エンド
チュピピピピ……クァ――……クァ――……クァ――……。
迷惑そうに騒ぐ鳥達があちこちに散らばってゆく。
それをさせたのはもちろん真下の、枝に掛かってぶらぶらと揺れる少年だ。彼は咥えた木の枝をプッと吐き出して笑った。
「はぁ~あ……ったく、えっらいめにあったぜ。あっはっは」
棘のような鋭い黒髪に割れ硝子のような尖った目。悪党のような人相の少年だが、笑い顔には妙な愛嬌がある。
彼は反動をつけて宙返りで地面に降り立ち伸びをする。
体中に絡みついた葉や枝もあまり気にせず適当に払うだけだ。
「さってと……どこなんだかね、ここは? 下りたら街道を目指せつってたけど、崖から飛んじまったのは失敗だったかもな……木で何も見えねえや。しゃあねえ、登るか……いしょっと」
左右を見渡しても目印は無く、愚痴を言いながら少年は手近な木に登り直す。頂上付近でようやく視界が開け、辺りの様子が分かる。
「へへっ、林檎が生ってら。よっと……」
目敏く見つけた果実をついでとばかりにもぎ取ってかぶりつき、瑞々しさに満足しながら首を伸ばしてぐるっと一周させると、目に一本の道が飛び込んで来た。
「どれどれ? お、おあつらえ向きに街道が通ってんじゃん。あん――――?」
彼は目をすぼめ、舌を鳴らした。
視線の先は彼にとって見過ごせない光景が有ったからだ。
「……面倒臭えけど、見ちまったもんはしゃあねえわな」
行きがけの駄賃とばかりに二、三個の林檎を鞄に放り込み、彼は器用に枝から枝へと飛び移るとあっという間に影となって姿を消した。
◆
……ガシャアァァン!!
馬車が横転して荷物が道の真ん中に撒き散らされる。
「エイミア! どこでもいい、逃げるんだ!! ぐおっ!」
一組の親子を取り囲む十人以上の強面の男達。
髪に白髪の混じり始めた商人風の男が娘を逃がそうと必死に包囲の一角へと突撃するが、容赦なく地面に蹴り転がされた。
「逃がさねえぜぇ?」
「お父さんっ!! ……あうっ!」
下品な笑みを見せながらひしめく彼らの内、一際背の高い眼帯男がエイミアと呼ばれた少女の片腕を吊り上げて抱き寄せ、頬を舌で舐める。
――盗賊。
弱肉強食を謳い他人の苦労の結晶をかすめ取るならず者たちが、どうやらこの世界には蔓延っているようだ。
「げへへぁ……中々可愛い娘じゃねえか。楽しませてくれそうだぜ」
「ひっ……い、嫌っ!」
「――ど、どうかっ、娘だけはお返しください……お願いします! はぐぁっ!」
「うるせぇっ!! 安心しろ、お前みたいな爺は売れそうにもねえ、すぐにあの世に送ってやるからよ……」
縋りつく商人の懇願は聞き入れられず、再び容赦なく地面へと蹴倒され、娘は必死に手を伸ばして叫んだ。
「うう……な、何でもしますからっ、父の命だけは助けて! 殺さないで!」
抵抗する少女に、眼帯男は下卑た話を持ち掛け顔を歪ませる。
「ぐはは……そいつは聞けねえ相談だ。だがなぁ、もしお前がこの場で裸踊りでもしてくれるって言うんなら、命だけは助けてやっても……いいかもなぁ?」
「そ、そんな事を娘に……やめてくれっ!」
「――うるせぇっ! ちょっとした余興って奴だ、黙ってろい!」
娘を円の中心へ押しやった眼帯男は父親を踏みつけにし、首に白刃を突き付ける。賊共には、商人達が言う事を聞いても助けるつもりなど毛頭ないだろう……恐らくただ遊んでいる、それだけだ。
刃先に触れた皮膚から血が糸の様に垂れ、娘が息を呑んで声を震わせる。
「ほ、本当に私が……ここで服を脱げば父を、助けてくれるんですか?」
「けけけ、お前の態度次第だ……だが、やるんならさっさとしねぇとほれ、俺の気は長くねえからよぉ」
「ううぅ……」
「エイミアッ! やめろ……誰か助けてくれ! 誰か――!」
父親の悲痛な叫びは皮肉にも娘の背を押し……羞恥に顔を歪めながらも彼女はシャツの襟首に手を掛け、上から胸元のボタンをゆっくりと外してゆく。
「とっとと裸になっちまえ、げはははははは!!!!」」」
「ほら早くしろぃ、親父さんが死んじまうぜぇ?」
「待って、脱ぎます! 脱ぎますから……」
男達の下衆な煽り声に目尻に涙を浮かべ、娘が上着を取り去ろうとした時――。くぐもった呻き声と重く鈍い打撃音が連続し、囲いの一角が崩れた。
「――なにやってんだよ……テメェら」
「「「…………!!」」」
倒れ込む二人の盗賊の後ろから現れた人影。それを賊の男達は警戒し、武器に手を掛け向きなおる。
しかし、声の主の姿を確かめると途端に賊共は警戒を緩めた。そこにいたのが何という事のない……あえて言うならば多少人相が悪いだけの、ただの少年だったからだ。
確かに後ろでは二人腹を抱えて倒れているが、それをしたのが彼だと賊達の中では一向に結び付かない。狐につままれたように顔を見合わせ、少年を指差し爆笑する。
「ぷぁーっ……だぁっはっはっは……!」
「なんだこのチビ!? いっちょ前に剣士気取りか? 背中から剣の柄がはみ出しちまってんじゃねえの! チビ過ぎて……!!!!!!」
「アッハッハ……なにやってんだって? 格好いいねぇお兄ちゃん……見て分かんねぇのか、追いはぎしてんだよ俺達は! お楽しみの邪魔しないでくれるかなぁボクぅ?」
「おい、ジード、レグ! 落ちてるもん食って腹でも壊したか? ……まさかこのチビにのされたとか言わねぇよなぁ?」
倒れた男達を馬鹿にして、起きた事もわからずゲラゲラ笑う声を伝染させてゆく賊達の囲いに割って入り、少年は素面で親子に話しかけた。
「あー……あんたら襲われてんだよな?」
「は、はぃ……ど、どうか、助けを呼んで来てください! あの馬で駆ければ一時間もすれば街につきますから! お願い……!」
恥ずかしそうに胸元を搔き抱く娘は繋がれた馬を指差し少年に懇願する。それは無駄な犠牲を増やしたくない彼女なりの気遣いだったのだろう……しかし、その姿をまたも男達は嘲笑う。
「げひゃひゃひゃ、こんなチビになにができるって!? そんな頃にゃ俺らはとっくに退散しちまってるっての! オメーは早く裸踊りの続きをやれよぉ!」
「そうだそうだ!」
「「「脱~げ、脱~げ……!」」
囃子声と共に首に刃を当てられた父親の呻きが大きくなり、たまらず少女は涙をこぼし、上着を脱いでスカートに手を掛けた……だが。
それを年に似合わず力強い少年の手が優しく阻む……傷だらけでごつごつとして歪だが、暖かい手が。
「止めとけ。こんな絵に描いたようなクソ共相手にあんたが身を汚す価値はねえよ……。しばらく座ってな。さあ……やるか」
「ちょ、ちょっと……危ないからっ、死んじゃうよ! 逃げてってば!」
引き留めようと叫ぶ娘の声も届かず、彼は賊の一人に大股で歩み寄る。
「んん? どうしたぁチビちゃん……どうせオメーも俺達 《
へらへら笑いを浮かべる一際巨大な男が、頭を握り潰せそうなほど大きな掌を少年の上にかざした。
ゴグン――。
しかし、巨漢の手が触れる前に体は斜めにぐらり傾き倒れ込んだ。
「あ……?」
冷めた目で見下し蹴り足を下げたのは、紛れもなく目の前の少年で、それを理解した時、巨漢の口から顔に似合わぬ金切る悲鳴が放たれる。
「ギ……ィアアアアア――ッ! あ、足ァッ、俺の足ッ!!」
「うるせえな……足の一本位で」
外九十度に折れ曲がった左足を抱えてのたうつ男に、周囲の賊の警戒が一気に危険水域を飛び越える。
だが――それでも遅過ぎた。
抜剣より先に賊達の体が宙を舞い、地を叩き、薙ぎ倒されてゆく……。荒神を宿すような少年の戦いぶりに驚愕した娘がぺたんと膝を落とし座り込んだ。
「ペッ……お子ちゃまだのチビだの、子犬みてぇにキャンキャン騒ぎやがって。さぁ、後はあんただけだぜ、おっさん……」
死屍累々――。
瞬く間に倒れ伏した賊達。そして今やその場に立つのは二人だけ。唾を吐いて自分を指差す少年に、眼帯は脂汗を滲ませ何とか声を絞り出す。
「オ、オメェ……何者だ。俺達ぁフィーレル国軍も恐れる凶賊 《
しかし右手の先にあるはずの切っ先は既に無い。カラァンと投げ捨てられた音と、いつの間にか懐まで潜り込んだ少年に眼帯の肝が冷える。
「どうすんだ? 今なら土下座でもすりゃ
完全に、少年の優勢。
既にいつ背を向けてもおかしくない状況にもかかわらず、ちっぽけなプライドはたまた切り札でもあるのか、眼帯は踏みとどまり彼に言い放つ。
「糞餓鬼がッ……舐めやがって! こうなりゃ奥の手よ、年季の差ってのを見せてやらぁ……ヌオォ」
眼帯の体から赤靄のような何かが漂い出し、エンドは片目を細めた。彼のみならず戦いを生業とする者なら誰でも知っているその正体は……。
「闘気……」
「良く知ってるじゃねえか……俺も伊達に何年もこんな稼業で飯食ってる訳じゃねえ。ハウゥッ!」
少年の呟きに応え、男の体を血のような靄が完全に包み込んだ。
《闘気》――古の武人が修練の末に辿り着いたとされる、究極の身体強化法。意図して使うことが出来れば、常人もの数倍以上の能力を発揮できる、まさに戦う為の力。使用者の特性によっていくつかの属性に別れ、達人ならば何種類もの闘気を戦闘中に切り替え、いかなる状況にも対応することができるという。
それを纏う眼帯が軽く踏みつけただけで、地面は蜘蛛の巣状にひび割れ……その顔が暴力を解放した喜悦で歪んだ。
「グァハハハハハァ! 闘気は纏う人間の力を十倍以上に引き上げる! これを出した以上万に一つもお前に勝ち目はねぇ……派手にやってくれた分、精々いたぶって殺してやる! 死ねぇぇぇぃ!」
眼帯男は足裏で土を抉りながら少年に肉薄する。捻るように突き出した右の拳が風を纏い、少年の顔面を捉え……。
爆砕――。
凄まじい音と風圧が、周りに大量の血を散らし、地面に伏せた娘と父親の上から、高らかな笑い声が響いた。
「グァハハハハ! ハァ……ハハァッ、あんまり調子に乗りやがるからよ、加減できずに頭蓋骨ごと粉砕しちまった。まぁいい、バラバラに解体して、野犬共のエサに」
「そんだけか?」
死者からの予期しない返答に、眼帯は目を限界まで見開き血走らせる。
「あ……え? なんッ、テメェ頭は……この血はどっから!? ふぁああああ!」
砕たのは己の拳の方だったのに今更気づき、眼帯は体を仰け反らせ膝を着く。
「おい、いたぶってくれんじゃなかったっけ? もう終わったのか?」
「は、はぅぇぁぁぁぁぁ!?」
顔には傷跡どころか返り血すらついておらず、肌からは男とは比べ物にならない火焔の様に渦巻く闘気が立ち昇る……少年のその様子に眼帯は後ずさり、両手を突き出し震え上がった。
「いぁああああああ! たす、たす、助け……! 命だけは……! お助けぇぇっ!」
「あ~? どうしよっかなァ……なぁ、どうして欲しい?」
半月型に口の端を吊り上げ微笑む少年に、眼帯は地面に頭を擦り声を上擦らせ謝罪を始めた。
「ず、ずびばぜぇんでしたぁ! あ、謝ります……二度とこんな事はしません! 故郷に帰って真面目に働きますから命だけはぁ……」
「しゃあねえなぁ……。顔覚えとくぞ……今度この辺りで見かけたらソッコー潰すかんな。そんじゃもういいわ、とっとと行け」
それであっさり興味を失くしたのか、彼は手をひらつかせると闘気を引っ込めて背を向け、呆然としている親子二人の元に足を向ける。
(馬鹿ガキがっ……!!)
その致命的な隙に……眼帯はすぐさま口元を下品に吊り上げ一息に跳び、少年の背後を見ていた娘が息を吸う。
「油断したなぁっ! 脳味噌ぶちまけやがれっ!」
「……危ないっ!」
叫びより早く、闘気を帯びた空割く男の蹴りが再び少年の頭に吸い込まれ――る事は今回は、無かった。
バギッ……!
渾身の蹴りの凄まじい音が男を混乱させる。
少年の腕が、しっかりとそれを受け止めていた……生身のまま。
「後ろを見もせずに……闘気すら無えのに何故受け止め……!? ばばっ、ば、化け物! お、お前、何、何者なんだッ!」
「あ~あ、黙って逃げてりゃそれ以上痛い目に遭わずに済んだのにな……」
残されていた反抗の意志は露と消え、眼帯は地面にへたり込んで絶望する。最大級の危険を感じたその瞳が時間を凝縮し、振り返る少年の姿をコマ送りの様に映し出し、そして――。
「何者かって……? 俺はなあ……何者でもねえ――」
眼帯男が最後に認識できたのは、振り向いた彼の悪魔のような笑みと。
「ただの、エンドだ」
意識を塗りつぶす容赦の無い拳の影のみだった。
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