第2章:無双編

20:始動

 朝日が地平線から登る前。

 空が白んでくると、毛民達は早々に目を覚ます。


 熟睡しているさくらの顔で、先に起きた子供達が遊びだした。

 なかなか起きないさくらであったが、睫毛を引っ張られてまぶたを開けられたあたりで、流石に目を覚ました。


「んが……」


 さくらはゆっくり上半身を起こすと、大きく伸びをした。

 髪にぶら下がっている子供を撫でながら、辺りを見渡す。


 毛民達は皆目を覚まし、服を着ていた。


「おはよう、皆早いね~」

「「「おはよう~」」」


 子供達が元気に返す。

 さくらは笑いながら子供達を両腕でかき集めて、顔を埋めた。


「こーの悪戯っ子どもめえ~! まとめてモフモフじゃあ~!」

「「「うきゃー!」」」


 子供達の歓声が響く。

 そこへシロップが、兎の子供と手を繋いでやってきた。


「さくら。起きたのね。おはよう」

「おはよう。シロップちゃんは何処で寝てたの?」


 シロップは子兎をあやしながら答える。


「こちらのご家族のお宅で、空いていた寝床をお借りしたのよ。ねー」

「ねー。お姉ちゃん」


 可愛い子兎だ。さくらも手を伸ばし、あやす。


 シロップと違い垂れ耳で、オレンジに近い明るい茶色の毛並みだ。

 伸ばされたさくらの指を握ると、スリスリと顔を擦り付けた。


「にひひ、可愛いのう。たまらん」

「ふふ。子供は可愛いわよねえ」


 シロップにそう言われたさくらは、真面目な顔で返す。


「いんや! 毛民は皆可愛い。長老やお婆ちゃん、ベルハイドもシロップちゃんも可愛い」

「あっははは。それは、どうも」


 ややあって、ブーン……と羽音が聞こえてきた。

 上空からALAYAが降りてくる音である。


「博士。おはようございます」

「おはよう、ALAYA。よく眠れたよ」

「なによりです。眠りの波が浅くなったタイミングでアラームを鳴らそうと思っていましたが、子供達が起こしてくれましたね。身支度なさいますか?」


 さくらは立ち上がり、パタパタとスカートを叩きながら言った。


「ん。お願い」


 するとさくらの全身が青白い光に包まれる。

 ALAYAが空気中のナノマシン、ユビキタスに働きかけているのである。


 まず額に光る寝汗や、目やに、涎のあとが消えていく。

 次いで、地面で寝た事で服に付いた汚れが空中に溶け出すように散っていった。

 これは『ナノシャワー』や『ナノクリーニング』と呼ばれる使い方だ。


 目を瞑ってシャワーの効果を受けているさくらがシロップに声を掛けた。


「ベルハイドの所にお泊まりじゃなかったんだ?」

「うーん。宴の時にこちらのご家族から『泊まる所が無ければ、うちへどうぞ』って声をかけてもらっていて……ベルハイドもそれは聞いてたんだけどさ」


 さくらは片目を開けて言った。


「それでそれで?」

「てっきり『いや、俺の所に泊まって行けよ』って言ってくれるかなとか思ったんだけど。『おお、そうしろよ』だってさ」


 さくらは両目を開け、あちゃ~、と言う顔をする。

 如何にも、付き合ってるか微妙なラインのカップルにありがちな噛み合わなさだ。


 シロップはベルハイドの真似(?)をしながら続けた。


「飲みながら『護衛の前金は受け取っちまったが、後金は要らん』『シロップは報酬を貰って護る相手ではない』とか言ったくせにさ~」

「お、お、お。結構、言うことは言ってるのでは?」


 シロップは足をタン! と地面に打ち付けて言った。


「だけどさ、それならなおさら『泊まって行けよ』じゃない!?」


 さくらは吹き出した。


「ぶは、そりゃそうだね」

「変な所でかっこつけなのよ。気の利いたこと言うのが苦手なのはわかるけど!」


 シロップにあやされていた子兎が不思議そうに聞く。


「お姉ちゃんたち、何のおはなしー?」

「ふふ。かっこつかない、かっこつけ男への愚痴大会よ」


 程なくして、さくらを包む青白い光が消えた。

 一通りシャワーとクリーニングが済んだのである。


「ああ、サッパリした。ありがと、ALAYA」

「お安いご用です」


 体と衣服を清潔に保つ。ユビキタスの有効な利用法の一つだ。


 実際には、さくら自身がユビキタスに命じれば、同じ事が出来る。

 この場合さくらは、自分の産み出したAIが自律的に判断し、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのを楽しんでいるのである。


 医療の革命と言われたパナケイアと並び、人々の生活を大幅に改善したユビキタスは、二十一世紀最高の発明と評される。

 しかしそれ以上にさくらは、ALAYAこそが最高であると考えていた。


 さくらは背中に手を回しブラジャーのホックをはめ、ストッキングとパンプスを履き、白衣を翻して纏う。

 そして白衣の襟を掴んで首の後ろに隙間を作ってから、ぱん! と引き下げた。

 頭を切り替えるルーティンだ。これで目が覚め、頭が冴えてくるのだ。


 かるく息を吐くと、シロップに聞いた。


「この集落で別働隊と待ち合わせてるんだよね? どれくらい掛かるのかな?」

「そんなに掛からないと思う。多分だけど、二~三日で戻ってくるんじゃないかしら」

「おっけー」


 その時、周囲が少し騒がしくなってきた。

 母親達が子供達を抱きかかえ、帰路につくようだ。


 子供達は名残惜しそうである。

 不満げな声を漏らす子供達に、さくらは笑顔で声を掛けた。


「大丈夫、まだしばらく居るよ。またね、皆」

「「「またねー!」」」


 母親達も子供達も、揃って手を振り、帰路についた。


 時を同じくして、東の地平線から、日が昇る。

 今日も良い天気になりそうだ。


 さくらは眩しそうに目を細めて、朝日の中の集落を見渡した。

 集落でひときわ高い丘の上、大木の横に立派な――といっても毛民サイズの――建物がある。


「あれが長老宅かな……。ALAYA、長老を訪ねる前に集落を見て回ろう」

「承知しました」


 シロップにも声を掛ける。


「別働隊が戻ってくるまでに、この集落を調べつくすよ~」

「あはは、了解。私はこちらのご家族のところに居るね。じゃあミミちゃん、戻ろっか」

「もどろっか~。またね~」


 さくらは手を振りながら帰路につくシロップと子兎――ミミを見送ると、ALAYAに言った。


「それじゃあ、実地調査開始だね」

「はい。楽しみです」



◇◇◇



 さくらとALAYAは集落の外周にある石畳に沿って進んで行く。


 先ず目に付くのは、東に広がる小麦畑だ。

 青々とした麦が風にそよいでいる。


 そこでは数名の毛民が畑仕事をしていた。

 宴の翌日だというのに、皆朝が早い。



 その南側には、人参や芋類などの根菜畑が広がっていた。

 畑仕事している者にさくらが質問すると、皆にこやかに答えてくれる。


 畑の傍らには森から集めてきたという腐葉土が積まれており、土壌改良も進めているのだそうだ。

 なかなか本格的である。


「完全に草食の毛民って栗鼠とかウサチャンくらいしか居なさそうだけど。そのわりに畑が多いねえ」

「肉食の毛民でも野菜や炭水化物を摂取する世界ですからね」



 しばらく進むと、果樹園が見えてきた。

 葡萄やリンゴ、梨、桃、蜜柑などが栽培されており、種類別に区分けされている。


「そんでもって、果糖の摂取だ」

「これは凄い。色々な種類を栽培していますね」



 果樹園を抜け、集落の南の石畳を進む。

 毛民は肉食・雑食が多いはずだが、タンパク質の確保は狩猟がメインなのだろうか。


 さくらがそう思ったとき、前方からニワトリの鳴き声が響いた。


「――っと、養鶏もしているのか」


 養鶏場は柵に囲われた広々とした区画で、雌鶏が放し飼いにされていた。

 畑から採れる雑草やミミズなどが、たっぷり与えられている。


 管理している者に聞くと、無精卵を得るのが主なのだという。

 鶏が無精卵を産むのは人類による品種改良の賜物であるが、現在もその形質は受け継いでいるようである。


 その雌鶏たちも定期的に解放され、また別の野生の鶏を捕獲してきて、入れ替えているのだそうだ。


 昨夜の宴に供された鳥料理は、狩人が獲ってきたキジや野鳩とのことだった。

 ALAYAが言う。


「鶏を繁殖して、太らせて、食肉にするような発想はあまり好まないのかも知れませんね」

「ああー。毛民の気質が出てるって事? 確かにそうだね」



 さらに石畳を進み、集落の西側へ抜ける。


 そこには川が流れていた。

 北の山岳地帯から南の方に抜けていく、なかなか大きな川である。

 生活や畑に必要な水は、この川から確保できるという訳だ。


 川辺には水車小屋が何軒も建てられている。

 おそらく、収穫した小麦を挽くための物だろう。


 他にも、釣りをしている毛民が何人も居る。

 話を聞くと、この川は鱒がよく釣れるのだそうだ。

 さくらが宴の魚料理が美味しかったとお礼を言うと、皆嬉しそうにしている。




 ぐるりと集落を見て回ったさくらは腕を組み、目を瞑って感慨深げに言った。


「こりゃ、色んな種族が一緒に暮らせる訳だね」

「はい。加えて、変化した食性にも対応。なかなか『考えられた』暮らしですね」

「そうだねえ、ただ――」


 さくらが考えるそぶりを見せる。


「何か気になりましたか?」

「いや、気になるほどでもないんだけど。もう少し情報が欲しい」

「承知しました。では、長老宅へ向かいますか?」

「うん。そうしよう」


 そう言ってさくらは、丘の上の長老宅を見上げた。

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