第16話
何が気に障ったか知らないが、隠したのはなんとなくで、見せて困ることなぞ何もない。志乃は泥だらけの手を差し出して、その手を検分しようと伸びてきた手にぎょっとする。左の小指が一本欠けている。女
「あたしには分かってんのさ。あんたの手はここんとこ毎日泥でべったりだったろう」
ほら、爪の間も泥まみれ、と志乃の爪をかりかりと搔く。
「それがどうかいたしましたか」
聞くと、女はふん、と鼻を鳴らす。
「あたしの宿は森田座の『
志乃は顔を跳ね上げ、目の前のいわく女をじっと見る。
今この人は、森田座と言っただろうか。それじゃあ、その下にくっついていた夏祭から始まるお題目は芝居の
だめだめ、その見立ては外れ。前に言ったはずだぜ、
頭の
そうか、だから一つの興行に二つの名題があってもおかしくはないのね。
得心しかけた己に、ああ、と志乃はため息をつく。
ついでに江戸には三つほど座というものがございまして、と奥役、善吉は森田座の遣いで家にくるたび、何かにつけて志乃に芝居の話をしたがった。
だから、このいわく女が密通も含めて芝居の話をしようとしているなら、早々に誤解を解いてお帰り願うべきだろう。役者の女房なんぞとお付き合いを深めるなんて、とんでもない。
志乃は一呼吸置いてから、女に「それで」と静かに話しかける。
「夏祭とやらがどうかいたしましたか」
「それが浮気の証左だって言ってるのよ」
首を傾げると、女はいきり立つ。
「
「どろば」と聞き返しておいて、ああ、嫌な予感がする。耳を
「本当の泥を使っての場面に決まっているでしょう。
「ほんどろ」なんて
「あの
なにからなにまで無茶苦茶だ。
「違います。この泥は先ほど大川にいた時の泥で」
「まだしらばっくれるとは、性根がずんと図太いね。そんなら、いいわ、夜な夜な手を擦りあったお相手とご対面といこうじゃないか」
女は己の
「ご対面って、あの、どこへ」
「芝居小屋ァ!」
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