第2話

 夕暮れ時、アイクチの自宅では炊煙が立ちのぼり始めていた。


 家の脇には、土や石を固めてこしらえたかまどに、木造の解体小屋、燻製小屋、食糧保管庫等が配置されていた。建物の壁はざらりとした土の風合いを残した仕上げで、柱の接合部分がツタでこれでもかと縛り上げられている。


 それらの施設で囲われた空間にでんと置かれた机の上には、手垢まみれで開き癖のついた教科書が置かれていた。


 教科書だけが太古の遺跡にあるオーパーツのような異彩を放っていた。


 書籍類は、その他にも多くのジャンルが倉庫に保管されているが、これはアイクチの育ての親であるおやっさんが島外から持ち込んだものだ。同じ本が2冊あったり巻が不揃いだったりと、かなり適当に買ってきたことが窺えた。


――端から端まで大人買いしてやったんだ。あん時の店員の顔ったらなかったぜ――


 過去、おやっさんは教科書の話になるといつもそう言って豪快に笑っていた。


***


 アイクチとジュンカがその日の成果を担いで姿を表すと、仲間達が作業の手を止めて顔を上げた。


 炊事をしていた耳の長い女達がアイクチを囲い、口々にねぎらいの言葉をかけた。アイクチは、皆が褒めそやしてくれるのにくすぐったさを覚えながら、素直に喜ぶこともできず、複雑な笑顔で相槌を打った。


 納得のいかない実績を誇れる程自信家にはなれない。それは、自分よりも劣る者に一度として会ったことがない劣等感に起因していた。


 アイクチの様子を見て、囲んでいた内の1人、飴色の髪を肩口で切りそろえた利発そうな女性がその輪から離れ、「これ、頭どうしたの?」と今日の獲物に目線をやり、ジュンカに尋ねた。


「トカゲにグチャッとね。危うくアイクチも同類になるところだったよ」


「なるほどね。脳みそのおいしさを知らない爬虫類はこれだから。アイクチはまぁ、今後に期待ってところだね。それで、いつ頃?」


「正午過ぎかな」


「それはまたお早いご登場で。仕方ない状況だったんだとは思うけど、過保護に育て過ぎた?」


「強く否定はしないよ。でも、怪我するまで無茶するよりは的確な判断だと思う。万が一があると……ね?」


「私達がこの夢世界に来れなくなると」


「ご存じのとおり」


 そう言ってジュンカはばつの悪そうに答えた。


 召喚士が死ねばカードの術具が起動しないのだから、彼女たちが呼ばれなくなるのは世の道理。それはこの浮島における常識だ。


「夜寝てる間にこっちの世界にいるだけで強くなれるなんて、夢みたいな話だからさ。命だいじには分かるんだ。ご多分に漏れず私も甘い蜜を吸ってるし。でもさ」


 大人達が寄生して、既得権益を必死に守っている姿にしか見えない。そんな言葉にするとずいぶんな響きになる言葉を飴色の女はぐっと飲み込んだ。


「もちろん私にだってアイクチに壁を越えるような経験をして欲しいって気持ちはあるの。紛い竜と1対1で戦える技術だって教えたい。でも、それは現実世界の優先度よりは、絶対的に低い」


「おぉ、ぶっちゃけるね。おためごかしで逃げず、その利己的な本心も包み隠さないで、本人の聞こえる場所で言うかぁ」


「隠してもしょうがないでしょ。ここにいる誰しもが考えている事実なんだから」


 そう言ってジュンカがちらとアイクチに目をやると、ちょうどアイクチと目があった。アイクチは、すっと逸らして下を向いた。そして、ジュンカ達の話の流れが自分が聞いていて気分の良い方に向くとは思えず、猪を解体小屋に運ぶ旨を告げ、そそくさと離れていった。


 飴色の髪の女は、その後ろ姿を切なそうに目で追いかけた。


「ジュンカってさ、あの子をお手軽強化アイテム扱いしてるよね。私のために死ぬな、どんな方法を使っても良いから私のために生きろ。だから私のために考えるのをやめるなって? ひどいよなぁ」


「そこまでは言ってないでしょ。私はアイクチの為に……」ジュンカはそう言い淀んで口をとがらせた。


「為に? 戦闘指南って言いながら、皆の邪魔にならず、攻撃の対象とならない位置取りで戦うすべを教えている?」


「その言い方は違うよ。私はアイクチに安全な戦い方を教えてるだけ。リンユウの里は魔物の領域と接してないから分からないんだよ。夢世界に召喚される人が100万人に1人なんて言われている時代に、人族である私たちが毎晩長時間召喚してもらえている環境がどれだけ奇跡的かってことを。それを失う恐怖を。魔物から国民を守る為にも、私たちはアイクチにすがるしかないんだよ。そのためには、私たちがそばにいる前提で生き残る方法を教えなきゃ」


「だったら罠の確認とパトロールだなんておだてて安全な場所だけを散歩させるんじゃなくて、一生誰かがそばにいてやりなよ。私にはやってることがちぐはぐに見えるんだよ」


「それは、リンユウが一面しか見てないからだよ。私目線では矛盾はない。アイクチって四六時中誰かと一緒にいたじゃない? そろそろアイクチを1人にして考える機会を与えるのも必要だと思うんだ。あいつ、知識も技術もスポンジみたいに吸収するけど、主体的にって感じじゃないでしょ?」


「まぁ、受け身だね。流されて生きているとも言えるか。趣味とか得意分野とかなくそつなくこなす感じ。ジュンカが両利きにしちゃったし。最近よりバランス型な感じになった」


「それは今関係ないでしょ。両方使えると案外便利なんだから。えっとそうじゃなくて、自分1人になったときって自分の内側の声が自覚できると思うんだよ。自分が何をしたいのか、今後どうするのか」


「クォ・ヴァディスってかい。いや、でもたぶん答えは自ずと出てくると思うよ。別の島に移住して社会に出るんだろ? そこで何になりたいかってことじゃないか。その大目標は15年前のあの日から、あの子も含めて皆変わらないんじゃないのかい?」


 飴色の髪の女、リンユウの言葉にジュンカは目をカッと開き、言葉を失った。


 数秒の沈黙の後、リンユウは不機嫌そうに「何?」とジュンカに問う。


「リンユウにとってのこの15年はさ、どんな15年だった? 私は、リンユウと5歳の時に初めて会って、もう20歳になったよ。小娘が、騎士に取り立てられて、今は部下もいるんだよ。その間、1回も別の島なんて来なかったじゃない。移住なんて夢のまた夢じゃない。いつまでもいつかを想定していられないよ」


 その言葉に、殴られた様な衝撃を感じた。エルフの里で長年過ごす内に物差の長さをすっかり忘れていた。


「つまり、ジュンカは、あの子にこの島で生きていく覚悟をもってほしいと。島はこないって現実と向き合えと」


「うん。私だってアイクチと異世界漫遊の旅をしたい。そんな夢を語っていたい。でも、かなわない夢を、しかも自分の努力ではどうしようもない夢を見続けていたら、ヒュムの心は少しずつすり減っちゃうんだよ」


 そしてそのすり減った心は、時に人を殺す。それもまた、召喚士の喪失を意味する。


「いつもはあけすけに話すのに、そこは自分で考えさせるんだね。でも方向付けはしたの? 種をまかなきゃ芽は出ないと思うんだけど」


「言い方が分からなくって。死ぬまでこの島で1人だけど、何をしたい? なんて流石の私でも無理」


「それ言ったら私が殴るわ。んー、私もちょっと考えてみるよ。でも、まかり間違ってジュンカと国生みをしたいって結論が出たらどうする?」


「何故みとのまぐわい……。精通もしてない子だよ? 発想もないでしょ」


「いや、精通はしてるから、金ぴか野郎がおめでとうございます! って騒いでたから。ただ、思春期のきざしはまるで感じないんだよねぇ。15歳って言ったら私なんて親父死ねば良いのにって毎日思ってたのに」


「そりゃ私も生理的に無理って思ってたし、何なら言ってたけど」


「ひどっ。ふむ、でも普通と違うなって視点で見始めると、私たちは性的知識を一切与えない純粋培養の男の子がいつ性に芽生えるのかをテーマとした壮大な社会実験をしているのではないだろうかと、とてつもない背徳感を覚え初めてしまうね。これこそが我らの、罪」


「我らの罪、キリッ! じゃないよ。阿呆なこと言わないで。もういいや何の話かわからなくなっちゃった。何するんだっけ。あー、リンユウ、これから解体手伝ってもらって良い?」


「うん、良いよ。ちょうどソミュール液作ってあるからバラして漬けとこうか。やっとくから鎧脱いできなよ」


「はいはい」


 リンユウは、ジュンカを送り出すと、腕まくりをして解体小屋に入って行った。


***


 解体小屋は、粘土で固められた土間の中央に大きな台が一つ置かれているだけの簡素なものだ。


 リンユウが照明の魔法を浮かべると、台の上の猪が棒から外されてそのまま横たわる姿が照らし出された。そして、台の横にアイクチが難しい顔をして突っ立っていた。


「おおぅ!? 火も点さないでどうした、先ほどジュンカに祖国と天秤にかけられて負けた男よ」


「その呼称、天高く飛んでいく自分が頭に浮かぶからやめて。じゃなくて、さっきの話を聞いて、おやっさんが言ってたのを思い出したんだ。昔から戦争で使われてきたカードは魔物ばかりだったって。単純に元から強いから。だから、余り物だった人族のカードを二束三文で何枚も買うことができたって」


「つまり私は安い女だと。誰だ、そんなひどいこと言う子を育てた奴は! あ、私達か」


「茶化さないでよ。魔物達はこっちの世界の人たちが召喚したせいでより強くなっちゃったってことだよね。そしてそれは今も継続しているかもしれない。俺は、皆に協力したいんだ。むしろ召喚するくらいしかできることなんてない。それしか価値がないのも分かってる。その上で、報酬としてでも、暇つぶしでも理由は何でも良いから、いろんなことを教えてもらえればそれで良いんだ。教えてもらった知識も自分で取捨選択する。それで、俺は皆とウィンウィンな関係でいたい。それだけ言いたかった」


 まくし立てるような宣言に、なんと答えてよいかとリンユウが思案している内に、恥ずかしくなったのかアイクチは真っ赤な顔をして解体後やから逃げ出していった。


「ふむ。そっか、15年か。大きくなるわけだ。でも知識を捨てる宣言するなよ。反抗期か?」


***


 解体小屋からアイクチが言いたいことだけ言って去った後、リンユウは、ぱちんと両の頰を張った。アイクチが理解した上で受け入れているのであれば、リンユウが何か口出しする筋合いのものではない。


「さて、やるか」


 リンユウは、猪の両後ろ足にフックを突き刺すと、「重たっ」と文句を言いながら台の上に下げられた自在鉤のようなものに吊した。


「ふぅむ、うまそうなお肉だことで」


 晩飯を何にしようかとニマニマと笑みを浮かべ、腰のシースから複数本のナイフを取り出して机の上に並べた。


 その内の1本を手に取り、よく研げた刃を眺める。おそらくこれからギトギトのぼろぼろになるだろうが、リンユウの現実世界に戻れば元通りだ。「実に都合がよろしい」と一言呟き、黙々と解体を開始した。


 皮を引っ張り、脂肪を丁寧に削いでいく。解体もアイクチにそろそろ覚えさせたいなと今後の育成計画に加えた。


 確か、ジュンカは教養と魔物との戦い方を、ギエンは経済と戦略を、他のエルフの子達は料理や木工を、ソメイは法律をとか言っていただろうか?


 人は、言語によって歴史を作り上げた。解き明かした世界の理を次の世代に受け継ぐのは大人の使命だ。それが存在意義だろう。そして、寿命が他の種族よりも長いエルフは、生き字引として歴史を知り、語る義務があるとリンユウは考えている。


 その意味で、リンユウの得意分野とアイクチの状況は非常に相性が悪かった。リンユウにとっての現実世界の歴史は、夢世界とは関係がない。世界の理が違うのだから教えても意味はない。


 そしてもう一つ。リンユウは、魔法の研究に人生の半分以上を費やしてきた。教えたい知識は山ほどあるが、それをアイクチには使うことができない。


 文字通りできないのだ。


 才能や体質云々もあるが、一度カードの術具を使用すると、他の魔法が全く使えなくなってしまうとアイクチのおやっさんは言っていた。


 だから、自分は自分にとっての1番も2番も教えることができない。


 おそらく、先ほどジュンカに対して攻撃的な物言いになってしまったのは、皆がうらやましかったのもあるだろうとリンユウは分析した。そう自覚すると、自分の浅ましさに嫌気がさすとともに納得した。


 板に水というか、オタクの得意分野というか。やはり、自分の好きな分野の話を聞いてもらえると嬉しいし、それを伝えたい。周りの皆が嬉々として教えている姿を見るとそう思ってしまう。


 もちろん、自分が担当している薬草学や生物学も教えていて楽しいが、一番ではない。それが、悔しかった。


「って駄目だ。1人になるとどうにもいけないなぁ」


 それもこれも、何でもかんでも詰め込みたがる皆が悪いと思うことにした。


「皆甘やかしすぎなんだ。もっとこう、背中で語って、見て覚えなってくらいの育て方の方が良いんじゃないか」


 他の島を見つけて移住するという目的以外に特段することもなく、暇をもてあましているとは言え、様々な知識を詰め込まれる方はたまったものじゃないだろう。


 今は、仲間達の取り決めにより、狩猟採集の他に1日に3~4種類の科目を細切れに教えることとしている。


 リンユウは、一つのことをじっくり勉強するタイプであったことから、このやり方には反対だった。そんな教え方をされたら混乱してしまって覚えられる気がしなかった。


 ただ、逆に考えると、エルフであるリンユウに比べてヒュムの人生は短い。すぐに大人になってしまうから、社会に参加する前の時間が極端に短いのだ。そのため、短期集中で詰め込まざるを得ない。だからこそ、毎日飽きずに学ぶ為には、細切れの方が集中力は続くのかもしれない。


 リンユウは何にせよ、これもまた知恵袋の一つだろうかと心のメモ帳に書き留めておいた。


***


 リンユウの手並みは慣れたもので、部位毎に肉が切り取られ、台の上に並べられていた。つい数十分前まで毛皮に包まれていた猪は、すっかり肉の塊になってしまった。


 着替えを終えたジュンカが合流すると、数日分の食事用を残し、ハーブと塩、てんさい糖の入れられた液に漬け込まれていった。


 慣れた作業は自動化され、考えずとも手が動く。そうすれば雑談好きの2人はまた会話が弾むのだ。


 リンユウは、この浮島でとれた胡椒の実の入った器を揺らしながら「そういえばさ、あっちのご飯が味気なくて死にそうなんだけど、向こうで胡椒送ってくれない? いやむしろ苗送ってよ。最悪種」と言う。


「うちの街、あんたの里との交易路がないでしょ。だいたい胡椒の苗とか種なんて出荷したら私が捕まるわ。せめて挽いたやつで我慢しなさい」


「んじゃ反乱起こして偉くなって挽いたやつ送ってよ。シナモンもセットで買ってあげるから。んで喫茶店開いてガッポガッポよ」


「交易路整備したらまねされてすぐに稼げなくなりそうだなぁ。やるなら見た目で調理方法の分からない料理もセットにしないとね。でも反乱なんて王様の血でも継いでなきゃ無理。私が実は隠し子だったってくらいのサプライズがないと」


「お、いいじゃんそれ。誰にも分からないんだから言ったもん勝ちじゃない?」


「いや、疑いようのない私そっくりの両親が健在だから。誰も信じないから、それ。それに、秘匿された王族の印とかがあるらしくて、この間詐称で処刑された人がいたはず」


「うーわ、こわっ。ヒュム怖いわー。多いからってすぐに処刑するんだもんなぁ。個体数調整かっての」


「いやいや、こっちからしたらエルフの一番軽い刑罰が労役20年ってのもどん引きなんだけど」


「んー? 20年なんてぼーっとしてればすぐだから良いじゃん。あ、でもそれに加えて犯罪者の入れ墨されて化粧禁止ってのがセットなんだけど、そっちの方が苦痛らしいよ。私は別に化粧なんて興味ないからしなくても良いけど」


「エルフの化粧って他の子がしてる部族ごとのやつか。最初見た時は頬に血でも塗ってるのかと思ったやつ。まぁあれは……私にはちょっと分からないけど。でも確かにリンユウって化粧してるの見たことないってか、80年生きてる割には肌つや良いよね。なんで?」


「ふっふっふ、私の里に代々伝わる化粧水がありましてね。毎日3滴をのばして塗り込むだけでヒュムの50代のかっさかさのお肌もあら不思議、1か月も使用すれば夢のモチプル肌に! 10代の内に使用しておけば将来のシミ予防に効果的な一品となっております!」


「よし、交易路を拓こう!」


「よく言った! まずは王家の子を見つけて玉の輿作戦じゃ!」


「よっしゃ、任せろ! リンユウは閉鎖的なエルフの意識改革頑張って!」


「おしゃー、古い慣習をぶっつぶーす!」


 彼女達2人のゲラゲラという笑い声が静かな夜の帳にいつまでも響いていた。


 そんな彼女達の話し声を聞き、見張りに着いていた1人の男が冷や汗を流していた。

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