第68話 愚者の偏愛


 どうやら、今日の主賓は有名大学の司法学部にストレートで入学しており、順風満帆な人生を送っているらしい。将来はを継ぐ予定だとか。


「司会の人、紹介しやすそうだな」

「まぁ肩書だけは立派だからね」


 開始時刻になり、誕生日パーティーは始まった。

 先ほどまで司会役の進行に合わせて今日の大まかなタイムスケジュールの説明がなされ、今はこのパーティーの主役である東城とうじょうリクの紹介がおこなわれている。


「…………」


 俺と西代だけしか座っていない、白いクロスが敷かれた円卓のテーブル。そこで俺は片肘をついて、壇上でライトを浴びている同い年の青年を黙って眺めていた。


 西代の親族だけあってルックスはイケメン。背は高く、手足が長いシュッとしたモデル体型。立ち姿は、背に青竹が入っているかの如く真っ直ぐと伸びていてみなぎる自信と品性を感じさせる。


「す、凄いなアイツ。本当に同い年かよ……」


 眩しいばかりの勝ち組だった。金持ち、イケメン、高学歴。ちょっと並ではない。完璧人間だ。


「っは」


 俺の戦々恐々としたボヤキを、西代は鼻で嘲笑う。


「敷かれたレールを歩いてるだけのつまらないヤツさ。君の方が人間として魅力的だよ」


 彼女は目を細め、不快そうに壇上に目をやっていった。


「…………随分と嫌いなんだな?」


 俺を褒めてくれる分には嬉しいが、相手がアレでは間違いなく不公平な評価だ。私怨が混じっているに違いない。


「あぁ、大嫌いだ。顔も見たくないね」


 辟易した様子で、西代は食前酒を一気に飲み干した。もう話題にも上げたくなさそうな様子だ。


 触らぬ神に祟りなし。これ以上の詮索は不要と思い、俺も同じように食前酒に口を付ける。


「んぉ、この食前酒、美味いな」


 前菜と共に提供されたスパークリングワインに思わず舌づつみを打つ。銘柄は分からないが、炭酸から感じる白ブドウの香りと甘さが絶妙だった。きっとお高いのだろう。


「そう言ってくれると連れて来た甲斐があったよ」


 俺の言葉を聞いた西代は、微笑みながら硬い紙質のオーダーリストを手渡してくれる。


「他にも良い酒は沢山あるよ。モカンボの20年物なんてどうだい? 君、ラム好きだろう?」

「……いいや? 勘違いしてるぞ、モモちゃん」

「え? 何をだい?」

「俺はどんな酒でも大好きだ。この世の全ての酒を愛していると言っても過言じゃない」


 酒は神の飲み物だ。この世で最も優れた飲料。アルコールというだけで崇め奉る対象になる。


「ははっ、堂々とアル中宣言とは恐れ入るよ。きっと君の体に流れているのは血液なんかじゃなくて、赤ワインなんだろうね」

「俺もたまにそう思う。俺の体を構築しているのはタンパク質なんかじゃなくてアルコールなんだってな」

「真顔で狂った事を言わないでくれ。普通に怖いよ」

「ぐはは!! 何にせよ、今日は最高の日だな!! モカンボの20年物なんて滅多に口にできないぜ!! 超楽しみだ!!」


 俺はリストにある酒類を反芻するように熟読しながら、胸を高鳴らせた。


************************************************************


 飲食を始めて、1時間が経った。


 特段、何もしていない。西代と話をしながら、酒を飲んで、飯を食う。やっている事じたいは賃貸での日常と同じ。



 だが、



 口内で度数の高いラムを転がしながら、そう思った。


「これ本当にうまいな!!」


 モカンボのロックは最高だ。年月が生み出している甘さの深みがすこぶる心地いい。本来なら、天にも昇ることができる味だろう。


「熟成が進んだお酒は度数が高くても飲みやすいね」

「だな!! もうめんどくさいから瓶で丸ごと持って来て欲しいくらいだ!!」

「ふふっ、僕らにはそのくらいないと物足りないね」


 表面上は楽しそうに振る舞っている。ただ、気分良く酒が飲めていない。


 理由は周囲にあった。


 パーティー会場はかなり広い。加えて、参加人数は100人は超えているだろう。多くの人が豪華な食事を堪能し、また、席を立って雑多に会話を楽しんでいる。


 俺達が座っているテーブルは会場の隅っこ。本来なら目立たない場所だ。そして、見かけだけはチンピラの俺が座っているせいか、西代に声を掛ける人間もいない。男避けのまじないはきちんと効力を発揮している。


 だが、合間合間に、どいつもこいつもが、俺達をチラチラと見ながら話の種に使っていた。


 内容はこうだ。


『あれが噂に聞く西代家の一人娘か』

『リクさんとは違い、あまり秀でた方ではないらしい』

『隣の男はなんだ。この場に分不相応だ』 

『何故、あのような分家の娘を垣蔵様は後継にお選びになったのか』

『やはり垣蔵様は老境に入り、正常な判断がつかなくなったのだ』

 

 ……正直、不快だった。感じるのは異物感と疎外感。視線と会話内容から、否定的な感情が隠しきれていない。


「…………」


 会場を見渡す振りをして、そいつら大多数に視線を向ける。


 すると、奴らは蜘蛛の子を散らすように視線を逸らした。


(うざい……)


 陸の孤島であり、針のむしろ。今の俺達の状態を表すのならそんな所だ。下手に注目を浴びているので居心地が最悪に近い。遠巻きから一方的に悪意を投げられているようだった。


 こんな状況で美味しく酒が飲めるか。


 憂さを晴らす為、ラムをハイペースで胃に落とす。同時に、同じ卓に着く西代の様子を窺った。


 西代はこんな空気でもどこ吹く風だ。、といった感じだった。


「……なぁ」

「ん?」

「相続なんて放棄したらどうだ?」


 気が付けば、俺は酔いと不快感に任せて突拍子もない事を口に出していた。


「え、急にどうしたんだい?」


 当然、西代は困惑した。しかし、俺が感じられる異物感を彼女が察していないわけがない。ある程度は俺の発言の意味は分かっているはずだ。


「別に」


 当たり前の事だが、この空気の原因は彼女が相続する予定の財産にあると俺は考えている。


「ただ、余計な物なんて貰わなくてもいいと思っただけだ」


 金だろうが土地だろうが、こんな悪意に晒されるのなら迷惑な物だろう。それに西代はできるだけ自分の力で生活しようと心がけていた。家からのしがらみを排除したかったのだと勝手に推測する。


「たしか、遺言書っていうのは破棄できるんだろ? なら別にお前が財産とか土地なんて継ぐ必要はないはずだ」


 ドラマや漫画で得た知識だが、多分現実にもそのような法はあると思われる。


「お前だって、爺さんの力に頼り切って生きていくつもりはないだろ。だったら、別に財産なんて必要ないはずだ。違うか?」

「…………あはは、うん、まぁ、そうなんだけどね」


 西代は、俺の提案に対して困ったような顔をして笑った。


「僕は頼まれちゃったからね」

「は?」

「……遺言書ってさ。けっこう理不尽な事を書かれていても、あまり破棄されないらしいよ」


 彼女の綺麗の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いている。


「どうしてだろうね?」


 その問いかけは、疑念を感じさせない声音で放たれていた。


「どうして皆、相続内容を破棄しないんだろうね? どうして、無茶な内容にも従っちゃうのかな?」


 西代の問いかけに、俺は押し黙った。押し黙って、亡き母の遺言を守ろうとしていた1人の友人を思い出していた。


「…………」


 安瀬は、母の願いをとても大切にしていた。


 遺言とは、最期の言葉だ。亡き人の縁者ほど、遺言書に書かれた内容を叶えようとするだろう。多少自分に負担がかかろうとも、それは家族の最後の頼みなのだから。


「……悪い。考えなしの発言だった」


 俺は阿呆だ。少し、西代の気持ちに寄り添えば分かる事だった。


「いいさ。お爺様はまだ元気だしね。それに、君が馬鹿なのは重々承知している」

「あぁ、俺はどうせ大馬鹿のクソ間抜けだよ」


 素直に罵倒を受け入れる。人生経験の薄さや、自分の思慮の浅さが露呈していたからだ。


「もちろん、それと同じくらい、君が優しい事も僕は知っているつもりだけどね」

「…………」

「ふふっ。ジン君、今凄い顔してる」


 西代は、彼女に褒められて悪い気がしていない俺を揶揄って遊んでいた。


「…………俺が優しいわけないだろうが。ほら、前にお前のパンツ引っぺがしたことあるくらいだし」

「ごぶっ!!」


 恥ずかしかったので、適当に過去の恥部をぶち込んでやる。そうすると、彼女は酒を勢いよく噴き出した。


「そ、それは二度と口に出すなと言ったはずだ!!」

「ははは!! いやぁ、あの時は死ぬほど楽しかったよな!!」


 周囲を気にせずに馬鹿話を始めようとした俺達。


「何も楽しくないよ!! アレは僕の中では普通に痴漢扱いで──」

「おい、もも


 その間に、知らぬ男の声が混じった。


「………………リク」


 声の主に視線をやると、そこに居たのは本日の主役である東城リクだった。


************************************************************


 今日の主役様が、俺達を尋ねにやって来た。


 俺は、背が高くて利発そうな顔立ちをした彼の登場に無言で驚いてた。近くに来られると存在感が強い。


「何のようだい?」


 俺との会話を中断し、西代が彼に声を掛ける。


「君に話しかけられる要件なんて、僕にはないはずだ」


 普段から一緒に生活をしている俺は、西代の機嫌の変化に直ぐに気がついた。先ほどまで、彼女はこの空気の中でもどこか楽しそうだった。


 だけど、今は死ぬほど機嫌が悪い。怒りの西代さまモード……とか言って茶化す事を躊躇ってしまうほど、彼女の声音は死んでいた。


「お爺様の使いだ。そこの男と一緒に最上階の部屋まで来い、だそうだ」

「え、俺と?」


 いきなり話題に出されたので、間抜けな声を出してしまう。


「……分かった。さぁ、行こうか、ジン君」


 西代はこの場から早く去りたいのか、直ぐに席を立った。


「ん、おぉ」


 俺も少し遅れて席を立つ。用件は分からないが、西代の祖父に呼ばれているというのなら行かなければいけない。


 彼女について行く前に、勿体ないので残った酒を全部飲んでしまおうとグラスを手に取った。


「桃、待て」


 足早に去ろうとする西代を、東城リクは引き留めた。


「……なに? 気軽に話しかけないでくれ」

「これ以上、家の格を落とすような真似はするな」

「はぁ?」


 それは聞いた事もないほど暗い声だった。


「なんだって? もう一度聞かせてくれ。僕が、一体、なに?」

「迷惑だと言っている」

 

 突き放すような口調で、東城リクは言葉を吐く。


「お前には心底呆れはてたよ」


 突如現れた彼の言葉は続く。


「地元を離れ、聞いた事もない大学に入り、正月の集まりにも来ない。ようやく社交の場に顔を出したと思ったら、俺の開いたレセプションにそのような荒んだ男を連れて来て……」


 東城は軽蔑の意を隠すことなく、俺を見下した。まぁ正直、場に相応しくないとは俺も思っている。なので、別に怒りはしない。


「どこまで家名を落とせば気が済むつもりだ」

「何が家名だ。分家の僕に、何の関係がある」

「あるに決まっているだろう」


 東条リクは、忌々しそうに西代を睨めつけていた。

 

「お前は分家の分際で、お爺様の土地と遺産を継ぐんだぞ? それなのに、いったい何をしているんだ」

「土地と財産はしっかり引き継ぐ。ちゃんと管理だってするつもりだ」

「それでは遅いと言っている」


 ……なんだ、コイツ?


 いきなり現れて西代と口喧嘩を始めた男に、当然俺は不信感を持った。今日はコイツの誕生日のはず。それなのに、随分と辛気臭い。


つとめから逃げてばかり。遊んでいる場合か。大学なんてやめて、早く本家に戻ってこい。学業などお前には必要ない」


 上から目線の命令口調。俺達と同い年のはずの彼の態度は、あり得ないほど偉そうだった。


「どうしても大学を卒業しておきたいと言うのなら、父の知り合いが大学の理事をやっている。お前が通っている所とは比べ物にならない所だ。そっちに転学して、真っ当な道を──」

「死ね」


 文字通り、殺意が込められた言葉が西代から発せられる。


「何もせず、、今更僕に指図するな。今日は来てやっただけありがたいと思え」


 彼女の目の色は、深海を思わせるほど黒く冷たかった。


「どうせ僕を、傘下の分家筋とくっつけようって腹だったんだろう? 当てが外れたからって僕に絡んでくるな、鬱陶しい」

「……お前、我が儘もいい加減にしろよ」


 西代の刺々しい物言いに、東城リクは怒りを表情に出し始めた。


「ただでさえお前は高校を退学し、社会のレールから一度外れた身なんだ」

「っ」


 西代の表情が曇る。


(え、退学?)


 それは初めて知った。あまり良くない高校生活を送っていた事は知っていた。だが、退学までしていたとは、俺は知らなかった。


3周囲よりも遅れておいて、そのような口が俺に利ける立場か」

「──────」

 

 彼女はそこで完全に停止する。銃弾で胸を打たれたみたく、強い衝撃で体が硬直した風に見えた。


「ようやく部屋から出たと思えば、親族の誰にも相談せずに勝手に1人暮らしを始めて……自分探しでもやっているつもりか?」


 一瞬だけ、西代は俺を見た。そして、直ぐに顔を伏せる。


 西代は、恥ずかしそうに、顔を伏せたのだ。


「ふん。だが結局、お前は何も変わらないな」


 東城リクは、黙って顔を伏せている西代を無視して話を続けている。


「自堕落で、気に入らない事があれば文句ばかり。少しは周りに同調する事を覚えろ」


 俺は東城の話をなるべく聞かないようにして、西代の様子だけをつぶさに見守っていた。


 隠していた過去を俺に知られたせいか、勝手に自分の過去を語られたことに憤りを感じているのか分からないが、西代の顔は苦痛に歪んでいる。


 西代が、悔しそうに、侮辱に耐えている。何も反論せずに黙っている。


「そもそもだ」


 これははずかしめだ。そう思った瞬間、胸に冷えた金属の感触が広がった。


「そのような情けない性根だから、を起こしてしま──」


 ──パリン


 まだ酒の入っていたグラスを床に叩きつける。話が始まって5分も経たない内に、俺はコイツを敵だと認識した。


「喧嘩売ってんだよな、テメェ」


 頭の中を、赤色灯より激しい閃光が染め上げた。


************************************************************


 西代桃は屈辱に震えていた。親しい友人に、隠していた自分の過去を聞かれた事に対して、羞恥心と強い怒りを感じていた。


「その喧嘩、代わりに買ってやるよ……」

「じ、陣内君?」


 だが、西代桃の邪気が萎んでいく。理由は、自分よりも強烈な怒気を感じ取ったからだ。


「ふざけやがって」


 低く、獣じみた声が陣内梅治の喉から響く。陣内は歯を軋ませて、強い怒りを噛みしめていた。


 血走った目で、彼は自身が敵と見定めた男を睨みつける。


「な、なんだ。お前には関係の無い話だ。部外者は引っ込んで──」

「あ゛ぁ゛!? 舐めたこと言ってんじゃねぇぞ!!」


 チンピラ風貌の陣内は理性を遠くに追いやって、見た目通り低俗にキレた。


 声を荒げた事で、周囲の視線がより一層と陣内達に収束する。一発触発の雰囲気を感じて、参加客たちにどよめきが起こった。


 陣内梅治にとって西代桃は親友であり大恩人だ。過去に、彼は3度も彼女に救われている。彼の精神の奥底では、楔石のように西代という女性の存在は突き刺さっていた。


 いかなる事情や背景があろうとも、彼は西代桃が貶される事を決して許しはしない。その溺愛っぷりは並ではなかった。


「ぶち殺す」


 そんな陣内が、東城リクに向かって一歩踏み出した。


「どっかの骨、へし折ってやるよ」


 敵意を体外に滲ませて、乱雑に距離を詰める。その荒々しい歩調には、殺意さえ籠っていた。


 大多数の人間が『次の瞬間には、粗暴な男が主賓に暴力を振るう』と考えたその時──。


 パーティー会場から一切の光が消えた。


「な、なんだ!?」

「て、!?」


 急な暗転に、西代と東城リクが驚く。


 混迷する場に安瀬桜によって更なる爆弾が投下されたのだ。


 怒涛の展開に、陣内達を外野から窺っていた周囲もガヤガヤと強く騒めき立つ。会場内の群衆は、軽いパニック状態に陥った。


 だが、その中で陣内だけが冷静に事態を俯瞰ふかんで捉えていた。


(チャンスだ……!!)


 陣内は暗闇を好機だと認識していた。


(このまま、確実にぶちのめす!!)


 闇に乗じて、陣内は本気で殴り掛かるつもりだった。


 彼は腕を大きく振りかぶる。陣内は停電前の記憶を頼りにし、東城の鼻頭があるであろう箇所に目掛けて拳を振りきろうとした。


「────落ち着け、この馬鹿!!」


 突如、陣内の後頭部に空の料理皿がブチあてられる。


 実行犯は、夜目が効く西代だった。


「ぶげぇ゛゛!?」


 強い音をたて、大きな皿は蜘蛛の巣状に砕け散る。


 東城を殴ろうとした陣内は、衝撃のあまり床に倒れ込む。陣内梅治の怒りの鉄槌は、西代の手腕により不発に終わった。


「いっ、い゛っ!? いってぇ!? はぁ!? な、なんだ!?」

「ほら!! 停電してるうちに逃げるよ!!」

「あ、ちょ、おい!! 西代、引っ張るな!! まだ話は終わってねぇんだよ!!」


 後頭部を殴られてふらつく陣内を、西代は非力ながらも全力で大広間の外まで引きずっていく。彼らは騒乱状態の会場から急いで逃げだした。


「…………なんだ? 一体何が起きている!? コレは一体どういう事だ!!」


 暗闇の中で何も事態を把握できていないまま残された東城リクは、絶えない疑念の声を漏らし続けた。


************************************************************


 ………………後頭部がズキズキと痛い。


「ぜぇ…………はぁ…………疲れたぁ。やっぱり、もうちょっと運動して体力つけようかな……」

「痛ててて。うぐぉ……これ、絶対にたんこぶができてる」


 大会場外の廊下で、俺は後頭部を抑えて蹲っていた。頭にできた大きな腫れを優しくなでる。


「西代。テ、テメェ……」


 暗闇に目が完璧に慣れたので、西代の姿を正確にとらえる。彼女も疲労に膝をついて床に座っていた。


「いきなり人を殴るヤツがいるか!!」


 俺は大声で彼女に怒鳴った。痛みと不完全燃焼の怒りが交わって、気分が悪すぎるせいだ。


「それはこっちのセリフだよ!!」


 西代も、俺の怒声に負けない声量で吠える。


「君ね!! なに簡単に暴力を振るおうとしてるんだい!!」

「あぁ!? 別にあんなヤツ、ぶん殴ってもいいだろうが!!」

「アイツの親は本物の弁護士だよ……!? 考えて物を言え、この馬鹿!!」

「うるせぇな!! 俺には、俺なりの考えがちゃんとあったんだよ!! 邪魔してんじゃねぇ!!」

「考え? 一体どんな考えがあれば弁護士の息子に殴りかかれるって言うんだい!! 暴力で訴えられたら確実に捕まって刑務所行きだよ!!」


 誰も見ていない暗がりの中、俺たち二人は床に座って本気の口喧嘩を始めた。


「殴った後で締め落して、テーブル下にでも放り込んで置けばいいだけだろうが!!」


 現代でムカつく相手をぶちのめす方法。何かと悪事に手を染めがちな俺は、そういったグレーな方法をちゃんと把握している。その方法は"酔い潰し"と"締め落し"の2つだ。


「高確率で前後の記憶が飛ぶから、そうやって事態を有耶無耶にするつもりだったんだよ!!」

「……馬鹿かい!? 絶対に記憶が飛ぶわけじゃないじゃないか!! そんな確実性の低い方法を取って、大学を退学にでもなったらどうする!?」


 西代は、俺が安易に暴力を振るおうとしたことを本気で怒っていた。


「そもそも、あの程度の事で君が怒る必要なんて──」

「うるせぇって言ってんだろ!!」


 気分が悪すぎて大声で怒鳴りつけた。


「怒って悪いかよ!!」


 今日は本当にムカつく事しか起きない日だ。


 頭に血が登っていて、熱い。心臓が脳みそに移植されてしまったかのように、脳内でドクンドクンと脈が鳴っている。


「お前があんな風に言われたら、俺は……俺はなぁ……!!」


 そりゃあ、西代は悪いヤツでクズだ。


 でも小さい頃は体が弱かったんだろう? 両親が近くにおらず、寂しい思いをしていたはずだ。それに一度、高校を退学してしまった。きっと何か辛い出来事があったせいだ。それで3年も部屋に引きこもった。 


 それなのに周りはアレか。


「嗚呼、クソが!!」


 腹立たしくて、地面に拳を叩きつけた。


 親族ぐらい、全てを受け入れて西代に優しくしてやれ。どんな事情があろうとも、彼女の味方をしてやれ。


 俺は恵まれている。松姉さんに、竹行おじさん。俺の親族は皆、優しい人ばかりだ。従妹いとこたちとだって仲が良い。

 

 だからなのだろうか。


 今日見た彼女を取り巻く環境のすべてに、怒りと悲しみを感じてしまうのは。


「……まさか、君、泣いているのかい?」

「っ!」


 目の端に、涙が溜まっていた。


「んな訳あるか!!」


 急いでそれを拭い去り、何事もなかったかのように振る舞う。同情なんてしていない。


「ムカついてんだよ……あのゴミが、お前になんて口を利いたと思ってやがる……!!」


 苛立ちを隠さず、本心を声に乗せた。俺の心身を支配しているのは同情ではなく、強い怒りのはずだ。


「俺らに文句をつける奴なんて、全員ぶちのめしてやればいい。死ぬほど後悔させてやれ」


 傲慢で幼稚な発言だとは思う。だけど事実だ。


「俺たちは無敵だ!! 怖いものなんて何もない。そうだろ!?」


 いつも通り、後先なんて考えずに、俺はあの野郎をぶちのめしたかった。西代を否定する糞野郎の口を、1秒でも早く塞いでやりたかった。


「…………うん、そうだね」


 ムカつく奴はぶっ飛ばす。ガキの言い分に、彼女も同調した。


「でも、今回はいいんだ……」


 野蛮な思想に同調したはずなのに、西代は何故か、とても穏やかな顔をしていた。


「僕は、その……凄く満足してる。だから陣内君、今日は……もういいよ」


 どこがだ、と思った。


 西代は苦労している。難儀で複雑な人生を、その小さい体で必死に乗り越えて来た。なのに、彼女の周囲はそれを認めていない。


「……やっぱり、今日は君を連れてきてよかった」


 何か、暖かい物で満たされたように彼女は笑った。


 まただ。


 薄幸はっこうという言葉が相応しいまでに、彼女は何でもない事を深く楽しむ……普通の事で、西代は心底楽しそうに笑う。


 彼女は……本当に幸せそうに笑うんだ。


「さっきの事は全部忘れて欲しい。犬にでも噛まれたとでも思って……ね?」

「いや、でも──」

「頼むよ」

「………………お前がそう言うなら、分かった。もう、別に良い」


 何も良くない。だが、にはきっと西代の過去も含まれている。


 そう言われたら、俺は同意せざる負えなかった。


「うん、ありがとう……さぁ、もう行こう。お爺様を待たせちゃっているだろうしね」


 彼女は暗い中、華奢な手を俺に差し出した。


「…………あぁ」


 短く返事をして、彼女の手を取る。


「ん」


 指と指の合間が隙間なく埋まる、恋人繋ぎ。西代は強く、未だに怒りに震えている俺の手を握った。


「……お爺様は気難しい人だけど、緊張しなくていいよ。君なら、絶対に、お爺様に気にいられるはずだ」

「そうか」


 西代が何か言っているが、俺の耳には半分も内容が入ってはいなかった。


 まだ、胸の冷えた金属の感触が消えていない。


(このままで済ますか)


 俺にとって、あの会場にいた全員はクソだ。


(見てろよ)


 何が誕生日パーティー。何が祝い事だ。ふざけやがって。確実にぶっ壊す。


 ガキみたいに暴れまわって、好いも悪いも全部台無しにしてやる。

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