれたままで発見された。

「今のタイプキーよりももっと上質なものが、今から遙か昔に存在していたんだ。僕はそれらを見た。この目で見たんだ。今は銀行の金庫に置いてあるが、君が望むなら取り出して来ても構わない」

「それは是非見てみたいな」

 叉雷の声は熱を帯びている。碧の瞳には紛れもない興奮の色があった。

「笑わないで聞いてほしい。捺夏ならともかく、君に笑われたりしたら、三日は立ち直れないだろうから」

「笑わないよ」

「この星は一度死んでいる」

 ひそめた声で告げる。

「そうとしか思えないんだ。いつのことか、ありとあらゆる栄光を享受した人々があり、この地上に非常に高度な文明を築き上げた。だが、それは滅んだ。その文明がどれだけ栄えていたのか、そして、それだけの文明がなぜ滅びてしまえたのか、僕には知りようがない」

 堰を切ったように言葉が溢れ出す。叉雷は瞬きもせずに冬薙を見ている。

「僕は……僕は、これらのことを知らずにいた方が幸せだったのではないかと感じている」

「なぜ?」

「僕らは、全てが終わった後に生まれたんだ。新世代の人類といってもいい。しかも僕は、具体的に何が起こったのか予想すらできないんだ――。なぜ? どうして使い方も分からないような道具の破片が、あちらこちらで見つかるんだ? せめて、発掘された書物を自由に読むことができたら……」

 言葉尻を濁し、冬薙は肩を落とした。叉雷は冬薙に対して、おざなりな慰めの言葉をかけたりはしなかった。失われた物を思って嘆く冬薙の思いは、冬薙だけのものであり、冬薙の生きる力の源でもあることを知っていたからだ。

「君は、いつか全てを知りたいと思う?」

 叉雷の問いに、冬薙は首を振った。そうして、こう云ったのだ。

「知り尽くしてしまったら、僕は生きることをやめるだろうね。きっと」

 未知の存在があるということが、冬薙にとっての糧であるなら、自分にとってのそれは何だろうか。

 冬薙と別れ、来た道を帰る叉雷の心には、これまで幾度となく自問してきた問いが、はっきりと浮かび上がっていた。



 石畳の上を駆けてゆく。奇妙な懐かしさを覚えて、叉雷は苦く笑う。あの夏の日も、こんな風に人を捜していた。

 七才の叉雷がどれほど彷徨っても、捜し人は見つからなかった。代わりに見つけたのは、大空を泳ぐ巨大な龍の姿だった。じわりと胸に込み上げてきたものは、純粋な懐かしさと、紛れもない哀しみだった。

 もしも、あの夏に戻ることが出来るなら。先回りして、失う前に助けることが出来ていたら。きっと、こんな風に生きてはいなかった。もっと穏やかな道を選べたような気がする。

 だからこそ、叉雷は今も考え続けている。かつて犯した無知という罪と、それを償う方法について思いを巡らせている。碧の目で希莉江の姿を捜し、希莉江の気配を全身で探りながら。

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