反省と強要

 どうやら日本人は中国の南京で85年くらい前に300000人を殺したらしい。この言葉は適当に言っている。気になったらググって下さい。

 しかしそれは嘘であろう。だって御国が70000人と言っているのだから。でもこのとき、日本人は70000人しか殺していない、300000人なんてそんな多く殺していない、というのは間違いである、と指摘させて頂きますが。


 まあこれも適当な話です。日本人によって確実に殺された死者の数でしょう。たぶん殺されたであろう人の数はノーカウントです。年数がかなり経ったために死者数は分からなくなって行きます。

 この時、被害者である中国の主張に異を唱えることは非常にためらわれる。なぜなら、日本人が多かれ少なかれ中国人を殺害しているのだから日本は謝罪せねばならない立場であるので、立場が下になる。

 たとい通州で我が国の民が殺されていようと、通州事件は中国が加害者、南京事件は日本が加害者であるという事実だけです。殺した人そのものはきっと異なるでしょうし、通州で邦人を殺害した人物と全く関わりのない人物を間違いなく南京で殺しています。ですから、罪は罪で相殺できません。

 すでに先人が贖ったのでしょうが、日本が南京で起こしたことの十字架はあります。中国が通州で起こしたことの十字架もあります。


 これを見て、いじめ問題に応用します。例えばいじめていたやつだからいじめよう、とかの論理。いじめていた奴はいじめられていた子に絶対服従せねばならないのか。

 また、悪口を言われてグループから仲間はずれにされた子がそれを訴えるときに事実を誇張しようとして、協力者に自分を殴らせて、この打撲傷はあのいじめっ子がつけたんです、ということがあったとき、誰が悪いか。

 このとき、もちろんいじめもあり、更にいじめを誇張するための狂言も行われた。しかし、こうでもしていじめを外傷としてアピールしなければ周囲の人間は気づかないと思った、としたら。

 この狂言を見抜いて、いじめっ子らの冤罪を晴らすことが簡単にできるのか。


 着想は日韓の慰安婦問題でしたが。この問「加害者は被害者にどれだけ服従するべきものか」というものは色々拡大しようがあると思います。

 歴史修正主義者とは、もちろん僕は名乗りませんが、裁判のように、検事、被告、弁護士、裁判官の仕組みが歴史研究にも求められるのではないでしょうか。

 いじめを告発した戦勝国だけの歴史観に服従せずに。大変良心的に痛ましい自己弁護になりますが。

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