【4】水の惑星(4)

*     *     *


  『龍の嫁取り』


 今より千と三百年ほどの昔。東の方にいと美しき姫君あり。黒き髪の姫君、名を朱鷺の宮と申す。さて。この姫は生まれ落ちたる日より盲ておったそうな……。

 ある時。霧雨が降る春の宵。風が、悪龍を貪る伽楼羅の如く鳴いておった。

 姫は琴を弾いておられたが、女房らの勧めるままに床につかれた。その時。

 姫の枕の傍らに小さき蛇ぞ現る。色赤うして、鋭き牙持つ毒蛇であった。しかし姫の瞳は生まれてこの方開かれることなきが故に、醜き蛇に手を伸べて、猫の子を愛でるように戯れたり。

 蛇は姫に心奪われ、麗しき若者へと変じ、姫を愛でたそうな。蛇と契りし姫は、その咎により追放の憂き目に遭われた。都を出でて流れた姫は、大山を背後に、大河を前にした淵へと辿り着く。そこには、先の蛇が棲んでおった。聡き姫は、蛇と知りながらも若者を愛したという。

 姫は蛇と結ばれ、やがて子を為した。だが姫は見る間に痩せ細り、ついに蛇はおのが血を姫に分け与えたそうな。

 小さき蛇の正体は、天を覆い地中に伏せる巨龍であった。それも龍の中の龍、龍大王と称される七大龍王を従える龍王であった。

 されど姫と龍王の血は合わず、姫は赤子を産んだ後に身罷られた。龍王の嘆きは凄まじく、その心の乱れは烈しい渇きとなって龍王を苦しめたのだそうな。

 今においても渇いたまま、天を飛び、地に潜りしながら、命あるものを喰らうという。


*     *     *


  『赤の龍どんと青の龍どん』


 昔むかし。ある所に、ばちばち燃える炎のように赤い龍どんがおったそうな。


 龍どんはある日、どーんという音とともに村の上に落っこって、そこには今でも大けな穴ば空いておる。村の者はそれを「龍どんの穴」と名づけて拝んでおるんだとか。

 天から降ってこられた赤い龍どんは、村に落ちつかれた。ながーい体を地べたに置いて、村の子らと童うたを歌うたりした。子らは龍どんの頭から尾っぽまでを何べんも走って遊んだよう。龍どん、龍どん、空を飛んでぇな。だけんど龍どんは地の龍どんだったもんで、空よりも地べたが好きなようじゃった。

 ある年のことだ。夏の暑さに参った龍どんは村の隣にある山に穴を開けおった。そこへ頭を入れて眠るうちに、穴がどんどん深くなってしもうた。終いには、山の向こう側に顔が出てもうて、向こう側の者たちは大層肝を冷やしたそうな。


 村には若い長がおった。賢く、心優しき者だったもんで、龍どんはその者ととくに親しくなすっておった。

 ある夏、あまりにも雨ば少ないもんで、とうとう川まで枯れてしもうた。村の田んぼ畑はみなからからになった。

 長は龍どんにいった。

「龍どん。雨ば降らしてもらえませんか」

 龍どんはいった。

「よし。だがおれが雨を呼ぶ姿を見ちゃならんぞ」

 長は「もちろん」とこたえて、両目をふさいでしゃがみこんだ。龍どんは長の頭の上をびやーっと飛びこして、山のてっぺんへ降りた。

 だんだん雲が暗くなった……。お日さんを隠してしもうて、村は突然真っ暗になった。長はどきどきしながらじっと下を向いて待っておった。

 龍どんは大けな口を開いて、東の空に向かって吠えらっしゃった。

「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」

 それを開いた青の龍どんは、「あいあい」とお答えなさって、赤の龍どんばいらっしゃる所へ向けて、ざばーっ、ざばーっと大水ば降らした。

 村の者はもうたいそう喜んで、ぎゃあぎゃあわめいて踊った。もちろん、赤の龍どんに沢山の供えものを渡したとも。

 赤の龍どんはほっとして、ますます野山をよく守った。緑はすくすくと育ち、獣どもは赤の龍どんのいいつけをよく守ったそうな。


 それから、はぁ何十年経ったやら……。

 また村は大けな干ばつに苦しんでおった。

 村の長は先祖さまの遺された覚書を読んで、今度も赤の龍どんに大雨ば降らしてもらおうと考えた。

「龍どん、龍どん」

 赤の龍どんは彩の川の底に溜まって残ったちょっとの水で、乾いた鱗を濡らそうとしておった。

「雨だな」

 昔むかしの、そのもっと昔から生きておった龍どんは、若い長がおのれに何を頼みにきたのか、ようく分かってらっした。

「よし。おれが雨ば降らしてやるわいな」

「ありがたや」

 長は村のことを何よりも大事に思っておったもんで、龍どんが「おれが山から雨を呼ぶから、お前ら決して山に登っちゃいかんぞ」と言われた時も、「あい。みなによう言って聞かせます」と約束して、急いで村さ帰った。

 ところが、なんとしたことか。

 けちで有名な伽羅屋の息子が、干上がった川のタニシやら魚やらを捕りにきておって、岩陰から龍どんと長の話を盗み聞いておったんじゃ。

「やれあの龍は、おのれでは雨が降らせやせんのだな。よし。おれがついて行って、雨の降らし方を学んでやれ。おれは雨ば降らせる呪い屋として、金持ちになれるやもしれん」

 欲深い若者はいったん村に戻り、長が村の者たちに山へ登ることを禁じる様子を見て、一人にやにやとしておった。


「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」

 赤の龍どんが吠えらっした。

「あいあい」

 青の龍どんは、すぐに大水を降らしてくだすった。

 それを見ていた伽羅屋の息子は、「なんだ、あのようなことでよいのか」ときたならしい顔を上下に振って肯いておった。


 数日あとのこと。卑しい若者は村の者を集めていった。

「おれが今から雨を降らせるけん。もしも降ったら、おれに金やら宝やらをくれるか」

 村の者は面白がって「おう。お前が雨ば降らせるならやってみろ」といった。誰も伽羅屋の息子を信じておらんかったんじゃ。

 息子は山に登った……。川はまだ涸れてはおらんかった。

 伽羅屋の息子は大声で叫んだ。

「おぉーい。青の。水ば降らしてたもれ」

 青の龍どんは「おかしいのう。またか」と思いながらも、「あいあい」と水ば降らせた。

 ざばーっ。ざばーっ。


 ぬくい川辺でぐうぐう昼寝をしとった赤の龍どんは、びっくり仰天したんだそうな。

「おぉ。なんということだ」

 赤の龍どんは、誰かが勝手に青の龍どんを呼んで雨を降らせたことに気づいた。龍どんは始めは悲しみ、やがて怒り狂って背中の鰭からしゅうしゅうと熱気を噴き上げた。

「許さん」

 目を真っ赤に燃やして村へ降りると、そこには青ざめた長が待っていて、龍どんの前に身を投げて謝ったそうな。

 聡き長は、伽羅屋の息子が何をしたのか、村の者から話を聞いただけで悟っておったんじゃな。

「お許しを。欲に目のくらんだ愚か者が雨を呼んでしもうたのです」

 だけんど、龍どんは許さんかった。

「お前たちのために、おれは天帝に首を刈られるのだ」

 長は、龍どんがもう二度と村のために雨を降らせてはくれないのだと知った。

「おれはこれから天まで裁きを受けにゆく」

「龍どん。おれも一緒に行く」

 長はそういうと、焼ける鱗の上に跨って、ともに天へと向かった。


 びゅうん、びゅうんと長いこと飛んだ。天はそれはそれは寒い所じゃった。長は龍どんの口の中でぶるぶる震えておった。

 天帝は風邪を引いて寝込んでらしたもんで、代わりに青の龍どんが扉を開けた。

「お前らか。何をしに来たんじゃ」

 青の龍どんは、まだ伽羅屋の息子の悪戯に気がついておらなんだ。

 赤の龍どんがわけを話すと、青の龍どんは髭から煙を吐き出して怒った。

 だけんど長があまりにも頭を低くして謝るもんで、とうとう許してやることにした。

「おれに一日にいっぺん人を一匹食わしてくれるか。もしもそれが叶うなら、一日にいっぺん大水を降らせてやるが」

 青の龍どんはこうおっしゃった。

 長は喜んだが、いくら雨が降ろうと、村人が一日に一人ずついなくなってしまったら、村はすぐに滅びてしまうのじゃなかろうかと思ったそうな。

「天での一日は下界の七年だ」

 龍どんがおっしゃり、長はそれで手を打たなければならなくなった。

「しかし、死ぬと分かっていて、誰があなた様に喰われるでしょうか?」

「ごく小さき者よ。案ずるな」

 青の龍どんは賢かったもんで、こんな方法を考えたんだとか。

 まず、毎年決まった儀式を行う。田植えの祭でもよし、新年の祝いの席でもよし。

 何らかの理由をつけ、あらかじめ村人全員にくじを引かせておく。あるいは、村人全員の投票によって、龍の餌となる人間を決めておく。六年の間は何事もなく宴が終わる。

 だが、七年目には龍が現れ、餌を喰らって去ってゆく。やがて村には大雨が降る。

「お待ち下さい。そんなことをしたら、村での暮らしがなりたたなくなります。誰が死ぬかをみなで選ぶなんて……」

 長が泣き出してしまったもんで、青の龍どんはさらにこうおっしゃった。

「よし。おれが命あるものを喰らう時には、真っ白な光が出る。これを見た者どもの頭から、おれが喰らった者についての覚えを消し去ってくれよう。これなら、喰われた者だけが消え、ほかの者どもは誰かが喰われたことさえ気づかずにいられるだろう」

「ああ、何ということ」

 長は肝の底から嘆かれたんだそうな。だが、そのやり方なら村はいつまでも滅びずにすむかもしれん、とも思ったんだとか。

 なにより、七年ごとに大雨が降るというのは、何とも魅力的なものに思えたもんで。

「わかりもうした」

 こうして、青の龍どんは長の村に水をもたらすようになったんだそうな。


 それから七年目のこと。田植えの祭の間に青の龍どんに喰われたのは、伽羅屋の息子じゃった。龍どんは光を吐いた。村の者は全員伽羅屋の息子を忘れた。

 村の暮らしは変わりなく続いた。


 いつのことか。雨のしとしと降る夜のこと。

 赤の龍どんが長の夢枕に立って、これより地に潜り、もうめったなことでは人の世に顔を出さないとかたく決めておるのだとおっしゃったんだそうな。


*     *     *


 叉雷はこれまで何度も読み返してきた本を膝の上に載せたまま、顔だけを赤い扉の方向に向けた。

 間を置かず、扉を開ける音が鳴る。部屋に入ってきたのは希莉江である。

「お帰り」

「――ただいま」

 濡れた髪が頬に張りついている。希莉江は抱えていた洗面用具を床に下ろし、両肩に垂らした白いタオルを両手で掴んで持ち上げた。長い髪を拭きながら、叉雷の手元に目を落とす。

「何を読んでるの?」

「龍にまつわる伝説や昔話を集めた本だよ」

「面白いの?」

「どうかな。何度も読み過ぎたから、もう話の筋を楽しむような感じじゃないな」

「随分古そうな本じゃない」

「古いよ。おれの父親からもらったんだ」

「……義理のお父さんに?」

「もちろん」

 希莉江は遠くを見るような瞳で叉雷を見ている。傍観している、とでも形容すべきだろうか?

「なぜ都に戻ろうと思ったの?」

 訊ねる叉雷は、希莉江の視線を真っ向から受け止めていた。

「あたし――あたし、家に戻るつもりじゃないわよ」

 堪えかねたように身を屈め、希莉江は叉雷の目線のさらに下へと頭を潜らせる。

「都に行って、それからどうする?」

「都に着いたら云うわ」

「……」

 叉雷は手を伸ばした。希莉江の頭に軽く手を置く。希莉江は俯き加減のまま、身じろぎもせずにじっとしている。

「そんな風に全てを先延ばしにしていると、いつか大事なものを選び損ねるよ」

 いつの間に扉を開けたのか。預言者じみた言葉を発したのは、風呂上がりの捺夏である。

「あたしは、――考えてるだけよ」

「何を? 下手な考え休むに何とかってね」

「似たり」

 叉雷が「何とか」の部分を補足する。

「それだっ」

「あたしは考えたいの。これからどこに行って何をするのか。あたしは何になれるのか」

「あんた、自分自身に高望みしすぎなんじゃないの」

 捺夏は、希莉江のおぼろげな願いを一言の下に斬って捨てた。

「廊下に出て、奧へ行くと化粧台があるよ。あそこの鏡に左右反対に映ってるのが、今のあんた。どこにも捜しに行く必要なんてない。あんたはあんたのまま。どこへ行っても、何をしても、あんたはあんただよ。別の誰かになれる訳じゃない」

「それでも……あたしは考えるわ。だって、あたしの行く末を真剣に考えてくれるのは、あたし以外にいないじゃないの」

「だったら尚更だよ。自分を安売りするのはやめなよ」

「安売りしてるつもりはないわ」

「そうかな? どこへ行くかもろくに決められないのは、あんたの心が定まってないからじゃないの?」

 捺夏は話しながら片眉を上げる。

「いつか時が来て、あんたも気づくよ。自分が本当にしたいことが何なのか。本当はどこに行きたいと思ってるのか。それが分かれば、くよくよ考える前にとっとと動くことができるようになるんだよ」

「考える前に動く?」

「そう。目標さえ決まれば、行き先も決まる。行き先が分かってるなら、後は簡単な話だよ。どうやってそれを実現するかだけに集中すればいい」

「……あたしには分からない」

 希莉江が云う。その口元は苦痛を堪えるかのように引きつっていた。

「どうしてさ?」

「あたしには何の力もない。どこにでもいる、取るに足らない、ちっぽけな子供だわ」

「何だ。ちゃんと分かってるんじゃないか」

 くふふ、と捺夏は生意気な野良猫のように笑った。

「あんたは、あんたのやり方で進めばいいんだよ。背伸びなんてするだけ無駄だよ。自分を大きく見せようとして爪先立ちしたって、足下を掬われるだけなんだから」

「あたしが行きたい場所は、もう決まってる」

 挑むような顔つきの希莉江が応える。

「それはどこ?」

 問いかけたのは捺夏である。

「あたしは貧民窟に行きたい」

「……」

「……」

 捺夏と叉雷は無言のまま互いに顔を見合わせた。

「な、何よっ。何か云いなさいよ」

「あんた、変人だよ……」

 捺夏が呆れ果てた様子で呟く。

「大胆だなあ」

 その隣に座る叉雷は、のほほんとした顔で自身の感想を述べた。

「いいよ。行こう」

「やめろよォー。あんなとこで何すんのさ」

 捺夏は幼い子供がいやいやをするように首を振った。

「どこで何をしようとあたしの勝手でしょ」

「捺夏。下に行って、酒を買ってきてくれ」

 叉雷がにこやかに指示を下す。

「はぁ?」

「乾杯するのさ。キリエの決心に」

「自分が飲みたいだけだろーっ」

「よく分かったな」

「はーやだやだ。お前ら、勝手すぎるって罪で地獄に堕ちても知らないぞっ」

「あたしジュースがいいわ」

「ふざけるなーっ」

「分かった、分かった。自分で行くよ」

 勢い良く立ち上がると、腰を浮かしかけていた捺夏が叉雷を見上げた。

「おれ、麦茶」

「はいはい」

「あっ。果物のゼリーがあったら買って」

「あと今日の新聞」

「……仰せのままに」

 叉雷は肯き、右手を胸に置いて礼をする。

「あんた、結構図々しいね」

「どっちが!」

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