23:難題
「大丈夫ですか、博士」
「ん……おお……強烈~」
頭を振りながらさくらが起き上がり、ALAYAが心配そうに声を掛ける。
「申し訳ありません。出力は大分抑えた筈なのですが」
「いや、マシになってる! 前回はバットで殴られたレベルだったけど、今回は右ストレートで殴られたレベルに収まったよ」
「それ、過去に両方体験済なんですか?」
「にひひ、冗談冗談」
そう言いながら額に指を当てて伝えられた情報を確認していく。
「なるほど、これで全部ね……いやはや凄いな」
「毛民達の文化がこれほどまでに進んだのも頷けますね」
さくらが頷く。
「うん。専門分野が違うから何ともだけど、当時目覚めたのがあたしだったとしても、ここまで
「博識なかただったようですね。……今こちらのデータを端末に送り、博士のテキストデータとマージしておきました」
それを聞いたさくらが端末の表示をスクロールし、文末にテキストが加わっているのを確認する。
「所々にナンバリング入ってるよね。多分、章と節かな。ソートできる?」
「はい。おまちください」
一瞬でテキストが並び変わり、整えられる。
さくらは並び変わったテキストの最初の一文を確認して、言った。
「1-1、
「恐縮です」
一方ベルハイド。
長老宅のお手伝いさんをしている狸のおばさんと一緒に、食卓を運び込んでいる。
元通り、広間の真ん中に食卓を設置すると、ソファで
「伝承読み終わったみたいだぜ、師匠」
「ほっほっほ。了解じゃ」
長老がニコニコしながら続ける。
「良く、眠っていたようじゃな? ベル坊」
「!」
確かにそうだ。
言われたベルハイドは少し驚いたように片眼だけ見開いた。
ベルハイドが普段から眠気を訴えることが多いのは、深く眠れないことの裏返しなのだ。
長老もそれは承知していた。
ところが、さくらの膝の上では食卓が運び出されたことにも気付かず、眠りこけていた。
ベルハイドは腕を組んで唸った。
直近でよく眠れたのが二例。シロップとの同衾と、さくらの膝の上。
一瞬、身も蓋もない答えが頭をよぎり、ポリポリと頭を掻く。
「要するに、女と寝……いや、そういう訳でもないか」
ベルハイドとて、女性経験が無い訳では無い。
前に酒場の店員の女子と
長老が見透かしたように言う。
「ほっほ。ベル坊。こういう場合は『誰と』が重要なのじゃ」
「ん……」
なるほど心底安心できる相手となら、眠りも深くなるという事か。
最近知り合った女二人が、どちらもそういう相手だったというのも面白い話である。
しかも同族ではなく、兎と巨神。
どうやらこういうのは、種族は関係ないようだ。
ひょっとしたら性別すら関係ないかもしれないが、それはわからない。
なんにせよ自責の念から孤高に身を浸すような生き方も、潮時なのかもしれなかった。
妹を想い続けることと、現実を受け入れ前を向いて生きることは、矛盾しない。
長老が言う。
「焦るでないぞ。心の問題は、時間が掛かるでの」
「ああ」
ベルハイドはため息をつきながら答えた。
二人が長老宅から出ると、さくらが声を掛けた。
「あ、長老。伝承は概ね把握したよ。他にあたしから伝えられる事も、あると思う」
「ほっほっほ、新たな伝承という所ですかな。楽しみにしておりますぞ」
ALAYAがアームを器用に使って木簡を巻きながら言う。
「大変参考になりました。伝承の木簡、お返しします」
木簡を巻くのを手伝っていたベルハイドは、厭な予感がしてひげをピクピクさせる。
そこに、
「……と言う訳じゃ、ベル坊」
言われたベルハイドは、うへえ、という顔で返した。
「どういう訳だよ? またこれを全部運べってか?」
「うむ。大事な伝承を雨晒しにする訳にはいかんからのう」
ALAYAがカタカタ笑う。
「運び出して貰う時は、まさかこれほどの量があるとは思わず。これを戻すとなると……皆で手分けしますか」
「そうだね、あたしも運ぶよ~」
「ありがとうございます、博士。殆ど私が運べるかと思いますが、余った分をお願いします」
ALAYAそう言った時、上空から風を切る音が聞こえてきた。
フローターである。
一同は、おお、と感心の声を上げた。
丘の上にフローターがゆっくりと着地すると、トランクが開く。
そこにドローンタイプのALAYAが一体入り込み、元通り収納された。
ALAYAが続ける。
「トランクにはまだ余裕があります。詰め込んで、さらにトランクを閉じた上にも、積めるだけ積んでください」
「おっけ~、じゃあみんな、手分けして詰め込もうか!」
それを聞いたベルハイドが長老に言う。
「……と言う訳だぜ、師匠」
「ほっほ。まあ、よいじゃろう。妖精殿にお礼を言うんじゃぞ」
言われたベルハイドは頭を掻く。
「ちっ、子供扱いすんなって。ありがとな、ALAYA」
「お安い御用ですよ」
ALAYAがカタカタと笑った。
◇◇◇
集落の外れにある書庫に伝承をすっかり戻すと、さくらがベルハイドに聞いた。
「マルメロおばあちゃんの説法って、何処で聞けるのかな?」
「ああ、昨夜の宴の広場だ。この時間はまだ子供達へ説法しているかもしれん。先に行って伝えておくぜ」
「あ、そうなのね。後で行く、とだけお願い」
「了解だ」
そう言うとベルハイドは、風のように駆けだした。
それを見送っていたさくらであったが、ベルハイドが見えなくなると腕を組んで、う~ん……と考え込んだ。
ALAYAが声を掛ける。
「例の『気になること』ですか?」
「そうだね。伝承を全て把握したら、よりハッキリしたよ」
ALAYAが頷くと、さくらが続ける。
「この伝承には、意図的に伝えてない物があるよね。凄い重要な奴」
「人類が近代化を成し遂げたターニングポイントとなる発明……ですか」
「そう、この毛民達の社会はね、要するに産業革命前の中世っぽいの。わざと、そこで止めてる」
さくらは目を閉じて眉間に皺を寄せた。
伝えられていない、近代化の鍵。
いくつかあるが、主立った物は『印刷技術』『蒸気機関』『羅針盤』などである。
プロメテウスはこれらの重要な知見を伝えるのを避けていた。
理由はさくらにも想像が付く。
そもそも社会の近代化は、そこに生きる者をより幸福にし得るだろうか、という命題があるのだ。
より豊かに。より発展した社会に生きる。
それは確かに素晴らしいことだ。
反面、利便性の向上は、必ずしも余裕を生み出さない。
社会規模や通信技術、交通インフラの発展が産み出すのは、より高密度の労働である。
牧歌的な中世社会の農民の暮らしと、産業革命期の工場労働者の暮らし。
はたしてどちらが良い生活だったのか。そういう命題だ。
「難しいところですね。少なくとも人類は、発展の果てに――」
「み、皆まで言うでない」
そう、人類は、上手く行かなかった。
際限なく発展を続けたが、余裕のある理想的な生活など訪れず、社会的ストレスもなくならず、不和と軋轢からくる衝突から、滅亡の道を進んだのだ。
そう考えた時、さくらから毛民には、何を伝えるべきか。
そもそも何のために知識を伝えるのか。
難問であった。
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