全ての始まり

 ――めくれ上がった絨毯が。天井と共に崩れ落ちたシャンデリアが。壁に掛けられた絵画やそしてその場に立っていた人すら……何もかもが飲み込まれ塵に還って行く。

 エンドはその光景を見過ぎていて、はっきりとわかった。


(こりゃあ夢だな……何百回目だよ)


 ぼんやりと理解できても、それを自らの意思で中断させることは出来ない。ただ観客として全てが終わるまで眺めるだけだ。


 エンドの視界を遮る様に白い光の中心に向けて幼い手が伸びる……それはまだ傷一つ無い頃の自分の手だ。


『シィ……こっちに来るんだっ!』

『こないで! これ……止められないの……逃げて! 兄様まで一緒に消えちゃう! 頭が……痛い』


 白い光は妹を中心として拡がり、宙に浮く彼女はエンドを巻き込むまいと必死で声を張っていた。

 石造りの広間は既に半壊し、周りの赤い奴らも、親父も消えた……もう誰もいないそこで小さな自分エンドは滅茶苦茶に叫んでいた。


『誰かぁッ! 助けて誰か……何とかしてくれよぉッ! シィを、元に戻して! 何でもするからッ! 食べ物もおもちゃも何もいらない……痛いのも苦しいのも我慢するから!』

『兄ghjs$様……、wolag"%逃げて、お願gpow;い!』

『嫌だ! お前がどこかへ行くなら僕も一緒に行く……! 一人で行くなんて、許さない!』


 頭を押さえる妹の言葉が段々不明瞭で聞き取りづらいナニカに変わり出す。


 何が起こっているのか良く分からずに手を伸ばしながら、それでもエンドは妹を救おうと必死に恐怖に抗ってじりじりと前に進みだす。


 ――ジッ。


『ぐぅあ――ッ』


 ある境を越えた時点で痺れにも似た痛みが脳を突き抜け、幼いエンドは崩れかける。


 指の先が弾け、血が噴き出していた……余りの痛みに涙が滲み、うずくまって胃液を吐き散らす。


『もういい、もjkwhel/klから……! それ以上:w;dkg;e来ないで! 本当に死@ke]x;w:う! 私一人でいいから……一人でちゃんと;wz;v:e;、消えら[@zwgd:dから! あぐぅ……,wgo*^s:ewlッッ!』

『今いく――グァ!! こんな……ものッ!』


 シィの喉が耐えかねるように苦痛を吐き出し、体をぎゅっと縮められた。

 そんな彼女に少しでも近づく為伸ばした右手からブシッと爪が弾け飛び、反射でエンドは大きく仰け反る。

 だが懲りずに彼は引き裂こうとでもするかのように今度は左手を差し出した。


『どうし+he:gm! もういいっ?*b/der}てるのに!』

『違うだろっ!!』

『――――!』


 広間に響き渡る大きな声がシィを竦ませた。


『そんな言葉じゃないんだ! 聞きたいのは! 一人でいいなんて悲しい言葉を残して行くなんて、絶対に許さない……! 最後にそんな顔してでどこかに消えるなんて、絶対に許さない、からなぁ――アアアアアアアアァァァァッ!!』


 白い円球に掴みかかる様に彼は踏み出す。両の指が塵に消え、殴るように痛む脳の警告シグナルに抗いながら腕を突き出す。崩壊が手の平へと伝わり、先から順に砂のように削られてゆく。


 無意味だと分かっていた。

 髪の先まですべて塵に変わっても、エンドの体はシィの指先にすら触れることは叶わないだろうと……それでも。


 たった一人の家族が目の前であんな死にそうな顔をしていて……そこに背中を向けていけるなら。そんな酷い嘘を自分に吐く位なら、未来なんていらない。 


 シィの四肢が後ろ側に引っ張られるかのように不自然に引き絞られ、瞳の焦点が合わなくなってゆく。

 もはや、言葉ではなく壊れたオルゴールのような音を吐き出し続ける彼女にエンドは鼻先を分解されながら叫ぶ……!


『シィ!! 言っただろ! どうにもならなくなったら僕を呼べって! たった一言あれば、僕はいつだって駆けつけるからって! 今でも僕を、その約束を信じてるなら……僕の名前を、呼べェェェェェ―――――ッ!』

「$so4sp"k:cbiw@slgownopwzol):snelェン……ド――――」


 確かに聞こえたその小さな呟きが、エンドの背中を押そうとした時――。


 首根っこを引かれるようにして思いっきり後ろに引き倒される。


『ァグゥ……』

『……無茶したわね。少年……でもそのおかげで、ギリギリに間にあったのかしら……いや、もうコレは……』

『あんたは……?』


 現れたのは一人の女で……背の高いスラリとした体を包むように広がるのは長い濃緑の髪。ファッションなのか実用なのか、ごついゴーグル付きのキャスケットを頭に被り、ツナギの様な衣服を身に着けている。

 この国の人間には無い雰囲気を纏った彼女は薄く笑うが、その表情を裏切る様に一筋汗が伝う。


『何なんだよあんたは……俺は、妹が……助けないと』

『ほれ、この坊ちゃんは。それ以上意地張ると本当に死ぬから。悪いけど……ここを離れるわよ』

『ふざける……なよ……シィが呼んだんだ。助けるんだ……ヅァ』


 脇に抱えられたエンドは、両腕を振り回そうとして激痛に顔をしかめる。

 もう肘から先が無かった。


 そんなエンドを見て彼女は何かをして……体を薄い光が覆い、腕と鼻の痛みが和らぐ。女もまた不思議な力を持っているようだった。


『あれはもう……悪いけど私にもどうにもできない。精々できるのは時間稼ぎ位なの。そしてそんな事をしても、何にもならない。目覚めた理の力は、術者の力を使い尽くすまで、全てを飲み込み浄化し続ける』

『意味が……分からない。俺は、呼ばれたんだ……助けるんだ!』

『……わかるわよ、そのあなたの姿を見たらね。死んでも助けたいんでしょ……でもね、無理だから』

『もう力は目覚めた。どこの馬鹿がこんな事をさせたのか……大方想像はつくけど。こっちも命は惜しいし、無駄に犠牲者を増やす訳にもいかない』

『なら、いい……俺はほっといてくれよ……』

『聞き分けないね……いい加減に!』


 緑髪の女はエンドの襟首をつかんでぐっと息を詰めた。

 ぼろぼろの顔をした彼の目から涙が溢れていたから。


『……ぐやじいんだッ! 約束したのに……傍にさえ行ってやれないんだ……。何だっていい、俺に力が有ったらっ、もっと早く強くなれてたらっ……』


 絞り出すような声で、無力さを嘆く少年の頭を、女らしくない掌がくしゃっと撫でる。


『……?』

『仕方ないなぁ、我儘坊主。なら、私と一つ賭けるか。あなた……名前は?』

『……エンド』

『三文字……奇数で吉兆。なら……賭けはあなたの勝ち。迷った私の負けだったね』


 女は髪をくしゃっとかき上げると、本当に仕方無さそうに、しかしどこかほっとしたように笑う……失くした大事な物を見つけたような顔で。


『あなたの望みは叶えられないけど、少しだけ時間を作ってあげる。今から私があの子を封じ込める……でもきっと、そこまで長くはもたないから、その間にあなたは強くなりなさい……私よりね。できるか……? 死んだほうがマシだったって思う位しごくわよ?』

『関係ない……俺は死んだって、絶対約束は守る。あんたより強くなって、いや、この世界で誰よりも強くなって、いつか妹を救い出す。そうしたら……今度はあんたの願いを俺が叶えてやる』

『いい返事。それじゃそこでちゃんと見てなさい。始めるわ……。重加算・連環詠唱始動《千天より墜つ無垢の階、解水、陽炎、金風、凍土、混ざり紡ぐ調和の黒絃 縒れて檻折り為し 現絶ちたまえ……重天より墜つ無垢の階……》』


 ザッと、女が呪を紡ぎ始め、驚く事にその髪が端から白く染まってゆく。


 どういう発声を使っているのか複数で唱えた様に響き、周回ループする一連の呪文。振り上げられた手に、シィの頭上を覆った黒い闇の帳が、波紋のように何重にも広がり、周囲を覆いだす。

 よく見るとただの黒では無く、点描のように多くの色の粒が集まってできた、濁ったような黒色。それは濁流のようにシィを包み、消えること無く逆に彼女を包む光球ごと押し込め始めた。


(凄い……!!)


 驚いたエンドが女を見上げ称賛しようとしたが、言葉は出せなかった。表情は苦痛に彩られ、硬く閉じた瞳も色を失った唇も大きく震えており、詠唱が続く程に苦しげに喘いでゆく。

 酷い負担を強いているのは見ただけで分かったが、今更それを止める事などできず……そのまま数分程その押し合いは続き、そして。


『封・完ッ!』


 バチンと、両手を合わせた彼女の掛け声に合わせ、ふわりと薄黒く透けて見える棺に包まれて、妹は地面へ音も無く下ろされた。

 意識は無く、ぴくりとも動かず、呼吸すらしていないように見える。


 幼いエンドは、そこに覆いかぶせるようにして彼女の名前を呼んだ。


『シィ……!』

『ふ――っ……これで、彼女の時はしばらく止まったから。目を覚ますことは無いけれど、死んだりはしないわ……全く。無茶をさせてくれるんだから。あら……』

『シ……ィ……、よ、かっ……た』


 視界が急激に霞み、端からぼんやりと光が失われてゆく。血を失ったせいか冷えてゆく体がそっと優しく抱き上げられる。


『今は休みなさい……目覚めたら地獄が待ってるんだから』

 

 ……声と共にまた、夢が終わってゆく。

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