第4話

 ジュンカ達は、本人達が寝ている間にアイクチに召喚されている。そのため、彼女たちは便宜的に召喚された世界を夢世界と呼び、普段生活している世界を元世界と呼んでいる。


 夢世界には大海原が広がっており、元世界にある大陸が存在していない。そして、空には島が浮かぶ。


 そのため、夢世界の人類は、大陸ではぐくまれた人類とは異なる社会を形成していた。


 別の場所への移動を禁じられた人類は、当初一つの、あるいはそれぞれの島でコミュニティを形成していた。近くに島が見える環境であっても、巨大な鳥を手なずけて渡るくらいしか島々の交流はなかった。


 あるとき、人類は島を動かす技術を手に入れた。コントロールを得る方法を見いだしたとも言える。


 それがこの世界の有りようを変えた。


 人類は、近隣の島々を接収し、一つの島で形成していた集落から複数の島から成る群島を経由し、果ては複数の群島を束ねる国へと成長させた。


 そして、人類は、もう一つのルールを知った。


 島は、増える。


 法則も、理由も何も解明されていないが、事実として島は増えるのだ。先月まで何もなかった空域に、巨大なジャングルを乗せる島が現れることになる。


 人類は、その新たな陸地の確保をかけて争うこととなった。


 誰にも所有権の移っていない島、未開島を確保するため、大海原を飛び回った。そしてやがて国の空域を主張するため、自国の島を数珠つなぎにして国境を形成した。


 これが世界の成り立ちである。


***


 島発見の知らせにより、アイクチ達はにわかに騒々しくなっていた。


 なにせ、彼らの大半がいつかという日がいつまでも来ないと諦めていたからだ。


 島を見つけたら移住する。そこに変わりはないものの、いざそのときになるとどんな段取りで行くのか、何を持って行けば良いのかを何も打ち合わせていなかった。


 唯一決まっていることは、おやっさんの指示である空を飛んで島に移ることだ。


――他の島が群れになって近づいてきたら、絶対に近寄られる前に忍び込め。未開島接近の際は、未開島調査士の先遣隊が上陸してくる。その前に行くんだ。ソメイ、そのためにお前を買ってきた。――


 おやっさんは、唯一この世界を知る人間だ。その人が生前何度も同じ指示をしていた。そう指示したからには、何らかの理由がある。具体的な理由はその時に分かるとして毎回はぐらかしていたが、従わない理由はなかった。


 幸いにも、未だ水平線上に小さく見えているだけであり、ぐいぐいと迫ってきている訳ではないため時間の猶予はあった。エルフ2人を見張りに残し、皆で準備を進めることとした。


 家の目の前にどんと置かれた机では、他島への侵入方法について、金色鎧のギエンと白いゆったりとしたローブをまとった鳥人が頭を突き合わせて議論していた。


「ソメイはアイクチを抱えてどのくらいの距離を飛べる?」


 ギエンが訪ねると、ソメイと呼ばれた鳥人はふむと考え、口いやさ頭がハヤブサのそれであるためくちばしを開いた。


「気流や風、後はアイクチの重量次第ですでの明確な距離はわかりません。ですが、50㎏程度の荷物を抱えて50㎞飛んだことがあります」


「それなら行けるな。おやっさん情報だと、主島が20㎞~30㎞くらい離れて停止、そこから先遣隊が出発してくるんだったな」


「はい。海面すれすれを飛んでいく予定ですが、発見されないようにする為にも視線は少ない方が良い。できれば先遣隊が出発する前にたどり着いておきたいところです」


「そうだな。では速度を見て、ソメイの判断で出発してくれ」


「分かりました」


「後は色か。黒い羽や頭は良いんだが、白のローブはまずいだろ。行くときはまっ裸で行ってもらうか?」


「残念ながら、鳥人って頭と足と翼以外はギエンさん達ヒュムと何ら変わりありませんよ」


 ほら、とソメイがローブの首袖を下げると、地肌が見えた。


「あら、ほんとだ。まさかの15年越しの真実」


「どうしてもアイクチが中心で、お互いのこと話しませんからね」


 そりゃそうだと2人は笑い合った。ついでにとお互いの国の話で盛り上がる。


 倉庫で荷造りをしている者達のことなど気にもせずに。


***


 いつか来る日が十数年も来なければ、準備もおろそかになろうと言うものだ。ジュンカとリンユウは、あれが必要だそれは必要じゃないとあわただしく倉庫をひっくり返しての荷造りをしていた。


「やっぱり防具として一張羅は必須だよね」


 ジュンカは獣皮とまがい竜の鱗で作った防具一式を取り出した。ジュンカがアイクチに無茶をさせる為に用意したものだ。これのおかげで何度か命の危機を回避したこともあった。


 それを、リンユウは「燻し臭いし野蛮だからアウト」と持って行かないものエリアに投げ捨てた。


「ちょっと! そこ重要なの!?」


「結構な確率で。だっておやっさんの教科書に『一般市民がお湯を術式で沸かせるようになったとき、我が国の歴史の針がまた一つ進んだ』って書いてあったから。おそらく燻し臭をさせている人なんてごく一部か野外での生活を趣味にしてるような酔狂な人だけだよ。それに、町中の絵には防具を着けている人が1人もいない。町に紛れるなら、絵にある人たちの服装に沿わせるのが必須」


「んぅ、ハイソなお国だことで! というか、そんなこと気にもしなかったよ」


「いやぁ、私も生活魔法が普及してからは、正直皆が燻し臭いなって密かに思ってたんだよね。言わなかったけど」


「今! この場で! それを言う必要あった!?」


「言ったところでどうしようもないでしょ。田舎臭いから近寄らないでとか思ってる訳じゃないし」


「い、田舎臭いって言った!」


「失礼、口が真実を。でもさぁ、ジュンカが悪いんだよ? 私の里に交易路をつなげてくれないんだから。つなげてさえくれれば、商品と一緒に文化も輸出できるのに」


「ただの騎士でしかない私にできる訳ないでしょ! 最近は砦と魔物退治の往復しかしてないし。というか、あんたが来なさいよ。諸国漫遊が趣味の放浪エルフでしょ!? いや、それよりもここでその生活魔法教えてくれればよくない!?」


「あ、ばれた」


 うひゃひゃとリンユウが盛大に笑った。


 荷造りの手を止めないまま、リンユウの生活魔法の講義が始まった。


***


 アイクチは、見張りのいる場所から少し離れた岸壁に来ていた。


 そこからも茜に染まる水平線の上に豆粒よりも小さく見える島が見えた。ギエンがあの島を見つけたのは、正午前だった。かろうじて見える程度だった点が少し大きくなっていた。


 アイクチは、近くの鋭角に削り取られた岩の脇に腰掛けると、神妙な顔になって問いかけた。


「おやっさん。見える? 本当に島が見えたよ」


「確かに動いてる。俺さ、正直言っておやっさんの与太話だったんじゃないかって疑ってたんだ」


「ギエンが島が見えるって言ったとき、現実感がなかった。でも、ついにこの時が来たんだよね」


「怖いなぁ。すごく怖い。楽しみ以上に恐怖心がすごいんだ」


「俺の世界は、おやっさんと、ここにいる皆だけでできていたんだ。それが当然だって思ってた。それ以外の世界は、現実味のない知識でしかなかったんだ。移住した後のことなんて、これっぽっちも想像できていなかった」


「今日も島は見つからなかったなんて塩らしく言いながら、実際は見つからないことを祈っていたのかもしれない」


 アイクチは、水平線上の点に手を伸ばした。あまりにも遠くにある対象物を見たことがなかったため、指で隠れてしまうような点が巨大な島々で構成されているという実感がまるでわかなかった。


「あの小さな点の上にはたくさんの、数え切れない程の人間がいるんだよね」


「ギエン達とは違う、この世界の人間が」


「うまく溶け込めるのかな。否定されないかな。自分を知らない人との会話ってどうすれば良いんだろう」


 アイクチは、なんとなく理解していた。ここでおやっさんに話すことで、自分に現実だと理解さえようとしているのだと。


 受け入れる覚悟が全くできていなかった。でも、強制的にでも前を向かなければならない。


「喜んでる皆にこんなこと話せなくてさ」


「おやっさん湿っぽいの嫌いだったよね。ごめんなさい」


「たぶん、ここには帰って来られないんだよね。なんとなくだけど分かってる。おやっさんの墓参りももうできないんだろうなぁ」


「それじゃ、行ってきます。ありがとうございました」


 アイクチは、墓に対して頭を下げ続けた。すぐに顔を上げるのがおやっさんへの感謝がこれくらいだと言ってしまうようで、嫌だった。


***


 翌朝、まだ空の星々がうっす見えるころ。アイクチと鳥人のソメイは件の島を見つめていた。


「大きくなったね。それに何個もある」


「そうだねぇ。距離感がつかみづらいけど、思っていた以上にでっかいなぁ。すごく楽しみだ」


 ソメイはのどを鳴らし、つぶらな瞳をしばたかせた。表情を読みづらいソメイではあるが、声色以外でも上機嫌なのが手に取るように分かった。


「それじゃ、行こうか」


 ソメイは、深い青色のローブに包まれた手を差し出した。アイクチはその手をしっかりと握りしめた。


 ソメイはローブに突貫で縫い付けられた巨大ポケットにアイクチを収納すると、崖から垂直に落ちる形で飛び立った。


 急な角度変更でコートの内側に貼り付けられた紛い竜の鱗などが肉に突き刺さった。アイクチはカエルのような鳴き声を上げ、身をよじらせた。


 しばらくして水面ぎりぎりの安定軌道に入ると、アイクチは有袋類の子どものように頭だけをポケットから出した。


「どれくらいで着きそう?」


「たぶん2時間くらい、かな」


 何らかの魔法を使っているのだろう。風切り音の中でもソメイの声はアイクチにクリアに届いていた。


「どんなところかなぁ」


「きっと、賑やかで、楽しいところだよ」


「そう思う?」


「きっとね。戦争は終わっているから」


「どうして?」


「友人に、この夢世界で同じ国の召喚士に呼ばれているやつがいるんだ」


「えっ!? そうなの? 言ってくれれば良かったのに!」


 初耳だった。今の世界のことを知る人がいたなら、もっと話を聞いてみたかった。


「言ったら悔しいだろう? 今島の外はどんな世界らしいよなんて。木をツタで結んで土を塗りつけた壁の家で寝起きしているなんて、別の平行世界にでも呼ばれたかだなんて笑われていたんだよ。そんなエピソード聞きたかった?」


「それは、隠していてくれてありがとうございます」


 正直発狂していたかもしれない。また、アイクチよりも知識欲の塊であるリンユウも憤死しかねない。


「でしょ? でも、僕もそいつに秘密にしていることがあるんだ」


「何?」


「言葉。言語だよ。アイクチは小さい頃からどちらの言語も教えてきたから、夢世界と元世界の二つの言語を話せるだろう? それは僕たちも同じ。でもそんな人はおそらくこの世界にあまりいないんだ」


「何で?」


「だってカードは、兵器なんだから。強力で忠実な配下を召喚して敵を殺させる。どうやらそれが武器としてのカードという術具の使い方らしい。召喚士が何を言っているか耳では分からないけど、指示が頭で理解できるんだってさ」


 指示の通りに動く存在。死んだらまた呼び出すだけ。兵を消費することなく行えるゾンビアタック。正に理想の兵器だ。


 でもそれは、「なんだかもったいない」


 アイクチの感想に、ソメイは嬉しそうに喉を鳴らした。


 指示の通り動くとは、指示をしなければ動けないと同義だ。別働隊が自らの判断で行動することもできないのだろう。狩りをしていたアイクチからすれば、とてももったいないと思えた。とれる戦術の幅が狭すぎる。


「あぁ、実にもったいない。相手との意思疎通ができず、一方通行だなんて、ただの道具でしかない。その意味で、言葉も覚えていない赤子に無理矢理カードを使用させて、召喚された僕たちと膝を突き合わせてコミュニケーションをとろうとしたおやっさんは正に狂人だよ。必死に物を指さしてリンゴ! とか水! とかお湯! とか」


 毎日のように金色と鈍色の鎧、エルフ達、鳥人とおやっさんが車座になって勉強会をした。その様を思い出したのか、ソメイはふふと笑い声をもらした。


***


 ソメイが羽ばたき始めてしばらくすると、アイクチ達の視界の端から端までいっぱいに島々が広がるようになった。


 それぞれの島に山がそびえていたり、建物が鬱蒼と生えていたり、形も大きさも、その上に乗るものも様々であった。


 数を数え切れないが、大小併せて100は下らないのではないか。


 正に圧巻だった。


 島々が、円錐の先端をこちらに向けるような陣形を一切乱すことなく突き進んできていた。


 アイクチは、このまま先ほどまでいた島に突き刺さして粉砕してしまうのではないかとすら想像した。


 互いに接近していることから、その円錐の先端がソメイ達にたどり着くのは早かった。下から見上げる浮島は、そのすべてが磨かれたように真っ平らで、何が乗っているのか分からなくなってしまった。


 ソメイは円錐の横に回り込むと、進行方向から90℃の位置で急激に高度を上げ、最後部、外縁部に位置する島へと向かった。


 この浮島は、アルミナン市のルフ島。アイクチが多くの出会いを果たし、様々な経験をする舞台となる場所だ。


 ルフ島に乱立する建物が朝日を浴びて赤く染まる。


 その壮大な街並みにアイクチはまん丸に目を見開き、キラキラと輝かせた。


 そして、人気のない場所を見つけて島に降り立つ。まさにその時だ。


 2時間ほど前にアイクチが飛び去った島は、役目を終えたかの様に唐突に高度を下げ始め、あっけなく巨大な飛沫を上げて海に沈み始めた。


 島丸ごと一つという超質量が海に墜ちた。


 巨大な音とその壮大な光景に、早起きのアルミナン市民が騒然とする最中、アイクチとソメイは、島の端の人目につかない場所を見つけ、侵入を果たすのだった。


 アイクチがソメイに下ろしてもらい、地面に足をつけて振り返ると、島はもう半分以上海に沈めているところだった。


「おやっさんは、こうなるって知っていたんだね」


 ソメイのその言葉を、アイクチは上の空で聞いた。

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