第26話 眠れない夜

 その晩、僕はなかなか眠れなかった。

 それもそのはず、同じ部屋に、ベッドは別とはいえ、すぐそばに好きなヤツが寝てるのだから。

 時計は零時れいじを過ぎていた。

 おやすみの挨拶あいさつをかわして、お互いがベットに入ったのは11時過ぎ。なかなか眠れない僕をよそに10分もしないうちにキュウの寝息が聞こえてきた。

「寝たのかよ」

 僕は小さい声でつぶやく。

「…んん」

 聞こえたのか聴こえてないのか、キュウが返事をしたような気がした。

 僕は自分の顔をキュウに近づける。

 目を閉じたキュウの横顔。

 静かな寝息をたてて、ぐっすりと寝ている。

 睫毛まつげが上向き。

 こんなに間近でキュウを見つめることはない。思わず、キュウの唇に目がいく。

 形の良い、薄くもなく、厚くもない唇。その口元をじっと見つめた。

 僕の心臓が高鳴る。

 ちょっと息を飲む。

 僕は頭の中で、キスのことを考える。

 キュウとのキス。

 香織かおりさんの事件の時、キュウはみんなの前で突然、僕にキスした。

 きっとそんなことでもないと叶わない。

 僕は思いきって、キュウの唇に自分の唇を重ねた。

 柔らかい。でもその感触を確かめる間もなく、多分、2、3秒ですぐにキュウから離れる。

 こんなことしてる自分が恥ずかしくなる。

 でもそんなに悪いことをしている気持ちにはならない。

 起きているキュウに出来ない自分が情けないだけ。

 キスはいつも頬に冗談でだけど、キュウから何度かされたことがある。キュウにとったらキスはスキンシップ。

 僕が女の子だったら、キュウは僕を恋人の対象としてくれただろうか。

 そう思うと途端に切なくなった。

 こんなに近くにいて、手を延ばせば、触れることも出来て、キスも出来るのにどうにもならない僕の気持ち。

「好きなんだ」

 僕はキュウの寝顔にそう言う。

 もちろん寝ているキュウは何も答えない。

「いつまでそばにいてくれる?」

 僕はまた寝ているキュウに質問する。

 すると部屋がノックされた。

『トン、トン』

 ノックされたドアを見る。

「だれ…?」

 僕は呟くような声で、ドアの向こうに語りかけた。

「…私。ナナ」

 ドアの向こうのナナが返事をする。

 僕は、ドアを開けた。

「どうしたの?」

 ドアを開けると罰の悪そうな顔をして立っているナナの姿があった。僕は、ゆっくり部屋を出た。

「眠れないの」

 寂しそうにそう言うナナに、僕も同じだよ、と答えて、ナナを連れて、1階に下りた。

「なんか飲む?」

 僕は1階のリビングの椅子にナナを座らすと、冷蔵庫をのぞいた。

 ワインを見つけた。赤ワインだった。

「ねえ、ナナはお酒、飲んだことある?」

 僕の質問に、ナナは首を横に振った。

「ロクタは、飲んだことあるの?」

「うん、母親がよく飲むから、最近、付き合いでたまに。と、言ってもまだ17歳だから、誕生日とかクリスマスとか。イベントの時だけだけど」

「へえ、ロクタのお母さん、自由人だね」

「うん、不良。でもフツーぽくないかららく

 そう言って、僕は笑った。

 きっと母は、僕が女の子じゃない恋人を連れて来ても笑顔で迎えてくれるだろう。

 母には一般の常識とは違う考え方がある。僕はそれが普通で育ったから、友達のお母さんの様子や話を聞く度に、僕の母の不思議さを知った。

 最近では、いつも遊びに来る結子さんが母の恋人なのでは?と感じている。母親の恋人は女性。それが全くおかしく感じないくらい僕の母は自由だった。

 僕は、二つのグラスに、赤ワインとオレンジジュースを同量で割り、軽く混ぜる。

「ミモザって、いうカクテルなんだ。飲みやすいよ」

 僕は、そう言って、ナナの前に、作ったカクテルを置いた。

「え?綺麗きれい

 ナナは赤とオレンジが混ざる微妙な色合いのその飲み物を眺めながら言った。

「赤ワインより飲みやすいと思うよ」

 ナナは僕がそう言うと恐る恐るグラスに口をつける。

「お酒だ!」

 ナナがそう言うので、僕は思わず、吹き出した。

「うん、お酒。どんな感じ?」

「ちょっと喉が熱い?」

「うん、お酒だからね」

 僕はナナの返答がおかしくて、笑いが止まらない。

「お酒って、なんか落ち着くね。それともロクタがいるから落ち着いたんだろうか」

 ナナは僕の目を見つめて、そう言った。「僕もナナと話して、落ち着いたよ」

 ナナが僕の言葉に大きくうなずいた。

「…ロクタはキュウとキスしたことある?」

 突然のナナからの質問に驚いて、僕はカクテルを吹き出しそうになり、咳き込んでしまう。

 見てた?と心の中で思いながら、そんな気持ちを隠しながら答える。

「え?なんで。突然?」

「ん。いや、これは秘密として聞いて欲しいんだけど。私、八重やえの寝顔にキスしてしまったの。それも唇に」

 ナナは罰が悪そうに、小さな声で、僕を見ずに言った。僕は、うん、とだけ言った。

「驚いた?」

 ナナは、またそう聞いてきた。

「いや。ぜんぜん。…僕もさっき、キュウにしたから。キス」

「えー!うそ…」

 本当に驚いたらしいナナの声は急に大きくなった。

「ごめん。でも、なんで?」

 ナナは、そう謝って、また小さな声でそう尋ねてきた。

「ナナと同じ理由。好きだから。他に理由、いる?」

「ううん、いらない」

 ナナはまた僕をまっすぐに見て、言った。

「でも、私は…。八重やえのファーストキスかもしれないと思うと。…だから私は罪悪感がある…」

「そっか」

 その点は僕らとは違うと思った。

 多分、キュウはキスどころか、性経験もあるはず。僕自身もキュウとのキスが初めてではない。

 僕はいろいろと頭の中で考えて、でも本心を言った。

「でも…。八重さんが知らない限り、それは八重さんのファーストキスにはならないと思うよ。だからナナの罪悪感は残念だけど、あんまり意味ない」

 ナナは、そう言う僕の顔をじっと見つめる。

「だけど、僕たちにとったら、自分たちで行動した初めてのキス。だから、僕たちにとってはファーストキスなんだ。でも相手にとっては、こっそりキスしてるわけだから、相手には何も残らない悲しいキス…。僕はその点が実は悲しいと思うよ」

「…そうだね」

「だから、今度は勇気を持って気持ちを打ち明ける方がいいんじゃないかな」

「うん」

「でも、落ち込むことないよ。僕たちはそれだけ、相手を好きなんだってこと。その気持ちを大事にしたっていいんじゃない?」

「ありがとう。」

 僕は自分に言い聞かせてるみたいだな、って心の中で思った。片想いで悩んでいるヤツがこの世の中にどれだけいるだろう。

 両想いの人間より多いはず。

 それがつらいだけの気持ちだったら悲しい過ぎる。

 僕はキュウへの想いを大切にしたい。

 もう落ち込むのはやめよう、と僕はナナにささやいた。そして彼女もうなずいた。




 

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