第3話

 1人での見回りを許可されてから3ヶ月後。アイクチは罠の設置場所を見定めるため、木々のうっそうと茂る森にやってきていた。


 普段は通らない道なき道を行く。アイクチにとってこれはちょっとした冒険だった。


 白黒のまだら模様の烏――リンユウからホシガラスだと教えられた――がカラマツの木々の上で群れをなして飛んでいる。警報の様な独特な鳴き声に当初腰が抜ける程びびり倒したが、慣れてしまった今では落ち着くBGMと化していた。


 島の端にほど近い薄暗い森の中を歩いていると、葉や枝の間を通り抜けた日光が朝靄のスクリーンに描き出す光のアートに出会うことがある。そんな一期一会の光景をのんびりと眺めるのがアイクチの最近のブームだった。


 美しい緑色のコケが這う岩が照らし出されている光景などは、ごちそうと言って良い。


 今日もカラマツの木々の合間に心ときめく木漏れ日を見つけ、眺めるための特等席を探していると、先客がいることに気がついた。


 光のカーテンの中央で跪く金色の全身鎧だ。


 その様は絵画のようであり、空間から神秘的な空気すら感じられた。


 この島に金色の鎧を身につける存在は1人しかいない。アイクチがついさっき召喚して挨拶をして分かれたばかりのギエンだ。


 ギエンは微動だにせず、アイクチに背を向けた状態でただひたすらに祈りを捧げていた。


 アイクチは声をかけようとしたが、あまりにも一心不乱に祈りを捧げていることから、邪魔をしては悪いと思いとどまった。


 ギエンがこのような姿を見せたのは初めてだった。特に信心深い発言もなかったため、アイクチにとっては意外な一面だった。


 回り込んで確認してみても、ギエンの周囲の地面や木々に特に変わったところは見当たらなかった。周囲と何ら変わりない鬱蒼とした森の1か所。ただそれだけだ。今日が特別な日だとも言っていなかったため、アイクチは首をかしげた。


 祈りに必要な要素は、場所や時間、状況が挙げられる。先の二つに心当たりがないとすると、木漏れ日を浴びたら祈る教義でもあるのだろうか。


 あるとしたらどんな宗教だろうか。幻日やブロッケン現象に神の啓示を結びつけるならまだしも、木漏れ日の光芒に祈る教義は、思いつかない。


 アイクチは自分の妄想にあきれ、木の根に腰掛けて正解を確認することとした。


***


 光のアートも終わり、ギエンが立ち上がったのは彼を見つけてからたっぷり20分ほど経過してからだった。


 美術館とやらで1枚の絵を20分以上眺めている客を見たことがあるとリンユウが話していたことがある。その人はどんな気持ちで見ていたのだろうか。どんな思いがあればそれをなせるのだろうか。残念ながらアイクチは絵画のようだとは思ったが、すぐに飽きてしまっていた。


 アイクチは待っていましたとギエンの元へ駆け寄った。ギエンはそれに気づくと、兜を外し片膝をついて出迎えた。彼の眉間には深々としわの跡が残っている。よっぽとの祈りだったことがうかがえた。


「アイクチ様。いらっしゃっていたのですね。お待たせしてしまいましたか?」


「ううん。邪魔しちゃ悪いと思って見ていただけだから。それでギエン、何に祈ってたの? 太陽?」


「いいえ、太陽ではありません。太陽に祈るときの作法は違っていて、こうです……」


 ギエンはおもむろに立ち上がると太陽に向き直り、手のひらを外に向けた状態で指先までピンと伸ばし、腕を緩やかに60度くらいまで上げて「太陽万歳!」と叫んだ。驚いたホシガラス達がばさばさと飛び立ち、警告しあうかのように鳴き声を響かせた。


 アイクチはあっけにとられてた。


 一度たりとて冗談を言ったことのない男が渾身のギャグをかましてくる状況とはどのようなものだろうか。


 自分が祈っていた事実を忘れさせるために突拍子もない行為に走っているように見えた。それ程までに隠したい行為なのだろうか。


 先の祈りについて聞かなければならない。理由は分からないが、アイクチはそんな焦燥感を覚えた。


「えっと、ギエンはギャグのセンスが壊滅的だね」


「太陽の騎士のポーズです。渾身のネタで、滑ってしまいました。一時期騎士団でブームになっていたのですが」


 騎士団何十人で同じポーズをとっている光景が目に浮かんだ。無駄にゆっくりと持ち上げる両腕が儀式めいていた。


 アイクチは頭を振ってすぐにその妄想を追いやった。


「それで、実際は何に祈ってたの? 俺は、木漏れ日の光芒に祈っているように見えたけど」


「はて、木漏れ日の光芒ですか? ふむ、神秘的な光景ではありますね。信仰の道具にもなり得ますか。……木漏れ日は神からの啓示! 神の声を聞く儀式がそう、祈りなのです! どうでしょうアイクチ様、教祖となりますか? 1日いただければそれっぽい教義をくみ上げて見せましょう」


 アイクチ、再びのどん引きである。


 相手もいないのに宗教を作ってどうしろと言うのか。アイクチは無表情で返した。


「あ、いや……すみません、冗談です。また滑ってしまいました」


「うん。ギエンの冗談は分かりづらい」


「では冗談を言う前に冗談を今から言いますと宣言しましょう」


 その冗談をアイクチは黙殺した。


「それで?」


 と問うと、観念したのかギエンは近くの木の根に座り、隣をぽんぽんと叩いた。


 アイクチがそこに座ると、重い口を開いた。


 ギエンが召喚されるようになる前、まだ20代の頃、上司からとある赤子を人目につかない場所で殺すように命じられたことがあった。その赤子は、凶報と言われる魔力なしの子だった。理由は不明だったが、世間体を慮ってのものだろうと理解した。


 ギエンは、自分の子がおらず、また忌み子などとも呼ばれていることを知っていたため、特に逆らうこともなく今いる場所のような山奥に連れて行ったのだ。何も事情を知らない赤子は、道中抱き上げるギエンを見て笑っていたのだという。 


 山の奥深くにたどり着いたギエンは、土壇場になってその赤子を自分で手にかける覚悟ができず、置いていくことにした。


 大声で亡く赤子の声を断腸の思いで振り切り、帰途につくと、途中赤子の声がぴったりとやんだことに気づいた。


「死んだの?」


「はい。やめておけば良いのに、急いで戻ると、山の主と呼ばれる巨大な魔物が去って行く後ろ姿と血に濡れたおくるみを見つけました。私は、町に転がるように駆け戻り、持ち合わせの金を全部使って酒をしこたま飲んだんです。飲んでも飲んでもあの笑顔が、鳴き声が頭をぐるぐる回って消えてくれませんでした。今でも酒を飲むとあの光景がフラッシュバックするんです」


「だから酒は飲めないって言ってたんだ」


 ギエンはそれにうなずきで返した。


 その後、上司からは大金を渡されたが、使う気になれず全額孤児院に寄付した。結局誰にも話さなかったため、信頼を勝ち取ったのか、上司の口利きで順調に昇進することとなった。


「私は、話さなかったのではなく、周囲の誰にも話す勇気がなかったんです。非難されることが怖かった。そしてある日、とある事情により抱え切れなくなって、遠くの国の、しかも種族の違う者にならと思い、リンユウに話したんです。今思えば、誰かに怒られたかったのかもしれません。責められたかったのかもしれません。そうしたら殺されそうになりました」


「リンユウ優しいからね」


「それもあります。ですが、泣きながら、忌み子なんてばかばかしい、そんなのはただの体質だって。世界を回ればそんな子どもはごまんといる。……その赤子は魔力出力障害、ただの病気だって、そう言われたんです」


 リンユウの言葉にギエンは打ちのめされた。


 ギエンは、輪廻転生という考え方が好きではなかった。人は死ぬと新しい生命に生まれ変わる。そして前世の行いが現世に影響を与えるという教えは、現世を最後まで生き抜く気概に欠けていると考えていた。また、現世が前世の影響を受けるのであれば、最初から目が見えない者は、耳が聞こえない者はどんな罪を背負ってきたというのかと毛嫌いしていた。


 たとえば、赤子でありふれた病気でしかないのに、忌み子だとして殺された子どもは、どんな罪を背負っていたというのだろうか。無垢なる者に前世の罪を背負わせるなど、鬼畜の所業だ。


 では、それを行った自分はいったい何なのか。前世の罪を払うための執行人だとでも言うのか。


 とてもではないが、罪の意識を取り除くことができなかった。


「だから、祈っていたのか」


「はい。亡くなられたかたの冥福を。そして、転生した後の健やかな成長を」


「はい。人に見せるようなものではありませんので、毎日ここに来て祈っています」


「ここってギエンにとって祈りの場所だったんだね」


「そうですね。何もなくて人目につかず、人も寄りつかない場所ですので。そして何より、この場所は、あの場所とそっくりだ」


「そっか。教えてくれてありがとう。ただ、あれだけ真剣に祈っているんだ。きっとその人も来世ではおまえのことを恨むことなく、良い人生を歩んでいるんじゃない?」


「っ! ……その言葉だけで救われます」


 そう言ってギエンは静かに涙を流した。


 開けた空でも眺めよう。アイクチが提案してギエンを島の端へと引っ張っていった。


***


 島の端に2人がたどり着くと、そこには海と雲一つない空が広がっていた。


「やっぱり薄暗いところにいるよりも太陽の下に出てこないとね」


 そう言ってアイクチは、太陽の騎士のポーズをして見せた。


 ギエンはくしゃりと笑って見せた後、目を見開き、わなわなと震えだした。


「アイクチ様、島が見えました」


 その言葉に、枕詞は存在しなかった。

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