未開島の召喚士

大判甘太郎

第1話

 360℃水平線が広がる大海原の上空に、直径5㎞程の塊が浮かんでいた。

 ボードゲームの駒のように下部は真っ平らで、上部にはなだらかな山と平原が広がっていた。


 この空域を治めるオズマ共和国において浮島と呼ばれるそれは、15年前の出現当初に未開島調査士と呼ばれる者達により調査されたが、利用方法が見つからず、その後のアルブ会戦により、調査が打ち切られ、存在を放置されていた。


 その浮島に1人の男がいた。名をアイクチと言う。育ての親と共に暮らしていたが、既に生き別れており、今は仲間と共に生活を営んでいた。


 まだ幼さの残る彼にとってこの浮島は過酷な環境であったが、カードと呼ばれる術具により喚び出された異界の住民達の助けにより生活を成り立たせていた。


 カードは、とある事情により使用する者が激減してしまったが、かつて戦争の主役と言える地位を確立した兵器であった。

 それを狩りや教師、果ては炊事洗濯などに使用することは、世間一般から見れば酔狂であり、ある意味贅沢な使い方をしていると言えた。


***


 アイクチは、今日この日から1人での島の見回りを許されていた。罠の確認と野草の採取が彼の仕事だ。

 何度も連れられて歩いた道のりを、顔に緊張をありありと浮かべながらきょろきょろと周囲を見回しているさまは、仲間達の教育を受けたとは思えない程に頼りないものであった。

 しかし、その男の身につける道具類は、良く使い込まれた短弓に皮をなめして作られた服と、見た目だけはいっぱしと言えた。


 見渡す景色に文明の欠片も感じられないが、足元に続く一筋の道は、獣道と言うには綺麗に踏み固められていた。


 時折、歩きながら道ばたに生える野草の新芽部分を摘み取ると、肩にかけていた鞄にしまった。容量15L程の鞄には、幾種類かの野草が種類ごとに詰め込まれていた。その手つきは手慣れており、小さい頃からよく仕込まれていることが窺えた。


 立ち止まり、数か所に目をやった後ため息を吐いた。樹皮を結った輪で作成したくくり罠は、今のところ一つも発動しておらず、足跡や糞、折れた枝等の痕跡も見られなかった。


 ここ数日、罠はおろか餌にも反応が見られていない。それもそのはず、この辺りにいた鹿の群れは、既に住み処を移していた。


 残念な状況ではあるが、またいずれ違う群れがこの辺りに来るかも知れない。罠はこのままで良いだろう。そう考えながら背負った短弓を担ぎ直し、足音をさせずに別の罠の確認へと向かった。


 肉桂等を刻んで作った魔物除けの香を口にくわえ、まずそうに紫煙を吐き出した。仲間たちからは味がそんなに嫌なら携帯式の香にしろと散々言われていた。それでも携帯式では煙が出ているか不安になる。そんな理由だけで煙草式の香を使い続けていた。


 体に害があることは理解していた。それでも安心感のためなら少しの死亡率の増加など些細な問題だった。魔物と対峙して死ぬ確率を考えれば、むしろ生存率の方が上がっているとすら考えていた。


 ただ、この煙の臭いがただの獣をも警戒させ、遠ざけているとは、アイクチは想像もしていなかった。



***


 この日は、蒸し暑く、風は全くといっていいほど感じなかった。教えられた通り足音を殺して歩いているが、少しの擦過音がうるさく感じるようだった。


 ふと、背の高いアブラナの群生の奥で鳥の飛び立つ音がした。アイクチは、近くの茂みにするりと入り混んで姿勢を低くした。


 香の火を消し、息を潜めて耳をそばだてると、2種類の足音が迫ってきていた。音の重さから狙っていた鹿ではない。


 移動すれば良いのか? どちらに? 目の前のアブラナが壁となり、コースを見定めることができない。アイクチは眉を顰めた。


 こんなときはどう動くのか、誰かに教わった気がした。エルフか騎士か、それとも鳥人だったか。脳の奥底から絞りだそうとしても、何も出てこなかった。


 そのとき、目の前の壁ががさっと揺れた。


 アブラナの壁から飛び出して来たのは猪だった。あわや激突するかと思われたタイミングで目の前の人間に驚いたのか、足をもつれさせ、アイクチのすぐ横に倒れ伏した。


 爪でやられたのか、3本の線のように尻の毛皮がえぐれ、赤々とした肉が露わになっていた。


 その猪に目を奪われる最中、荒い息を吐き出していた頭がどうっとした音とともに潰された。


 音と血の臭いにアイクチは、はっと見上げた。


 そこには、全長2mを超す「紛い竜」と呼ばれる魔物がいた。全身が緑の鱗で覆われており、後ろ足が大きく発達し、大きな頭は爬虫類に似通っている。バランスを取るように太く長く伸びた尾が特徴的だった。


 相対的に見ればかなり短く見える前肢には、鋭利なかぎ爪が生えていた。本来は獲物を押さえつけるためのものだが、その爪でさえアイクチの命を刈るには十分であることが窺えた。


 数頭の紛い竜が丘向こうに居ると仲間から注意されていた。しかし、今いる場所は住んでいる場所からかなり離れているはずだった。


 紛い竜は、倒れ伏した猪の頭を踏みつぶし、満足そうにくぐもった声で鳴いたが、目の前の男の存在を認めると低くうなりを上げた。


 彼我の距離は、2メートルもなかった。


 紛い竜は走力に秀でた種族であるため、10キロ走ったら尽きる程度の男の体力では逃げ出すのも難しい。この種族は総じてしつこく、狙いを定められたら島の端まで追いかけてくるだろう。


「あー何だ。その、邪魔をする気はないんだ。俺は向こうに行くから。続けて、どうぞ」


 男は目を合わせながら後ずさりし、情けない声で話し掛けた。頭の中では、考えることをやめるなと口酸っぱく言ってくる仲間の言葉がリフレインしていた。


 周囲に広がるのは、低い草花の生い茂る草原に背丈の高いアブラナの群生。逃げ込む場所はない。


 逃げたら追い掛けてくるだろう。残念ながら、猪よりも早くなんて走れない。


 戦うのはやぶさかではない。紛い竜を狩った記憶はある。でもそれは仲間のおんぶにだっこだった。それこそ、一度も目があってすらいなかった。


 1歩下がるのに合わせ、紛い竜が1歩進んだ。鼻をひくひくとさせ、獲物を見定めているのが分かった。


 アイクチは、鞄を下ろし、腰にぶら下げたホルダーから1枚のカードを抜き取った。唯一所持している術具「カード」の1枚だ。表面は写真のような精巧な女性騎士の絵が描かれ、裏面は幾何学模様が描かれている。


 いろいろと考えた結果、さっさと切り札を使用することにした。少しは気概を見せたいところだが、敗北の未来を選択する必要はない。そんな、逃げの決断の早さはある意味で美徳でもあった。


「絶対怒られる。でも生きてれば負けじゃないって誰か言ってたし」


 アイクチが独りごちていると、紛い竜は危険はないと判断したのか、その発達したあごでかみ砕こうと顎を開いていた。


「わっ!」と後ろに倒れ込みながら慌ててカードを目の前にかざす。途端、白い光が両者の目を焼いた。


 逃走用の目くらましと考えたのか、一瞬躊躇したものの、紛い竜は目を細めるだけでそのままかみついた。


 鈍い音が平原に響く。


 白い光の中から現れたのは先のカードに描かれていた鈍色の全身鎧だった。


 鈍色は、現れるなり敵の攻撃を受け止め、先が円錐になったランスで敵の横っ面を強打した。


 騎乗して使うはずのランスを器用に両手で捌き、体重差のあるだろう敵を難なくはじき飛ばす。


「臭い。歯を磨いてこい」


 鈍色がそう言うと、たたらを踏んでいた紛い竜は耳がびりびりと震える程の咆吼を上げ、突進の構えを取った。


 鈍色は、それを正面から受け止め、鎧の重みを感じさせない軽やかな足裁きで横へと流す。


 バランスを崩しながら、紛い竜は体勢を整えた。


 表情を読み取れないが、何をされたのか理解できないという顔をしているんだろうなとアイクチは想像した。


 紛い竜は、再度突進すると見せかけて、激突の直前に足を止めて鈍色にその強力な顎を開いた。それを鈍色は難なく躱し、体重を支える足へと果敢にランスを突き刺す。


 その光景をアイクチは尻餅をついたまま眺めていたが、鈍色の「ぼうっとしない!」という叱責に「分かってる!」と慌てて矢筒から矢を引っ張り出した。


 鈍色が紛い竜を翻弄し、アイクチが矢を射た。打撃や斬撃に強いとされる強靱な紛い竜の鱗も、刺突であれば攻撃が通る場所がある。

 つま先、膝、太もも。足ばかり2人に集中的に狙われ、紛い竜の緑色の鱗には赤色の血が幾筋も流れ、動きが鈍くなっていった。


 一方的な攻撃にいらだちを募らせた紛い竜は、アイクチに狙いを定め、なりふり構わぬ突進により、その強靱な顎で弓を破壊しようとした。


「こ、のっ!」アイクチは、これをなんとか足裁きで避けるが、その勢いに圧され、数度の回避の末、地面の凹凸に足を取られた。


 眼前に巨大な口腔が広がる。頭から一口で丸呑みされそうだ。


「あ」と、間抜けな声を上げてアイクチが固まっていると、「馬鹿!」と鈍色が間一髪で紛い竜の横っ面を突き飛ばした。


 紛い竜は、うなり声を上げたが、無理な攻撃で体勢を崩した鈍色を見るや、これ幸いと突き飛ばされた勢いそのままに元来たアブラナの群生の方へ駆けだした。


 足が万全であればあるいは逃げ切ることもできただろう。残念ながらさっさと体勢を整えた鈍色が軽やかに追いすがり、ランスを用いた足払いにより紛い竜の体勢を崩した。


 鈍色は、大きく振りかぶり胸を一突きにした。


 深々と突き刺さった槍を引き抜くと、びくりと大きく跳ね、血が噴出する。


 それでも紛い竜が最後の抵抗に鈍色の足をかみ砕こうとしたが、目玉を突き抜かれ、それきり動かなくなった。


「……お見事」


 アイクチは、尻餅をついたまま周りを見渡し、他に魔物がいないことを確認すると、半分ほど残っていた魔物避けの香に再度火を点け、まずそうに紫煙を吐き出した。


 ドクン、ドクンとアイクチの耳には心臓の鼓動が響いていた。倒れた紛い竜と返り血にぬれた鈍色の全身鎧を焦点の定まらない目で眺める。深呼吸を繰り返すと、しばらくしてその音は聞こえなくなった。


「ジュンカ、ありがとう。助かった」


 心底安心した様な顔でアイクチが礼を言うと、「うん。今日の私の役目だから」と鈍色の騎士ジュンカは返した。


 ランスを肩に担ぎ、兜のフェイスガードを開けて空を見上ると、「それにしても、思ってたより喚ばれるのが早かったかな。1人歩き計画も1時間と持たなかったんじゃない?」と肩をすくめた。


 太陽は高い位置にあり、彼女たちの影を短くしていた。


「あんなのが出てきたら仕方なくない?」アイクチは、苦笑をジュンカに返した。


 アイクチの情けない姿にジュンカはため息を吐くと、周囲を見渡すと、「んぅ、猪を追い掛けてテリトリーから出てきたってところだよね。近付いてきたら分かるわけだし、進行方向からずれて隠れてたら回避できたんじゃない?」と答えた。


「進行方向が分かれば苦労はしないよ」


「音の感じで分からない?」


「分かるわけないだろ。いつも言ってるけど、もっと理論的に教えてよ」


「理論って言われても、周囲の状況を見て近付いてくる音を聞いてればどの辺に来るなってなんとなく想像できるでしょ」


 その答えに、アイクチは見ている世界や感じている世界が根本的に異なっているのではないかと思い、肩を落とした。


***


 猪の腑抜きを終えた2人は、猪を近くの川に運ぶことにした。


「初めての成果が罠でも狩猟でもなく、紛い竜の餌の横取りか。しまらないデビューだなぁ」


 アイクチがぼやくと、ジュンカはクツクツと笑い「しかも私込みでね」と答えた。


「それを言うなって。猪だけだったらどうにかなったさ。……しっかし、この辺りに危ないやつはいないと思っていたってのに間の悪いことで」


「魔物なんてそんなもの、でしょ? 私たちの思い通りになんて動かないよ。駆除したって駆除したって沸いてくるし、どこに出るかも分からない。もう慣れたけど、私には納得できないんだよね、この夢世界」


「夢世界って。ジュンカにとってここは泡沫の夢かも知れないけど、俺にとってはここが現実なんだよ」


「それは失礼。あ……なんて呆けて死にそうになってたからアイクチも夢気分なのかと思ってた」


「悪かったよ。でも目の前にあの口だろ? あーもうこれ終わったなーって思っても仕方なくない? 死んだおやっさんが目の前で手招きしてたわ」


「あんたね。いつも言ってるでしょ。諦めない。何かできるかも知れないんだから足掻いて。どんなに格好悪くても良いから踏ん張って考え続けること。そうすれば切り抜ける方法だってあるかもしれないし、何とかして私たちが助けられるかもしれないんだから。あんたが諦めたせいで間に合わないことだってあるんだからね」


「へいへい。分かってますよ」


***


 ジュンカの小言を聞き流しながら歩くこと十数分、2人は小川の深みに猪を沈めた。


 深みの先はちょうど島の端だった。水はそこから滝のように落ちていくが、海にたどり着く前に水蒸気へと姿を変え、空気に溶け込んでいく。


 2人の目の前には、いつも通りの見渡す限りの大海原が広がっていた。雲が眼下からせり上がり視界を切り取り、すぐに流れ去って行く。


 少し風が出てきたようだった。


 時折強い風が吹きつけるが、それでも高度1400mに浮かぶこの島は微動だにせず、空間を切り取ったかのようにそこにあり続けていた。


 おやっさんと呼んでいる育ての親は、別の島から来たと話していた。アイクチにはこの島で育った記憶しかないが、持ち込まれた書物やおやっさんの寝物語で別の島のことを断片的に知っていた。


――島が群れをなして自由に空を滑るんだ。そこには人が何万と住んでいて、ここみたいに誰のものでもない島を探し続けている。ここみたいに動かない島を、「未開島」って呼ぶんだ。俺はそれを調査する未開島調査士ってやつだったんだぜ。――


 おやっさんの話は、嘘か本当かはわからなかったけれど、いつも夢のあるものばかりだった。


 アイクチはいつかおやっさんの語る島々に移住できる機会を得たら、その話の真偽を全部確かめてやろうと思っていた。


 おやっさんが死んでから早5年。皆で来る日も来る日も水平線を眺めているが、それでも、いっこうに別の島と接触する機会は来なかった。


 今日もどこにも別の島は見当たらない。


 アイクチは、揺りかごであり鳥かごであるこの浮島で、カードで召喚する仲間達と共に、「1人」で生活を営み続けていた。

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