第79話 恋心マスカレード・後


 フェンスと生垣で囲まれている、ありふれた公園内。そこにある屋根付きの休憩スペースで、我らは麦藁の弁当箱を広げていた。


──モグモグモグ、ごくん。


 陣内が作ってきたサンドイッチを乱雑にほうばる。


「それの具は、の花とクレソンをオリーブオイルに浸けて粒マスタードを和えたヤツだ」


 ピリリとしたマスタードと自然の青い香りがする野菜が調和しており美味しい。


──モグモグモグ、ごくん。


「そっちは卵サラダに軽く炙ったチーズとベーコンを挟んだヤツ」


 ゴロゴロとしたゆで卵とベーコンに、溶けたチーズが絡んで美味しい。

 

──モグモグモグ、ごくん。


「最後のは、掏りリンゴと赤ワインで煮詰めたちょっといい肉」


 果実類で味付けされたお肉がパンよりも柔らかくて美味しい。


 ………………………………暖かみがあるご飯は好きじゃ。


 彩りが緑、黄、赤と綺麗に揃えられたサンドイッチ。見た目も味もバリエーションに富み、食べていて飽きない。陣内が買ってくれたココナッツオイル入りの珈琲との相性もピッタリ……で、あるが。


「これ、作るの面倒であったろう?」


 どう考えても手が込んでいるぜよ。材料費も中々にかかっておる。おまけに、昨日は深夜バスの乗車もあったため時間にも追われていたはずじゃ。


「いや、そんなでもねぇよ。合間に赤ワイン飲んでたら一瞬だった」

「まぁ、その感覚は分かるがのぅ……」


 酔って時間の進みが早く感じたのであろう。キッチンドランカーは我ら4人全員が当てはまる。


「だろ? だから、別にそんなでもなかった」


 陣内はそう口にすると、誤魔化すように真っ黒な珈琲をゆっくり啜った。


「ふぅ……コーヒーもいいけど、やっぱ白ワインが飲みたいよな……。パンとかパスタ系には白だよ、白」


 洋食系のご飯時には、陣内はたいていワインを添える。彼の場合はグラスにまで凝る。まぁアル中故に、酔っぱらったらラッパ飲みを始めるので拘るのは最初だけではあるのじゃがの。


「……料理が上手な男はさぞオモテになるのであろうな」


 彼は稀代の酒クズであるが、家事能力だけは高い。そこだけは唯一手放しで褒めることができる長所だ。


「何だよ急に。皮肉か?」

「いいや、素直な感想でありんす」

「あっそ。そりゃどうも」


 お座なりに返事をして、陣内は持参していたトートバッグに手を伸ばした。


「でもな、料理が上手だからモテるなんて事はないだろ」


 ごそごそとバッグを漁りながら、陣内は我の言葉をやんわりと否定する。


「自炊なんて一人暮らしを始めれば誰でも手を出す。大抵の料理はクックパッド見たら再現できるんだしな……あ」


 ピタッと、中身を物色していた手が止まる。煙草を探していたようじゃが、袴姿であることを思い出し、吸うのを諦めたようだ。


「……結局、女性に好感を持たれる奴ってのは甲斐甲斐しくマメに料理を作るような男だよ。こじゃれたイタリアンが作れるとか、魚が捌ける、なんてのは無関係な話だと思うぜ、俺は」

(お主はマメに世話を焼く方であろうが……)


 この男には、人を甘やかしている自覚が全くない。


 ルームシェアの為、我らは家事に当番制を採用しているが陣内は目に付けば誰かの手伝いに入る。酒を片手に下らない話をしながら、一緒になって雑事を片付けてくれる。


 特に、猫屋が家事当番の時はその傾向が顕著。


 その時の猫屋の表情というのがまた上機嫌そうで、ニコニコとしていて、幸せそうで、こう、えっと、その、あの…………外から見て、我はとても良いと思っているのじゃ。


「少し天気が悪くなって来たな」


 いつの間にか、拙者は地面を見ていたようであった。声に釣られて、顔を上げる。空は陣内の言うようにどんより暗くなっていた。


「もう少ししたら小雨が降る予報だから、これ食べたら移動しようぜ」

「で、あるな」


 残った珈琲を一気に飲み干す。苦くて黒い液体は、勢いよく喉から腹底まで流れ落ちた。


「ぷは……それで、次はどこに行く予定なのじゃ?」


 基本的に遊び事は自分で予定を練る方であったが、このように人任せにリードされるのも偶には悪くない。気が楽である。


「腹ごなしに、室内で軽い運動をしようぜ」

「この格好で、か?」


 運動自体は嫌いではないし、和服の着付け方法くらいは淑女の嗜みとして修めているので問題は無い。じゃが、借り物を着て汗を掻くのには抵抗がある。

 

「それに運動着なんぞ持って来ておらんぞ?」

「まぁ、それは着いてからのお楽しみという事にしてくれ」

「?」


 陣内は露骨に勿体ぶった。


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 車に乗り込んで移動した先は、目に悪そうな赤色で派手に着色された大きな建築物。様々な所から断続的に飛び出る発光と、奇抜な機械音がパチンコ店を連想させたが、どうやらそうではないらしい。


 遊び場としてあまりに予想外だったので、入店するまでここがどういった場所か気がつかなかった。


「ここ、ゲーセンじゃよな?」

「あぁ」

「ん? んん?」


 おろ? おろろ? 運動、とはもしかして音ゲーの類か?


 それはちょっと、いや、かなり微妙ではないかの?


 一般的な統計で言えば、ゲーセン、格安レストラン、公営賭博所は逢引きの場所としては不評な部類に入る。それに、他県にまでわざわざ赴いてゲーセンというのは本当に微妙であった。どう考えても旅行にそぐわない。


 先ほどまでとの落差が大きすぎて、少し変な笑いがこぼれそうになる。待ち望んでいたくらいの残念な選出場所であった。


「ふぅむ、そうか、そうか! まぁ、そうであるな!! ゲーセンか!! 良いではないか!!」


 全くしょうがないの!! 所詮は陣内アル中でござるからな!! 今までが出来過ぎていたぐらいでありんす!!


 ゲーム筐体のある地下1階に降りる為、我は意気揚々とエスカレーターに向かって1歩踏み出す。


「やった事はないが音ゲーの類でも遊び回るとするかの! それともメダルゲームで枚数でも競い合おうか!」


 ゲーセンにはあまり来た事がないのでそれくらいしか遊び方を知らんが、これでも十分楽しく時間を潰せる事はできるはず。それにゲームで変な空気になる事もあり得はしない!! まさに普通の遊びになるはずじゃ!!


「あ、いや、悪い。そっち系じゃない」

「え?」


 陣内にそう言われて、歩みを止める。


「俺が予約してるのは3階の方なんだ」

「……予約じゃと?」


 ゲーセンには似つかわしくない言葉が発せられたので首を傾げる。


「ほら見ろよ」


 陣内は上部を指差した。


 指先を追うように視線を移す。ゲーセンは吹き抜け構造となっているので、1階からでも上階を見る事ができた。


 3階はアングラなゲーセンとは思えないほど、家族連れや若い男女で賑わっていた。


「今月、ここのゲーセンでVRゲームの出張イベントをやってるんだ。1フロアまるまる使ってるらしくて、結構大きいらしい」

「ふぅむ?」


 VRゲーム。それはもちろん、聞いた事はある。であるが詳細は知らん。そんな出張サービスの存在も初耳であった。


「午後から雨予報だったからな。これなら天気を気にする必要なしだ。激しい運動をするわけでもないから、汗も掻かない」

「まぁ、それはそうであるな」

「でも一応体感型ゲームだから、食後のちょうどいい運動になりそうだろ?」

「……ふむ」


 どうやら、陣内はちゃんと考えがあってここを遊び場に選んだようであった。


 ……でものぉ?


 尊大的な気持ちが溢れ出す。遊び賃を出してもらっていて本当に悪いとは思っているのじゃが、揶揄う気持ちがどうにも止まらない。


 女子おなごを連れてゲーセン? これはやっぱりミスチョイスではないか? 


 まっ、よくよく考えれば今日はデートではなかったの! 


 ただいつも通りの遊び旅行でござる!! なぁに、多少退屈でも文句はつけん! 広い心を持って、男友達の遊び方に合わせてやろうではないか!!


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「天誅ぅぅうッ!!」


 眼前に迫る異形の化け物を袈裟懸けに切り捨てる。大鬼オーガは剣戟の軌跡通り、真っ二つとなり空気に溶けるよう霧散した。


「怨敵打ち取ったり! 我らが藩にあだなす逆賊め!! 刀の錆びにしてやったわ!! はっはっはっは!!」

「ノリノリだな、おい。ロールプレイまで完璧じゃん」


 陣内が何か言っておるが、それを無視して抜刀していた刀を鞘に納める。チャキン、という鍔鳴りの音が堪らなかった。


「くぅ~~、技術はまさに日進月歩! 第三次産業を学ぶものとして不勉強であった!! 仮想空間とは言え、まさか刀を振り回して悪漢を成敗できる時代がきているとは!!」


 半信半疑で始めたVRゲーム。これが思いの外よい。


 据え置きゲームとは没入感が桁違いでありんす。視界全面がゲーム世界で覆われた中で、バトンのようなリモコンを振ればその通りに刀が舞い、化け物を葬る。コレだけの事が何故か無性に爽快感を感じさせる。移動に多少制限があるのが煩わしいくらい。


「あれ? 俺達がやってるのってファンタジー系アクションだよな? 幕末シュミレーションじゃないよな? もしかして俺だけ見えてる世界が違う?」

「ふむ、想像力の欠如、と言うやつでござるな」

「俺に非がある風に言うなよ。お前が妄想力豊かってだけだろ」

「あっはっはっは! 細かい事は気にするでない!! さぁさぁ、どんどん行くでござる! 今宵の斬鉄剣は血に飢えておる!!」


 刀を抜き、八双に構える。コントローラーで移動できるため歩く必要はないが、気分的に動きたかったため大きく1歩を踏み出した。


「……ん? なんじゃこれ」


 その時、硬いようで、柔らかい何かに触れた。壁、にしては少し弾力が強い気がする。


 訝しんでいると視界がガラリと変わる。VRゴーグルを外された。


「俺だよ、俺」


 目の間に陣内が居た。


「VR内の座標と現実の場所は違うんだから気を付けような。ぶつかって怪我でもしたら嫌だろ?」


 近い。

 正面から受け止めるように両肩を抱かれて、すごく近い。


 不意打ちすぎて、体がカチコチに硬直してしまう。


「ほら、お互いに距離取り直して、もう一回な」

「………………」


 こくりと、最低限の会釈だけして陣内から離れ、急いでゴーグルを被りなおし仮想空間に意識を逃がす。


 受け止められていた両肩と、彼に触っていた手が少し暖かった。


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 その後のゲームプレイは慎重に慎重を重ねた。


 その場から一歩も動かず、後手必殺の信念で向かってくる化け物どもをカウンター気味に切り倒し続ける。居合の達人のように厳格に敵の急所を突き、最小の動作で事無きを得た。


(ゲーム自体は面白かったが、少し気疲れしたの……)


 ゲームが終わった後、我は陣内に休息を申し出ていた。今はVRコーナーから少し離れた長椅子に腰掛けて休憩している。汗を掻くほど動いたわけではないが、体力を消耗した気がする。


 陣内との不意打ちじみた接触のせいであった。


 あれ以上のスキンシップは何度も経験しているはずなのに、油断していたので凄く心がどうよっ……純粋に驚いてしまったのじゃ。


「安瀬、お茶買って来たぞ」


 疲れた様子の我を気遣ってお茶を買いに行ってくれた陣内が戻って来る。


「……悪いの」

「いいって」


 お茶を我に差し出しながら、陣内は少し距離を開けて隣に座った。


「安瀬、なんか途中から無口な暗殺者みたいになってたけど、もしかして初めてのVRで酔ってたか?」

「そ、そうではない。途中からは、謀殺された主君の仇討ちに放浪する限界浪人ロールプレイをしておっただけでそうろう

「意味わかんない上にクソ重い設定だな、それ……」


 呆れた顔をして陣内はどこからかノンアルビールを取り出し、プルタブを開けた。


「んっ、んっ、ふぅ……ノンアルだけど1口飲むか?」

「いや、拙者はさっき貰った緑茶で結構」

「……その浪人ロールプレイとやらはまだ続いてるのか?」

「これは素じゃ、阿呆」

「はははっ、そうか。悪い悪い」


 陣内はクツクツと静かに笑う。いつもどこかに酒類を身につけているアル中に笑われるのは少し癪であった。


「そういや、安瀬って剣道とかの武道好きそうだけどそっちの経験はないよな」

「あぁ、それであるか」


 歴女として、日本武道系の武骨さは大好物。陣内の言う通りであった。


「我も本当は兄貴みたく柔道をやりたかったが、父に禁止されておったのじゃ」

「え、なんで?」

「"お前が武道に手を出すと、もう誰にも手が付けられなくなる"というのが理由らしい……」

「ぶっ、ははははっ!!」


 親父の言いつけを聞いて、陣内は腹が立つほど大袈裟に噴飯ふんぱんした。


雨京うきょうさん、だったよな? そりゃあ雨京さんが絶対に正しいって!! 間違いないな!! 安瀬が物理的な力を持つとヤベーよ!!」

「ぐ、ぐぬぬぬ、笑うな下郎!」

「ははははは!!」


 陣内はそれはそれは愉快そうに馬鹿笑いを繰り返す。


「ははは……でも、安瀬が素直に父親の言いつけを守るなんてちょっと意外だな。親父さん、怒ると怖かったのか?」

「…………恐ろしく怖い」


 短く、強い単音で問いに答えた。


「理詰めの鬼で、一切の反論を許さずちゃんと反省するまで怒られるのじゃ……」

「そ、それはちょっと辛いな。まぁ100パーセントお前が悪いんだろうけど……」


 思い出してげんなりする。1月ほど無断で家出をした時は、まる3日大目玉を喰らい続けた。


「けど理詰めの正論パンチで怒られるのは辛いよなぁ……。俺、そういうのは苦手だ。安瀬は逆ギレしたりしなかったのか?」

「…………一度だけ、あるの」

「一度だけ?」

「うむ、一度だけじゃ」


 高校を卒業し、フリーターをやっていた時期を思い出す。


『これは父親としての命令だ。もう……つぐないはやめなさい』


 バイトを終えて帰宅し、ご飯の準備を始めようとしたその矢先、突然、親父は悲痛な面持ちで今通っている大学のパンフレットを差し出してきた。


『母さんの代わりを、お前が務める必要はないんだ』


 記憶にある限り、親父に噛みついたのは人生であの時だけじゃ。


 、それは不要だとのたまった、父。我に相談なく勝手に大学の入学願書を提出して、親父は我を実家から追い出そうとした。その荒唐無稽な行動に怒りを覚え、あの時ばかりは本気で親父と喧嘩をしてしまった。


 じゃがあれも結局、愚かだったのは我の方であり、正しいのは父の方だったのであろう。


 あの頃は、教え込めば親父にだってできるような事を、ありがたそうにただ永遠とくり返すだけの毎日だった。


 死者母親にしてあげられることは少ない。


 香、花、灯、水、飯。五供ごくうを供えて、生前の業務を代行する。せいぜいそれだけしかなかった。


 献花を綺麗に繕うために1年ほど花を勉強したが、それも空虚。手向けの花が増えて綺麗になればなるほど『何も帰っては来ない』と突きつけられて、悲しくなるだけだった。


 生前にもっと孝行を積んでおけばよかったと、胸を掻きむしりたくなるほど強く後悔して、毎日のように夢に出てきてくれる母に謝り続ける。天国の母だってそんな事を望んでいないと知っていながら、今よりも生産性のない日々を過ごし続けていた。


「…………」


 鬱陶しい物が一滴ほど瞳から零れる。


「……ちっ」

「…………」


 舌打ちをして、目を強く擦った。


 涙は大嫌い。


 流れる涙の量はかなり減った。昔のようにボロボロとみっともなく流れ続ける事は無くなった。じゃが、それでも死ぬほどうざい。親の死なんて誰もが通る道なのに、まるで哀れんでくれと言っているようで心が激しく荒む。そもそも我は、本来泣く事を許される立場ではない。


「……俺も父さんと喧嘩して殴られたことがある」

「え?」

「チャラチャラしてた時期に口論になってぶん殴られた。凄く感謝してるけど、あれは色々な意味で痛かったな……」


 陣内は遠い目をして頬を手で擦った。どうやら殴られたのは左頬のよう。


「父親との喧嘩って、なんかアレだ……凄いよな。こう、パワーがあるって言うか、やたらと記憶に残るって言うか、父は偉大って言うか……な?」

「……お主は何が言いたいのじゃ?」


 要点がいまいちよく掴めない。話の着地点を見失っているように思えた。


「な、何だろう。自分でも分かんなくなって来た……ただの自分語りじゃん、これ」

「……ふふっ」


 恐らく、陣内は何か雰囲気を紛らわせるような事を言いたかったのであろう。そこで選んだ話題が自分がぶん殴られた事というのが少し可笑しくて微笑を溢した。


「下手な気の使い方をするでないたわけ」

「わ、わるい」

「なに、怒ってはおらん」


 こ奴は我に合わそうとしてくれる。その気遣いは嫌いではない。むしろ……。


「我の方こそ……」

「ん?」


 恐らくこれを本気で謝罪することは初めて。誰にも謝った事は無い。だから、少しだけ言葉にするのを躊躇う。


「いつも、こんなのですまんの」

「っ!!」


 思えば、陣内にはずっと迷惑を掛けっぱなしであった。


「しみったれていて、お主もめんどう──」

「馬鹿、止せよ」


 吐き捨てるように陣内は我の言葉を止めた。


「人に迷惑を掛けるのが生きがいのような奴が殊勝に謝るなよ、らしくない。お前は傍若無人で、常に問題を引き起こす問題児で、悪事に一切躊躇がない蛮族だろ? 似合ってないんだよバーカ」


 陣内の口から出てきたのは、涙が引っ込むほどの強烈な悪口だった。


「……………………」


 ピキリと、こめかみが軋む音が聞こえる。


 ハッキリと聞こえた。


 確かに今ハッキリと聞こえたでござる!!


「人の悪口ならスラスラと出てくるようであるな、その酒臭い口はのぉ……!! なぁ陣内!!」

「あ゛? 俺が臭いならお前だって臭いだろうが。飲酒量は大して変わんないだろ」

「はぁぁ?」


 ギロリと、陣内は細い目つきを尖らせてこちらを見下し睨みつけてくる。我もそれに負けじと彼をめ上げた。


「乙女に対して臭いとは一体どういった神経しておるんじゃ」

「お前が乙女って柄かよ。笑わせるんじゃねぇ」

「黙るがよい、ど低能酒カス男」

「うっさいぞ、ど変人自己中女」

「…………ふん!」

「…………けっ!」


 互いに喧嘩腰にそっぽを向く。こうなれば拙者たちは終わりである。もう相手の尊厳を破壊するまで収まりがつかない。どちらが上位存在かを白黒ハッキリつける必要がある。


 両者が、無言で長椅子から勢いよく立ち上がった。


「初見のゲームで決着をつける、それでよいな?」

「あぁ。負けた方はシンプルに『すいません。言いすぎました。私が悪かったです』だな」

「それに加えて、1時間ほど敬語を使ってもらおうかの」

「はっ、望むところだ。陣内様とか呼ばせてやる」

「ぬかせ、ギタギタにしてくれる」

 

 我らは下の階にあるゲームコーナーまで向かった。


 ムカつくので、格の違いという物を身体に叩き込んでやるぜよ!!


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 計10戦、8勝、1敗、1引き分け。


 無謀な挑戦者を完膚なきまで叩きのめし圧倒したのはやはり思慮深く何事にも長け高地山々の流水のように澄み切った心を持つ幽世の女傑。


 そう、つまりは我の事であった!!


「と、到着しましたよ、安瀬様」


 目的地に着いたので、陣内はプルプルと震えながら車のエンジンを切った。屈辱に震えているのか、それとも断酒の禁断症状で震えているのか分からない所がこ奴の面白い所でござるな。


「ふふふ、ごくろう! 大儀であったな!! 褒めてつかわそう!!」

「も、勿体なきお言葉にございます」

「いやいやなんの! 道中の運転を全て任せているのに、こちらを敬わせるというのは流石の我も良心の呵責が苛ませる。これくらいの労いは当然の事ぜよ!」

「……その割にはニっコニコじゃねぇかよ」

「おろろ? 負け犬、敬語はどうした?」

「ぐっ……も、申し訳ございませんでした」


 陣内がこちらに激しい視線を飛ばしながら素直に謝る。


 恐らく『覚えてろよ。後で絶対に寝首を掻いてやる。精々、今のうちだけの短い天下を満喫してろ』とでも考えておるのであろう。


(くくくっ、運動の類ならともかく遊戯で我に勝てる訳がなかろう。我とタメを張れるのは西代くらいでありんす)

「はぁ……少々お待ちくださいませ」


 陣内は先に車から降りた。呉服店で貸し出していた和傘を持ち、我が座る助手席側の扉まで駆け足で近寄って来る。


「どうぞ」


 助手席の扉を開けると同時に陣内は和傘を開く。拙者が濡れないようにするための配慮であった。

 

「……う、うむ」


 敬語を使われ、紳士的な対応をされると普段とのギャップのせいか少しだけ胸がくすぐったい。


 罰ゲームが面白くない方向に向かい始めた。


「相合傘になって申し訳ございません。1本しかレンタルできなかったんですよ」

「それは、まぁ、構わぬが……お主はやっぱり憎まれ口を叩いておる方が似合っておるな。聞いてる方がむず痒くなってきた」

「え、そうか? じゃあ止めていいか? 俺もこれ以上は蕁麻疹が出そうだ」

「お上品という言葉はお主とは対極に存在するの」

「うっせ、ちゃんと自覚はあるよ」


 他愛もないやり取りを交える。車内から雨に濡れた道路に足を移し、そのまま自然に陣内と同じ傘に入った。


 駐車場から目的地までは少し距離があった。なので、ここからは少しだけ歩く。


 向かう先は紫陽花あじさい寺らしい。


 紫陽花寺とは文字通り、境内に紫陽花を散りばめたお寺の事。そのような寺は全国的に多く存在し、梅雨季節の観光スポットとして有名である。御朱印集めが趣味である我にとって神社や寺は行き慣れた物であったが、梅雨に外出するのが嫌だったので紫陽花寺にはまだ来たことが無かった。なので今から少し楽しみであった。


 陣内と歩幅を一緒にして雨溜まりが転々とする道路をゆっくりと歩く。


「………………」

「………………」


 暫くの間、お互いに口を開かなかった。雨と足音だけが響く雨道は不思議と退屈ではなく、むしろ歩いてはいけない彼岸を進む奇妙な緊張感すらあった。


「悪い、もう少し詰めてくれ。袴が濡れる」


 こちらに傘を傾けながら陣内が沈黙を破った。彼の肩が、少しだけ雨に濡れている。


「そ、そうじゃな」


 袴はレンタル品。陣内の言う通り、あまり濡らしたくはない。


 仕方がないので、彼が持つ傘の取っ手に寄り添うように近寄る。肩同士が触れ合うほど、陣内と密着してしまった。


(う、うぅぅ)


 強く、異性を意識してしまう。小雨が降る外界と、天幕で覆われた雨除けの世界。小さな空間を共有しているという事実がおもはゆく、地に足が付いていないような浮遊感を感じさせた。


(え、ええい、これしきで浮つくな。こ、こんな物は意識する必要のない普通の行為で……)

「今は小雨だけど、もう少ししたら本降りになるらしいな」

「え、あ、そ、そうか」

「あぁ。でも明日は一日中晴れらしい。本格的な観光は明日だな」

「そ、そうであるか」


 …………よくよく考えれば、これまだ旅行初日なのでござるか?


 時刻はまだ4時を回った所。これからまだ、温泉、就寝、そして明日は同じような旅行プランを陣内は組んでいるのじゃろう。


 心臓が持つか、今から心配になって来た。


「しかし……お主は良かったのか?」


 現実から逃避するために、適当な話題を切り出す。


「寺院巡りを楽しむような性質たちではなかろう?」


 今向かっている寺は京都、奈良にあるのようなエンタメ性が高い寺院ではなく、風情だけを楽しむ物であろう。


「お前と一緒で退屈なんてするわけないだろ? どこに行っても安瀬と一緒なら楽しい」

「っ」


 自然と吐かれた何でもない褒め言葉に胸が締め付けられる。


「ふ、ふん。ど、どうせ我は傾奇者ぜよ。見ていて飽きはしないであろうな!」

「いや、そういった意味じゃねぇよ」

 

 すぐ隣にある陣内の顔を見るのが嫌で、視線を斜め下に移す。彼が無自覚にそう言っているのなら、それはちょっと、少しだけ嬉しい。満更でもなくなってしまう。


「まぁ、俺も花見は好きな方なんだ。ほら、もう入口に着いたぞ。見てみろよ」


 陣内に促されて、彼と同じ方向に向き直る。


「あ……」


 山門の先を見て、目を見開いた。感銘を受けてため息が漏れそうになる。


 雨雲の隙間から西日が差し込み、濡れた花々が境内を爛々と飾り付けている。


 紫陽花が作る華道は、葉が水滴が弾いて輝き神秘的に見えた。雨の季節にしか見られない花色彩の豊かさと、空の光闇が幻想的に混じり合う、記憶に焼き付いて忘れられないであろう景観。


「綺麗だよな」

「……うん」


 見惚れていたので調子が狂い、普通な返事を返してしまう。それくらい、この光景は美しすぎた。異性と密着して見つめるには、あまりにも出来過ぎている。


「雨なんて普段はうざったいだけだけど、今は降ってて良かった」


 頭1つ分ほど背が高い彼が、傘の中で硬直した我の顔を覗き込んで、朗らかに笑う。その馴れ馴れしい仕草が安心感に似た淡い気持ちを想起させる。


 浮ついた心が完全に拠り所をなくしてしまい、クラクラと揺れ動き始めた。


「お参りして境内を1周したら、お守りを買おうぜ」

「え?」

「ほら、陽光さんの奥さんって出産予定日がそろそろだろ? ここ、紫陽花だけじゃなくて安産祈願でも有名な寺なんだ。子安地蔵尊こやすじぞうそん? ってやつが安置されてるらしい」


 教養の無い彼から似つかわしくない単語が飛び出す。きっと今日の為に詳しく調べていたのであろう。


「差し出がましいかもしれないけど、俺にも祈願させてくれ。陽光さんには、その……色々と世話になってるからな」


 薄暗いせいか、彼の細い目に陰りが見えた。


「…………」


 その表情を見て、あの日と同じ感情を覚える。


 いつかの雨の日。気持ちを自覚した、あの雨の日。あの日と同じで、すぐ隣にある陣内の顔が何故かとても大人びて見えた。


 その顔を見ると、何か暖かい物が胸に注がれて心から溢れてきそうになる。


(こんなのは、卑怯では、ないか)


 普段はあれだけ鈍感な癖をして逢引きのやり方が素敵だ。


 だって、景観とシチュエーションでこんなにも強く、優しい彼に心を惹かれている。


「……そ、そうあまり畏まってくれるな。お守りを貰ったら兄貴は絶対に喜ぶし、我も、その、嬉しい」


 嬉しかった。これは本当に我の事だけを想い、考えてくれたデートプランだ。


「そ、そっか。まぁ……そ、そう言ってくれるなら良かった」


 今度は照れくさそうに陣内は空いた手で頭を掻いた。


 我の素直な言葉に、彼はそういった反応を見せる。


 だから彼の隣は酷く居心地がいい。口でどれだけ馬鹿にしていても、我のような人間を陣内は心から尊重して、好いてくれる。それが目に見えて分かるから…………分かってしまうから。


 このまま、『貴方の事が好きです』と言ってしまいたくなる。


 危険なほど依存性がある色毒。彼はまるで蛍の群がる甘い水場。そのままどこまでも溺れてしまいたい。それは飢餓感を覚えるほど。


 でも、それでも。


「……陣内」

「ん? なんだ」


 あぁ、花を学んでいて良かった。ここが、で本当に良かった。


「紫陽花の花言葉を知っておるか?」


 おかげで、寒々とした物が思考を浸した。


「え、いや、知らないけど」

「そうか」


 浮気。移り気。変節へんせつ

 その意味を持って我を囲む花々は、先ほどまでの美しき情景とは打って変わって見えた。


 あざけるように咲くあだ花が意志の弱い私を腐敗の底へと誘っている。


 最奥に居るのは陣内ただ1人だけ。


 友を裏切って転げ落ちれば、きっと、罪悪感と後ろめたさで何もかもが醜悪に歪んでしまう。そうなれば、4人で暮らすあの騒々しい日々には2度と戻れはしないであろう。



 それに、影で猫屋が泣くなんて現実を、私は死んでも受け入れない。



(…………我ながら惰弱であったな)


 得難い物は、もうすでに持っている。信念を持ってそう思った。4人で居られるあの素敵な時間を失いたくない。


 やっぱり、2人で旅行になんて来るべきではなかった。


「陣内、少し止まれ」

「え?」


 陣内に制止を促して、ポケットからスマホを取り出す。


 そのままパシャリと、不愉快な花をバックに写真を撮った。なるべくニッコリと笑い、ピースサインも付けてやる。そうして、その写真をSNSのグループに貼り付ける。


 無論、グループメンバーはいつもの4人組。


「あ、安瀬!?」


 急に写真を撮られて、その姿を晒された陣内が驚きのあまり大声を上げた。


「おい!! そんな事したらハイエナ共にバレるぞ!!」

「ははは!! そうじゃな!! あ奴らはハイエナと遜色ないの!!」


 陣内の罵倒にゲラゲラと笑う。そのわずか10秒の間で、猫屋と西代ハイエナからグループ通話の着信があった。


 躊躇することなく、その通話を取る。


「あ、あ、安瀬ちゃーん!!??」


 開幕早々、甲高い金切り声で猫屋に名を呼ばれた。その声を聴いて、不思議と妙な安心感が心に満ちる。


「実家に帰ったんじゃなかったのー!? な、な、なんでそんな綺麗な服着て、じ、じ、陣内とラブラブピースしてるわけーー!?」

「そんなのしておらんわ。馬鹿かお主」


 猫屋の予想通りすぎる反応に笑みがこぼれそうになる抑えて、冷淡にツッコミを入れる。


「安瀬、酷いじゃないか!! 僕たちを置いて2人で旅行だって!? 何で誘ってくれないのさ!!」

「ん?」

「マジそれぇーー!! わ、わ、私も行きたかったぁぁああーー!!」


 交互に2人が電話越しに怒鳴りつけてくる。猫屋はともかく、西代が過剰に反応するのは少しだけ意外であった。


「まぁ経緯を説明するのは面倒なので省く。……それよりもお主ら、今パチンコ屋におるな?」

「うん」

「そうだけどー?」


 電話の向こう側では、脳を焼くような機械音が絶え間なく流れている。今の景観にはまるであっていない下劣極まりない音楽。


「首尾はどうじゃ?」

「いやいや、安瀬、それよりもだね……」

「いいから答えるでござるよ。勝っておるのか?」

「……僕が今14連チャン。猫屋は300ハマりって感じだけど?」


 実に運が良かった。西代が打つのは大抵ミドルかマックス機。14連チャンなら6万は固い。


「なら丁度よい。今、我らは兵庫におる。その儲けを持って2人ともこっちに来るがいい。一週間ほどかけて地方巡りでもしようではないか」

「え? い、いやーー、それ大学どうするのー?」

「サボればよかろう」

「賛成だね。大学をサボって観光と洒落込もう」


 サボりの話題に、いの一番に食いつくのが西代である。あ奴は単位が心配になるほどよくサボる。


「よし猫屋、この連チャンが終わったらすぐに兵庫に向かおう。夜行バスを2人分予約してくれ」

「う、うぅーー、そうしたいのは山々なんだけどー、私はほら、今月はお財布がもうやばくってぇー………」

「はぁ、仕方ないね。勝っているし、移動費くらいは僕が奢ってあげるよ」

「西代ちゃんマジで神ーーー!! ドチャクソ好きーーー!! 愛してるーーー!!」

「あ、猫屋ちょっと、抱き着かないで! ハンドルが回せない!! というか右手使うなばっ────」


 プツンと、そこで通話が途切れた。


 常々思うが、まるで台風のような奴らである。


「っと、いう訳でござるよ、陣内」


 笑顔を保ち、間隣の陣内に語りかけた。


「おいおい、ヤベー事になったな。旅行延長は別にいいけど、俺、アイツ等に金たかられる事が確定したんだが……」

「もうそれは良い。後の金くらい自分で出す。そうすればあ奴らが金をせびる事も無かろう」


 あんな我欲に満ちた約束はこれで無効じゃ。


「えっと、でも、それで……それで良いのか?」


 彼は少しだけ寂しそうな表情を浮かべていた。

 何を思っているかは分からない。『あの約束を守りたかった』という感情かも知れんが、確証はなかった。


「うむ、これで良かったのじゃ」


 でも、これで良かった。初めからこうしておけばよかった。


「旅行は4人の方が楽しいでござる!! 間違いないの!!」


 曇り一つない清々とした気持ち。


 それに従って、陣内と一緒に入っている傘から飛び出した。


「あ、おい! 雨に濡れるぞ!!」

「あははは!! 少しくらいなら大丈夫でありんす!!」


 未練を追い越すように雨を振り切って駆ける。今は雨に濡れていたかった。涙腺が壊れている我は、いつ涙が溢れ出るか分からない。


(あぁ、今日は本当に楽しい1日であったな……)


 今日は何物にも代えられない素敵な逢引き。気心の知れた異性との大切な時間。100点満点中、120点をつけてもよかった。


 今日という日を、きっと私は生涯忘れない。



 でも、4人で遊ぶ明日はもっと楽しくなる。






************************************************************






 、だったのかもしれない。



「まぁ、そうだよな」


 傘を飛び出して屋根のある授与所まで駆けていく安瀬を見て、俺は誰にも聞こえないよう独り言を呟いた。


 あまりにも普通の旅行すぎた。


 まるで詰まらなかったという訳ではないと思うが、安瀬には少々退屈だったようだ。だが、まぁそれも当然。猫屋と西代が一緒なら、この旅行はもっとハチャメチャで終始笑いが絶えないような楽しい物になっていたはずだ。


 、どこかイかれているあの2人も居た方が安瀬は楽しいに決まっている。無い頭を捻って色々とプランを考えたが、俺1人じゃここら辺りが限界だ。


(陽光さん、やっぱり俺1人だけじゃ駄目なんだ)


 陽光さんは、安瀬の涙を止める最後のピースを俺だと考えていたのだろう。


 でも俺1人だけじゃ、彼女はずっと笑ってくれない。4人でいる事が何よりも大切なんだ。


「陣内!」


 大声で名前を呼ばれ、反射的に安瀬の方へと顔をむける。


「お主もはよう来い!! ついでじゃからおみくじも引くでござるよ!!」

「あぁ、はいはい。分かった、分かった」


 清らかな袴姿で花が咲くように笑い、こちらに手を振る彼女を見て思う。


 安瀬は可憐だ。


 今日1日でより深く思い知った。一緒に居て、何度目を奪われたか計り知れない。前に思った通り、この旅行は俺にとってご褒美みたいなものだった。


 明日も2人きりだったなら、それはきっと俺のような男にとって一生の宝物になっただろう。俗な言い方をすれば、今日は2人きりのデートだったのだから。



 でもきっと、4人で居られる明日はもっと楽しいはずだ。


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