【3】龍(2)

*     *     *


 どうしよう。気が逸ってたまらない。

 叉雷はにやける顔もそのままに、両手をぐっと握ったり開いたりしながら、都の方向に向かって走り続けている。

 唇は固く閉じられたままだ。うっかり開きでもしたら、大きな声で「いぇい、いぇい」「うぉおおおお」「やったー」等の歴史ある村の若長には相応しからぬ言葉を叫んでしまうであろうことが分かっていたからである。

 叉雷は疾走する。ろくに足音も立てずに。

 白い雲が背後に流れる。青い水鳥の羽根のように身が軽い。――このまま都まで駆けていってしまおうか? 何もかも捨てて。


 だが、若い長はついに立ち止まった。

 勢いに任せて街道に足を踏み入れることは流石にできなかった。

 街道の始まりを示す赤い看板が叉雷の足を止めさせた。希莉江が泊まったというホテルは、随分前に通り過ぎている。

 幅広の土の道の両側にはぽつぽつと石の家が建っている。家の数は都に近づくにつれて増えてゆく。その中には、叉雷の馴染みの店もある。薬局、酒屋、本屋、八百屋、食堂。都からの定期的な輸送ルートがこれらの店の営業を可能にしている。都から離れているとは云え、叉雷たちの住む村とは明らかに違う。一言で云うと街なのだ。役所、学校、教会や病院なども石造りの立派なものである。

 叉雷や捺夏が絽々に乗ってこの辺りを飛ぶ時、何台もの馬車を率いた業者が奴隷に命じて荷台に積まれた商品を下ろさせているのをよく見た。小分けにされ、荷車に乗せられた荷がそれぞれの店に運ばれてゆく様を見て、二人は「なんで村まで運んでくれないんだ?」と愚痴をこぼし合ったものである。


「ここまでかな……」

 希莉江がいる。自分の旅は、彼女との約束を守ってからのことだ。それでもきっと遅くはない。一息ついた叉雷は、こちらに向かって歩く人影を認めて声を上げた。

「捺夏」

「あっ。叉雷だ」

 捺夏が叉雷を指差して云う。彼は、両手にぱんぱんに膨らんだ白い袋を一つずつ提げていた。街道に面した行きつけの小物屋で買ったものらしい。

「……」

 飛竜を伴っていない捺夏を一瞥し、すぐに踵を返して村へと駆け戻ろうとする。

「おいおい、叉雷。無視かよっ」

 捺夏は子供のように喚く。

「なんだよ?」

「どうしたんだ? 血相変えちゃってさー」

「おれの一大事なんだよっ」

 斜め後ろを振り返って叫ぶ。

「はぁ?」

「龍に逢いにゆくっ!」

 応える叉雷は無駄に爽やかであった。見る者が見れば、彼の背中に七色の後光が射しているのがはっきり見て取れたであろう。

「はぁ?」

 訊き返す捺夏は冷静である。

「何を云ってるんだ? いつだって逢えるじゃないか」

 村の方向を顎で示して云う。おそらく絽々は捺夏の家で留守番をしているのであろう。

絽々は常に捺夏の傍らにいるが、「運動不足になるぞ」という大変理に適った叉雷の忠言を受け、捺夏は時々絽々を置いて徒歩で買い物に行ったり散歩に行ったりするのである。

 叉雷は、捺夏が留守の時に彼の家を訪れたことが何度かある。主がいないと退屈らしい絽々は叉雷の来訪を喜び、彼が帰ろうとすると非常に寂しがるので、捺夏が戻るまで絽々の遊び相手になってやるのだった。

 そのため、今現在の絽々がどんな様子をしているのか克明に想像することができた。

 絽々は捺夏が用意した餌箱に鼻先を突っ込んで、中にあるハムやチーズ、捺夏が与一やイフラジャンから安く仕入れたキャベツ類をのんびりと食べているのだろう。あるいは、主がどこかから拾ってきた紅白の縦縞の布団の上で昼寝をしているのかも知れない。

「そっちの竜じゃないんだ」

「まさか……」

 捺夏は神妙な顔で叉雷を見た。

「蛇のように長い身体をした、美しい龍さ」

 夢見るような顔つきの叉雷が云う。

「バカだなあ。あれは伝説の産物だろ」

「それが、そうとも云えないんだ」

「いなーいよー。龍なんか」

 叉雷を馬鹿にするように歌う。

「いるさ」

 きっぱりと否定する。まるで、実物を見たことがあるかのような口ぶりである。

「婆様が教えてくれた。この星には、確かに龍がいるんだってさ」

「……サトばあちゃん? もうぼけかけてるじゃんか」

「失礼な奴だな。ちょっと物忘れが多くなってるだけさ」

「なんでいきなり龍なんだよ?」

 捺夏は首を傾げている。

「おいおい。いきなりじゃないよ。だいたい、おれがずっと捜してたのは龍だったんだぜ」

「えぇー! 遺跡巡りした時に『古代人が遺した宝を捜すぜっ』って云ってたじゃん」

「あれは嘘だよ」

「がーん。おれ本気で捜してたのに。っていうか、お前をもぐりのトレジャーハンターかと思ってたのに……」

「おあいにく様。お前の期待に応えられなくって悪かったよ」

「がっかりだ」

 心底がっかりしたような顔をする。

「とまあ、こんな訳でおれは旅に出るっ」

「やだー。行くなよォー」

 捺夏は情けない顔で叉雷の袖を引く。

「誰が止めても行くよ。おれは近い内に旅に出るつもりだった。なんなら、今夜発ってもいいくらいだよ」

 叉雷はとりつく島もない。

「お前、一度出ると長いんだもん。おれ退屈しちゃうじゃんかー」

「お前の退屈さ加減なんかどうでもいいよ」

「やだやだ。おれも行く」

「そう云って毎回ついてくるけど、お前すぐに飽きて『帰ろう』『帰ろう』って云うじゃないか」

「云わないからぁー。村に残るの、やなんだよ。おれだけ働いてないのもやだし、耕す畑がないのもいやだ」

「冬薙〔とうち〕が余った畑をくれたじゃないか。あれはどうしたんだよ」

 冬薙とは二人の共通の友人である。三笠屋の次男は昨年の夏に「詩人になる!」と宣言して都へ渡り、本当に詩人になってしまった。

 昨年の暮れに淵沼の村へと凱旋した彼は「もう肉体労働はいい。これからは頭で稼ぐつもりだ」と語り、自らが所有していた畑を捺夏に譲ってくれた。譲られた捺夏は「くれるってんなら、もらうよ」と寝ぼけたような言葉を吐いた。土地の所有権を移す契約書を作成したのは叉雷である。

 やがて捺夏は、冬薙の土地を正式に受け取った。今年二月の出来事である。

「あれ? 花畑にした」

「お前って奴は……」

 叉雷は出来の悪い弟を見るような目で捺夏を見上げている。

「だって、荒れ地だぜ。引き水もできないんだもの。近くに川も池も無いし」

「何を植えたんだ?」

「えーっと、いろいろ」

 面倒くさかったのか、捺夏は答えを四文字にまとめた。

「そうか。秋が楽しみだよ。ちゃんと水やってるのか?」

「あ」

「……」

 叉雷は無言で親友の花畑の運命を憂えた。


 土埃が舞う道の両側には、鬱蒼とした森が彼方まで続く。樅の木がそよ風に小さく揺れている。所々に柳や竹の姿も見える。

 叉雷と捺夏はぽかぽかした陽気の中を歩き続けていた。

「あれはどうなったんだ?」

「あれって?」

「祭の芝居をやめようとしてたじゃないか」

「あれか。あれは続くだろ」

「なんでやめないのかな? 皆疲れるだけだろうに」

「観光客には受けるんだろ。古めかしい着物を着て、白粉をはたいた顔がさ」

「変な芝居だよなあ」

「長老曰く、『流れ者の子や片親の子が主役を演じることで、日陰の者にも陽が当たる』ってことらしいよ」

「それって、祭の時以外はずっと日陰にいろってことと同じだよなー」

「まあね」

「若い奴らは皆やめたがってるのに、結局年寄りが一番やりたがってるんだよ」

「お前も主役をやったな。イフラジャンも」

「叉雷もやっただろ。本当ならあの年は大祭だったのに、普通の祭で残念だったね」

「さあ。どうだか」

 叉雷は片手を翳して太陽の光を遮る。

「都への出稼ぎ支援も、誰も利用しないな」

「怖いんだよ。知らない場所へ行くのがさ」

「おれなら、一生同じ場所にしかいられないことの方がもっと怖いと思うけどなあ」

「あれは、年寄り組は『好きにやれば?』と思ってて、若い奴らがびびってるだけだよ」

「与一が怒ってたな。村の伝統が穢れるとかなんとか。村が観光地になるのはいいのかね」

「気にするなよ。与一は、叉雷の提案に反対できるのは自分だけだと思い込んでるんだ」

「何でかな。いつも与一だけが反対する」

「与一は自分が長になりたいんじゃないの」

「そうなのか?」

「たぶんね。そろそろ譲ってあげたら?」

「次の集会で提案してみようかな」

「うん。とっとと誰かに任せた方がいいよ」

「全くだ」


「あれっ?」

 村が見えるほどの距離になってから、捺夏は叉雷よりも先にあるものを発見した。

「叉雷、叉雷」

 片手を上げて前方を指差す。両手の荷物ががさがさと音を立てる。

「何だ?」

「あれだよ。まさか見えないのか?」

 長い衣服の裾を風にはためかせる人影が、二人を待ち構えるように立っている。

「……何が?」

 叉雷はすっとぼけた返事を返す。

「どこ見てるんだよ。目の前だぜ」

「眩しくてよく見えないんだ」

「ほらやっぱり。キリエだろ? あれは」

「彼女だね」

「夜までに返事をするって云ってた」

「結論は早いにこしたことはないよ」

 その言葉が終わらない内に、希莉江がこちらに向かって駆け寄ってくる。

「足が速いな」

「こまねずみみたいだ」

 捺夏は動物たちを愛する者らしい例え方をする。

「やあ」

 叉雷が先に立ち止まって声をかける。

「行き先は決まった?」

「あたし、宗香には行かない」

 希莉江はきっぱりと宣言する。全力疾走ではなかったのか、彼女の息は大して荒れてはいなかった。

「その代わり、違う場所にあたしを連れてって。お金はもう払ったでしょ。あたしの護衛をしてよ」

 やや緊張した面持ちで言葉を続ける。

「ボディガードとして雇ってあげる」

「いいよ。分かった」

「叉雷ってば! やめろよ!」

 捺夏が激しく異議を唱える。

「どうしておれがもらった金のために叉雷が働くんだよ! 変じゃないか」

「別に変じゃないさ。さっきも云ったろう。おれは今夜にでも旅に出るつもりだった」

「おれは反対だよ」

「じゃあどうする? この娘にもらった金はどうやって返すんだ? まあ、耕作機を換金するっていう奥の手もあるけどね」

「それは嫌だ」

「いやだいやだばかりじゃ話が進まないよ。誰かに金をもらうってことは、それに値するだけの何かを与えると約束することだ。おれは、おれの大事な親友を嘘つきにする訳にはいかないんでね」

「くっそ~」

 捺夏は唇の端を歪めて唸った。

「おれ、丸めこまれてないか? どう思う」

「あ、あたしに訊かないでよ……」

 希莉江は困惑したように両手を胸の前で左右に振った。

「おれも責任を取るよ。絽々を連れてついていく」

「どうする?」

 訊ねたのは叉雷である。

「あたしは別にいい。ダッカがついてきても構わない」

「それで? どこに行きたいんだ?」

 叉雷が問う。

「今夜十時に宿の外で待ってるから。その時教えるわ」

「分かった」

「じゃあ宜しくね」

 希莉江が念を押す。叉雷が肯くと、くるりと体の向きを変え、来た時よりもさらに速度を上げて駆け戻ってゆく。


「これからどうするんだ?」

「どうするって?」

「本当にキリエを連れていくのか? 足手まといになるよ」

「ならないさ。龍捜しは彼女との約束を果たしてからの話だよ」

「今夜発つのは決定事項?」

「もちろん。行き先は――」

「キリエ次第か」

「よし。集会だ」

 叉雷は断固たる調子で口にした。

「えぇー?」

「捺夏、皆に伝令を。夜七時に集合だ」

「……いいよ」

 捺夏は右手を指笛の形に構えて見せた。

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