なかったことにできない違い

 僕は、多用することにいい感情を持てないのですが、「障がい」という言葉を葬ることはできないと考えます。


 腕、足、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に不備があること、論理的思考ができないこと、生活技術に不備があること、それは、生活を送る上でどうしても鎖になります。

 もちろんここで明言すべきことは、その鎖が行動を常に禁じるものではなく、行動ができるときも、できないときもあるということです。そして、時に困難を伴わないときもあるし、困難を伴うときもあるということです。例えば聴覚ですが、常に言葉が聞こえないということはなく、顔を向き合わせれば読唇術を使って相手の発語を理解できるという点ですね。このとき、困難を伴わないこともあります。また、音楽が完全にタブーというわけではありません。視覚・触覚があるので叩くリズムを理解できますから。

 しかしそれでも死角から侵入した車のクラクションは聞こえません。触覚で風圧を感じたら分かるかもですが。


 このような前提の上で、僕が問いたいことを提起します。

「『面白い、変な』という印象を無しに私達は他者(特に、健常な日本人から遠い障がい者・外国人)を理解する手段とは何か」

 僕は、自分の持つ差異にかなり苦しみました。必ずしも障がいだけによる差異だけではありません。思考回路だとか趣味だとか、性格だとか。最近は人と有利な形でしか会話をしなかったのでそれを見つめることがなかったのですが、今日、中学の頃のみんなでカラオケに行ってよく分かりました。僕は人の全く知らない女性曲を1オクターブ下の低い声で歌って笑われたもんで、これでさえ身内なのに、大学行ったらどうしよう、と戦慄したわけですね。

 僕は笑われてイヤでした。尊厳的な問題ですね。受け取る人にとっては人格否定とも解釈しますでしょう。自分のアイデンティティの否定ですよ。

 僕は、「いじり」が嫌いです。もちろん誤植ではないですよ。「いじめ」は非人道的行為ですから、誰が見ても排除すべきと言うでしょう。人の特徴(個性でも障がいでもなく)を指摘してあげつらう行為として「いじり」はこれも同様に排除すべきものだと考えています。


 理由は2点。いじめにつながるから。また人格否定、負のレッテルを貼る行為として、いじめではなく親和的関係を築けたにせよ、受け取る本人にとってみれば傷を負うものであるから。

 僕の立場は、もともと他の人たちとの人間関係を作っているので、その「いじり」をする人たちと関わらなくても学校で生活できるので、彼らのいじりを受け入れることはただの損害でしかない、そういう立場です。彼らのいじりを受け入れると、自分はいじられキャラとして一つのさらし者にされますから。


 しかし、いじり、もしくは好奇の念がコミュニケーションの一つのきっかけであると擁護する人々は相当数います。現実として、『恋です』のドラマでは、視覚障がいを自虐する姿が見えました。当の障がい者側が、いじりを誘発してコミュニケーションを生み出そうとする姿があります。障がいは、決して薄暗いものだけではなく、時にちぐはぐでコミカルなかわいいものだ、とそういう目を求めています。それでも、できない、という意味での障がいの姿は消えませんし。また、『コミュニティと都市の未来』(吉原直樹)の八章には、ダウン症の少年Kが、周囲の人間から「見知らぬ他人」から「変わった子」を通して「隣人」として受け入れられたというものが示されました。


 僕は、「見知らぬ人」を最終的に「地球の隣人」にするべきと考えているのですが、その過程にいじり、好奇の目があってはならないと思うのです。「死ね」とかいった攻撃にまで陥らなくても、「きみ、ちょっと変だね」という目も。僕はそれで傷を負ってます。「すごい」だとか、「こういうことが彼にだけできる」だとか、そういうリスペクトだけで人間関係はできないでしょうか。それの可否がまず僕には分からない。


 また、僕は障がいや、困難に対して差し伸べられる手が、援助ではなく、相補、共助、公助にならないでしょうか、と考えています。常に与える者、得る者という関係が、僕には不健全に見えます。時として、与える者が得る者へ差別的な目を向けることがあります。生活保護への批判にそれが伺えるでしょう。ですから、ギブアンドテイクの関係に変えねばならないと思うのです。

 逆に申し上げれば、障がいだからしょうがない、という声も少し僕には疑問です。障がいじゃなくても仕方がない時もあります。

 例えば、「円周率が3.05以上であることを証明せよ」有名な東大の問題ですね。(ちなみに、解法は半径1の円を中心から12等分した扇形を作り、その弦の和を求めると、3.05以上になります)これが解けないことは、決して知能に重大な欠陥があるからではなく、数学に不向きだったとか、人口上位数%がもつ特別な知能を持たなかったからです。障がいだからじゃなくて、一人間たる彼、彼女にとって、しょうがなかった、と言うべきですと僕は思うのです。


 なんか、書いている僕がわけわかんなくなってきました……。稿を改めるやる気があればいいのですが……ね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一盃口 テーマ集 一盃口 @i-pe-ko-doradoradora

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ