05:野営

「よ……っと!」


 狸の手足を長い棒に括り、その棒の前後を駕籠屋のように二人の隊員が担ぐ。

 すると狸は木にぶら下がるナマケモノの様な格好で吊された。

 同様に穴熊とハクビシンも吊され、それぞれ二人ずつの隊員に担がれる。


「か、勘弁してくれ~」

「トホホ……」

「何で俺がこんな目に!」


 まだぶつくさ言っている三人を無視して、犬がシロップに言った。


「それでは、行ってくる。ここで隊は分かれるが、事が済んだら『陽だまり集落』で落ち合おう。先に戻った方が集落で待つ。それで良いか?」

「うん、それで良いわ。こちらの心配は無用よ」

「最後まで護衛できなくてすまない。後は頼んだぞ」


 犬はそう言ってベルハイドに託す。

 ベルハイドは相手を安心させるよう手短に、しっかり答えた。


「ああ、大丈夫だ。任せてくれ」


 犬は軽く会釈すると、運搬役の皆に声をかけた。


「よし、出発だ」


 それに応え、賊の運搬役が出発する。

 えっほ、えっほ、と掛声をだしながら次第に遠ざかっていく。

 それを見送るシロップとベルハイドであったが、運搬役達の声が聞こえなくなった頃に、シロップが言った。


「さてと。私達は夜が明けてきたら出発しましょう。それまで休憩!」


 毛民達には、完全な夜行性の者は少ない。

 多くは薄明薄暮はくめいはくぼ性といって、明け方と、夕暮れに行動する。

 その間、日中と夜中に休むのだ。




 夜明け前の最も暗い時間。

 二人は大木の前の野営地で、焚き火を見ながら話をしている。


「あのな。顔も合わせたことがない相手に前金で護衛を依頼するとか、何考えてるんだ?」


 ベルハイドが焚き火に新しい薪をくべながら言った。


「ふふ、でも来てくれたじゃない。それより、どうしてここがわかったの?峠を抜けた後の道筋は伝えてなかったでしょう?」


 シロップはここまでの経緯を思い返した。



◇◇◇



 巨神調査隊がベルハイドの故郷である陽だまり集落を訪れたのが二日前。

 陽だまり集落は如何にも田舎であるが、北の山岳地帯に入る前に立ち寄れる唯一の集落として、古くから巨神調査隊の宿場として利用されてきた。


 シロップは集落の長老――プルプル震えるチワワのおじいちゃん――に、護衛の伝手つてがあるかを訪ねた。


「我々調査隊は、これから北の山地に入ります。隊には護衛もいますが、野営の番を考えて増強したいんです」


 長老はプルプル震えながら頷く。


「ふむ。丁度良いのが居るが、今は隊商の護衛で留守にしておるのじゃ」

「いつ頃戻られますか?」

「さて、予定では今日なのじゃが。何しろ隊商の護衛ともなると、日程がずれるのは珍しい事ではないでの」


 留守ならばしょうが無いか……シロップはそう思いながら、追加でひとつ訪ねる。


「腕の立つかたなんですか?」

「ほっほ。この界隈では一番の剣士じゃよ」


 シロップは少し考え込んだ。

 腕の立つ剣士であれば是非欲しいが、帰ってくる日がわからないのでは、待っていられない。


「我々は北の一本松峠を抜けてから、巨神の谷へ向かいます」

「ふむ。ふむ」

「その剣士さんの帰りが早かったなら、後追いで合流して欲しいとお伝えください。我々が一本松峠を抜ける前に合流できれば良いのですが」


 長老はプルプル震えながら、笑って答えた。


「ほっほっほ。承った。なに、足の速い男じゃ。よっぽどでも、追いつけると思うがの」

「あ、いえ。峠を抜けてからの道筋は決めていないんです。天候と、沢の状態を見て、どの尾根を越えるか決めようと思います」


 長老がうむ、うむ……と呟く。

 シロップが続けた。


「ですので、その剣士さんの帰りが遅かったなら、無理にとは言いません。その場合はこのお話は無かった事に」


 長老はニコニコしながら頷いている。

 まるでその剣士が必ず追いつけると、確信しているかのようであった。


「一応、剣士さんの帰りが早かったときの為に、これをお渡ししておきます」


 そう言ってシロップは、前金を置いてきたのである。



◇◇◇



「一本松峠で合流できなかったという事は、前の仕事からの帰りが遅かったのね?」

「ああ、丸一日の差だな。俺が出立したのは昨日の今頃だ」

「それで私達の隊に追いついたの? 犬なら匂いを辿れそうだけど、途中で雨も降ったのに」


 ベルハイドは焚き火の薪を突いて、火勢を上げながら答えた。


「まあ、そうだな。追跡術というんだが」

「追跡術?」

「まず、犬ほどじゃないが、猫だって鼻が利くんだぜ? それから足跡や、切り払われた植物の痕跡、焚き火の跡、そして天気や地形。そういった様々な要素から対象を辿れるんだ」


 シロップは目を丸くした。


「おお~」

「ただ思ったより先に進んでいた印象だ。途中の休憩も適切な場所で行っていたようだし、優秀な隊だと思う」

「驚いた……。本当に腕が立つのねえ」

「フッ」


 ベルハイドはニヤケ顔にならないように頬を引き締めた。

 素直に感心してくれるのが、何とも心地良い。

 シロップのような美女に感心してもらえるなら、必死こいて走ってきた甲斐があったというものだ。


「ところでベルハイド。貴方、怪我してるでしょ」


 確かに、先程の残月との立ち会いで、右肩に傷を負っている。

 だが、かすり傷だ。


「ああ、こんな程度。怪我のうちに入らん」

「見せてみなさい」


 シロップがベルハイドの傷を覗き込む。

 血は殆ど止っていたが、葉っぱや土埃を巻き込んだ瘡蓋になりつつあり、さらに毛も巻き込んでガビガビしている。


「うえ、駄目だよこれじゃ」


 シロップは目を閉じ、集中した表情で唱え始めた。


「こまんど・たーみなる……! ぼいすふぃるたー・かっと」


 するとシロップの全身が、青白い光に包まれた。

 朗々とした独特な発音。

 魔法を発動する前に唱える『聖句』と呼ばれる文言だ。


「お見事」


 とベルハイド。


 聖句の詠唱が成功すると、魔那が青く光ってそれを知らせる。

 独特な発音は毛民にとっては大変難しく、長い修行が必要だった。

 出来ない者は一生かかっても出来ない、とすら言われている。


 聖句を詠唱しないと、空気中の魔那は呼びかけに応えてくれない。

 つまり聖句を唱えることが出来ない者は、魔法が使えない。


 また一度聖句の詠唱に成功すると、以降五分の間、魔那が呼びかけに応えてくれる状態が続く。

 先程のベルハイドの場合は、崖の岩棚から飛び降り、大木の裏手に回るまでに聖句の詠唱を済ませていたのだ。


 シロップは目を開け、魔那へ呼びかけた。


「ユビキタス、この傷のけがれを取り除いて」


 次の瞬間、シロップの全身とベルハイドの右肩が青く光り、ガビガビに固まった瘡蓋がスッと消え去った。

 瘡蓋が消えたことで、また少し血が滲む。


「いてて、瘡蓋取っちまったのかよ」


 ベルハイドがそう言うと、すかさずシロップは耳慣れない文言を唱えた。


「パナケイア、傷を癒やしたまえ」


 そういうと舌を出した。その舌が青く輝いている。

 そしてそのまま、ゆっくりと傷を舐め上げた。


「!?」


 ベルハイドは体中がぞわぞわ~っとして、全身の毛が逆立つ。


「にゃわあああああーっ!」


 思わず情けない声が出た。

 若い男なんてのは、魅力的な女に不意に体を舐められたら、こんな声を出す物だ。

 まず驚いたし、何より気持ち良くなかったと言うと嘘になる。


「なっ、なっ、なんっ……!」


 ベルハイドは何事か言おうとしたが、すぐに痛みが消えていることに気が付いた。

 見ると、完全に傷が塞がっている。

 傷跡どころか、まるでそこに傷を負ったことなどなかったかのように、毛まで生え揃っていた。


「これは……回復術士か!」


 シロップはちょっと得意そうに微笑んだ。


「そういうこと。兎は体内の魔那『パナケイア』の量が多いの。それを使って治療するのよ」


 なるほど、聞いたことがあった。

 兎の回復術士はナイフで指先をちょっとだけ傷つけ、患部に少量の血を付けて、様々な治療を行うのだという。

 同時に術士の指先の傷も治ってしまうので、その方法が一般的なのだそうだ。


 言ってしまえば、パナケイアは唾液にも含まれているので、本来であれば舐めてしまった方が早い。

 ただし、その方法はごく親しい者、家族や恋人にのみ使う物だと言われていた。


 ベルハイドは少し困惑した顔で、頭を掻きながら言った。


「あー、唾液を使った治療術って、その、特別親しい相手にするんじゃなかったっけ」


 シロップは少し悪戯っぽい表情で笑いながら言う。


「ふふ、そうだったっけ? まあ、助けてくれたお礼と言うことで」

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