歴史の保存について

 蜻蛉日記という日本を代表するエッセイがあります。内容は、心の通い合わない夫婦の悩みでした。そして、ほぼ愚痴になります。これが歴史的名著になったのは、作者の藤原道綱母にとっては死んでも死にきれない恥でしょう。もしかしたら安直かもしれませんが、作品があまりに秀逸であったために生き残ったのかもしれません。しかし、もっと重要な条件があったように覚えます。紙に書かれ、更に力ある藤原家の人間であったことです。


 現代では、インターネット化によってこのカクヨム様のようなところで、より様々な文物が生まれています。歴史的に見れば、比較したことではないですが、日本や中国などの国は、律令制に始まり(?)、どうやら記録する文化が優れているらしいのです。その結果が中国では前三世紀の陳勝呉広の乱の記録、史記などの歴史書、日本ではあまたの木簡、日本書紀に始まる八代集になります。

 そして、他にも日本人は屈指の日記らしいので、始めの蜻蛉日記を始め、御堂関白記(道長)、折たく柴の記(新井白石)など様々な人物が日記を書いています。しかも、時代の支配者が書いているものもあるので、文芸的側面に限らず、歴史的側面でも重要です。特に、平安貴族の迷信や、江戸の侍の儒教精神など、現代では失われた考えを日記は保存してくれます。また、権力者でなくても、階級の分断の影響をうけていて、支配者とは全く違う生活をする庶民の民俗学、産業構造、経済の流通などの姿も映し出してくれます。


 現代の日記も、そのようにいずれ重宝される日が来ると思うのです。しかし、現代人はその意義についての認識の欠如があると思っています。

 ロゼッタストーン(単語帳)で述べたように、デジタルの情報は、容易に登録できる一方、消去はもっと容易でした。遅いスマホでもわずか十秒で、小説四冊分のデータ(1GB)が消える、というように危うさがあると思います。そして筆者の失踪とウェブのセキュリティのための自動削除によってデータはすぐに失われます。まあ、黒歴史をわざわざ人に語り継がせるものにするのも恥ずかしいことですがね。また、垢BANもあります。忘れられる権利が拡大すると、尚更忘却が進むようになるでしょう。

 そして、書物の断捨離も、やはり危険性を感じます。正直言えば、1%のデータが生き残れば十分検証は可能だと感じますが、これからデジタル化がより一層加熱することにより、その1%も失われてしまうのではないか、と思ってしまうのです。

 

 自分が言いたいのは、故人の日記を安全に格納し、次世代に語り継がせられるシェルターがあったらいい、という点と、カクヨム等で日記や評論を投稿なさっている方は、自身の原稿の紙のコピーを作って頂きたいということです。特にいじめなどの話題は、現代日本の特徴であり、その検証のためには教育委員会による調査記録だけではなく、当事者の考えも必要であると考えています。


 素人語りですが、学者様方の考えと合っていたら嬉しいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る