第70話 残当


 胃酸が凄まじい勢いで薄まっていくのを感じる。それと反比例するようにアドレナリンが脳内に噴き出していた。


(あぁーー、頭がシュワシュワする……)


 ギャンブルの醍醐味はやはりこれ。瞬間的に出る脳汁だ。酒をキメていると、興奮もひとしお。口角が勝手に上がっていくのを止められない。


 自分を誤魔化せないほどの強い多幸感を感じている。…………ちょっとは彼女の為に何かできただろうか。


(俺は本当に、西代に世話になりっぱなしだった)


 下らないトラウマを払拭してもらって、淳司との仲直りを手伝ってもらって、薄暗い病室で…………慰めてもらった。


 彼女は恩返しなんて絶対に望んでいない。そもそもこの勝負事態が自己満足の類だ。本来は誰にも褒められはしない行為。


 それでも思わずにいられなかった。


 西代のために、ちっぽけな何かができたかもしれない。


 ……嬉しかった。建前で自分の気持ちを誤魔化す事ができないくらい、俺は嬉しかった。


「はっはっはっはっは!!」


 俺の耳に垣蔵さんの大きな笑い声が入ってくる。


 ……クソ真面目で何も面白くない思考は終わりにしよう。


「いつまで笑ってるんですか」

「はっはっは!! いや、悪い!! 隠居してからは楽しみが少なくてな!! 我ながら下手を打った!! ここまで手痛い負けは久しぶりだ!!」


 鳴子みたいにカラカラとした馬鹿笑いだった。老体には負担が掛かりそうな笑い方なので少しだけ心配になる。


(まぁ、イカサマってバレた方が楽しかったりするけど……)


 率直に、この爺さんは器が広いのだと思った。負けたのにここまで痛快に笑い飛ばせる人は中々いないだろう。


(……いや、もしかして、約束を守るつもりがないのか?)


 俺には何も強制力がない。『そんな決め事をした覚えはない』と白を切られれば、俺は泣き寝入りするしかなかった。


「あぁ、安心しろ。約束は守る」


 垣蔵さんは俺の胸の内を読んだように答えた。


「口さがない連中を表面上は黙り込ませてやろう。どんな手段を使ってもな。儂には、それだけの地位と金がある」

「……そうですか」


 恐ろしいので詳しくは聞かないようにしよう。


「そんなことより、次は何をする?」

「はい?」

「トランプ、サイコロ、囲碁にチェス、バックギャモンもある。桃と風見を混ぜて賭け麻雀なんかも楽しそうだと思うが、どうだ?」

「か、勘弁してくださいよ……」


 賭け事はもうお腹いっぱいだった。これ以上は俺の胃が持たない。それに、この爺さんに付き合っていたら簡単に借金地獄に落ちる。


「そう言うな。レートを下げてやるから、もう少しだけ付き合え」

「…………たしかに、それなら楽しそうですけど」

 

 残念ながら、俺がここに居る理由はもうない。


「すいません。下の会場に忘れ物がありまして……。ちょっと取りに戻りたいんですよ」


 適当に退室の理由をでっちあげる。だが、忘れ物がある事だけは本当だった。


 原因療法は済んだ。それなら次は、これ以上の悪化を防ぐため患部を直接取り除く必要がある。


「む、そうか…………まぁ、何をする気か知らんが儂のビルで悪戯はほどほどにな」

「え」

「絶対条件は面白い事だ。笑えれば許すし、笑えなければ許さん。肝に銘じておけよ?」

「な、何のことでしょうか」

「ふははっ、何の事だろうなぁ?」


 意地の悪い表情を見て、俺の背に冷や汗が伝った。


 さっきから爺さんの察しが良すぎる。俺は何も話していないはずなのに、ズバズバと内心を当てられている。たった15分程度一緒に居ただけなのに、人となりを完全に把捉されてしまったような錯覚を覚えた。……よくこの人に勝てたな、俺。


 これ以上、垣蔵さんと話すのは危険だと思った。


「し、失礼しますね」


 俺は急いで席を立った。早く逃げてしまおう。



 急に名前を呼ばれて驚き、硬直する。


 固まっている最中、垣蔵さんが机の引き出しを開けて、そこから何かを俺に投げた。


「うぉっと」


 落さないように、投擲物をキャッチする。


「桃が指定した格好なのだろうが、腕時計くらいはつけろ。男の嗜みだ。貰っていけ」


 俺の胸元には腕時計が投げられていた。

 白い文字盤と黒革バンドのシンプルな腕時計。一見すると安物に見えるが、パーツごとの輝きが眩しい。飾り気なの無さが逆に、高貴な雰囲気を醸し出している。


「え、いや、こんな高そうな物は貰えませんよ」

「なに、そこまで高価な物ではない。楽しませてくれた礼だ。それに勝者が何も手にしていないというのはどうにも座りが悪い」

「………そう言うのでしたら」


 ご厚意に甘えて、時計を腕に巻き付ける。せっかくなので、ありがたく頂戴することにした。


(ふ、普通に嬉しい……)


 渋い大人の腕時計だ。こういう白が基調となった物が欲しかった。高い物ではないらしいが、とてもカッコイイ。着けているだけでテンションが上がってくる。


「ありがとうございます」


 お礼の言葉とともに一礼してから、出口の扉まで向かう。足取りは軽い。今日は糞みたいな事しか起こらないと思っていたが、どうやらそれは早とちりだったようだ。多少はいい事もあった。


 悪くない気分で、俺はドアノブに手を掛けた。


「じゃあ、俺はこれで……」

「最後に1つだけ言っておこう」


 扉を半分だけ開けた状態で、俺は静止した。垣蔵さんの声が急に暗くなったからだ。


「桃は面倒な女だぞ」


 それは諭すような言葉遣いだった。



 反射的に振り返る。去ろうとする足に、何か気味の悪い物が纏わりついた気がした。


「関係を続けるつもりなら、覚悟だけはしておくことだ」

「…………は?」

「ほら、もう行け。年寄りの戯言は終わりだ」


 そう言って垣蔵さんは払いのけるように手を振り、俺の退出を催促する。


「今日は楽しかった。またな、小僧」

「えっと……はい、また機会があれば」


 短く別れの挨拶を告げ、俺は退室した。


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 豪華な木製の扉を閉め、部屋から外に出る。足元にへばり付いた何かを振りほどくようにして、長い廊下をひた歩く。行き先はエレベーターだ。


「……なんだったんだ、最後の?」


 誰もいない廊下で独り言を呟いた。


「知能指数が20違うと会話が成り立たないって言うけど、あの説って本当だったんだな」


 恥ずかしい事に、IQが低いのは俺の方だ。爺さんの言葉の意味がよく分からない。


 西代は面倒な女。……そんな事は言われなくても知っている。万人の知るところ、アイツは一般的な女子大生ではない。


 だが、そんな彼女とパチンコに行くのはとても楽しい。自分よりも散財し、青い顔を晒してくれるからだ。また、たまに大きく勝つと居酒屋で酒を奢ってくれたりもする。


 俺はもう既に、彼女の闇にどっぷりとハマっていると言えるだろう。


「……まぁ、分からない事を考えても仕方ないか」


 それよりも、今はもっと楽しい事を考えるべきだ。


「東城リク……ちゃんとあの野郎の誕生日を、盛大に、豪華に、大々的に祝ってやらないとな」


 あの爺さんの孫に突っかかるのは正直恐ろしい。だが、俺はどうしてもアイツを虚仮にしてやりたかった。


(……会場で市販の打ち上げ花火でも上げるか。それともアイツにスピリタスでも強引に飲ませるか。もしくは泥酔状態で壇上に上がって、1人漫才でも披露して場を凍らせてくれようか…………最後のは俺が傷つくだけか)


 低俗な悪事を練り上げる。全て、主賓に恥を掻かせる内容。俺はアイツをこき下ろす為なら、なんだってするつもりだった。


『劣等感をバネに自分を必死に磨き上げ、研磨する……どうだ、愛くるしいだろう?』


 ふと、垣蔵さんが言っていたことが脳内に思い浮かんだ。


「………………………………………」


『3年も部屋に引きこもって周囲よりも遅れておいて、そのような口が俺に利ける立場か』


 同時に、アイツが西代に言い放った醜い言葉も想起される。


「…………っは、俺の知ったことかよ」


 どんな事情があろうがアイツは西代の気持ちや背景を重んじなかった。ならお互い様だ。俺も何一つ、アイツを尊ばない。


 もう二度と俺達と関わりたくない、と思わせて見せる。それが俺の考えるの方法だった。


「ふっふっふんふんふーん」

「ん?」

「てーきは幾万ありとてもー、すーべて烏合の勢なるぞぉー」


 エレベーターに向かう途中、今の心境と180度真逆な、抜けた炭酸のように覇気のない歌声が聞こえてくる。


「なんだ?」


 その妙に聞き覚えのある声の主を探す為、俺は廊下の先に目を凝らした。


「烏合の勢にあらずともぉー、味方に正しき道理ありぃー」


 俺の視界に写った人物は、どこからどう見ても安瀬桜その人だった。


「……はぁ!? あ、安瀬!?」


 予想外にも、古臭い歌を口ずさむ安瀬がT字路から飛び出したのだ。


「ん、その声は……」


 俺の驚いた声に反応して、安瀬がこちらに気がつく。

 

「じ、じんなッ…………陣内? なんじゃその恰好?」

「い、いや、お前に言われたくはねぇよ」


 ワインレッドの暗めなドレス。急に現れた彼女は、大人じみた魅力が溢れる正装姿だった。


「……ふんっ、我はそんな恰好は好かんからな」


 出くわして早々、安瀬は突発的に文句をつけた。低めのヒールを下駄のようにカツカツを鳴らして、彼女はぐんぐんと俺に詰め寄って来る。


「金髪にピアスなんぞ軽薄であろう。元の方が絶対に良い。色々と台無しで、いたく気に入らんでありんす。はよう、元の黒髪に戻せ」

「何だよ突然。分かってるって。似合ってない自覚はある……」


 彼女は本当に不服そうだった。俺の金髪を微妙な目で眺めている。


「って、そうじゃない。何で、お前、ここに居るんだ?」


 俺は当然の疑問を彼女に投げた。


「というかまず、どうやってこのビルの場所を知った? 西代に聞いていたのか?」

「…………」

「それに、よく受付を通れたな。招待状なんて持ってなかったろ?」

「……………………」

「おい、何か言え犯罪者」


 絶対に悪い事をしたな、コイツ。少なくとも、さっきの停電は間違いなく安瀬の仕業だ。きっと暗闇に乗じて侵入しやがった。


「目的はタダ酒か? まったく、いつもながらイカレた行動力だな」


 呆れ半分、笑い半分といった心境。普通に不法侵入したのだろうが、咎める気はさらさら無い。俺に実害が無いのなら別に良かった。それに逆の立場なら、俺も絶対に潜入していた。


「……ま、まぁの!! お主だけ良い思いをするのはずるいでござる!!」

「はいはい、そうだな。その通りだよ」


 事実として、パーティーで振る舞われていた酒だけは素晴らしかった。水筒に少量しか盗み入れる事ができなかったのが悔やまれる。


「そ、そんな事より!! 今はドレスコードでありんす!!」

「え?」


 安瀬は急に、ドレスについて口に出す。


「少し予定が狂ったが仕方ない!! 今すぐに猫屋を呼びに──」

「あぁ、綺麗だな」

「……え」

「お前は着物を着てる時が一番素敵だけど、そういった格好も華やかだ。……凄く似合ってるよ」


 少しだけ暗い配色が安瀬らしくないようで気になるが、普段はあまり見られない彼女の大人な要素が前面に出ているように感じた。


「ぇ、あ……ぅ」

「あぁ、それと……い、いつもありがとな」

「────────」


 先ほどの賭博で決め手になった安瀬の慧眼に対して、俺はちゃんとお礼を言いたかった。ついでだから勢いに任せて言ってしまおう。


「お前には、その……助けられてばっかりだ。ははっ、なんだかんだ頼りっぱなしで悪い。今度また酒でも奢らせてくれ」


 流石にちょっと恥ずかしいので、少し笑ってごまかす。


「~~~~~~っ」


 みるみるうちに、安瀬の顔が真っ赤に染まる。彼女は両手を口に重ねて、目を見開いた。


(あぁー、やっぱりコイツって普段の行いのせいで褒められる事に慣れてないんだな)


 上から目線のようで申し訳ないが、俺はその姿を見て少し微笑ましくなった。軽く褒めただけなのにかなり照れている。ぶっちゃけ過剰反応だ。


「わ、わ、我の事じゃないわ、このバカぁ!!」


 安瀬は勢いよく、ハンドバックを振りまわした。


「うぐばッ!?」


 頭部のたんこぶにバックの底が直撃する。


「うぐおおっぉぉおお……!!」

「それは違う!! そ、それは我に向ける言葉ではない!! ね、猫屋はもっと可愛く着飾ってきたんじゃ!! 猫屋の方がもっと可愛いのじゃ!!」


 痛い!! 痛い!! 超痛い!! 死ぬほど痛い!!


 痛みのあまり、バタバタ!! っと地面に倒れてのた打ち回る。


「うごごご……!!」


 安瀬のバックの威力は半端ではなかった。中身の固い物が俺の弱点を強襲してしまっていた。


「ぉぉぐぅぅ……!! な、何しやがるこのアバズレ!!」


 当然、感謝の気持ちなどは痛みで一瞬で消え失せた。立ち上がって彼女に罵声を飛ばす。


「う、うるさい、このクソアル中!! 我は悪くない!! わ、悪いのはお主であろう!?」

「あぁ!? 人が素直に褒めてるのに何だそりゃあ゛!? お前、思考回路どうなってやがる!!」

「うるさい!! うるさい!! うるさい!!」


 彼女は暴言を振りまきながら、ハンドバックからスマホを取り出して自分の耳に添えた。


「ね、猫屋!! 一旦、探し物は止めじゃ!! 即座に1308ひとさんまるはち地点にて合流せよ!!」


 彼女は電話越しに猫屋を呼びつけだした。


「……猫屋?」


 猫屋の名前を聞いて、少しだけ冷静になる。


「おい、安瀬。もしかして猫屋も来てんのか?」


 だとすれば、それは少しまずい。


「しかも、今、この階にいるって……」


 最上階だからか、部屋数が少ないからか、この階はそんなに広くない。なので、呼べばきっとすぐに──


「じんなーーい!!」

「うぉ……!!」


 スパンコールが散りばめられたキラキラでフリフリの黄色いドレス。大胆にも、背中を大きく開いた色気を感じる姿。妖艶なフラメンコを踊れそうな情熱的な造形。


 安瀬とは正反対に、眩いまでの配色をした猫屋が背後から躍り出た。


(やばいッ)


 猫屋の出現に、心の底から焦る。綺麗だ、という感情よりも焦燥感がまさった。


 俺の現在の髪型はヤンキーの反骨精神よろしく波打って逆立っている。なので、おでこが丸出しだ。当然、大きな手術跡は面に現れている。


 俺の額はコンクリートで裂かれた。そのせいか、縫合跡はミミズのようにうねった感じで残ってしまっている。抜糸すれば少しはましになるかと思っていたが、経過は何も変わらなかった。


 無論、一緒に生活しているので完璧に隠し通せている訳ではない。


(それでも、もう二度と、猫屋にコレを意識させたくない……!!)


 不自然な行動になるだろうが、今からでもセットした髪を崩してしまおうかと本気で思った。


「じ、陣内、どーしたのその恰好!! ちょー似合ってんじゃーーん!!」


 そんな俺の焦りを、猫屋は一瞬で吹き飛ばした。


「「…………え?」」


 彼女の意味不明な発言に対して、俺と安瀬は同時に間抜けな声を漏らす。


「凄いカッコいいよ、陣内!! ま、前から思ってたけどさー、陣内ってお洒落する時はちゃんと頑張るよねーー!! 私の中で点数高いよ、それーー!!」

「え、えぇ……それマジで言ってるのか?」

「うん!! 金髪もカフスもいい感じーー!!」


 興奮した面持ちで、彼女は明るく俺を褒めてくれる。裏表がなく、本当に思ったことを口に出しているようなテンションだった。


「……普段から髪上げてたらー? そっちの方が断然男前だよー!!」

「そう、か?」

「私はそっちの方がいいと思うー!! 安瀬ちゃんもそう思うよねー?」

「え、ぁ……うむ。我も……普段は…………」


 気を使われている様子はない。猫屋は本当に俺の着こなしを気に入っているようだ。


 なんか、色々と……気にし過ぎだったかもしれない。


「ねぇねぇ、陣内もピアス開けよーよ!! お揃いのヤツ、プレゼントしてあげるからー!!」

「え、いや、申し出は嬉しいけど……女はともかく、男のピアスは柄が悪いからな。遠慮しとく」

「えぇーー!! 勿体なーい!! それに考え方も古臭ーい!!」


 猫屋の真っ直ぐな賛辞がむず痒くて、俺は彼女から視線を外した。


「陣内は絶対にピアス似合うと思うんだけどなぁー」

「……そりゃあ、どうも」


 正直、ここまで褒められるとお世辞でも嬉しい。


 猫屋は俺達の中で一番洒落しゃれっ気がある。そんな彼女がここまで褒めてくれるのだから、俺の恰好は自分で思うほど酷い物ではないのかもしれない。……似合ってなければ塞げばいいし、試しにピアス開けてみようかな。


「…………そうじゃよな」


 視界の端で、安瀬が口を開いたように見えた。


「…………やはり、お主の方が………ずっと一途………我なんかよりもずっと…………」


 彼女は顔を伏せ、消えそうな声で何かを発した。


「? どうした、安瀬?」

「……何でもないでござる!!」


 安瀬はすぐに顔を上げて、元気そうに笑った。


「……なんか安瀬ちゃん、今ボーっとしてなかったー? 大丈夫? 疲れちゃった? ニコチン補給する?」

「いや、そこはアルコールだろ。安瀬、水筒に詰めたラムでも舐めるか? 凄く美味いぞ」

「……どっちも違うわ。この中毒者どもめ」


 煙草と酒を懐から取り出した俺達を見て、安瀬はがっくりと肩を落とす。


「はぁ……この後、どうした物かと思ってな」


 彼女は困り顔で腕を前に組んだ。


と思って色々と考えておったが、なんかもうどうでもよくなってきたぜよ」

「え、えぇー? それはちょっと自由奔放すぎなーい??」

「陣内に見つかってしまったのじゃから仕方なかろう。……そもそも、何故お主もこの最上階にいるんじゃ? パーティー会場で西代と一緒にいるはずではなかったのかえ?」

「……安瀬」


 俺は質問を無視して、低い声で彼女の名前を呼んだ。


「……何じゃ? ふん、まぁ、気分良く高い酒を飲んでいたであろうお主からすれば、妨害計画を聞いて文句の一つも言いたくなるか」

「その計画、今からでもやるぞ」

「な、なに?」


 ちょうどいい。彼女達にも説明しよう。


「いいか2人とも、このパーティーはゴミだ。何も面白くなかった。……酒はまずいし、空気は最悪。なによりも、主賓が鼻持ちならないクソ野郎だった」

「「酒がまずい!?」」


 彼女たちは『信じられない』といった様子で驚いた。


 そ、そこに反応するのか。もっと別に驚くポイントがあるだろ……。


「ど、どーしたの陣内!? いつもはカップ酒でも幸せそうに飲んでるのにー!?」

「そ、そうでござるよ!! 酒に貴賎なし、とか言う馬鹿みたいな言葉はお主の常套句ではないか!?」

「テメェら、カップ酒を馬鹿にするなよ!! カップ酒は美味いだろ!! 単純にかんにしても良いし、出汁割りとか玉子酒たまござけに加工しやすい日本が誇る超万能酒だろうが!!」

「「あ、良かった。いつもの陣内だ……」」


 2人はほっと胸をなでおろした。


 俺は凄くまともな事を言ったはずなのに、何故かとても雑な扱いを受けた気がする……。


「…………いや悪い、話が脱線したな。とにかく、まぁ、色々あったんだよ。色々と」


 細かい説明は不要なので、俺は言葉を濁した。俺が怒っている事が伝わればそれでいい。


「そう言った訳だから、このパーティーを潰す案があるなら俺も一枚嚙ませてくれ。頼む」

「ふぅむ?」


 安瀬は顎に手を添えて、考え込むように顔を傾げた。


「……まぁ、せっかく考えた計画も不発では収まりが悪いの。西代もこのパーティーには辟易としておったし、あ奴の為にもきちんとぶっ壊して帰るでござるか」

「そーだねー。ここまで来ちゃったしー、私もどうせなら面白そうな事して帰りたーい」


 物のついでような軽さで、彼女たちは悪事に賛同してくれる。なんて頼もしいんだ。


「良し、なら決まりだ」


 幸運にも、俺は最強の仲間を手に入れてしまった。高性能クズ安瀬桜×高性能クズ猫屋李花。この2人が一緒なら、大抵の計画は成功する。


 この悪だくみ、もはや俺の勝利は決まったも同然だった。


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 同じ階にあった狭めの個室。部屋の片隅に机や椅子が積まれているので、ここは雑多な物置として使われている部屋なのだろう。


「呼び出される少し前のタイミングでー、丁度この部屋を見つけたんだけど、結局ここで何するわけー?」


 俺たちは猫屋の案内の元、この部屋に足を踏み入れていた。どうやら、安瀬と猫屋は別れてこのような部屋を探していたようだ。


「猫屋、人が多く招かれている場で、まず一番に考慮しなければいけない事柄とはなんでござる?」

「喫煙所への誘導看板の設置でしょー?」

「いや、提供するアルコールのラインナップだろ?」

「に、二度もふざけるでない、カス共。普通に考えて来賓客の安全管理であろうが……」


 そう言って、安瀬はハンドバックからガスバーナーを取り出した。


 彼女はガスの排出つまみを弄り、カチッと点火プラグを鳴らして火を点ける。轟々と音を立てて、バーナーの口から勢いよく炎が吹き荒れた。


 俺はそれを見て、一気に青ざめた。


「お、お前、まさか、つもりか!? それは流石にヤベーだろ!?」


 外まで聞こえそうな大声で安瀬の蛮行を咎める。先ほどの質問の意図から察するに、ボヤ騒ぎを起こすとしか考えられなかったからだ。


「阿呆か。コレはこうやって使うんじゃ」


 安瀬は煙草を一本咥えて、危なげなくバーナーの鋭い炎で火を灯した。


「すぅ、はぁぁー……」


 彼女は煙を肺まで入れずに、多量の煙を天井に向かって吹かした。そのまま宙を登って行く煙を安瀬は指差す。


「煙草の煙を使って火災報知器を鳴らして回るのじゃ。これが最も手っ取り早い」

「あぁーー、だから私に物置とか掃除用具のある部屋を探させてたんだねー」

「そうである。なるべく人目につきにくく、燃えていたらヤバそうな場所が最適じゃからの」

「あ、あぁ。なるほどな」


 安瀬にも最低限の倫理観があったようで安心した。確かに、この作戦ならパーティーは中止になる。しかもちゃんと安全だ。全員、ただ帰宅するだけで良いのだから。


「……なんか中学生の頃、学校で火災報知器のボタンを鳴らして遊んでいたのを思い出すな」

「それ懐かしーー!! あれってやっぱり皆やるよねーー!!」

「うむ、我もそこから着想を得たぜよ」


 懐かしい思い出を共有するように、俺たちはうんうんと仲良く頷いた。


(……でも、これって本当にパーティーをぶっ壊すだけだよな)


 どうにも、安瀬の作戦は俺の本来の狙いとはずれているように感じた。俺がやりたいことはアイツへの報復と抑止であって…………勝手だが、もっとグチャグチャで酷い作戦を期待していた。


「ほれ、お主らも一服付けるでありんす。煙突が一本ではセンサーが反応せん」

「はいはーーい!! そういう事なら、私も美味しく吸わせてもらいまーす!!」

「あ、あぁ……」


 喫煙を促されたので、とりあえずポケットから煙草を取り出す。


 その瞬間、バタンっ!! と部屋の扉が開いた。


「……お客様、失礼ですがここで一体何を?」


 サァーっと、俺達3人の体から血の気が引いていった。


 勢いよく開いた扉から、黒服のボーイさんと警備服を着た恰幅の良い男性が複数人に駆け込んできたのだ。


「「「…………あ、あはは、その……えっと」」」


 安瀬は急いでガスバーナーを隠して、煙草を携帯灰皿に投げ捨てた。俺と猫屋も一瞬で煙草をポケットに戻す。


「と、トイレに行こうとしたら迷ってしまいまして」


 咄嗟に、安瀬が苦し紛れの言い訳を口に出した。


「そ、そーなんですよねーー!! わ、私たちー、3人ともトイレを探してたんですよー!!」

「そうですか。私たちはでございましてね」

「「ひゅぃっ……」」


 安瀬と猫屋の肺から、絞り出すような悲鳴が漏れ出る。


「1階女子トイレの窓が溶かされるように割れていましたので、誰かが不法侵入していないか探していたのでございます」

「「「…………」」」

「そんな中、扉の向こうから『部屋を燃やす』と聞こえてきましたので……」


 ギロリっと、複数の険しい視線が俺達を貫く。


「急遽、この部屋に踏み込ませて頂きました」

「「「………………………………やっば」」」


 俺が大声で叫んだせいで、悪事のグレードが冗談などでは決してすまないレベルまでパワーアップしてしまっていた。


 僅か数秒で、俺たちは不良大学生から放火魔へとジョブチェンジしたのだ。


 危機的状況を受け、俺たちはすぐさま互いの目を合わせる。


(や、ヤバくないか!? コレって本当に絶体絶命のピンチじゃないか!?)

(ほ、放火未遂ってマジでヤバいよねー!? ふ、普通に超極悪犯罪だよねーー!?)

(ど、どうするでござる!? どうやってこの場を切り抜けるぜよ!?)


 口では何も言わず、目だけを使って迅速に意思の統一を図る。危機感のあまり、3人とも足の震えが止まらなかった。


「お客様、失礼ですが招待状はお持ちでしょうか?」

「「そ、それだ!!」」


 ダラダラと滝のように汗を流している安瀬と猫屋が、ボーイさんの問いかけに食いつく。


「わ、私たちの分はちょっとどこかに置き忘れちゃいましたけど、このアル中はちゃんと招待状を持ってるからーー!!」

「ほ、ほれ陣内!! しょ、招待状とやらを出してやれ!! 拙者たちの無実を証明してくりゃれ!!」

「ない」

「「……え?」」

「俺は西代の顔パスで入ったから、そんなもんはない……」

「「…………ま、マジで?」」


 2人の顔が、更に青くなった。


「招待状はお持ちではないのですね」


 これで少なくとも不法侵入は確定した。

 じわじわと、俺達3人を囲む包囲網が狭まっていく。警備員さん達が無線を使って、更にお仲間を呼び始めた。


「……それと、もう一つご質問がございます」


 ボーイさんの冷めた視線が俺だけに向けられる。彼は俺が腕に巻いている腕時計を指差した。


「貴方が着けている腕時計ですが、そちらは200万はする高級品と存じます。それは自身でご購入を?」

「「「…………はぁぁぁああああ!!??」」」


 暗い部屋内に、俺達の悲鳴に近い絶叫が響き渡った。


「陣内!! お主、どこからそんな物盗んできた!?」

「ひ、人聞きの悪いこと言うな!! ぬ、盗んでねぇ!! これは貰ったんだよ!!」

「泥棒はみんなそー言うの!! い、いいから早く元の場所に返してきなさい!!」

「だから盗んでないって!!」


 今度は俺に窃盗の疑いが掛かった。雪だるま式にどんどんヤバい罪状が積み重なっていく。


「200万の時計なんて着けて、今までよく平気な顔してたよねーー!? 陣内、頭おかしーよ!?」

「お、俺だってそんなに高い物とは知らなかったんだよ!!」

「なるほど。価値を知らなかった、と」

「あ」


 口論の最中、この時計は自分で買った物ではないと証明してしまった。


「……放火未遂と不法侵入、それと窃盗の現行犯ですか」

「「「────────────」」」


 あまりにも具体的な死刑宣告に、俺たちは凍り付いた。


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 ギィっと、木製の扉が開く。


「遅かったな、桃」

「うん、ごめん。つい風見と話し込んじゃってね」


 西代桃はヴァイオリンを引っ提げて、祖父のいる部屋へと戻ってくる。陣内梅治が部屋を退室して、既に20分ほど時間が経過していた。


「お茶と菓子まで用意して、大学生活の事を延々と聞いてくるから長引いちゃったよ……って、あれ?」


 彼女は首を左右に振って、部屋内をくまなく見渡して首を傾げた。ここに居るはずの陣内梅治がどこにも存在しなかったからだ。


「……ジン君はどこに行ったの? まさか、気に入らなかったからって叩き出した訳じゃないよね」

「小僧なら便所だ。急に腹が痛いと言い出してな」

「……へぇ、そう。それならすぐに帰ってくるよね?」

「さぁな。随分と神妙な顔をしていたから、しばらくは籠っているかもしれんぞ?」

「それ、本当にトイレ? 嘘だったら、僕本当に怒るよ」


 西代は祖父の言葉を全く信用してなかった。彼女は『お爺様は極端で残忍、そして人との接し方がぶっ壊れている』と認識している。


 興味がそそられない人間は冷遇し、敵対する人間は叩き潰す。そのくせ、人を認める琴線が狭くて歪にひしゃげている。東城垣蔵は面倒くさいという言葉が立って歩いているような人間だった。


「それよりも桃…………随分と面白いのを見つけてきたな」

「ん?」


 そんな偏屈ジジイは陣内梅治を思い出して上機嫌そうに笑う。


「くくくっ……アレはダメだ。どうしようもなくダメな男だ。間違いなく、お前と同じでタガが外れている。……久しぶりに、もう少し長生きしたくなった。アレとお前の子は、きっと儂の想像など遙かにしのぐ邪悪に育つのだろうなぁ」

「今、なんだって?」


 好意的かつ、あまりにも気の速すぎる発言に、西代は自分の耳がバグったのかと本気で思った。


「桃、次の帰省はいつだ?」

「……た、たぶんお盆休みだけど」


 恐る恐るといった様子で彼女は質問に答える。


「そうか。なら、その時にまたアレを連れてきなさい。今度は本宅にだ。一回、腰を据えてゆっくりと話がしてみたい」

「それ本気で言ってるの?」

「あぁ」

(…………き、気に入られちゃってる)


 祖父の好意的な反応に、西代は狼狽える。


(相性は良いと思っていたけど…………僕の知らない所で、お爺様の心のシャッターをずかずかと開けないで欲しいね。僕達が実は恋仲じゃないって、言いづらいじゃないか……)


 既に嘘がバレている事を彼女は知らない。彼女の祖父も余計な事を言うつもりはなかった。陣内梅治の苦難がまた一つ、確定した瞬間であった。


 ──リィリリリリリン


 西代が陣内の無駄なコミュ力に呆れていたその時、部屋の固定電話が甲高い音を立てて鳴り響く。


「何事だ?」


 東城垣蔵は受話器を手に取り、耳に当てがう。


「儂だ、どうした? …………なに? ?」

「え、本当に泥棒が入り込んでいたの?」

「あぁ、そうらしい……既に警察を呼んだか。よくやった。どうやら、儂の危惧は間違ってなかったようだな」

「………ん?」


 聴力の良い西代は、かすかに聞こえてくるサイレンの音に気がつく。


 ビルの13階。東城家のトップに立つ垣蔵の部屋は、皇室の御休所の如く内装が整えられていた。高所からの景観を楽しむために、大きなガラスも壁面に埋め込められている。


 西代は窓ガラスの方へ近寄り、その優秀な視力を使って、ビルの入り口付近で発光している赤いパトランプを覗き込んだ。


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「違うんだぁあああ!! 聞いてくれぇええ!! 俺は盗みなんてやってない!! まだ無実!! まだギリギリで無実なんだぁぁああああ!! 垣蔵様と話をさせてくれぇええええええ!!」

「ヤバいでござる……ヤバいでござるぅ……放火未遂は洒落になってないぃ…………終わるぅ……人生がちゃんと終わってしまうぅぅ…………嫌じゃぁぁ、嫌なのじゃぁぁぁぁぁ」

「うわぁぁああああああん!! 前科ついちゃったぁぁあああああ!! 今度は本当に牢屋にぶちこまれちゃうよぉおおお!! 5年は出てこられなぃぃいいいい!! うわぁぁあああああああああん!!」


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「…………」


 見知ったシルエットの罪人たちが、手錠に繋がれたままパトカーに詰め込まれ、連行されていく。


 西代は顔を引きつらせながら、その一部始終を視界に収めていた。


「あ、あのクズども……今度は一体何をやらかしたんだ?」


 彼女は、それが冤罪だとは1ミリグラムとて考えなかった。

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