シェラの思い①

「お疲れっ! ……元気、そうじゃねえな?」

「はぃ……? あ、いえ。そんな事は無いんです」


 明くる日の昼休み、エンドは授業が終わるなりシェラレラに声を掛けた。

 だが、返って来たのは弱々しい返事と困ったような笑みだ。

 気落ちしているのは誰の目にも明らかだった。


「ちょっといいか? 昼。たまには一緒に喰おうぜ?」

「……ごめんなさい、私……先約があって」

「どうせ、あの貴族だか何だかの眼鏡ヤローだろ? 一日位良いじゃんか、ほらほら」

「あ……わ、わかりましたから引っ張らないで」


 教室から出際に、シェラレラはちらちらとリィレンの方を見ていた……赤い髪の少女は部隊チームを組む予定のメンバーとの会話に忙しくそれに気づく事はなかったが。


 授業から開放された生徒達の賑やかな人混みを抜けて、エンドは校舎の外側、庭園の一角へとシェラレラを連れ出す。

 丁度木陰になった位置に木製のベンチが有り、エンドはシェラレラをそこに座らせた。


「ちょっと待ってろな……」


 食堂では席が多い時の為に、外や教室などで食べられるよう幾つか軽食の類も置かれている。

 エンドは箱入りのサンドイッチと茶を二人分用意して、すぐに戻って来て隣に座ると、それを押し付けた。


「ん! ……こんなんでも腹の足しにはなんだろ」

「……私はいいですよ。それだけじゃエンド君のお腹が空いちゃいますから」

「受け取らないなら、無理やり口に突っ込んでやるけど?」

「う……わかりました。有難く頂きます……」


 渋々それを受け取った彼女は、小さい口を開け、摘まむように食べだすが、やはりあまり食が進まないらしい。

 そんな中エンドは突然本題を切り出す。


「お前、部隊チームどうすんの」

「――! ごほっ、げほっ……」

「オイオイ大丈夫かよ……」

「い、いきなりですね……あはは」

「いきなりじゃねえよ……もうそろそろだろ、部隊結成届の提出日」 


 びっくりしてむせるシェラレラの背中を叩いてやりながら、エンドはポケットから出したプリントを拡げる。

 左上の提出期限も文字が示すのは、約一週間後の日付だ。


「それなんですけど……」

「おん……?」


 それを見て彼女は浮かない顔でため息を吐き、思いもよらぬことを言った。 


「……私……学校辞めようかなって」

「ぶぶっ……!!」


 今度はエンドが吹き出す番だった。


「げはっ……お前な、冗談言うなよ! 何がどうなってそんなことになんだよ!?」


 慌てるエンドに彼女は小さく済みませんといった後、自分の胸の内を告げる。


「自信が……無くなっちゃいまして」

「自信……?」

「……少し長くて、個人的な話になりますけど、聞いてくれますか?」

「……あぁ。い~よ、話せ」


 エンドが途方に暮れる中、彼女は空っぽの瞳で地面を見てぽつぽつと語り出した。



【・シェラレラ視点】


 静かな庭園に風が吹き付け、梢を揺らす音を背景にシェラレラはぼんやりと思い出すように話し始める。


「私、本当は親に反対されたのに、無理にここに来たんです。三公家の娘がそんな危険なことをするんじゃないって……。お前は家で大人しくして、将来然るべき所へ嫁ぐために、美しく着飾って殿方の望むように花を愛で、刺繍などしていればそれでいいんだって」


 ――こころの無い人形のような私。

 品良く楚々としたように見える立ち振る舞いも、自然に映える程度薄化粧も、私が望んで身に着けたものでは無く……周りからそう在れと押し付けられたもので。


「私はフィーレルのやや北に位置するコーカザリア領周辺を統治する、ハッシュベル・エル・コーカザリア公爵の二女として生まれました……。何不自由のない環境で、親や周りの言う通りに言われたことをこなす日々。それを、子供の頃は何の疑問も無く過ごしていたんです……」


 幼い頃はそれでよかった。

 言われた通りにしていればなんでも褒めて貰え、周りは温かく接してくれたから……それだけでとても楽しかった。


「けれど、それは……私自身に向けられたものではなく、コーカザリア公爵家の第三女という立場に向けられた、作り物の世界だった。まるで、暗黙の了解の上で、私だけが悟れない様に……プレゼントの周りを包む紙のようにそれは私を優しく包んでいたんです」


 しかし、自我が芽生えるにつれ……その態度が本当に自分自身に向けたものでは無い事が、ゆっくりと理解できてしまった。


 それを気づかせたのは、周囲の暖かくもいつも変化の無い無関心な瞳。

 全てはあくまで、三大公爵家の息女であるという立場に向けられたものである事がわかって、疑問がはっきりと芽生えた。

 

 ――私は……シェラレラ・エル・コーカザリアって値札のついた、ただのお人形なのかな?


 きっと、他の皆には私の背中に華々しい看板でも付いているように見えているのだろう。

 本当は、そんな立派なものじゃないのに。

 そしていつかは綺麗にラッピングされたこの世界ごと、誰かに贈られる――。


 私は最初は考えないようにしようと務めた。


 だが、時折目に入る家の外での光景は、ひどく心を疼かせた。


 楽しそうに友人と走り回る少年、親の手を引いて関心を買おうとしている少女、そんな姿を見る度に胸が締め付けられた。その自由な感情の交わりが……羨ましいと思った。


 このまま、家の望むまま一生を捧げる……それがこの家に生まれた責任。

 正しいとわかっている、こんな自分きもちは殺さなければならないと、分かっているのに。

 でも、そうしなければいけなくても……私は。


「私は三大公爵家の娘ってラベルが張られただけの……外側だけの中身の無いガラクタなのかなって、思ったんです」


 誰も私なんて必要としていない。

 家柄と血筋が大事なだけで、それだけ揃っていれば、後はどうでもいい。

 たまたま偉い人が持ってただけで希少価値プレミアのついた、ただの石ころ、みたいな。


 ――嫌だな、そんなの……。


 一度そんなことを考え出すと、頭がおかしくなりそうになった。

 一体私を、シェラレラ・エル・コーカザリアとしてじゃなくて、ただのシェラレラとして必要としてくれている人がどこにいるのか……そう考えだすと、居ても立ってもいられなくなった。


「そうしてついに私は、直接対面で父親に懇願したんです……」


 公務で忙しく時間の取れない父を、小さい頃の病が再発したふりをして、強引に呼び出した。

 あの時は少しおかしくなっていたのかも知れない。


『私には、この家を背負って生きてゆくことはできません! 全てを何かに委ね、人形のように生きてゆくのに耐えられないんです! 貴族として生まれ、それが当然の責務であったのだとしても……私はどうしても自分を捨てられない……。 父上、お願いです……もし私に、この家の一員してではなく、一人の娘としての愛情があるならっ…………! 私を一人の人間に、戻して……』


 そこから先は言葉が出てこずに、私はその場で崩れ落ち、涙で絨毯を濡らした。

 

『……そうか』


 父は重々しく一つだけ頷き、私を優しく抱えて部屋に返した。

 物心ついてからほとんど話したことの無いはずのこの人に抱き上げられた記憶が、わずかに蘇り……やはりこの人は父なのだと涙が止まらなくなった。


 今もその時の傷まし気な瞳だけは、はっきりと思い浮かぶ。

 娘として、何て酷い事を言ってしまったのだろうか……けれどもう一度あの場所に戻っても、私は同じことをきっとしたのだと思う。


 それからすぐに言い渡されたのが、ここ、冒険者養成校への入学。

 元々数年前に父は《神使》から推薦書を受け取っていた様だが、その事を私には伝えずに胸にしまっていたようだった。


 それからしばらくして、私はこの地に送られた。

 母方の血縁の名を借り、シェラレラ・ルーミスと名前を変えて。


 生まれて初めての、家を出ての生活は身の回りのことをする者も傍におらず、試行錯誤する毎日で……。

 知らぬことも多く大変だったけれど、一つ新しい物事を経験するたびに、確かな成長が実感できるようで、とても充実していた。


 そして、何より大きかったのは自分の名前を呼んでくれる友人ができたこと。


 名前を呼ばれることの……自分が自分だと認めて貰える事の何と嬉しかったことか。

 灰色だった景色が鮮やかに彩られたような、そんな新鮮な喜びが胸の内を満たしていた。


 もしかしたらここでなら、あんな思いをしなくても。

 私が望む私に……誰かに必要とされる私になることが出来るかも知れない。


 一人の人間として心から誰かと、喜びを分かち合える私に。


 だがそんな淡い期待は、突然に終わりを告げた……。

 この容姿と名前が……人形としての私を縛っていた鎖が茨のように断ち切れずに私を捕え、大切な友達を傷つけ、遠ざけた――。


 私は泣いているような顔で目の前の少年に笑いかける。


「少し、疲れてしまいました。家から出る事ができれば……きっと違う私になれんだって。そんなふうに少しだけ期待していたんですけど……結局私には何も変えられないみたいです。大事な友達が詰られているのに、味方もせず立ち竦んで……。彼らの言葉を諫めもせず、友達を追いかけもしないで。……最低です。こんな私が、弱い私がこの先こちら側でやっていくなんてきっとまた、誰かを傷つけるだけだから……いっそ」

「諦めるってか?」


 恐る恐る見上げた彼の顔はただただつまらなそうにしていて、自分に対しての慰めや憐れみが現れていない事に少しだけ私は救われた気がした。


 だから素直に言うことができた……その続きを。


「はい……私はこの学校を辞めます。その先どうなるかはわかりませんが」

「……そッかよ」


 彼はおもむろに立ち上がって手の中の紙袋をぐしゃっと潰し、私を見据えて笑顔を向ける。


「ま、大体分かったよ。お前がどうしようが俺には関係ないし、どうするつもりもねえけど……一つ言わせて貰うな」

「……はい」


 私は少しだけ顔を覆って、貼りついたような笑みを思い出した。

 これからまた、元の人形に戻らなければならないのだから。

 

 だが、彼の言葉は予想外に私の胸を貫く。


「――俺、お前の事、大っ嫌いだわ」

「は……」


 ちぐはぐな表情と言葉に、私の頭が真っ白に思考停止フリーズした。

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