06:神話

 白々と夜が明けてきた。


 ベルハイドは野営地近くの沢の水で顔を洗い、プルルルッと顔を振って水気を飛ばした。

 軽く手を舐め、ちゃっ、ちゃっ、と毛繕いする。

 してもしなくても大して変わらないのだが、本人にとっては重要な動作なのだ。


 沢から戻ってきたベルハイドが汲んできた水で焚き火を消していると、シロップが地図を見ながら言った。


「巨神の谷……ここから北西へ向かいます」

「ああ」


 出発だ。シロップは地図をたたんで鞄にしまいながら、タッと駆け出す。

 ベルハイドもそれに続いた。


 隊の頭数が減り、腕の立つベルハイドとの行動になったので、移動速度を上げても良いという判断だろう。

 走りながら灌木をひらりと飛び越え、岩棚を軽快に駆け上る。


 脱兎の如く、という言葉があるように、兎は健脚だ。

 これは中々の物だな、と思いながらベルハイドは前を行くシロップを眺めていた。


(中々の脚力、というか、中々の腰つきをしてらっしゃる……)


 華奢な上半身から、一気に量感を増す尻と腿。

 兎らしい体型だが、シロップの美しさと相まって、実に良い眺めだ。

 毛民社会では他種属との婚姻も認められているが、兎女子の人気が高いのも頷ける話だ。


 ベルハイドも隊商の護衛で訪れる大きな集落の酒場に、お気に入りの店員くらいは居る。

 ただその店員は、猫の女子である。

 他種属の女子にこんな気持ちになるのは初めてだった。


(いかんいかん、何を考えているんだ、護衛対象に)


 雑念を払うように咳払いをし、ベルハイドは探索の対象『巨神』に思いを巡らせた。



 毛民達に伝わる伝説、神話だ。


 太古の昔、巨神が世界を支配していたという。

 高度な文明は地上のあらゆる場所を埋め尽くし、その支配域は天空の、星の世界まで至ったとも言われている。


 しかし栄えすぎた巨神達には不和が蔓延はびこり、巨神同士の致命的な戦い『巨神戦争ティタノマキア』が勃発した。

 その戦いで巨神達は滅び去ったと伝わっている。



 巨神達が滅んで程なく、獣達に変化が訪れた。

 二本足で立ち上がるようになり、前足は手へと変わったのである。


 獣が毛民となる、進化の時代だ。

 毛民達に『暁』と呼ばれる、勃興の歴史。

 そうしてこの地上は、毛民達の世界となったのだ。



 その暁の時代にプロメテウスと呼ばれる、巨神の生き残りがいたという。


 『言葉』『火』それから『聖句』と『魔法』。

 プロメテウスは他にも、様々な知識を授けてくれた。

 それが毛民の文明の礎となったのである。


 生憎あいにく短い期間でプロメテウス亡くなってしまったと言われているが、その存在は伝説となった。


 伝説は本当なのか。

 巨神の生き残りは他に居ないのか。


 次に邂逅できたら、何が起きるのか。

 毛民の文化、文明のさらなる発展への期待。なにより、好奇心と憧れ。

 巨神との邂逅の実現は、毛民社会の重大な関心事であった。



 そして百年ほど前、とある谷で眠りについている巨神が見つかった。

 プロメテウスに次ぐ新たな巨神発見の報に沸く毛民社会。


 しかし、その眠れる巨神を目撃したとされる者は、何故か正確な場所、道筋の情報を残さなかった。

 その所為か、続けて谷を訪れた者は、巨神を見つけることが出来なかったという。


 結局、目撃情報はその一度きりとなった。


 以降、百年にわたり定期的に谷に調査隊が派遣されてきたが、巨神は見つかっていない。

 いつしかその谷は『巨神の谷』と呼ばれるようになった。



◇◇◇



 正午の少し前。

 巨神の谷の入り口に、ベルハイドとシロップが立っていた。

 到着したのである。


 谷は異様な景観であった。


 周囲の崖が垂直に切り立っている。

 崖の上端も直線的で、全体的に四角い印象だ。

 そして垂直の崖全体に、これまた四角い洞窟の入り口が、整然と並んで口を開けている。


 そのような特異な崖で、谷全体が形作られているのだ。

 二人は辺りを見回して呟いた。


「一体どういう地形なんだ、これは」

「父から聞かされていたけど、なるほど、凄いわね……」


 ベルハイドは近くの崖に開いた、四角い洞窟の入り口から中を覗き込んだ。

 洞窟の中はかなり広かったが、壁も天井も直線的な構造だ。

 試しに隣の洞窟も覗き込んだが、奇妙なことに広さも、構造も、最初の洞窟と全く同じようであった。


 ベルハイドは後ろに下がり、改めて崖を見上げる。

 この目の前の崖だけで、百を越える洞窟が整然と並んでいる。


 改めて谷を見渡すと、遙か奥まで、同様の地形が続いているのだ。

 谷は全体的に苔むしており、所々、崖が崩れた跡らしき瓦礫の山もある。

 瓦礫の山からは何故か錆びた金属の棒が沢山突き出ていた。

 この山を歩いて越えるのは難しそうだ。


 瓦礫の山を迂回しながら進み、この無数の洞窟を確認して回り、何処かで眠っている巨神を見つけ出す。

 巨神探索の難易度を目の当たりにしたベルハイドは、ため息交じりに言う。


「こいつは……百年も見つからん訳だ」

「日が高くなってきたし、一端休憩しましょうか」


 シロップが苦笑しながら言うと、ベルハイドも同意した。

 正午近辺は眠くていけない。


「ああ、この崖の洞窟ならどこでも、休憩に丁度良さそうだ」



◇◇◇



「百年前にこの谷で『眠れる巨神』を目撃したのは、兎の冒険家。私の祖先なのよ」


 洞窟の中で焚き火を起こしながら、シロップはそう言った。


「ほう。それは凄いな」

「うーん……」


 あまり誇らしい感じでもないらしい。

 シロップが続けた。


「正確な場所と道筋を残せなかったので、それはもう、色々と言われてしまって」

「……ああ『本当に見たのか?』、みたいな事か」

「そう。みんなが巨神に逢ってみたい思いが強いほど、目撃談が疑われたり、何故道筋を残さなかったのかと批判されたり」

「そういうもんか」


 シロップは強い決意を秘めた表情で焚き火の炎を見つめている。


「悔しいじゃない、そんなの。なので私の祖父も、父も、調査隊の隊長を務めたのよ。もう、一族総出よね。私も子供の頃から絶対巨神を見つけてやる、祖先が正しかったと証明してやるって。そう思ってきたの」

「なるほどな」


 シロップの内面が少し伺えた。

 探索の続行を強く主張していたのにも合点が行く。

 ベルハイドはこの話を聞く前よりも、シロップに好感を持っている自分に気が付いた。


「ベルハイドは、巨神の伝説についてはどう思ってるの?」

「ん……」


 少し考えてから話す。


「魔法を使える俺たちでも、聖句の文言の意味はわからない」

「こまんど・たーみなる~。確かにね」

「ああ。これは最初に誰かに教わらなきゃ無理だ。だからプロメテウスは居たんだろうさ。文献も残っているし」

「そうねぇ」

「一方で、巨大な神と書いてティターン。本当に『神』と呼ばれるほどの存在だったのか? とは思う」

「というと?」

「神ともあろう者があっさり滅びる物かね? それに伝説だと、巨神の文明は地を覆い尽くしていたんだろう? それは何処残っていないんだ?」


 シロップは洞窟内を見渡してから言った。


「ええと、まさにこの巨神の谷が、彼等の建築物の名残という説があるのよ。父や祖父は『絶対そうだ』って言い張ってる」

「ああ、それは思った。ここはひょっとして巨神文明の名残なのか? とな」

「でしょ」

「だがこんな地形、この辺りだけだろう? 太古の巨神の文明ってのは、ここのご近所だけだったのか? ここ以外は大自然が広がるのみだぞ」


 シロップはむ~ん、と腕を組んで考え込んだ。


「それは巨神戦争で……いや、違うか。そこは確かに不思議なのよね~」


 そしてパッと顔を上げて言った。


「じゃあ、巨神を見つけ出して、直接聞いてみましょうよ」


 前向きだ。ベルハイドは吹き出した。


「はは。良し、そうしよう」

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