入れ替え戦当日②

 ドサッ……。


 一人の男が苦悶の声をあげ、地面へと転がる。

 それを見下ろしもせずに蹴り足をしまうと、少年は左右に首を巡らせた。


「こいつで最後っと。あっれェー!? ここ、さっき通ったよな……。こっち……も行った。あぁもう、どうなってんだよこん中は……迷路じゃあるまいしっ!」


 苛立ち混じりに足元の小石をかっ飛ばしながら、エンドはぐるぐる周りを走り回るが、もはや現在地がどの辺りなのかすら定かではない。


 完全に迷っていた。


 ギルドの敷地内はかなり広く、未だエンドが踏み入れたことの無い場所も沢山ある。


 ここもそのようだ……植林された静かなエリア。敷地の塀が迫っている所を見ると、方角はわからないが外縁部に近い場所のようだ。


 手に大量の食物を抱えながらどたどたと駆けまわり、だんだんと人のいる方から遠ざかってしまったのは彼が方向音痴なせいだけではなかった。


 妙な男達が襲撃をかけて来た……といってもほとんどが武器なども携帯していない街のならず者程度で、命まで奪う意図はなかったようだが。


 こちらを気絶させ拘束しようと振り回して来た拳や棒を避け、適当に数人ノシたものの、数が多すぎて面倒臭くなって逃げた。

 両手に大事な荷物しょくじも抱えていたし、手加減するのもそれなりに気を遣う。そのおかげで撒けはしたものの、周囲に人すら見当たらない僻地へ追いやられてしまい、現在に至るのだった。


「っくそ、やべー、やべーぞ……戦いに間に合わなくて不戦敗とか流石に格好つかねぇ……。おぉぃ、だ、誰か~!! 道を教えてくれぇー!」


 青々した茂みを踏み荒らして、エンドは男達に見つかってしまっても構わない気持ちで叫ぶ。


 そしてその返答は意外にすぐ近くからもたらされた。


「はぁい~?」

「うォア!? びっくりしたぁ……」


 背の高い草木に隠れて気付かなかったのだが、そこにはもぞもぞと起き上がるナニカがいた。

 土嚢袋か何かと思う白さだが、恐らく違う。


 それは白地に黒い幾何学文様の入ったローブを纏う、少女だった。

 彼女はこちらを向くと、ゆっくりとした動作で一つ欠伸をして、目深にかぶっていたフードを取り払う。


「ふぁ、あ、あわわわわぁ……日差しのいい日は良く眠れるんですよね、ここ。だからつい、惰眠を貪ってしまったんです。私のせいでは無くて、日差しが気持ちいいから悪いんです。そして計算されたこのベストポジションの存在……つまりこれは罠……この敷地をこんな風にした誰かが私を陥れようと作り上げた策略であり、私は救われるべき子羊なのだとそう思いませんか?」


 途中からなにか言い訳を加速させ始めた彼女に、エンドは怪訝な視線を向ける。


「いや、知らねえし……ひたすらどうでもいい」

「あれ……? 司教様では無い?」


 どうやら何か人違いをしていたらしい。

 ローブの少女は不思議そうにこちらを見た後、日差しに溶けた様にふにゃりと顔を緩めた。

 ライトブルーのほわほわっとした髪の毛で、まるで綿菓子のように顔を包んだ……どことなく羊とか兎とかを連想させるような雰囲気の少女。草でも食んでそうである。


 彼女はゆっくり手を持ち上げて挨拶した。


「こんにちわぁ~」 

「あぁ、こんちは?」

「子羊です」

「それはもういい! ……じぇねえわ、あのさ、悪いけどここ、どこなんだ? 知ってたら教えてくんねえ?」


 めーめーと鳴き真似までする彼女のペースに引き込まれそうになって、ついエンドは眉をしかめた。


「ここは冒険者ギルドです~」

「知ってるわ! どこら辺かって聞いてんだよ! はぁ、もう一回いうぞ。ここは冒険者協会トラベラーズ・ギルド内のどこなんだ……知ってたら教えてくれねえか?」


 エンドの怒鳴り声にも動じずに彼女はあくまでマイペースを貫く。


「はぇ。あ~……え~とですね、ここは冒険者ギルド本部の外縁に設置された《神使逗留所とうりゅうじょ》の庭園部になりますねぇ。養成校とは真反対になりますです~」


 彼女は寝転んでいたシートの上に、ポケットから取り出したカラフルな包み紙の飴玉を置いて説明を始めた。


「この青いのが、《神使逗留所》でぇ、真ん中の黄色が本部、赤いのが養成校って感じで、あっちの方角になりますねぇ」


 冒険者ギルド本部の敷地内には、本部の建物を挟むようにして、東側に養成校、西側に彼女が言う所の 《神使逗留所》が設置されているらしく、彼女は順番にそれを指示した後、エンドの背後を指差した。


「げっ、時間ねえのにそんな遠くまで来ちまってんのかよ……不味いかも」

「お~、何か今日、養成校の生徒さん達の試合があるらしいですね~。もしかして君もそれに出場する人なんですかぁ?」

「そーそー。クラスのダイヒョーとしていけすかねえ貴族の野郎をぶっ倒さないといけねえんだよな」


 その言葉に、彼女は理解できないと言うかのようにくたっと首を傾けた。


「お貴族様を……ですか~? でもそんな事をしてしまうと、色んな人から怒られちゃいますよ? 下手をすれば捕まって牢屋に入れられてしまったりするかも知れません。止めておいた方がいいのでは~?」

「そんなことにゃーならねー」

「どうしてそんな風に言えるのです~? あなたが強いからですか……? 力でなんでもかんでも解決できるわけでは、無いと思いますよ~?」


 エンドはその言葉に首を振る。


「んなこた俺だって思ってねーよ。でもさ、強くなくたって、何かから選ばれてなくたって……それが正しいと思うんだったら、ちゃんと言わねーと。お前はどう思う? 貴族だから、王様だからって、全てが肯定されるべきだとそう思うか? 地位や権力があれば、何をしたって許される……それでいいって思うかよ?」

「い~え……そうであって欲しくは無いと思いますけど」


 彼女は静かに首を振った。


「だろ? じゃいいじゃん。俺みてーなバカでもわかることなんだから、どっちが悪いか誰だってわかんだろ。知ってっか? 悪いことってのはやっちゃいけねぇんだぜ」


 至極当たり前のことをさも重要なことのようにエンドが言うので、少女はくすりと笑う。


「君は純粋なんですね~」

「複雑なのが嫌いなんだよ。駆け引きとかめんどくせーし。そりゃ、相手には相手の言い分もあるかも知れねえけど、んなもん知らねー。文句があるなら納得させてみろってんだ」

「ふふ、くくくくく……本物のお馬鹿さん発見しちゃいましたぁ」


 それを聞いた彼女は口を押さえて体を折り大袈裟に笑い出す。

 

「うるせーな、馬鹿でそんなに悪いかよ」

「褒めてるんですよ……大好きなタイプのお馬鹿さんです。君は自分も、周りの人も正しいことを選択できると強く信じているんでしょう? 多くの人々の心に善意が宿っていることを」

「お、おー、おかしいかよ……? 普通だろ?」


 覗き込んで来た空色の瞳に灯る不思議な光が自分を吸い込むような気がして、エンドは慌てて顔を背ける。 


「あのな、俺はんなとこでユーチョーに話してる暇は無くて……」

「きっと君の中の世界は、多くの人々が星のように互いを暖かく照らしあっているんでしょうね。とっても素敵……私あなたのこと気に入ってしまいました。そんなあなたには是非導きを与えてあげなければ」


 おもむろに立ち上がった少女が荷物をまとめて行うのは、祈りの仕草。

 そこだけが彼女の動作の中で切り取られたように静謐で――。


 次の瞬間エンドは目を疑う。

 空が……巻き取られるようにするりと吸い込まれ、ぽっかりと穴を開けたのだ。

 

 縁だけがぼんやりと揺らぐ円……彼女は片手を躊躇せずその中に突っ込むと、振り返ってもう片方の手を差し出す。


「大丈夫ですよ。さぁいらっしゃいませ、あっという間に近くまで送って差し上げますので~。私を信じて頂けるのなら、ですけど~?」

「……おもしれえ。乗ってやろうじゃんか……」


 中がどうなっているのか全く窺えない闇の中へ誘われて……。

 始めての体験に、エンドは期待に胸膨らませて彼女の手を取った。

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