中央都市コーラム

「命を助けてもらったのに、本当にそんな物で良いのかい?」

「いやぁ、充分充分! わざわざ街まで送って貰えるとは思わなかったしな。楽が出来て良かったぜ!」


 今、エンドと名乗った少年は、馬車の荷台の一画を占領している。


 助けた商人ドゥイーの好意で街まで送って貰えることになったのだ。

 彼はこの近くの都市コーラムで店を開いており、買付から戻った際に賊の襲撃を受けてしまったのだという。


「この辺りは普段、軍が巡回しているから安全だと高を括っていたよ……ハハハ」

「お父さんが護衛の人に気を使って途中で下ろしちゃうからこんな事になるんじゃない、全く……」


 父の頭を掻く姿に文句を付けたのは彼の娘であるエイミア。

 首元で縛った麦穂色の髪と瞳が快活な印象を与える、人受けが良さそうな女の子だ。エンドに半裸を見られたのを気にしてはいたが、あっけらかんとした彼に引っ張られたのか、過ぎたことは気にしない性格なのか、今では普通に接している。


「まともな食事は久しぶりだぜ。はぐっ……美味っ、美味ぇ!」


 そして、目下エンドは目の前の食品を貪ることに夢中。

 送るだけでは申し訳ないと渡されそうになった謝礼を頑なに固辞したが、律儀な商人がなかなか納得しないので『じゃあ、飯!』という一言で荷物の中にあった大量の食物と格闘することになったのである。


 とはいえ大半が乾燥肉やパン、瓶に入ったジャムや木の実等の保存食程度。そんな粗末な物を実に美味そうに頬張る彼をエイミアは隣で不思議そうに見つめている。


(わー……凄い食欲。なんておいしそうに食べるんだろ……)

「お前も食うか?」

「え、う、うん。ありがとう……」

「気にすんな、元はと言えばあんたらのだしな。ふぃ~、ごちそうさん」


 丸くなった腹をぽんぽんと叩く仕草にエイミアは微笑ましそうに笑いかけた。


「でも、びっくりしました。大人でも、あんなに強い人なんて見たことないわ。軍関係者には見えないし……てっきり《冒険者トラベラー》の資格を持っているのかと……」

「あ~……まぁ結構長い事さ、色々修業したワケよ……。思い出したくもねぇけどなー」


 修行に明け暮れた地獄の日々を思い出し、エンドは青ざめて首を振る。


「でも、《迷宮》に入る為に《冒険者トラベラー》を目指しているなんて……」

「知ってんのか?」

「知らない人なんていませんよ、《迷宮》も《冒険者トラベラー》も」


 心配そうな視線を投げかけて来たエイミアに、エンドはそんなものかと鼻の頭を掻く。


 《迷宮》――いわゆる魔物の巣窟。

 異界に存在し特別な力を持つ人々の力を借りて扉を開く事でしか入ることは出来ない場所。そして、《冒険者トラベラー》はその中を探索し価値ある資源……主に《黒硝こくしょう》というものを持って帰って来るのが仕事だ。


 だが言わずもがな、それは危険と隣り合わせ。空気すら《瘴気》で汚された異界では長時間滞在するだけでも徐々に体を蝕み、最終的には魔物と化してしまうのだとか。


 念の為か、噛んで含めるようにエイミアはエンドに忠告する。


「くれぐれも気を付けて下さいね。話でしか聞いた事は無いですけど……迷宮はあんな盗賊たちなんか比較にならないほど危険な魔物で溢れているって噂ですから」


 だがエンドはそんな心配を元気に笑い飛ばす。


「なっはっは、心配すんなって! 俺はあ~んな山みてぇにでっけぇドラゴンと戦った事もあるんだぜ?」

(面白い子……随分大袈裟なことを言うんだ。だけど、いくら君が強くたって、竜だなんて――)


 曖昧な笑みを返すエイミアに、エンドはなんとなく冗談だと思われているのを悟る。


(まあ、アイツらほとんど地上には下りて来ねぇもんな……俺も上でしか見たことねぇし)


 多くの人からすれば竜など……天空に浮かぶ島に住むというお伽話だけがまことしやかに囁かれ、見た人の話すら今日日伝え聞かない眉唾の存在なので、その判断は無理も無い。


 お互い言葉に詰まり、わずかにできた気まずい沈黙に気を使ったのか、エイミアが慌てて話を合わせてくれた。


「い、いいなぁ……私ももし、そんなに強かったらお父さんの力になってあげられるんだけど……。私の出来る事なんて、帳簿付けや、お店の番位がせいぜいだから」

「んな風に言うなって……結構じゃねえか。俺なんて頭悪りぃから、算術なんかからっきしだぜ。釣りの計算すらできねえんだから。自分達に必要な事をさ、一生懸命ちゃんとしてりゃいいだろ……な? あんたらがいてくれるから、助かってる人はきっと大勢いると思うぜ」


 これはお世辞ではなく彼の本心からの言葉だ。

 エンドは自分の目的の為に戦うという選択をしただけで、平和で幸せな生活を送りたいと思うならもっと別に学ぶべきことはある。


 全ての人間が力を得て、盗賊のように他人から搾取することをするようになれば、豊かな暮らしは途端に破綻する。食べ物も服も家もいくら強くたって、生み出すことは出来ないから。


 護る者、生み出す者、運ぶ者、創り出す者、等々……誰しもそれぞれの生き方があって、それが多くの人の笑顔を生み出すのなら、尊重したいし、彼女達自身にも尊重して欲しい。


「親父さんも自分もちゃんと大事にしろよな」

「……ありがとう。うん、ちょっと元気出て来ました!」


 そんな気持ちを込めて笑いかけると少しは伝わったのか、エイミアは顔を明るくして頷く。

 

 荷台で一緒に揺られ、少し打ち解けた二人はのどかな道すがら色々な事を話し始めた。街で待つ母の事や、行商に出た先々で出来た友達の話、今まで扱った色々な面白い商品の事など……おしゃべり好きの彼女の話題は尽きない。

 そうして気持ちのいい日差しの中、先程の事件など忘れ、瞬く間に数時間が過ぎて行く。


「それでですね……ここから東に数百キロル行ったくらいの所にはザラールという大きな街があって、そこの名産のチーズがものすっ……ごく美味しいんです! 温めるととろっとろで、甘くて……柔らかくて」

「まじか……じゅわじゅわか?」

「じゅわじゅわのむっちむちです……それでいて後味はさっぱりしてて、もう……」

「そうかそうか……。それはたまらんなぁ……まぁた腹減って来た」


 二人して食物の話題で盛り上がり、涎を垂らしながら妄想に空を重ねると雲すらチーズに見えて来る。そんな折、御者台から声がかかった。


「おや、そろそろ見えて来た! あれが商業都市コーラムだよ」

「うぁはっ……でっけぇなーっ!」


 丘を下る馬車の眼前に広がるのは高い壁に囲まれた見事な街並み。平原に美しく整備されたその都市を前にエンドは目を輝かせる。


 しばらくして人で溢れた門前に着くと、エンドは馬車をひらりと飛び降りた。


「ここまででいいや。ありがとうな、おっちゃんにエイミア! 助かった!」

「ギルドへの道筋は覚えているかい?」

「大丈夫だ、迷ったら人に聞くからさ! またその内店にでも寄るから……んじゃな!」

「気を付けてね~!」


 半身を返し腕を大きく振りながら門の中へ駆け込んでゆく少年の姿は、瞬く間に小さくなってゆく。


「は~っ、行っちゃった……」

「いやはや、面白い少年だったな……顔つきは悪いけど、良い目をしていた。あれはきっと大物になるぞ!」

「分かったようなことを言って格好付けちゃって、お父さん……でも、また会いたいね!」

「おや、もしかして惚れたのか?」

「違いますーっ……お父さんのバカッ! もう……」 

 

 ――今こんな風に他愛ない冗談を交わすことが出来るのも、あの少年のおかげ。


 親子はこの出会いに感謝して笑い合い、気のいい少年が目的を達成できるように祈りながら、その背中が消えるまでずっと見送った。

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