戦闘訓練⑤

【・リィレン視点】


「では、C、Dグループ戦闘訓練大将戦。エンド・シーウェン対、ケイジ・ハザキの試合を開始します。双方、礼!」

(負けろ~負けろ負けろ負けちゃぇ――!!)


 エンドも、相手のケイジという奴もお互いを睨んだまま微動だにしない。

 ただ誰の目にも、その場で得体のしれない空気が膨張してゆくのが知れる中、アタシだけはただひたすら毒念波を送っていた。

 

「まあいいでしょう……互いにルールだけは護り、危険な攻撃は慎む事、いいですね?」


 当然そんな事は露知らず、ハルルカ先生も二人の様子にあえて一旦仕切り直すことはせず、開始の号令だけを――。


「では、始め!」


 チッ……。


 送ると同時に聞こえたのは、半身になったエンドの運動着の襟を指先が掠めた音だった。


「いきなりかよ、おい」


 わずかに首を傾けたエンドに対し、ケイジも意外そうに呟く。


「挨拶だ。マグレか?」

(速い……!)


 少し離れて見ていたアタシからも、ケイジの動きは黒い運動着が描いた一つの影にしか見えなかった。

 しかも狙ったのはエンドの喉……なんの防御も無しに喰らえば、頸動脈を突き破り致命傷になる位置だ。いくら防御装置があるとはいえ呵責も無く狙うのは余程の度胸がいるはずなのに……。

 

 ジャジャッ……!


 その場で鑢で削るような音を立て、ケイジの体が回転。

 深く沈んで下段の足払いから体を起こしての中段蹴り、足を入れ替え顎を狙っての爪先蹴りがまるでしなやかな触手のような軌道でエンドを襲う。


「っぶな……!?」


 つい驚いた声が漏れてしまう。

 人が反応できる速度なのかどうかも疑わしいようなそれらを全てエンドは躱し、仰け反りながらたたらを踏む。

 信じられない……。


「マグレでは無いのか……?」

「たりめーよ。確かに先生の言った通り、知らねー技だ。トージンだっけ? 独特な身体の使い方すんな。こんな感じか?」


 そして今度はエンドが攻勢に転じた。

 スッと体を脱力させて前に投げ出すように地を蹴る。

 一瞬、蹴躓いたのかと思った……それ程までにアイツは体を深くまで落とす。

 

 そんな倒れたような体勢で何ができると言うように踏み出したケイジの顔は、次の瞬間凍っていた。


 刹那、彼に襲来したのは地についた両腕を軸にした、体全体を時計の針のように投げ出すエンドの回転蹴り。

 これは飛んで躱すが、真下を見たケイジは驚きの表情を見せる。


「…………!?」


 ガッと蹴りの勢いを殺す為に錨のように打ち付けられた片足が地を抉り、そして跳ね上がるのは残ったもう片方の踵。


 済んでの所で平手で掴むようにして防いだ一瞬の固定。


 防いだのだと思った……しかし、気付くとケイジは顎を押さえ後ろに下がっていた。


(掴んで来たのを利用して引き付けたの!? しかもあんな一瞬で……いつの間に足を入れ替えたのよ!?)


「お、当たった? ラッキー」

「貴様……ッ!?」


 もはや残像しか目で追えておらず、アタシは唾をごくりと飲み込む。

 左程ダメージは負わなかったはずだが、ケイジの瞳は驚きに見開かれていた。恐らくエンドの披露した緩急を利用したしなやかな動きが、彼のものによく似ていたからだろう。


「……お前、我らが《流煙ルエン流》とやり合った事でもあるのか?」

「いや、知らん。でも似たような技を使うのとは戦った事はあるからな」


 エンドの奴が何かを思い出しそうになって閉口し、悠長に思い出を口走る。

 よくそんな余裕があるわね、アイツ……。


「うちの師匠がスパルタでな。いろんな国を回らされたんで、もしかしたらあんたのとこにも邪魔したかも知んねえな。竜で飛んでくから国境とかお構いなしだったし。見たとこ、倒すじゃなく、殺す狙いの技っぽいけど……。お前、それを同じ釜の飯食う仲間に向けんなよな。俺は強いからいーけどさ」

「……知った事か。調子に乗るなよ……猿真似が」

「何だよテメェ、最初ん時から人を目の敵にしやがって。俺がお前になんかしたかよ?」

「……目障りなんだよ。おちゃらけた貴様達の姿が……」


 構えを取り直したケイジがすぐにエンドに再び飛び掛り、アタシは見逃すまいとまた息を詰め、闘気をわずかに纏う。


 エンドが次に見せたのは、体軸の中心に腕を置くような、隙の少ない構え。

 攻防は加速。拳脚の交錯が砂と音を撒き散らすが、ほとんどの生徒が生身では追いきれず、一人一人と闘気を纏い感覚を補強していく。


 アタシは目の前の戦いについていけず、ハルルカ先生に疑問をぶつける。


「先生……。何なのよこいつら……。闘気を使わないで人間があんな動き、できるの……?」


 足技を主体として全身をしならせ手足を矢雨のように撃ち出すケイジの動きに対し、エンドは指をたたんだ掌を盾にし最小限の動きでそれを弾き、正確無比に打ち落としてゆく。

 何が見えれば互いの動きがあそこまで把握できるのか……アタシには理解できない。

 

「彼らはそれぞれ少し特殊な経歴を辿っていますが、皆さんと同じ一生徒だという事に変わりありません。そしてあの姿から先生が伺い知れるのは彼らが何かを志して戦っているのだと、それ位ですよ……。彼らの強さがそのまま、秘めた思いの強さを表している、そう思えませんか?」

「そんなの……アタシだって、ここにいる誰もが何かを抱えてるでしょ、だけど……あれは」


 ――遠すぎる。


 アタシは悔しくて、ギュッと目を瞑る。

 どうしてこんなにも、強い奴らが……どうしてこんなにもアタシは弱いんだ……。


「……今は未だ、誰もが成長の途中にある事を忘れてはいけません。……大丈夫。あなたはあなたのやり方で研鑽を続けて下さい。私もそれを手伝いますから。何の為に強くなるのか、その意志を強く保ち続けてね」

「はい……」


 先生はそれを憂慮したのか、励ましてくれたけれど、それでもアタシは不安を振り切れない。そんな気持ちを抱えたまま目の前の戦闘は更にヒートアップして……。


 ――バヂッ……!


 中央で激しい衝突があった後、ブザーが同時に鳴り、二人が動きを止める。


「そこまでっ!」


 ハルルカ先生の声が響く。

 互いに一撃ずつ加えた時点で、衝撃の大きさに防護障壁は破壊されてしまったようだったが……エンドはともかくケイジは構えを解かなかった。


「ケイジ君、構えを解きなさい!」


 鋭い叱責が飛ぶが、ケイジは素直に従わない。息を荒げたまま、エンドを睨みつける。


「うるさいっ! ハァ……貴様、エンドとか言ったな。戦も知らぬ国の者がどうして、俺の動きについて来る……。戦うことの意味も知らない平和に溺れた雑魚が」

「何言ってんだ……?」

「そうだろうが……所詮貴様らは。自分の力ではなく、先の人間が作り上げた優位を継承しただけで満足している。そんな奴らが……なお今も戦わなければならない人間の前に立ちはだかるな! 俺はお前らとは違う!」


 その苛烈な言葉は周りの何人かの生徒の怒りを買い、ざわつくのを先生が声を張って押しとどめた。


「止めなさい! ケイジ君あなた、自分が何を言っているのか理解してるの?」

「見た儘を言ったまでだ。確かにこの国は豊かだが……ぬるいんだよ。周囲四国の均衡の為に生かされているだけだ……一度戦が起こればこんな仮初の平和など……」

「お前馬鹿?」

「何だと……」


 白けたエンドの言葉にケイジは侮辱を感じたのか、更に視線をすぼめる。


「そりゃ今の俺達は戦なんか知らねえよ。でもそれを起こさせないために、色んな人が努力した結果今があるんだから、それを誇って、丁寧に守ってゆくことの何が悪いんだ? あんた達は長いこと戦って何を得た? 強くなるのは何の為なんだ……戦いで勝つためにか? 違うだろが」


 その言葉はアタシの心をぐっと掴む一言だった。

 亜人のアタシは、誇りである一族の皆を護りたい、他の人達に認めて貰いたいと思った。だから家族と離れた場所で頑張ろうって決めて、この街へ出て来たんだから。


 そしてエンドは自然体を保ったまま、ケイジを糾弾する様でもなく、ただ伝える。


「強さってのは、大切なものを守る為にあるんだろ。弱い心から生まれた苦しみや悪意が拡がるのを止める為に……」


 そして彼は断言した。


「お前のそれは強さなんかじゃねえ!! ただの暴力なんだよ!」

「……戯言だ! 現実を見ていない人間が……背負う物の重さも知らない奴が、ほざくなぁぁ!」

(危ないっ……あの馬鹿! 逃げ方も知らないの!?)


 激高したケイジから殺気混じりの闘気が膨れ上がるが、対してエンドはわずかに闘気を体の周囲に留めただけでそこに佇んでいるだけで、アタシなんかから見てもその優劣は明らかだった。


「――お前に、何がわかるッ!」


 それでも怒りに歪んだその顔は、どこか行き場のない苦しみを抱えているようで、エンドはそれを静かな瞳で見つめる。


 膠着は数秒。周囲の生徒が悲鳴を放つ間もなく、黒い影エンドに躍りかかる。

 憎しみと悪意をそのまま纏ったような黒紫色の闘気をケイジは吹き出していて……。

 

(止めないと――ッ)


 真っ先に動き出す先生。

 そしてアタシも、膨大な闘気に反応した《偽神器》が警告音を上げる中に足を踏み出そうとした……だけど。


 それを、強いエンドの視線と拡げた手のひらが止めた。

 アイツの瞳が雄弁に物語っていた……絶対に止めるなって。

 今ここで、彼のきもちを受け止めてやれるのは自分だけなんだって。

 

 それを見たアタシ達はどうしてもそこから踏み出せなくて……それをあいつは、感謝するように頷いたんだ。

 そんな事が瞬きを二三する間に起こって……そして。


「砕け散れェ――!」


 ――ズドォン!!!!


  たなびく黒い星のような一撃は轟音を響かせる。


「きゃあ――ッ!」


 身体を揺らす波に皆が思い思いの防御姿勢を取る中、アタシは必死で薄目を開けて見ていた……どうしても見届けないといけないと思ったから。


 そして、あり得ない現象が起きた。


 それは微かにしか見えなかったけれど……小さな体が片手でその一撃を受け止めたのを見て、アタシの頭は安堵より大きな混乱によって掻き乱される。


「……なッ!?」


 全霊の一撃を受け止められたケイジが恐れたような声を漏らし。

 もうその時には、エンドの片腕は投擲されるように引き絞られていて。


「お前はもっかい……」


 分厚い闘気の膜を貫いた右拳が。


理由はじめを思い出せっ!!」


 ケイジのこれまでを……砕いたんだ……。



【・ケイジ視点】


「――ッ……俺は」


 俺は、寝ていた体を起こす。


(そうか、俺は奴に負けて……)


 そして腫れあがった頬に軽く触れ、俯く。

 湿布が包むように貼られていた。他に傷は無い。

 ここは恐らく敷地内の医務室だろう。


「良かった。目が覚めたみたいですね?」


 傍らから響いたのは担任教師のハルルカとか言う女の声だ。


「ごめんなさいね、教師としては割り込んで止めるべきだったんですが……あの時、エンド君に止められて、私もそれをしたくないと思ってしまった。教師失格ですね」

「…………わからない」

「えっ?」


 驚いた顔をした教師に、俺は心の中を告げた。


「俺達の国は貧しく、絶えず人々が争っている。終わらない戦のせいか、人々の心は荒み、互いに憎み合う殺し合う事を何とも思わないようなそんな国になってしまっている。本当はそんな国をどうにかしたくてここに来たんだ。豊かな国が、人と手を取り合い暮らしていける国があると聞いて、いつか俺が国をそんな風に導くのだと」


 体から力が抜けて入らない。

 これまで積み上げた何もかもが、敗北と共に流れ出してしまったかのような気分だ。


「その為に力を付けた。誰にも負けないように……全てを支配して、全てを正しい方向へと向けられる力が欲しかったから。だが、それは間違っていたんだろうか?」

「……何かを願い、力を望むことは間違ってはいないと、先生は思います」


 弱音を吐く俺の肩に教師はそっと手を乗せ、目線を合わせるように覗き込む。


「多くの人を救う為の力。しかしそれはどこかで一歩間違うと人を傷つける為の刃となり得る。だから私達はゆめゆめその力の使い方を間違えてはいけません。まずその前に心が強く正しくあらねば……人は悩み惑う生き物ですから」

「心が……」

「そうです……志す道の中に必ず壁は有り、人は時にしてそれを乗り越えられず挫折したり、あるいは道を外れてしまったりする。間違った方向に力が向いてしまうのはその為なんです。そしてその度に他人は己や自分を傷つけ苦しむ。そうならない為には、苦しくても自分を見失わない事」


 肩を伝わり彼女の熱が伝わってくる気がして、俺は顔を上げる。

 ああ、これだと思う。

 瞳の奥に宿す強い光。

あいつもこうだった……だから気に入らなかったのだ。自分との違いを思い知らされた気がして。


「本当の自分の望みを……原点を忘れてはいけません。そして、可能ならば、出会う色々な人の力を借りて束ねて下さい。本当に成し遂げたい事があるなら、それができるはずです。それはきっと大きなちからになって壁に当たる自分を助けてくれるはずです。もちろん私も、あなたに協力するその一人。もう私の可愛い生徒の一人なんですから」

「……今からでも遅くは無い……か」


 原点を忘れるな……その言葉に思い浮かんだ今の俺の国の姿。多くの人々が今も戦と飢えに苦しんでいる……。

 それを決して忘れていたわけでは無いが、俺は自分の気持ちを制御できていなかった。嫉妬や焦りが視野を狭め、誰かに手を貸して貰うことを拒んでいた。

 

(無様で滑稽だ……俺は何を)


 悔しい……そして成長したいという強い思いが胸に戻り、俺は気づけば教師にに頭を深く下げていた。


「改めて、色々学ばせて欲しいと思う。東真国を戦の無い国にするのが俺の夢だから」

「わかりました。きっとあなたのその決意は夢への大きな一歩となる……そう信じて私も及ばずながら、お手伝いします。一緒に頑張りましょう」


 柔らかい手をおずおずと握る俺に、教師は満面の笑みで返した。

 

 人の手を握ったなどいつぶりのことか……その暖かさを思い出し、俺はつい顔を背ける。


「あら、どうかしました?」

「……何でもない」


 不思議そうに尋ねる教師に、俺は頬をつたうものを慌てて拭う。


 窓の外の日差しは暖かい。

 心の靄を晴らすような柔らかいその光が、どこか暗く長い洞窟から抜け出したような気分にさせてくれるのを感じ、俺は眩しくて目を細めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る